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野望

 城壁の頂上、屈強な兵士が肩を並べて歩けるだけの幅を持つ歩廊を辺境伯が進む。傍らには大盾を構えた短軀の兵が付き従う。気難しそうな四角い顔を黒髭で覆い、辺境伯を狙って射かけられる矢を全て受け止め、弾き返していた。

 人族では狙いを付けるどころか引き絞ることも困難なオークの強弓。そこから放たれる太矢は鋼鉄の鎧をも貫通する。それを容易く弾く大盾の分厚さは尋常ではなく、持ち手の付いた鉄塊にも等しいそれを軽々と掲げる兵の膂力も並ではない。兜に付けられた房飾りは、バルシド辺境伯の近衛兵の証だろう。

 バルシドの後ろを進むリーエンにも流れ矢が飛んでくるが、こちらはソアルが防いでいる。自在鉄を纏ってオークすら凌駕する巨漢となった〝天騎士〟は胸壁から頭が出るほど上背があるため、オークにとっては格好の的なのだろう。道中では馬の形態を取らせていた自在鉄を大盾に作り替え、叩き付ける矢の雨を防いでいる。

「知っての通り、我らはオークと交戦中だ」

 自身を狙う矢を気にする風もなく、バルシドが言う。

「正門から送り出すわけにはいかない。奴らを退けるまで待つか、北の〝血染め城〟に回ってもらおう。辺境伯の承諾を得て〝天騎士〟一行が出立したという名分もそれで立つ。中央の阿呆どもは歯噛みするだろうが、追認するしかないだろう」

「……こちらの思惑はお見通しでしたか」

「生憎、敵は西側だけにいるとは限らないのだよ」

「……ご心労、お察しします」

 西側、すなわち〝人外の領域〟だけではなく、東側の〝人族の領域〟にも敵はいるとバルシドは示唆している。情報収集にも抜かりはないということだ。

 レドで致死性のスライム熱が蔓延したこと、リーエンとザイアユーネがその解決に一役買ったことぐらいはバルシドが把握していても不思議ではない。加えて、渦中の当事者である二人が〝天騎士〟を引き連れてダクエル要塞を訪れた事実。

 これらの情報から、かつて〝人族の領域〟の再拡大を目前にして頓挫した勇者の遠征を想起するのはそう難しくない。難があるとすればザイアユーネが魔人であること、〝天騎士〟ソアルを王都が手放したがらないことくらいで、あえて姿を現したのはそれらの問題を解決するための一手だと推理するのも突飛な発想ではない。

 バルシドが見誤ったとすれば、主導者をリーエンと考えたことくらいだろう。

 一行を主導する人物――ザイアユーネが袖口を引っ張る。

「リーエン、わたしたちは南の魔人領へ向かいます。北では回り道になります」

「ん……閣下、南の〝瓦礫城〟を経由して抜けてはいけませんか」

 リーエンの問いに、バルシドは振り返りもせずに答える。

「私は相談をしたつもりはない」

 はねつけるような語調。辺境伯としての命令ということだ。彼の信認を得たいこちらは強く出られない。しかし次の質問に繋げるきっかけにはなった。

「南へ向かわせたくないのは、山上湖に建設された砦と関係がありますか?」

 ふん、と鼻息で返答に代えるバルシド。

 侮るなと言われたことへの意趣返しだ。

 常に明晰で淀みない受け答えをしてきた彼が即答を避けた。それ自体が答えだ。ソアルの偵察により、新しくできた湖がどういうものかは把握している。要塞に入る前の偵察で、ソアルは新しくできた湖と砦について次のように語った。

「谷間をせき止める、灰色っぽくて継ぎ目のない、すごく大きい壁でした。地図で言うと〝デアホルン砦〟と〝メルベムの壁〟の間……あ、この山上湖のあるところですね。壁の両端には塔が立ってて、ドワーフが巡回してました。言われた通り、偵察だけで殺してません。ね、リーエン、僕は役に立ちましたか?」

 以上がソアルの報告だ。役に立つどころではない。

 南北に走るダクエル山脈には十三の砦と要塞がある。中央にあるダクエル要塞から見て北に六箇所、南に六箇所。ソアルが挙げた地名は要塞から南下して二番目と三番目に当たる砦で、その間には以前から小さな湖があった。

 ソアルの話を聞く限り、大きい壁とはダムのことだ。しかしリーエンの持つ地図、勇者の遠征に用いた地図にダムは記載されていない。おそらく〝王国〟中枢も存在を把握していないだろう。ドワーフという歴とした異種族に国境防衛の一部を委ねるなど人族至上主義を掲げる〝教会〟が許すはずもないからだ。

