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スライムとの遭遇

 故郷を思い出させる、不愉快に湿った夏だった。

 リーエンの乗る二頭立ての幌馬車を、強烈な日差しが容赦なく照りつける。空気が湿気っているので、幌の中にいても蒸し暑い。風があるだけ、御者台で手綱を握る商人の隣に座っている方がマシだった。会話をしていれば気も紛れる。

 街道はむき出しの土の路面で、乾き切ってひび割れている。最後に雨が降ったのは一ヶ月も前の酷い大嵐の時で、それからずっと日照りが続いているのだ。上流はまだいい方で、平野まで降りてくると川もすっかり干上がってしまっていた。

 馬車の進むリアルシ平原は王国が有する最大の穀倉地帯だが、広大な畑で育てられている陸稲は少なからず立ち枯れていた。間違いなく今年は凶作になる。冬になれば、また大勢が死ぬだろう。前年の不作で、どこも蓄えは尽きている。

 ため息を吐こうとして、軽く咳きこむ。耐えがたい喉の渇き。

 腰に吊した革袋を外し、中身を少量だけ口に含み、時間をかけて飲み下す。

 隣に座る商人が羨ましそうな視線をよこす。彼は雇い主で、リーエンは金で雇われた護衛だ。リアルシ街道は王国に巡らされた主要な街道のひとつに数えられるが、近頃は野盗のうわさが絶えない。それらしい影も一度ならず見かけた。

「ぬるいな……あー、かき氷が食べたい」

 氷を細かく砕いて蜜を垂らしたかき氷は、超高級な氷菓だ。おいそれと食べられるものではないし、食べられる場所も限られるが、時々無性に食べたくなる。

「あの、リーエンさん。後生だと思って、一口だけでも」

 しわがれた声で商人が言う。彼はこの炎天下で半日も水を口にしていない。先日立ち寄った宿では井戸が涸れていて、水を補給できなかったのだ。その前に立ち寄った街で水の値段が高騰していて、最低限の量しか買わなかったのが運の尽きだ。

「ダメ。これ、ただの水じゃないから。一口につき金貨一枚いただくよ」

「ぼったくりでは?」

「良心的な価格だよ」

「左様で」

 肩をすくめた商人が、未練がましく続ける。

「ところでリーエンさん、魔法が使えるんでしたっけ。聞いた話では、空中から水を生み出す魔法があるんだとか。もしかして、使えたりしませんか」

「使えたとして、君のために使う義理はないんだけど」

「なんと薄情な。良心なる言葉はご存じですか。父母のことではございませんよ」

「リョーシン? 異国の名前みたいだね」

 リーエンがすげなく断ると、商人は天を仰いで叫ぶ。

「おお神よ、頭痛と目眩に苦しむ哀れな旅人にどうか救いの手を差し伸べたまえ。いや、リーエン殿は気に召されるな。これはきっと水を買い惜しんだ我が吝嗇に神が下された罰なのでしょう。私はただ神の慈悲におすがりするのみ」

