天騎士
夏の暮れ、急な夕立ちが叩き付けるような、ざん、という音。
空からの視線を遮る木々の梢を貫き、無数の何かが降り注いだ。
リーエンとザイアユーネ、二人が囲んでいた焚き火をぐるりと取り巻くように銀槍が突き立つ。外したわけでも、外れたわけでもない。隣に立って空を見据える彼女がどうやってか致死の一撃を防いでくれたのだと遅れて気付く。
馬のいななき。繋いであった二頭の馬も無事のようだ。だが驚愕と興奮で暴れている。駆け寄って落ち着かせてやりたいところだったが、ザイアユーネから離れるのは危険だと直感が告げていた。いつ追撃が来ても不思議ではない。
敵の姿は視認できなかった。夜でもあり、さらに空からの視線を逃れるために選んだ森という場所が見通しを悪くしている。上空からは相変わらず不気味な高音が響いているが〝天騎士〟本人がそこにいるとも限らないのだ。
どうやってリーエンとザイアユーネを捕捉したのかは分からないが、明らかに殺意のこもった攻撃だった。交渉の余地は微塵もないらしい。銀槍は意思を持った群れの如く、ひとりでに地面から抜け、空へと戻っていく。次が来る。
「逃がしません」
宙を掴むようにザイアユーネが手を伸ばすと、一本の銀槍がぴたりと動きを止める。そのまますうっと手元に引き寄せ、くるくると回してみせる。持ち手のない騎士槍のような、人族の身長ほどの鋭く尖った円錐形の金属塊だった。
「魔法で制御され、魔法障壁を打ち破る加護を付与された槍。なるほど、障壁を張っただけで安心している凡百の魔法使いには有効な手なのでしょう」
一本だけとは言え、事もなげに一瞬で制御を奪ったザイアユーネ。槍を防いだ方法もそうだが、彼女がどんな魔法を使ったのかもリーエンには分からない。
「敵は〝天騎士〟か。くそっ、どうする?」
隠れる気もなく堂々と〝人族の領域〟に踏みこんできた〝魔人〟ザイアユーネに対して、人族最強の戦力が差し向けられてきたのだ。個としての戦力はもちろん、恐れるべきは圧倒的な足の速さだ。空を自由に駆ける彼からは誰も逃げられない。
最速最強の追手。そんな相手を前にして、ザイアユーネは余裕たっぷりにリーエンを振り返り、この上なく楽しそうな笑みを浮かべていた。
「逆に尋ねましょう、リーエン。わたしたちはどうすれば勝てますか?」
「はあ?」
「わたしは貴方の言う通りに戦いましょう」
期待と信頼を宿したエメラルドグリーンの瞳でじっと見つめられる。
「諸王連合の猛者を次々に仕留めた貴方の知略と、わたしの魔法があれば〝天騎士〟など物の数ではありません。リーエン、今こそ貴方の真価を示す時です」
「正面から〝天騎士〟と戦って……勝つつもりなのか?」
リーエンの問いに、当然のようにザイアユーネがうなずく。
勇者と入れ違いでふらりと〝人族の領域〟に現れた〝天騎士〟は、文字通り人族の剣として無敗を貫いてきた。ゴブリンの大軍を殲滅し、王都を急襲した竜を墜落せしめ、上陸作戦を敢行した諸王連合軍をまとめて串刺しにして並べてきたのだ。ダクエル山脈を越え、遠く地の果てまで届くその戦績は誇張ではあり得ない。
そんな相手を前にして、当然のように勝利を口にするザイアユーネ。
しかも彼女一人ではない。リーエンと力を合わせれば勝てるという。
なぜそこまでの信頼を向けられるのか、さっぱりわからない。
それ以前に〝天騎士〟を倒してしまったら人族はどうなるのか。
「もしかして〝天騎士〟を殺すのをためらっているのですか?」
内心を言い当てられたようで心臓が跳ねる。やはり彼女は勘がいい。
「当然だろ。彼を倒したら、諸王連合を阻む者はいなくなるんだ」
「貴方にその気が無くても、彼は貴方を殺す気ですよ?」
