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ダクエル要塞

 デアホルン領を通り抜けて、ダクエル山脈に続く山道の麓に到着する。最悪、途中の村や街は全てスライム熱で全滅している可能性も考えていたが、意外にも被害は少ない様子だった。話を聞けば、疫病の流行に先駆けて水の煮沸消毒と患者の隔離治療を徹底するようバルシド辺境伯がお触れを出したのだという。

 〝王国〟を潤すネト大河の源流はダクエル山脈にある。その膝元なだけはあり領内の畑では作物が青々と実り、水不足とも無縁の様子だった。堅実な領地経営の手腕でも名高いバルシド・デアホルン辺境伯の力量の高さが窺える。

 山道の入り口には二人組の番兵がいた。彼らは近付いてくる一行に気付くと、ぎょっとしたように目を剥く。手にした槍を構え、遠間から固い声を投げてきた。

「そこの三人。何者か、身分を明かせ!」

 彼らが警戒しているのは、リーエンの隣で馬を進める人物だ。鋼鉄の馬鎧で固めた巨大な軍馬にまたがる、全身鎧の騎士。身の丈は小柄なザイアユーネの倍にも迫り、背負った大剣は番兵の槍など小枝のように薙ぎ払ってしまえそうだ。隙なく身に付けた異形の鎧からは無数の棘が突き出し、無言で周囲を威圧する。

 無言で周囲を睥睨する騎士に代わり、リーエンが口上を述べる。

「番兵殿、お役目ご苦労。我らは王都より遣わされた〝天騎士〟一行だ。バルシド・デアホルン辺境伯に来訪を取り次いでいただきたい」

 高名な〝天騎士〟だが、その素顔を知る者は少ない。天を翔ける〝飛行騎〟こそ目にしたことはあっても、その正体は一部の人間を除いて秘匿されてきたからだ。辺境伯もまた例外ではなく、信じさせるにはまず見た目の説得力からだ。

 〝飛行騎〟に用いる自在鉄を変形させた鋼鉄の馬にまたがり、分厚い全身鎧を身に纏ったソアルはちょっと近付きがたいほどの威圧感を放っている。装甲でくぐもった声も、まだ声変わりしていない幼い声色を誤魔化すにはちょうどいい。

「は……では、恐れながら〝天騎士〟殿ご本人という証を立てていただきたい」

 困惑しながらも警戒を解かない番兵。よく訓練されたいい兵だ。

「はぁ……いいかな、番兵殿」

 わざとらしく顔をしかめ、真正面から兵を睨みつける。

 胆力での勝負は苦手だ。目をそらしたくなるのをぐっとこらえて続ける。

「我らとしては空から直接ダクエル要塞を訪れても構わなかった。こうして正面から来訪したのは要塞を預かる辺境伯に敬意を表せばこそ。番兵殿が我らを〝天騎士〟を詐称する痴れ者と疑うのなら構わない。縄を打って引き立てていけばよい」

 適当にまくし立てながら、ソアルに目配せする。

 誰何を受けた時の打ち合わせはしてあった。巨躯の騎士がふわりと宙に浮き、今にも飛び出そうとする気配を漂わせるに至って、番兵も納得せざるを得なかった。

 渋々という様子で番兵が引き下がる。その間を堂々と馬を進めながら、彼らには見えないよう、そっとため息を吐く。最初の関門はクリアしたと言えるだろう。

 騎乗したまま通れるよう整備された山道に入って間もなく、後方から太鼓を叩く音が聞こえた。それに呼応して、前方でも太鼓が響く。音による通信だろう。叩き方や回数で伝える内容を決めているのだ。〝天騎士〟の来訪もこれで伝わる。

 ぐねぐねと折れ曲がりながら続く山道の途中には、休憩所として使える広場がいくつも設けてある。簡素なベンチが並び、石垣を補修する職人たちが休んでいた。一人がこちらに気付くと、じろじろと好奇の視線を向けてくる。

 格好や物腰から見て兵士ではない。ザイアユーネを見て口笛を吹き、ソアルに睨みつけられて慌てて目をそらす様子はわざとらしいほどで、職人を装った監視員の線も薄いだろう。危険は少ないと判断して、後ろに声をかける。

