魔人の勇者
荒野にぽつんとそびえる大岩。その陰にリーエンとザイアユーネは居た。
「なぜ逃げたのですか?」
ひとまず〝天騎士〟を振り切って安全を確保すると、ザイアユーネから質問が飛んできた。当然されるものと予期していたので驚きはない。むしろ、あの場で大人しく指示に従って素早く退いてくれたことに感謝したいくらいだ。
「理由はふたつある」
彼女に抱えられて飛びながら考えたことを口にする。
「まず〝天騎士〟があの程度で倒せるなら、人族はとっくに滅びてる」
ダクエル山脈越えを果たしたゴブリンの軍勢を〝天騎士〟が壊滅させたリアルシ殲滅戦以降、諸王連合は積極攻勢を控えている。しかし、それは不可能だからではない。単にリスクに対するメリットが釣り合わないからに過ぎない。
「ダクエル山脈越えを試みる〝冒険者〟は後を絶たないし、王都上空で〝天騎士〟が古竜と一騎打ちを演じた〝赤竜舞踏〟では一歩間違えば王都が火の海になっていた。けど、もう誰も王都には近付こうとしない。そこに〝天騎士〟がいるからだ」
竜は最強の種族。古竜ともなれば腕の一振りで手練れの冒険者を仕留め、ブレスひとつで街や城を半壊させる。生物よりも災害に近い、超越的な存在だ。知恵や勇気で何とかできる範囲を超えている。それと同格の存在が〝天騎士〟なのだ。
「派手に墜落したと見せかけて、ザイアユーネを誘っていたのかも知れない。そうでなくとも、嵩にかかって攻めたら反撃を受ける危険があった」
「だとしても、わたしとリーエンなら対処できたでしょう?」
気負う風もなく、ザイアユーネが言う。
その自信と信頼はどこから湧き出てくるのか。一瞬だけ言葉に詰まる。
「……だからこそ、だよ。そもそも〝天騎士〟を倒す必要は無いはず」
「はず、とは?」
「持っている情報じゃ断定できない。ザイアユーネ、君の目的を知らないからだ」
努めて平静を装う。可能ならここで彼女の目的を聞き出しておきたい。
「もし君が目的達成のために〝天騎士〟を殺す必要があったのなら、先に謝っておく。それから、今後も行動を共にするなら認識の共有は絶対に必要だ。お互いの目的を共有しないまま動いていれば、いつか肝心なところで食い違って失敗する」
腹を割って話す、というのは得意ではない。
考えて、気を回している内に、自分の気持ちというものを見失ってしまう。
それらしいことは口にできても、言うほどに白々しくなってしまう。
でも、今はそれが必要な時だ。彼女に向き合うしかない。
心の奥底まで見透かすようなザイアユーネの視線に耐えて、言う。
「人族から裏切り者として切り捨てられた今、ここに居るのはただのリーエンだ。共に〝天騎士〟に命を狙われている点でも利害は一致するし、場合によっては協力できると思う。話せる範囲で君の目的を聞かせてくれないかな、ザイアユーネ」
レドでは、諸王連合とザイアユーネの目的は必ずしも一致しないと示唆された。
明確に人族と敵対する諸王連合ではなく、彼女個人であれば協力する余地があるかも知れないという淡い期待があった。短い付き合いだが、彼女は邪悪な人格ではない。少なくとも今はまだ、という但し書きは付くにしてもだ。
「わたしの目的を話す前に、尋ねたいことがあります」
首をかしげ、黄金色の髪を揺らしながらザイアユーネが言った。
心を平坦に、どんな問いがきても動揺しないように身構えて応える。
「いいよ、何でも聞いて」
「わたしたち、共に死線を乗り越えましたよね?」
「は、はあ?」
「人族最強の〝天騎士〟を相手に回し、生き延びました。どきどき、しましたか?」
「……まあ、生きた心地がしなかったのは確かだけど」
馬鹿、と内心で自分を罵る。
素直に肯定しておけばいいのに、予想外の方向からの問いに照れが出た。
「そうですよね」
ザイアユーネは、なぜか満足げな顔をしている。
それから大きくうなずいて、髪をかき上げて見せた。
「じきに〝天騎士〟も追ってくるでしょう。なので手短に言いましょう。わたしの目的――それは〝魔人の勇者〟になって、あまねく〝人〟を救うことです。リーエン、貴方にはわたしの斥候となって、わたしを導いて欲しいのです」
「〝魔人の勇者〟……?」
初めて耳にする言葉だった。
おそらくザイアユーネが考えた独自の概念。
そして、もっと重要なのはその続きだ。
「人族でも魔人でもなく……〝人〟を救うって、君はそう言ったね」
「ええ、〝人〟です。貴方には……リーエンなら、その意味が分かるでしょう?」
問いの形は取っているが、否定されるとは微塵も考えていない表情。
疑うことを知らない赤子を思わせるような全幅の信頼を寄せられて、それを容易く裏切るのは気が引ける程度には人であることをやめていないつもりだ。
「詳しい内容は後で聞くとして……」
馬鹿なことを言おうとしているのかも知れない。
彼女の言葉が〝魔人〟の弄する虚言でない保証はどこにもない。
ザイアユーネは信じるに値するという直感が、彼女を信じてみたいというリーエンの都合のいい願望ではないとは言い切れない。それでも。
「分かった。〝魔人の勇者〟ザイアユーネ。君の斥候になろう」
気付けば、そう口にしていた。
ザイアユーネがにこりと笑う。
心を溶かされるような、柔らかな表情だった。
「歓迎します、リーエン。一緒に世界を救いましょうね!」
疑いなき自信に満ちた態度と言葉に、思わずこちらも笑顔になってしまう。
「よろしく、ザイアユーネ」
竜と同等以上に剣呑な相手と握手を交わす。
もちろん〝契約〟の魔法が仕込まれていないかに注意しながら。
とは言え、これで物理的にも心情的にも完全に後戻りできなくなったのは確かだ。
「では、手始めに〝天騎士〟を倒しましょう。当然、手はあるのでしょう?」
期待に満ちた視線には未だ慣れない。
思わず目をそらしそうになるのを、意思の力で押し留める。
おそらく時間はそれほど無い。森の中で捕捉されたのを考えれば、岩陰に隠れたところで気休めでしかないからだ。考えをまとめて、切り出す。
「……ザイアユーネ。君も気付いてたと思うけど、単純な速度では君の方が勝っていた。でも、実際には君は〝天騎士〟に追いつけず、決定打を与えられなかった。勝利の鍵はそこにある。君が戦ってくれたおかげで、それが見えた」
人族最強の〝天騎士〟の墜とし方。
〝魔人〟ザイアユーネにそれを教える自分は、客観的に見れば紛れもない人族の裏切り者だろう。なぜ、いつの間にこんなことになったのか。考えれば考えるほど分からなくて、無性に口元が緩むのを止められなかった。