 口調はふざけているが、実のところ商人の顔色は酷く悪かった。

 元気に見えるが、燃え尽きる前の最後の輝きというやつかも知れない。

 次の村まではまだ距離がある。こんなところで倒れられてもおもしろくない。

「もう、仕方ないな。水筒を借りるよ」

「やや、流石はリーエンさん、歴戦の冒険者は懐が深いですね」

「おだてたところで……まあ、水くらいは出してあげるけどさ」

 すう、と息を吸って精神を整える。

〝大気よ、凝集せよ〟

 詠唱と同時に、腕を振りかぶり、大きくすくい取るように動かす。

 たぷん、という水音。

 リーエンの掌上に、子供の頭ほどもある水球が姿を現した。

 そのまま水筒の飲み口を近づけると、水は中に吸いこまれていく。

「銀貨五枚、と言いたいところだけど、特別にタダでいいよ」

「おや、どういう風の吹き回しなのやら」

「やっぱり金貨一枚いただこうか?」

「とんでもない。気の変わらないうちにいただくとしますよ」

 商人はリーエンの手から水筒を奪い取って、一気にあおる。

「……うん、これは甘露。若干の埃っぽさを感じなくもありませんが」

「仕方ないだろ。浄化の魔法をお望みならさらに金貨五枚をいただくけど」

「ただの感想ですとも。文句を付けるなんてとんでもない」

 商人はおどけた様子で水筒を捧げ持ち、しばし間を置いてつぶやく。

「しかし、もったいないですね」

「もったいない?」

「〝砂漠で水を売れ〟という商人の金言があります。護衛してもらって言うのも変な話ですが、リーエンさんは魔法を使ってもっと稼げるんじゃありませんか」

「……簡単じゃないんだよ、色々とね」

 わずかな声音の変化に気付いたのか、商人の様子を伺うような視線を感じた。

「少々差し出がましかったですかね。お気に障ったなら謝りますよ」

「いや、気にしなくていい。それより、あれが村じゃないか」

「おお、ようやく着きましたね。冷えた井戸水でもあるといいのですが」

 立ち枯れた稲畑の向こうに、家屋がいくつか見えた。目指す村だろう。

 しかし、馬車が村に近付くほどに違和感が募っていく。

 まだ昼間なのに、全く人の気配がないのだ。

 誰もいないのか、あるいは屋内に潜んでいるのか。

「合図したら、全速力で村を突っ切れるよう準備しといて」

「はいはい。襲われる危険があると?」

 商人は慣れた様子で、落ち着き払って質問を返してくる。

「あるいは襲われた後か。こっちは二人だし、用心に超したことはない」

「水だけでも汲めませんかね」

「そろそろ黙って」

 商人が肩をすくめて了解を示す。

 注意深く観察しても、風に揺れる枯れた稲穂を除いて動くものはない。

 この酷暑だ。馬車が見える前から稲畑に伏せて身を潜めている可能性は低い。

 差し迫った危険はないと判断して、村の中へと馬車を進ませる。

 やはり人の気配はない。馬車を離れて家屋を調べるべきだろうか。

 考えていたせいで、前方に小さな水溜まりがあると気付くのが遅れた。

「停めて。馬にあの水溜まりを踏ませないで」

 商人は黙って指示に従い、馬車を停める。

 リーエンは馬車を飛び降り、周囲を見回してから水溜まりに近付いた。

 馬車を停めた理由はひとつ。そこにあるはずのない水溜まりがあったからだ。

 周囲に井戸はない。最後に雨が降ったのは一ヶ月も前の大嵐の時で、今日は朝から強烈な日差しが照りつけている。水溜まりがあるのは、道の中央。路面はむき出しの土で、小さな水溜まりなど一時間と経たずに蒸発してしまうだろう。