「疲れてない? 休憩を入れてもいいけど」

 ザイアユーネは軽く首を振ると、違う問いを投げてきた。

「リーエン。この石垣、どうして途中で作るのを止めてあるのですか」

「ああ、これは……うん、これでいいんだよ」

 四角く切られた広場の内、石垣は登ってくる者を阻むように山道の手前側と斜面の下側に積まれていて、要塞がある上側は守られていない。四方を囲わず天井もないので開放感があり、建築を途中で止めてあると言われればそうも見える。

「下から敵が攻めてくるとしよう。この広場に兵を伏せておけば、石垣で身を隠しながら一方的に攻撃できるだろ。守り切れなくて奪われたとしても、要塞側に石垣はないから敵が身を隠す場所はない。敵に出血を強いるための罠だよ、これは」

 耳を傾けていた職人の間から、ほうと感心したような声が上がる。彼らも石垣がどのような目的で使われるのかまでは知らなかったらしい。しかし人ならざる魔人の抱いた感想は違ったようだ。冷めた声でザイアユーネが言う。

「小賢しいことを考えるのですね。吹っ飛ばしてしまえばいいのに」

 身も蓋もない感想に苦笑しながら返す。

「そう言ってやるなよ。戦いなんだ、やれることはやるさ」

 人を超えたような連中の戦いに食らいつき、ない知恵を振り絞って工夫を凝らしてわずかでも差を詰めようとしていた身には、生来の強者の言葉が突き刺さる。会話が途切れ、思考に沈んでいる間も馬は歩を進めてくれるのがありがたい。

 休憩所を抜けて少しすると、今度はソアルがぽつりと言う。

「さっきの人たちから、少しだけ魔力を感じました」

 装甲でくぐもった声からは感情が読み取れない。

「魔人でしょうか?」

 剣呑な雰囲気に思わず振り返る。

 今にも槍を放ち、職人たちを串刺しにしかねない殺気を放っていた。

「待って、ソアル。彼らは敵じゃない」

 人族至上主義を掲げる〝教会〟のお膝元である王都では徹底した魔人狩りが行われている。純血の人族は一部の例外を除いて魔力に乏しいので、魔力を持つ人の集団をソアルが警戒したのも無理はない。だが、それは王都での話だ。

「デアホルン領は〝人外の領域〟に面してるからね。いくらダクエル要塞があるからって、人の流れを完全に遮断できるわけじゃない。先祖が諸族と交わって、薄くではあるけど魔力を持った人間はこのあたりじゃ珍しくないよ」

 〝人族の領域〟はお世辞にも豊かな土地とは言えない。最後の王族がダクエル山脈を越えてから百年しか経っていないのだ。手つかずのまま残されている森や原野も多く、開拓に使える人手はどれだけあっても足らないくらいだ。

 〝人外の領域〟には人族の庇護者が存在しない。立場が弱い者が奪われる側に回るのは世の常で、生きていくためには寄り集まるか、人外の血を入れて魔人となるか、商人や傭兵として身を立てるか――いずれにせよ選択肢は限られ、それすら選べない弱者は一縷の望みをかけてダクエル山脈を越えてくる。早い話が流民だ。

 そうした流民を〝教会〟の不興を買おうとも積極的に受け入れてきたのがデアホルン家だ。建前と本音を使い分け、実利を取る合理性を持ち合わせている。おそらく、現当主のバルシドならザイアユーネを〝魔人である〟という理由で一方的に排除はしない。つまり交渉ができる相手ということだ。

「ソアル。君も含めて、ここにいる三人は広い意味での魔人だ。彼らを魔人であるという理由で殺すなら、まずは目の前にいる相手から殺すべきだろうね」

「こいつはともかく、リーエンを殺すなんてとんでもない!」

 ザイアユーネを指差してソアルが言う。

「だろう? じゃあ彼らも放っておけばいい」

 表情は窺えないが、リーエンの言葉に黙ってうなずくソアル。なぜいちいちザイアユーネに突っかかるのかは分からないが、こっちも考えることは沢山あるので構っていられない。偏った価値観はおいおい矯正していけばいいことだ。

