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融和派の胎動

「やれやれ、冷や汗をかかせてくれます」

 交易都市レドの要であるレド大橋の城塔にある執務室で〝教会〟の司教ペリエスはため息を吐いた。王都から送りこまれてきた〝天騎士〟エンペリオを足止めし、旧友にして〝勇者の斥候〟リーエンと〝魔人〟ザイアユーネを送り出した直後である。

 王国の首脳部は思ったより事態を深刻に捉えているようだ。王都を守護する役目を担う〝天騎士〟をザイアユーネの討伐およびリーエンの粛正のために派遣してきたことからも本気さが窺える。そうならないよう、事実は曲げずに可能な限り穏当な表現で報告を書き綴ったつもりだったが、無駄な努力だったようだ。

 勇者の死という衝撃的な知らせが〝人族の領域〟にもたらされてからの月日。それはかつてペリエス自身も加わっていた〝勇者の一行〟の最後の生き残りであるリーエンが〝人外の領域〟の奥深くへと向かって消息を絶った期間でもある。

 この間、リーエンが何をしていたのかペリエスは知らない。ここレドで再会してからもついに聞けなかった。機会はあったにも関わらずだ。それはきっと、自分の弱さだとペリエスは思う。リーエンが勇者の死について語りたがらないのと同様に、ペリエスも〝勇者の一行〟を離れてからの行いを語るのを恐れたのだ。

「……リーエン。貴方は自身を卑下しますが、私だってもう、貴方の知る私ではないのですよ。私の行いを知ったら、貴方はどのように評したでしょうね」

 最後に残された人族の国家である〝王国〟と〝教会〟の仲立ちと言えば聞こえはいいが、やっているのは泥臭い汚れ仕事に他ならない。

 蘇生魔法という神の奇跡を体現する司教としての表の顔と、命を長らえるのと引き換えに権力者の弱みを握ったり、決して死なせずに終わりなき拷問を加えたりといった非道を行う〝教会〟の諜報部隊の長という裏の顔が彼にはある。

 前任者から裏の仕事を引き継いだペリエスがもっとも恐れたのは、信仰心を失うことだった。蘇生魔法は敬虔な信仰心を持つ彼に与えられた神の奇跡だと思っていたからだ。しかし、いくら手を血に染めようとも、魔法は変わらず行使できた。

 ペリエスは混乱した。なぜ教義に反した行為の数々を犯してなお、神は魔法の力を彼に与え続けるのか。ひたすらに祈りを捧げ、天啓を願った。

 ある日、ふと気付いた。

 ペリエス・アンビギュートは人でなしであると。

 人でなしだからこそ、信仰心と現実を切り離してしまえるのだと。

 大いなる神への信仰は心の聖域にある。そして、薄汚れた打算を巡らし、血生臭い行為にも平気で及ぶ自身を〝それはそれ〟として切り離してしまえる精神構造こそ、彼の魔法を成立させる根幹にあるものだった。現実とのすり合わせを一切しないからこそ、ペリエスの信仰には一点の濁りもない。だからこそ奇跡を体現できる。

 だが、これは矛盾している。本当に切り離せているなら、そもそも自覚するはずもないからだ。気付いたからには信仰は失われ、魔法も使えなくなるだろう。

 そうなって欲しいと願った。いっそ失っていれば、どれだけ救われたか。

 しかし、そうはならなかった。理不尽に命を奪われた罪なき人々を、戦って落命した兵士を、私欲のために天寿を全うしてなお生きんと願う権力者を、彼の蘇生魔法は条件さえ整えば等しく蘇らせた。万人に等しく降り注ぐ神の慈愛、その体現。

 その事実こそがペリエスに深く静かな絶望をもたらした。

 だからこそ聖域なのだという理解が訪れた。

 もっとも身近にありながら、絶対に手が届かない場所。

 神の愛はそこにあるのに、どうやら自分では決して手が届かないらしい。

 氷水に身を浸すような絶望を、ペリエスは時間をかけて受容した。自身が人でなしだと自覚してからも、自分は神の僕であるという意識は変わらなかった。成すべきが変わらないなら、むしろ呵責なく行えるようになったと喜ぶべきだった。

 目的はただひとつ。

 種族としての人を存続させる。

 そのための捨て石となっても構わない。

 リーエンとザイアユーネを逃がしたのもそのためだ。

 ザイアユーネの目的は杳として知れないが、会って話をして受けた印象は〝邪悪な人物ではない〟というものだ。真性の〝魔人〟であるがゆえの価値観や倫理観のズレはあるが、天性の斥候であるリーエンなら、きっと彼女を導いてくれるだろう。

「……頼みましたよ、リーエン。人を、見捨てないでくださいね」

 今はまだ〝王国〟が〝魔人〟を受け入れる下地が整っていない。ひょっとしたら、永遠にその日は来ないのかも知れない。だが、遠からずその時は来る。

 扉がノックされ、旅装の人物が入ってくる。報告のため王都に送っていた人員だ。先行して送りこまれてきた〝天騎士〟エンペリオに遅れること半日あまり。これでも全速力で戻らせたのだ。馬と〝天騎士〟の間にはそれだけの速度差がある。

「王都から帰還しました。報告を申し上げます」

 王都での御前会議の内容について、報告に耳を傾ける。もちろん、本来はペリエスのところまで下りてくるはずもない情報だ。それを探るために最も優秀な部下を送りこんであった。これは彼の独断であり〝教会〟の上層部も知らない。


 かつての〝勇者の一行〟の神官。

 神の奇跡を体現する蘇生魔法の使い手、ペリエス・アンビギュート。

 後に〝融和派〟の中心人物となる彼の暗躍を、まだ誰も知らない。

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