 たかが路傍の水溜まり。されど不審な水溜まり。

 無視して進むのは容易いが、どうしても気になった。

 まずは距離を置いて観察する。

 色は濁った茶色で、不潔な印象を受ける。

 路傍の小石を拾い上げ、水溜まりに放り投げる。

 小石は水の表面で受け止められてから、とぷりと沈む。

 わずかに弾力性が残されているようだ。

 つまり、ただの水ではない。

「ふうん」

「何か分かりましたか」

「これ、スライムだね。死にかけだけど」

「ははあ。全身が水では、この暑さはさぞ骨身に染みるでしょうねぇ」

「骨ないけどね」

「あっはっは」

 軽口を叩いて、気分がほぐれた。

 次は屋内の調査だが、中の様子を考えると気が重かった。

「ひとまず危険はなさそうだから、家も覗いてくる。あ、スライムは触らないようにね。汚染されてるから、毒を持ってるかも。治療代は高くつくよ」

「承知しました。飲めそうな水か酒があったら、持ってきてくださいね」

 軽く手を振って、手近な家屋の扉に手をかける。

 ため息を吐いて、大きく息を吸いこむ。

 意を決して開くと、これまで努めて無視していた腐臭が一気に強くなった。

 大きさから見て、倒れているのは大人二人と子供一人だろうか。

 死後どれだけ経っているのか、この酷暑でかなり熟しているようだ。

 村が全滅しているなら伝染病の可能性もあるので、迂闊に近づけない。

 室内を見渡すと、戸口から差しこんだ光を避けるように動く影があった。

 一瞬だけ生存者を期待したが、すぐに違うと気付く。

 もぞもぞと動くのは、外で見たのと同じスライムだ。

 こちらはまだ元気がある。屋内に水分があったのか、あるいは。

「……死体とスライム、ね」

 嫌な事実に気付いてしまったので、思考を打ち切る。

 外に出ると、馬車をその場に残して商人が姿を消していた。

「え、嘘でしょ」

 吹き出した汗が頬を伝う。舌打ちは辛うじてこらえた。

 護衛を引き受けたからには、彼の安全を保証する義務がある。

 問題は、彼が自分で姿を消したのか、誰かに連れ去られたのかだ。

 後者であれば声を上げて呼びかけると状況を悪化させる恐れがある。

「一応、警戒はしておくか」

 右手で取り回しのいい小型剣〝無銘〟を抜き払う。

 左手にはベルトの後ろに固定した鞘から〝自在剣〟を軽く握る。

 構えは取らない。動きは柔らかく、滑らかに。

 敵がどこから現れても対応できるよう視野を広く保ち、素早く走る。

 小さな村なので、一分もあれば一巡りできてしまう。

 果たして、井戸の側に商人の姿はあった。

「おい、黙っていなくなるな」

 語気を荒くして言うと、商人は軽く肩をすくめた。

 斬って捨てるぞ、と吐き捨てたくなるのを何とかこらえる。剣の影響だ。

「いやあ、鼻が利くもんですから、ちょっと耐えられなくて」

 商人がひきつった笑いを浮かべて言い訳する。

 どうやら、開いた扉から流れ出した腐臭に怯んで逃げ出したらしい。

「一声かけるくらいはしてもらいたいね。護衛の役目を果たせない」

 腐臭というやつはいつまで経っても嗅ぎ慣れない。気持ちは理解できた。

 ふうっと安堵のため息を吐いて、剣を鞘に収める。

「そうだ、井戸は涸れてませんでしたよ。リーエンさんも飲みますか」

「え、飲んだの」

「その、ちょっと吐いちゃいまして。口をゆすぐついでに」

「味はどうだった?」

「冷たくておいしかったですが……まずかったですか」

「うーん、大丈夫だと思うんだけどね」

 旅を長く続けていると、水と食べ物には自ずと慎重になる。

 そんなリーエンを笑う者もいたが、汚染された水を我慢できず口にして、どろどろに溶けた臓腑を吐き出して死ぬ人間を目の当たりにするといい。二度と笑う気にはなれないはずだ。いずれ死ぬにしても、ああいう死に方だけはしたくない。

 とはいえ、村で料理や飲み水に使われていた井戸だ。商人がほとんど警戒せず口にしたのも理解できる。どこまでリスクを許容するかは人それぞれだ。

 釣瓶を投げ落とし、水をくみ上げる。無色透明で不純物は見当たらず、妙な臭いもしない。舌先でつつくように味を確かめ、その次は舌上に乗せてしばらく待つ。しばらく待っても違和感はなかったので、飲みこまず地面に吐き出す。

「リーエンさんは毒を疑っているんですか」

「遠目に見ただけだから断言はできないけど、死体に外傷はなかった。つまり誰かと争ったわけじゃない。なのに村は全滅してる。村人が全員で口にした食べ物か飲み物に毒が含まれていたのかな、と予想したんだけど」