「リーエン、尋ねたいのですけれど……」

「ああ、なに?」

 そろそろ日が傾く。夜の山道を馬で進むのは恐いので、日没までにダクエル要塞に着きたいところだ。こんなところで足止めを食らっているわけにはいかないのに、今日は二人とも質問が妙に多い。馬の足は止めずに応える。

「なぜこちら側の防備を固めているのですか?」

 行く手に次の休憩所が見えてきていた。ソアルが鼻で笑う。

「さっきリーエンが説明しただろ。あんた聞いてなかったのか」

「黙りなさい犬ころ。わたしが尋ねたいのは、なぜ〝人族の領域〟に向けて防備を固めるのかです。まるで味方に攻められるのを恐れているようではありませんか」

「元々はこっちが正面だからね」

 ザイアユーネの質問は常に的確だ。つい色々と教えたくなってしまう。

「現在〝人族の領域〟となっているダクエル山脈以東のエイデン半島は、およそ百年前まで辺境の流刑地だった。ダクエル要塞の前身となる砦は、追放刑を受けた犯罪者や流れ者が戻ってこないよう監視するために建てられたんだ」

「種族が丸ごと追放の憂き目に遭うとは、思ってもみなかったのでしょうね」

 心の底からおかしそうにザイアユーネが笑う。

 邪悪な表情をしているのが声だけで分かった。

「どうかな。辺境に追いやられる以前から要塞化は進めてたわけだから、負けを想定してなかったわけでもないだろうけど。ともあれ、王族の脱出に引き続く要塞防衛戦で武功を上げた貴族がいて、それがデアホルン辺境伯家の始まりとされてる」

 もちろん色々な思惑が絡み合っての結果なのだろうけど、そこは割愛する。興味もない歴史書で読んだきりの知識だから、細部は記憶になかった。

「ゴブリン軍の侵入を許して先代当主が引退するきっかけになった一件を除けば、ほぼ百年に渡って完璧に諸王連合の侵攻を阻み続けた根っからの武門だ。ザイアユーネがどういう世界を目指すにせよ、無視しては通れない人物だよ」

 最低でも中立、可能なら協力を引き出したい相手だ。

 交渉の矢面に立つ身としては、今から胃のあたりが重くなってくる。

「リーエンは辺境伯と面識があるのですか?」

「会ったことはあるけど、喋ったことはない。向こうは次期当主として先代の補佐をする立場で、こっちは勇者のお付きでしかなかったから。憶えてるかどうかは怪しいところかな。まあ、どっちにしろ大した問題じゃないよ」

 重要なのは〝天騎士〟の名が持つ重みだ。代弁者の名ではない。

「あ、見えてきましたよリーエン」

 轡を並べたソアルが前方を指さす。

 油断なく歩哨を立てた、ダクエル要塞の堅牢な門がそこにある。

「偵察しておきましょうか」

「目立たないようにね」

 ソアルが鎧から数本の棘を飛ばす。ナイフ大のそれが持つ戦闘能力は人族を殺傷する程度、速度も大型の銀槍に比べて劣るが、小型のため隠密性が高く偵察能力では引けを取らない。厄介な要塞の縄張りも一瞬で丸裸にできる便利な代物だ。

 十秒とかからず、ソアルが偵察を終える。

「罠の兆候はなし。門を潜った瞬間に不意打ちされる危険はなさそうです。それから、ついでに捜索範囲を広げてみたらちょっと気になるものがふたつ……」

「ふたつ?」

 すごく嫌な予感がする。

 せめてどちらかはいい知らせであってくれと祈る。

「要塞の向こう側に軍勢が布陣してます。あと、なんか……ものすごく大きな壁と、知らない湖ができてました。リーエン、あれは何なんでしょうか?」

 知らないよ、というぼやきは何とか飲みこむ。

 悪い知らせと意味の分からない知らせだった。

 まあ、そんなところだろうとは思ってたよ。

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