「勘違いしてるようだけど〝天騎士〟が殺そうとしてるのは君だよ、ザイアユーネ。攻撃の余波で死んでも構わない、くらいには思われてるだろうけどね」
「貴方の自己評価は脇に置きましょう。まずはこの場をどうするか、です」
木々の梢を貫く音と共に、再び銀槍が周囲に突き立つ。その向こう、森の奥で何かが煌めいた。直後、激しい金属音が鳴り響き、眼前で火花が散った。森に潜ませて音もなくリーエンを狙った一本を、ザイアユーネが制御下に置いていた銀槍で防いでくれたのだ。それは明らかにリーエンを狙った一撃だった。
「そうだ。殺すのが嫌なら、捕獲でも構いません。名案ではありませんか?」
何事もなかったかのようにザイアユーネが言う。
これくらいはできて当たり前、恩に着せるまでもないということか。
「仮にやるとして」
ザイアユーネは今のところ防御に徹している。
どうしてもリーエンに指示させたいらしい。
自分の意思で人族に敵対したという既成事実を作りたいのかとも考えたが、圧倒的な力を持つ〝魔人〟にはふさわしくない、姑息な考え方という気もする。
「君のことをまだよく知らない。どれぐらい強いのか、何ができるのか。それが分からなきゃ指示の出しようもない。まして準備もできないこんな状況じゃ……」
「わたしは魔法が使えます」
被せるようにザイアユーネが言う。
「だから、その魔法がどういうものかって話をしてるんだ」
苛立った語調になったかも知れない。ザイアユーネが小首をかしげる。
「魔法は魔法ですよ?」
噛み合わない会話。とぼけているわけではなく、本気でピンとこないらしい。
再びの攻撃。銀槍の雨に加えて、凄まじい雷撃が周囲を薙ぎ払っていく。森のあちこちで火の手が上がり、馬たちのパニックは最高潮に達していた。
切り替えろ、と意識する。
大きく息を吸って、一瞬だけ止めて、全て吐き出す。
「分かった。君にやって欲しいことを言う。できなかったら言ってくれ」
リーエンがそう言うと、ザイアユーネは表情をぱっと輝かせる。
「ええ! 存分にわたしを使ってくださいな!」
*
まずは移動して場所を変えることから始める。
方法は不明だが〝天騎士〟はリーエンたちの位置を把握している。
森に身を隠していたのだから目視ではないし、匂いや体温も高空から捉えるのは難しいはずだ。センサーを地上に配していたなら不可能ではないが、そもそもレドからここまでどうやってリーエンたちを追ってきたのかという問題が残る。
疑問はいったん脇に置く。
敵襲を受けている今、方法は問題ではない。
加えて敵の方が機動力で優れている以上、逃げおおせるのも難しい。
どうあってもここで撃退しなければならない、ということだ。
長く続いた日照りで森は乾き切っている。雷撃で起きた火災は瞬く間に広がっていくだろう。どうにか馬を落ち着かせると、森を出るまではリーエンが手綱を引き、ザイアユーネに護衛してもらう。絶えず襲いくる銀槍と雷撃を、彼女は鼻歌交じりにあしらってみせた。同時に銀槍の制御を数本ずつ奪っていく。
仕組みがどうなっているのかは考えない。
おそらく、生粋の魔法使いであるザイアユーネにとって、魔法とは手足の延長のようなものなのだろう。手足で何ができるのかと問われても一言では答えられないように、魔法で可能なことがとんでもなく幅広いからかえって説明しにくいのだ。
二人で認識をすり合わせている暇はない。
彼女は何でもできると仮定して、できない時は自己申告してもらうのが一番手っ取り早いと判断した。それはつまり、おおよそ全てを可能にする万能の武器を手にしたに等しい。それでも勝てなければ使い手が無能なだけだ。
森を抜ける。同時に銀槍の雨が止んだ。