 井戸水にすぐそれと分かる異常はなかった。

「スライムがいたよね。あれが井戸に入りこんで汚染したのを疑ったんだけど、どうも違うみたいだね。外から入ったなら水がもっと汚れるはずだから」

 リーエンの結論を聞いて、商人がほっとする。

「では、ひとまず安心ですね。よかった、また吐くことになるかと」

「お望みなら、金貨五枚で浄化の魔法をかけてあげるけど」

「いやいや、それには及びません。商人は腹黒さが生命線ですからね」

 二人で軽口を叩いて笑い、次の街へ向かうため最低限の準備をする。

 本来なら食料を補充したかったが、全滅した村に残された食料に手を付ける気にはちょっとなれない。話し合って、非常用の携帯食料で持たせることにする。

 汲んだ井戸水を馬に飲ませ、馬小屋から飼い葉も拝借する。飼われていたはずの馬は見当たらなかったが、生き残りが逃げ出すのに使ったのかも知れない。

 準備を終え、出発する直前になって商人がふと思いついたように言う。

「村人はスライムに襲われて死んだわけじゃないんですよね」

「え、うん。村を全滅させるほど強い魔物じゃないからね」

 スライムという魔物の脅威度は原則として低い。水分を失えば干からびて死ぬし、動きも鈍重。水を主成分とするただのスライムなら棒を持った子供でも倒せる。毒を取りこんだポイズンスライム、傷に触れると破傷風の危険があるマッドスライムといった亜種も、熟練の冒険者がきちんと警戒していれば恐れるに足りない。

 出没するのは春から秋にかけてで、真夏に日照りが続くと一時的に姿を消す。また一年を通して暑熱と乾燥に晒される砂漠地帯や、水分が凍結する寒冷地には生息しない。総じて季節や環境に影響されやすい、脆弱な魔物であると言えるだろう。

 スライムに襲われて全滅するという状況は、ちょっと想像しにくい。

 だから、商人が続けて投げた問いに、意表を突かれた。

「では、スライムはどこから来たんでしょうか?」

「……どこから?」

 スライムはどこから来たのか。

 通常、スライムは雨期に生息範囲を広げる。

 河川を流れ下ったり、ぬかるみを這いずって移動するのだ。

 だが、この村にいるスライムはそうではない。

 近くに川はない。ゆえに遠くから流れてきたのではない。

 そして最後に雨が降ったのは一ヶ月前の大嵐。それ以降は晴れが続き、路面は乾き切ってひび割れている。この上をスライムが移動したら、あっという間に干からびて息絶えるだろう。つまり川から地面を這いずってきたのでもない。

「あいつらは、どこから来たんだ……?」

 ただの薄汚れた低級な魔物。

 その不気味な這いずり音が、いつまでも耳に残り続けていた。



 村を発ってから一昼夜。得体の知れない不気味さと後味の悪さから、自然と口数も少なくなる。並んで座っているのも気詰まりになってきた頃、ようやく目指す交易都市レドが見えてきた。商人と結んだ護衛の契約はここまでだ。

「リーエンさん、どう思いますか」

 商人が尋ねたのは、街から立ち上る黒い煙のことだろう。

 鍛冶や炊事といった日々の営みとは異なる、どこか不吉さを孕んだ煙だ。

「引き返すなら今のうちかもね」

「大赤字で首を吊るか、嫌な予感がしつつも飛びこんでみるか。はあ、どっちに転んでも儲からない賭けってのは嫌なもんですねぇ、ほんと」

 村の全滅が伝染病によるものなら、馬車で一日の距離である交易都市にも蔓延していて不思議ではない。不吉な黒煙の正体は火葬だろうか。

 王国には土葬の伝統があるが、伝染病で大量の死者が出れば埋葬が追いつかず火葬になることも十分にあり得る。あるいはものの分かった人間がいて、感染の拡大を防ぐために火葬で遺体を処理しているのかも知れない。

 リスクを避け、交易都市を迂回する方法を検討しかけて、最初に思い浮かんだのは食料のことだった。あるにはあるが、味気ない上に口内の水分をごっそり持っていく携帯食料で数日は過ごすことを覚悟しなければならない。ぞっとする話だ。

「携帯食料にも飽きたし、最低でも水と食料の補給はしたいかな」

「それには賛成です。様子を見て、ヤバそうなら品物は安く卸してさっさと逃げちゃいましょう。その場合、王都までの護衛を頼んでもよろしいですか」

「乗りかけた船だしね。請け負うよ」

「決まりですね。では、行きますか」

 交易都市レド。王国のほぼ中央に位置する交通の要衝であり、王国内の主要な街道はほぼ全てこの都市を経由する。隣接するネト大河に架けられたレド大橋には王国軍が常駐し、人と物資の流れに睨みを利かせている。

