伝染病の倒し方
「伝染病への対抗策があると知らせを受け、呼び出されたのはいい」
ペリエスを始めとする王都から派遣された人員が詰める、城塔の最上階だ。卓を囲むのはリーエン、ペリエス、そしてイング・リブル議員の三人だ。
「だが、我々のように立場ある者が密談というのは好ましくないな」
呼び出しを受けてすぐ政庁から来たイングが咎めるような視線を向けてくる。急な呼び出しや護衛として連れてきた衛兵たちと引き離されたことより、ペリエスが人払いして三人だけの密談になったのが気に入らないらしい。
「広く市民に開かれた政治を、というイング議員の理念は常々伺っております」
微笑を浮かべ、取りなすようにペリエスが言う。
「実は、此度の問題を解決するに当たってもう一人、お招きしたい方がいるのです。しかし、その方がこの場にいらっしゃることが公になると、余計な混乱を招くことが予想されます。事態の収束を図るため、どうかご容赦いただけませんか」
ペリエスが頭を下げると、イングは深呼吸するようにゆっくりと息を吐く。
「どうか頭を上げてください、司教。優先すべきは何よりもまず市民の命だ。つまらぬ我を張ったこと、お詫びいたします。それで、招きたい人物とは?」
ペリエスが視線を送ってきたので、軽くうなずく。
「……ザイアユーネ。もう出てきていいよ」
「ええ。わたしを呼びましたね、リーエン」
どこに隠れていたのか、ザイアユーネが背後からするりと出てくる。
彼女の装いは、背中が大きく開いた深紅のイブニングドレスだ。豪奢な金髪を結い上げ、鼈甲のバレッタでまとめてある。ふと思ったが、彼女が同じ衣服を身につけているのを見たことがない。リーエンの好みを探るとか言っていたような気もするが、一体どこで入手してどうやって持ち歩いているのだろうか。
そんなリーエンの思考を余所に、イングがまず口を開く。
「……なるほど。ザイアユーネ殿、俺はこの交易都市レドの市長代理にして衛兵隊の臨時指揮官を務めるイング・リブルだ。先日は貴殿に対して部下が無礼を働いたと聞き及んでいる。この場を借りて、謹んで謝罪を申し上げる」
「構いません。差し向けられた者どもの実力を見れば、わたしを傷つける気がなかったことは明白。ですから、こちらも適当にあしらって差し上げましたの」
衛兵隊の無能さを煽っている、わけではないのだろう。おそらく。
ザイアユーネは気付いていないが、イングの眉がぴくりと動いた。
「伝染病の正体を探るに当たって、彼女が提供してくれた情報は大いに参考となりました。その結果、いくつかの事実が判明したのでまずはその報告を」
張り詰めかけた空気を変えるように、事務的な調子でペリエスが告げる。
「市中に蔓延する伝染病は〝スライム熱〟と呼ばれる病です。ダクエル山脈より東ではこれまで症例のなかった病であるのが災いし、同定に時間がかかる結果となりました。情報提供に協力いただいたザイアユーネ様には改めて感謝を」
頭を下げるペリエスに、ザイアユーネは鷹揚にうなずいて見せた。
「貧民街にて治療に当たられていたウィレス医師の報告により、病状の経過も明らかになりました。初期には感染箇所の皮膚炎が起こり、数日で中期に達すると発熱と腹痛、下痢を起こします。さらに一週間ほどで後期に至ると腹水が溜まり、意識の混濁や幻覚、幻聴を伴う強い錯乱状態に陥った後に死に至ります」
「スライム熱ということは、やはりスライムが感染源だったのか」
イングは顔をしかめ、忌々しげに言う。
三週間前のスライム大発生で駆除に当たった衛兵隊は半数までもが感染し、犠牲になった。組織として機能を停止しかけた衛兵隊を掌握、再編したのはイングの功績だが、責任感の強い彼は救えなかった衛兵について悔やんでいるのかも知れない。
「スライムに汚染された水と接触するだけでも感染が確認されました。飲用がもっての外なのは当然として、初期症状である皮膚炎や赤い発疹を見逃さないよう周知する必要があります。感染の初期段階であれば、十分に栄養を取ってよく身体を温めることで発症せずに済む可能性もあります。すでにこれほど感染が広がった状況では、気休め程度にしかならない対策ではありますが」
説明を聞いて厳しい顔で考えこんでいたイングがふと顔を上げる。
「……いや、待て。その説明はおかしいだろう。患者の多くはスライムに接触する機会などなかったはずだ。平時より都市を上げてのスライム対策は行っているし、大発生の折りにも対応に当たったのは衛兵隊だ。にもかかわらず、貴族や大商人の中にも感染する者が出ている。それとも対策に穴があったと言いたいのか?」
