ソアル・エンペリオ
ほどなく、全ての銀槍を制御下に置いたザイアユーネがすっ飛んできた。
リーエンの言葉にショックを受けた〝天騎士〟が制御を乱し、ザイアユーネに一気に持っていかれた結果だった。遠くてよく見えなかったが、自慢げに振り仰いだその表情がリーエンの側にいる人物を見て訝しげなそれになり、次いで状況を理解して恐慌に陥るところまで見えた気がした。自分が彼女であればきっとそうなる。
爆撃か墜落か、という勢いでザイアユーネが着地する。
無数の銀槍と巨大なブーメランが大地に突き刺さり、もうもうと土煙を上げた。
「わたしのリーエンから離れなさい、下郎!」
仲間になるとは言ったが、彼女のものになった覚えはない。
「待って、ザイアユーネ。彼は……〝天騎士〟は敵じゃなくなった」
「油断してはいけません、リーエン。今すぐそいつを突き飛ばして、見事に勝利したわたしを力強く抱き締めて褒め称えなさい。さあ、やって!」
勝利の高揚ゆえか、ザイアユーネが妙なことを口走っているのは流す。
とりあえず少年の肩を掴んで引き離し、顔が見えるようにする。
彼は顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。よほどショックだったらしい。
「……ごめん、君の名前を教えてくれるかな」
「ユカリ……本当に憶えていないんですか……?」
「誰のこと? その名前で呼ぶのはやめて」
口止めする暇はなかった。
ザイアユーネにはしらばっくれるしかない。
「ユカリぃ……」
少年がべそべそと泣き出す。
手に負えない。始末に余る。
「……分かった、名前くらい好きに呼べば。で、君の名前は?」
あまり気が長い方ではないし、子供の相手は苦手だ。苛立った声になる。
それでも少年はユカリと呼ぶ許しが出たことに顔を輝かせた。
「ソアルです、ユカリ」
「ソアル……?」
聞いてもピンとこない名前だった。
「はい、そうですユカリ。ソアル・エンペリオです!」
いや分からないけど、という言葉は何とか飲みこむ。
ソアル。ユカリの名を知る相手。記憶を必死にたどった結果、子犬のように懐いてくる少年の面影が目の前の相手に重なったような気がした。ノウバディの屋敷で出会った奴隷の少年。彼の名前がソアルと言ったような気がした。
あの時の少年が〝天騎士〟になったと言うのか。
だとすれば、彼と出会ったのは十年以上前だ。
当時の自分は他人に興味を向ける余裕がなかった。正確には、相手を利用すること、技術と知識を学び取ることしか興味が無かったのだと思う。二度と思い出したくない記憶も多く、リーエンを名乗る前のことは努めて忘れるようにしてきた。
彼は約束とも口にしていたような気がするが、どんな約束をしたのかはさっぱり思い出せなかった。〝ユカリ〟と交わした約束が彼を十年以上に渡って縛り付けていたのかと思うと、少しだけ申し訳ない気分にもなる。
「でも、ソアル。君の容姿は……?」
出会った当時、ソアルは十歳前後だったはずだ。もう二十歳になる人族としては、彼の容姿はあまりに幼い。どう見ても十五歳を超えているとは思えない。
「ユカリは〝淀みの地〟を知っていますか?」
「いや……ザイアユーネは知ってる?」
リーエンの手を掴んで頭に乗せ、撫でられようとしていた彼女に尋ねる。
「足を踏み入れれば何人であろうと不老が約束されるという触れこみの、最悪の呪いをかけられた土地です。ええ、もちろん知っていますよ」
「不老……? それが呪いなのか?」
永遠の若さは多くの人間が追い求めてやまない願いだ。行くだけで不老になれるのだとしたら、祝福の地として有名になっていてもおかしくない。
「想像力の貧困な人族のような言葉を吐かないでください、リーエン。理由も代償もなく投げ与えられる祝福など、呪いと変わりありません」
唾棄するような調子でザイアユーネが言う。ソアルの表情も明るいものではない。彼らの言う〝淀みの地〟が呪われた土地なのは確かなようだ。
「容姿については分かった。それで、ソアルはこれからどうするの?」
「ユカリについていきます!」
「ついてくって……」
迷いない即答にこっちが言葉に迷ってしまう。
「君、ザイアユーネとリーエンを殺す刺客として送りこまれたんだろ?」
「ユカリをリーエンとかいう人間と誤認させて殺そうとした相手の命令を聞く必要がありますか? そもそも、僕は〝人族の領域〟を守ることがユカリを守ることに繋がると思ったからそうしてただけです。ユカリと会えた今、ユカリを守ることこそが僕のたったひとつの使命です。だから、気にしないでください」
淀みないソアルの言葉に、笑みが強ばるのが分かった。
ユカリと連呼されるのが、無条件に向けられる信頼の重さが、辛い。
勇者亡き後の〝人族の領域〟を成立させる最強の抑止力が、自分の護衛になるために役割を投げ捨てようとしている。おそらく翻意させるのは難しい。
〝ユカリ〟としてお願い、あるいは命令すれば可能かも知れない。
しかし、彼のように特定の目的のために戦っているタイプの人間から目的を取り上げると、調子を崩す可能性が高い。そういう人間は往々にしてあっさりと死ぬ。最悪なのは、同行を拒否した挙げ句に失意の中で死なれること。
それに比べれば、同行させて諸王連合に警戒させる方がマシと言える。
「そういうこと、ね」
必死に思考を巡らせるリーエンを余所に、得心してうなずくザイアユーネ。
「〝天騎士〟ソアル・エンペリオ。貴方もわたしとリーエンの〝人〟を救う旅に加わりたいのなら、ええ、歓迎します。わたしには及びませんが、貴方の力量は分かりました。立ち塞がる者を蹴散らし、露払いをするには十分と言えましょう」
「……待ってザイアユーネ。勝手に決めないで」
「ユカリ、この偉そうな女は誰?」
ザイアユーネを止めようとしたら、不満げなソアルに見上げられる。
悪態を吐くのは何とかこらえた。
厄介な同行者が二人に増えて、心労は倍以上になりそうだ。
「ソアル、彼女はザイアユーネ。同じ目的のために旅をする仲間だ。ザイアユーネ、彼はソアル・エンペリオ。かの〝天騎士〟にして、古い顔馴染みだ。これから一緒に旅をするつもりなら、頼むから仲良くしてくれ……」