撃った銀槍がただ撃墜されたのではなく、制御を奪われていることに〝天騎士〟が気付いたからだろう。つまり相手は空から自分たちを見ている。
「ザイアユーネ。滞空して周囲を照らし続ける灯りを打ち上げて。小さな太陽を空にいくつも浮かべるようなイメージで、持続すればするほどいい」
「空を照らせばいいのね?」
銀槍を周囲に浮かべて自身も浮遊しているザイアユーネが、無造作に手を振り上げる。五指に宿った小さな光が空を目掛けて拡散し、強烈な光球を現出させる。
馬を疾駆させながら、空を見上げる。
眩い光球に照らされ、光を反射する飛行体が見えた。
無数の棘を生やしたブーメラン。そいつが晴れた夜空を切り裂いていく。
「見えた。あいつを撃ち墜とせ!」
「ええ、いいわ!」
ザイアユーネが制御を奪った十数本の銀槍が一斉に持ち上がり〝天騎士〟に狙いを定める。鋼鉄の鎧すら易々と穿つ、銀色の殺意が空へ解き放たれる。
襲いかかる銀槍の群れを、しかし〝天騎士〟は悠々と回避して見せた。光球に照らされ白く輝くブーメランが、夜空に美しい弧を描いてみせる。追尾する銀槍を引きつけて急旋回、螺旋を描くようなロールで振り切っていく。
それだけではない。ブーメランから生えた棘が次々と射出され、ザイアユーネの制御下にある銀槍と激突していく。巨大な運動エネルギーがぶつかり合い、ひしゃげ、捻れ、絡み合うように墜ちていく銀槍が空中の一点でぴたりと動きを止める。
最初はザイアユーネが操っているのだと思った。しかし、激突して折れ曲がった二本の槍が融合し、新たな大槍となってリーエンに穂先を向けるのを見て、考えを改めざるを得なくなる。槍を媒介として制御を奪い返したということか。
「くそっ、そう簡単に降りてきてはもらえないか」
「中々やりますね。流石は〝人族の守護者〟と呼ばれるだけはあります」
余裕の笑みを崩さないザイアユーネ。
しかし声音には若干の悔しさが滲んでいるような気もした。
「どうする……何か手は……」
完全に準備不足、それどころか自分の手札すら把握できていない。握り締めた手綱が汗で滑り、動悸が速くなる。弱気と重圧が思考を鈍らせていく。
「リーエン!」
数本の槍を束ねた大銀槍が目前に迫っていた。穂先が真っ直ぐこちらを向いているので投影面積が小さく、距離感が掴めなかった。それがリーエンを貫こうとした瞬間、ザイアユーネが割って入って攻撃を逸らす。弾かれた槍は空へと戻っていく。
「あれの制御は奪える?」
「当然です」
力強い即答。
「よし、やって……いや、ちょっと待って」
少し考えて、追加の質問を投げる。
「かかる時間は? 他の槍からの防御は万全?」
「あれだけの手練れが全力で操る魔法具……ですが、手で触れさえすれば奪い取って見せましょう。その間は、リーエンがわたしを守ってくださいね」
牽制のように襲いかかってくる銀槍を弾き飛ばしながらザイアユーネが言う。
「論外! 無理に決まってるだろ!」
危ないところだった。思考停止で下手な指示を飛ばしていれば全滅していた。
「どうにかして攻撃手段を見つけないと……〝天騎士〟は竜の吐息すら防ぐって話だけど、このままやられっ放しじゃ逃げるに逃げられない」
斜め前を飛行するザイアユーネに目をやる。
光球に照らされる〝天騎士〟から完全に視線を切って、散発的に飛んでくる銀槍を軽くあしらいながらリーエンを見つめ、その指示を待っている。
少しだけ、彼女のことが分かってきた気がする。
強力な魔法の使い手という先入観から勘違いしていたが、戦闘経験そのものは意外と浅いのかも知れない。敵に襲われた際の対応でそれがはっきりした。リーエンの力量を見定めたいというだけでは説明が付かない受け身の対応と、言われたことをそのままやろうとする危ういまでの素直さからも明らかだ。