 都市の外周に張り巡らされた市壁は建設から十年しか経っていないが、拡大を続ける市街は壁外にまではみ出し、小規模な居住区と市場を形成している。二人の乗る馬車がその辺りに差しかかると、いよいよ異変が明らかになる。

 平時なら猥雑な活気を帯びる界隈が静まりかえっているのだ。人の気配もなく、代わりに腐臭が漂い、干からびたスライムの残骸があちこちに転がっている。泥や糞尿を取りこみ、厄介な病を媒介する不潔なマッドスライムだ。

 これらが片付けられないまま放置されていること自体が、都市の状況を暗示しているように思えた。

「まさか都市が丸ごと全滅してるってことはないよね?」

「はは、まさか。いやあ、そしたら略奪し放題ですねぇ」

 嫌な予感を振り払いたくて言った軽口にも、切れ味がない。

 馬車は進み、大門を潜る。普段なら人と馬車の往来が激しい場所だが、今は自分たちの馬車が一台きりだ。衛兵の姿も見当たらず、さらに不安が募る。目抜き通りまで来ると、ようやくちらほらと人影が見えるようになり、思わず二人で顔を見合わせて笑ってしまった。どうやら全滅は免れているらしい。

 やっとの思いで到着した宿の扉を潜ると、そこにも人はいた。盛況とはいかないものの、主人に加えて数人の旅人が投宿していた。話を聞いてみると、彼らも交易都市に着いたのはついさっきで、街の様相に困惑しているのだと言う。

 その会話を聞きつけたのか、陰鬱な表情の主人が話しかけてくる。

「お客さんたち、悪いことは言わないから早めに街を出た方がいいよ」

「ご主人、何があったのか聞かせてくれないか」

 リーエンが水を向けると、主人は堰を切ったように話し出す。

「伝染病だよ。腹痛で寝こんだと思ったら、酷い熱が出るんだ。栄養のあるもんを喰わせようにもすぐ吐いちまうし、下痢も酷い。数日うなされた挙げ句、終いには腹が膨らんで、頭がおかしくなっちまって死ぬんだと。聞いた話じゃ看病してる人間に殴りかかったり、二階の窓から飛び降りたりするんだそうだ」

「伝染するってのは確かなのか」

 旅人が尋ねると、主人は重々しくうなずく。

「ひとつ屋根の下に住んでる人間がバタバタ倒れてる。老いも若きも関係なく、昨日まで元気だった人間が揃ってぶっ倒れるんだから、他に考えられねえだろ」

「ふうん。この宿で病人が出たことは?」

「いや、まだいない。あんたらも、外出する時は気をつけてくれよ。病気を持ちこまれたらたまったもんじゃないからな。それと食事だが、味と品数は期待してくれるな。こんな状況じゃ、仕入れもまともにできないからな」

「温かい食い物と水で薄めてない酒があれば、文句はないよ」

 リーエンの隣で、同意を示すように商人が肩をすくめた。

 ジャガイモとソーセージの入ったスープ、酢漬けのキャベツ、チーズを乗せて焼いたパン、そして混じり気なしのビール。質素ではあるが、久々の人間らしい食事を済ませて、部屋に腰を落ち着ける。寝台のシーツは清潔で、申し分なかった。

 疲労が溜まっていたのか、横になるとすぐ眠気に襲われる。

「王都が無事ならいいけど……」

 交易都市に加えて王都まで伝染病が蔓延したら、いよいよ人類の滅亡が見えてくる。世界の行く末に興味はないが、魔物や亜人が跳梁跋扈する国では暮らすのにも不自由がある。贅沢は言わないから、酒を飲んで安心して眠れる世の中であって欲しい。

 ただの旅人に過ぎないリーエンとしては、勇者でも現れるのを願うのみだ。

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