「ドワーフが駐留しているのも把握しています。腹の探り合いは止めませんか」

「ふむ。無用の衝突を避けるための計らいだったが、知っているなら話は早い。そう、ダクエル山上湖のダムと〝双子塔〟は我が同盟者たるドワーフが築いたものだ」

 すでにリーエンが口にした内容の追認。説明する気はないという態度だ。

「なるほど。同盟であれば問題はありませんね。不法に占拠されているのであれば、お手伝いできることもあるかと愚考いたしましたが、杞憂でした」

 断りなしに攻撃して全滅させてもよかったんだぞ、という脅しだ。

 少し考えた後に、バルシドはこう返してきた。

「……強固な堤防も蟻の一穴から崩れるもの。デアホルン砦とメルベムの壁は距離がある上に湖と川で隔たれ、防衛上の弱点だった。そこで我がデアホルン領はドワーフと同盟を結び、山上湖周辺の土地を貸与。ダムを築く許可を与え、共同で防衛する約定を交わした。双子塔にはデアホルンの精兵も詰めている。心配は無用だ」

「ドワーフの血が入った魔人の兵ですね?」

 間を置かず放ったリーエンの言葉に反応したのは、バルシドの隣で大盾を構える近衛兵だった。身体的特徴から見て、おそらく彼もドワーフの血を引いている。じろっと視線を向けられるが、いまさら睨まれたくらいで怯みはしない。少なくとも表面上は。無様にたじろいだ様子は見せなかったはずだ、おそらく。

「左様」

 バルシドは流石の胆力で、悠然と振り返るとあっさり首肯した。動じる様子はない。魔人を近衛兵にまで取り立てていると〝教会〟に知れれば聖騎士団の暗殺者が送りこまれても不思議ではないのに、ただ問われたから認めたという態度だ。

 不穏な空気を感じた。いや、思えばこの要塞に足を踏み入れた瞬間から感じていた空気だ。どこか閉塞感と諦観に包まれた人族の社会にあらざる、奇妙な活気とでも呼ぶべき代物。その正体を明確に言葉にできないのがもどかしい。

「閣下、ドワーフはダムの建築と防衛を引き換えに何を得ましたか? いや、分かりきったこと……彼らが欲したのは水そのものですね。製鉄には大量の水を使う。ダムによりせき止められ、川はダクエル山脈の東側から西側へと流れを変える。その先にあるのはドワーフ領だ。バルシド・デアホルン辺境伯、貴方は……」

 ふと思いついた言葉が口を突くのを、直前で踏み留まる。

 貴方は人族を見限るつもりですか、と口にする覚悟はなかった。

 肯定されれば、決定的になってしまう。だから代わりにこう問いかけた。

「今夏、ネト大河の下流域で大干魃が発生しているのをご存じですか?」

 〝人族の領域〟の農耕を支えるネト大河の源流、そのひとつがダクエル山脈だ。もちろんそれ以外にも大小の河川が合流して大河を形作っているのだが、極端な水位の低下にダムが一役買っているのは間違いないだろう。

 凶作となれば多くの民が冬を越せず、死が蔓延する。人族に弓を引くにも等しい行為を糾弾するリーエンの問いに、バルシドは眉ひとつ動かさずに答えた。

「必要に応じた放水により、我がデアホルン領には水が行き渡り、例年通りの収量が見こめるとの報告を受けている。冬越しの糧に困窮する無辜の民を哀れには思うが、生命線たる水の確保の失敗という他領の失政まで気にかけてはいられない」

「そのような……」

 突き放すような言葉に衝撃を受け、二の句が継げなかった。

 バルシド・デアホルン辺境伯。〝人領の盾〟の誉れ高い勇士。その瞳に、不意に酷く暗い光を見た気がして、夏だというのにひやりとしたものを感じた。

「リーエン」

 背後から艶めいた声をかけられて、びくりとする。

 ザイアユーネ。彼女は両手を合わせ、頬を上気させてさえいた。

「わたし、バルシドとは分かり合える気がします。彼とは本当の意味で協力し合えるのではないでしょうか。流石はリーエン、わたしにはここに来る発想そのものがありませんでした。いいえ、来たとしてもこうして話せはしなかったでしょうね」