今のリーエンとザイアユーネは、戦う者として頭脳と身体がまるで連動していないに等しい。この状態で〝天騎士〟に打ち勝つのは難しいだろう。
では、どうすればいいのか。
足を引っ張るばかりの頭脳を、一時的に身体から切り離せばいい。
「ザイアユーネ、君は〝天騎士〟より速く飛べるかい?」
「ええ、できるわ」
「よし……相手も人族である以上、魔法なしで飛行するのは不可能なはずだ。こっちの守りは考えなくていいから、君は〝天騎士〟に接触して、彼が纏う鎧の制御を奪い取ってやれ。地面に引きずり墜としてしまえばこっちの勝ちだ」
守りは考えなくてもいいというのも嘘や虚勢ではない。ザイアユーネに制御を奪われるのを恐れてか先ほどから銀槍の攻撃は散発的になっているし、そもそも簡単に殺せるリーエンを優先して狙っているように見えるのは、脅威となるザイアユーネを自由にさせないためだと考えられるからだ。
全力で追撃にかかる強敵をかわしつつ雑魚を攻撃するのは、いかに〝天騎士〟と言えども困難だろう。片手間に放たれる銀槍の一本や二本を回避するだけなら、集中していればリーエン程度の身体能力でも不可能ではない、と思いたい。
銀槍が来る。ザイアユーネがそちらも見もせずに弾き飛ばした。
「今だ、行って!」
「ええ、任せなさい!」
凄絶な笑みを浮かべ、ザイアユーネが跳ね飛ぶ。
上空を旋回飛行していた〝天騎士〟へ向けて、一直線に向かっていく。
彼我の距離は瞬きする間に縮まっていき、巨大な飛翔体が急激に姿勢を変える。
身体の制御を奪われた〝天騎士〟が墜落するのだと思った。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
鋭角の翼がさらに加速する。未だ〝天騎士〟は健在だった。
単純な追いかけっこをしていたのは最初だけで、ザイアユーネの放つ火球が続けざまに爆発し、巨体を器用に動かして爆風を潜り抜ける〝天騎士〟が雷撃で夜空を薙ぎ払いつつ銀槍で追撃者を牽制する。凄まじい空中戦が繰り広げられていた。
激突すれすれで回避され、行き過ぎたザイアユーネがぴたりと静止する。慣性など存在しないかのような挙動で方向を変え再加速、敵を猛追。速度で〝天騎士〟を上回る彼女はじりじりと距離を詰めて好機を狙うが、どうしても捉えるには至らない。
しばらく観察していると、その理由が次第に見えてくる。
飛行の経験値の圧倒的な差だ。
直線的な動きで相手を捉えようとするザイアユーネを、三次元空間を活かした立体的な動きで〝天騎士〟が翻弄している。単発の挙動を組み合わせて飛ぶザイアユーネに対して〝天騎士〟の機動は次の機動への布石となり、滑らかに連続している。要所で強引な機動も織り交ぜ、相手の読みを乱して攪乱する意図も見えた。
後悔がじわりと胸を満たす。
ザイアユーネを行かせたのは失敗だったかも知れない。
彼女はこちらを気にかけていない。リーエンが守りは考えなくていいと言ったから、一心に敵を追い続けているのだ。そして〝天騎士〟は彼女の単調なパターンに慣れつつあるように見える。このままでは、逆にザイアユーネが危ない。
迂闊にも、作戦が上手くいかなかった場合の指示を出していなかった。
そもそも、これは作戦と呼べる代物だったのか。
彼女の能力に頼った杜撰な指示。
上手くいかないのも当然だった。
しばらく一人で過ごす間に鈍っていたと、ようやく自覚する。
「どうにかして気を引ければ……」
危険は承知で、大声でザイアユーネを呼んでみる。
だが爆音と雷鳴が轟く戦場で、訓練もしていない人族の声が空にまで届くわけもなかった。援護の術もなく、気付けば最初に打ち上げた光球は消えかけていた。辺りが闇に閉ざされれば、まともに視認することもできなくなるだろう。
「手詰まり? いや、何か手段が……」
ザイアユーネに戻ってきてもらう方法を考える。音が駄目なら灯火で合図、火を熾している暇はないから光の反射、鏡もないのに高速で動く彼女に反射光を届ける方法はと思考を巡らせる内に、いつの間にか周囲への注意が疎かになっていた。
気付いた時は、前方から地面すれすれを突っこんでくる〝天騎士〟を回避するのは不可能な間合いに入りこんでいた。馬ごと真っ二つにされる。そう覚悟した瞬間、刃のように研ぎ澄まされた翼が跳ね上がるようにロールし、片翼が地面を叩いた。
超高速で飛行する物体が、翼を地面に引っかければどうなるか。
竜に体当たりでもされたかの如く、盛大に吹っ飛んだ。
正しくブーメランのようにスピンした〝天騎士〟が大地に叩き付けられて動きを止める。何が起きたのか理解できず、今さらのように心臓が早鐘を叩いた。
〝天騎士〟はザイアユーネではなく、リーエンを狙ってきたのだ。
なぜ。仕留めやすい方から、ということか。見誤った、と思う。
「やりましたね、リーエン」
ザイアユーネの声がして、慌てて上を向く。
そこに、ぽたりと生温かい雫が降ってきて顔を濡らした。
鉄錆びた血の匂い。
深紅のドレスをなお紅い血で染めた彼女がそこに居た。
「怪我したのか……ごめん、指示を誤った」
それから、もうひとつの事実に思い当たる。
「こっちは気にするなって言ったのもそうだ。君が助けてくれなかったら……」
リーエンの言葉に、ザイアユーネがきょとんとした顔をする。
「……わたしは何もしていませんよ?」
「え?」
「リーエンがやったのでは?」
「は?」
予想外の言葉に、間抜けな声しか出なかった。
本気で不思議そうな顔をしているので、冗談や謙遜ではないらしい。
もちろんリーエンが何かしたわけでも、隠された力に目覚めたわけでもない。
ということは、つまり。
「〝天騎士〟が自滅した……?」
意味が分からないが、そうとしか考えられない。
いや、なぜそうなったのか、いま考える必要はない。
墜落した〝天騎士〟は沈黙を保っている。
ここからどうするか。
追い討ちをかけるか、安全を取って撤退するか。
明らかに自分は動揺しているとリーエンは思う。
この状態で冷静な判断を下せるかと問われれば、否だ。
そもそも、状況に流されてザイアユーネに肩入れしている現状そのものがおかしい。自分を切り捨てた人族など知ったことかという気分と、それでも〝天騎士〟を失った後の人族を待ち受ける惨劇を思うと躊躇う気持ちが相半ばする。
「簡単に仕留められる相手じゃない。ここは退こう」
ザイアユーネがどう出るか。
彼女はじっとリーエンの瞳を覗きこんでから、ゆっくりうなずく。
「……ええ、貴方がそう言うのなら」
「残念だけど馬はここで捨てていく。悪いんだけど、抱えて飛んでもらっていいかな。最高速度で飛んで、すぐにここを離れよう。向かうのはあっちだ」
目指すべきダクエル山脈とは別の方向を示す。
〝天騎士〟が聞き耳を立てていた場合に備えての欺瞞だ。
ザイアユーネは黙ってうなずくと、リーエンを軽々と抱えてふわりと浮かぶ。
すでに流血は止まり、傷も塞がりかけているようだった。
やはり彼女はただの〝魔人〟ではない。
その瞬間、動きがあった。
〝天騎士〟の墜落と同時に操り糸が切れたかのように墜ちてきた銀槍の群れが、墜落地点に集結し始めたのだ。やはり死んではおらず、意識を取り戻したのか。
「急いで」
「ええ」
短いやり取りの後、全身が風に包まれた。
「――待って、ユカリ――」
だから、最後に聞こえた少年の声は。
きっと、気のせいだったのだろう。