 止める暇はなかった。あったとしても、止められたかどうか。

 ぞっとするほどの色香をまとい、無邪気な魔人は本質を突く。

「彼には人族の〝王国〟から独立する意思がある。そういうことですね?」

 そうだ。そうとしか考えられない。

 〝人族の領域〟と〝人外の領域〟の境界を領有する彼にはそれを実行するだけの力があり、抑止力となり得た〝天騎士〟はすでに王都の制御を離れている。

 辺境伯の離反。それがどのような事態を引き起こすのか。必死に想像を巡らせる。ひとつだけ確かなのは、とんでもない数の人間が死にかねないということだ。準備と覚悟があり、要地を押さえたバルシドと彼の庇護下にある人族と魔族だけが得をし、それ以外の人族が割を食う。これはそういう計画だ。確実にそうなる。

 では、首謀者のバルシドは〝王国〟から独立して何を得るのか。

 決まっている。己の国だ。

 一国の王となる。野心ある者ならば一度は見る夢だ。たとえその先に待つのが避けがたい破滅であろうと、手を伸ばすことを躊躇しない者は存在する。

 足を止めた一行に、オークの矢玉が集中する。そちらに注意が向いた隙を突いて、鉤縄で登ってきた重装オークがついに城壁を乗り越えた。兵士の頭を割ろうと大剣を振り上げた瞬間、飛来した無数のナイフで装甲の隙間を刺し貫かれる。だが大量の血飛沫を撒き散らしながらも重戦士は一切の怯みを見せず、動きを止めることもなかった。逃げ遅れた兵を数人、道連れにして絶命する。

 ソアルはリーエンの指示を守り、防御と城壁を乗り越えた敵の対処に徹している。要塞の兵も冷静だ。ソアルの援護を無駄にせず、開いた穴を埋めていく。バルシドがいる地点が猛攻撃を受けているだけで、要塞全体としては危なげなくオークの攻勢に対処していた。堅固な要塞、そして精兵で知られるデアホルン兵の面目躍如だ。

「バルシド、貴方は独立の意思を積極的に隠そうとしていなかった。つまり、わたしたちにバレてもいいと考えていた。その真意はどこにあるのか、考えるまでもありません。浮いた戦力であるわたしたちを、自軍に取りこみたいのでしょう?」

 辺境伯はザイアユーネの問いに答えない。答えるまでもない、という表情だ。その視線はリーエンにぴたりと据えられている。独立の意志あり。それを受けてどうするのかを問われているのだ。敵か、味方か、あるいは中立か。

 中立は最悪の選択肢だ。日和見と取られれば敵対するのと変わりない。また敵対するにしても立場が問題だ。辺境伯に離反の意志ありと証明するのは困難な上、ザイアユーネ自身が〝王国〟から追われる身である現在、実質リーエンとソアルの三人で対立することになる。〝魔人〟と〝天騎士〟であれば要塞ごと辺境伯を討ち滅ぼすのも不可能ではないが、それをやれば人族の仇敵と認定されるのは避けられない。

「リーエン?」

「……今さら糾弾する資格はない、か」

 ザイアユーネに顔を覗きこまれ、ひとつだけ愚痴をこぼす。

 傍らにはソアル。今も無言で矢玉を防ぎ、凶刃を退けている。彼がここに居るのは他でもないリーエンのためだ。彼はそのためだけに〝王国〟を裏切った。

 〝魔人〟に手を貸し〝天騎士〟を引き抜いた、人族の裏切り者。

 それが現在のリーエンに対して下されるべき客観的な評価だ。

 レドでザイアユーネの手を取ってしまった時点で、少なくない量の血が流れるのは避けられなかった。どうにか穏便に事を進めようと、可能な限り現状の形を維持しようと策を弄したのは、本当の意味で覚悟が決まっていなかったからだ。

 その理由も心の底では分かっている。

 ザイアユーネの掲げる〝あまねく人を救う〟という目標は、人族と魔人とを区別しない。それは人族至上主義の下で魔人を排除してきた人族と、無力な人族を見下して人を人とも思わない熾烈な能力主義を掲げる魔人、双方に根本的な価値観の転換を迫ることに他ならない。その変化は人以外の諸族にも波及するだろう。

 リーエン自身も例外ではない。レドでのザイアユーネとの出会い以来――もっと遡れば勇者の死やソアルとの出会い、そしてこの世界を訪れた時からずっと――どこか傍観者であり続けた自分こそが変革を迫られるだろうという確信があった。

「バルシド」

 あえてそう呼ぶ。対等であることを示すために。

 彼はおもしろそうに片眉を吊り上げ、リーエンの次の言葉を待った。

「私たちと手を結ばないか?」

 自分はどこへ向かおうとしているのか。

 明確な答えの出ないまま、取引をもちかける言葉を口にした。

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