イングの言う通り、スライム熱は貴族から貧民まで、交易都市レドに住む全ての人間に対して平等に襲いかかった。上流階級の人間が泡を食って逃げ出したのもそれが原因だ。平時は与えられた特権の根拠たる高貴なる義務を口にしていても、いざ安全圏から引きずり出されてなお高潔でいられる人間は少ない。
「実地で調査した結果、対策は行われていた。ただし成体に限っての話だけど」
ペリエスに目配せされたので、説明を交代する。
「どういう意味かな?」
「つまり、一般にスライムと認識されている動きは鈍く目に見える存在は成体なんだ。今回の場合、より小さな幼生としてスライムは都市への侵入を果たした」
「スライムの幼生……そんなものが存在するとは初耳だが」
「存在自体は以前から知られていた。大して重要視されてなかっただけでね」
これは嘘だ。ザイアユーネによる示唆を受けて仮説を立てたリーエンがペリエスに調査を依頼した結果、つい数時間前に明らかになった事実だった。
イングに対して偽ったのは、この場にザイアユーネがいるから。生物学の知識で人族が諸王連合に劣っていると知られるのは不利益になるとペリエスが判断した。
「これが実物なんだけど、光にかざしてよく見て欲しい」
ガラスのプレートをイングに手渡す。
一見して何も乗っていないように見えるそれを、角度を変えつつしげしげと眺めていたイングがある一点で動きを止め、目を見開く。それほど視認しにくいのだ。
イングが理解したようにうなずくのを待って、ペリエスが説明を加える。
「透明度の高いガラスプレート上で乾燥させ、光の加減によってようやく輪郭が視認できる無色透明、針先で突いたほどの大きさしかない代物です。人によってはそこにあると分かっていても発見は困難でしょう。水中にある状態での判別は不可能であり、これが皮膚を溶かして血管に入りこむと重篤な症状を引き起こします」
「皮膚を溶かすだと。こんなものが……」
「溶かすと言っても、痛みを感じるほどではありません。蚊に刺されるようなもの、と考えていただければいいでしょう。後になって皮膚が炎症を起こし、ようやくそれと気付く程度ですから、知らなければ虫に刺されたとしか思わないでしょう」
「体内に入った後は、どうなる」
「健康体であり、運もよければ何も起きません。しかし血管にまで潜りこまれると、適度な温度と豊富な栄養を得て急速に分裂、増殖すると考えられます。大量の幼生スライムによって血管や内臓を溶かされた結果、高熱や腹痛、酷い下痢が引き起こされるのでしょう。最終的には脳に到達し、人を死に至らしめます」
イングは無言のまま首を振っている。当然の反応だろう。
「宿主が死ぬと、スライムはようやく成長を始めます。ここでようやく、我々の知るスライムの姿となります。おそらく死肉を喰らうことで成体となるのでしょう」
「おぞましいの一言だな」
吐き捨てるようにイングが言う。同感だった。
「当面の対策としては、スライムで汚染された水には絶対に触れないことです。特に傷口や粘膜に触れるのはよくない。どうしても使わざるを得ないのなら、少なくとも五分間は沸騰させてスライムを死滅させてからです」
この交易都市に住む人間の数と使われる燃料を考えると、現実的ではない措置だ。ペリエスもイングもそれは分かっている。だからイングが続けて尋ねた。
「それで、汚染された水源とはどこなんだ。特定できているのか?」
「リーエンの調査により、屋外にある井戸は全て汚染されていると確認できました」
「馬鹿な、それが何を意味するのかは明白だろう!」
イングは卓を叩いて立ち上がると、静かに成り行きを見守っていたザイアユーネに指を突きつける。彼女は涼しい顔でイングを見返していた。
「感染の広がり方を考えれば、全ての井戸が同時期に汚染されたことになる。何者かが意図的にばら撒かなければあり得ない事態だ。軽々に決めつけはするまいと自重していたが、流石に我慢の限界だ。スライム大発生と時期を同じくしてこの都市に姿を現した彼女こそ、伝染病をばら撒いた容疑者の筆頭だろうに!」
流石の迫力だった。しかしザイアユーネが動じる様子はない。自身が潔白だからこその態度とも取れるが、人によってはふてぶてしい態度とも見るだろう。彼女が視線をリーエンに送って寄越すので、軽くうなずいて見せる。
「落ち着いてくれ、イング。水の確保と犯人の特定、どちらも目算が立ったから貴方を呼んだんだ。ちゃんと説明するから、最後まで話を聞いて欲しい」
不承不承、といった様子で腰を下ろすイング。
「まず、汚染されたのは全ての井戸じゃない。屋外の井戸とペリエスは言ったろ」
「それは……裏を返せば、屋内の井戸は汚染されていないと?」
「イングがまだ発症してない理由や、拠点を政庁に移した後の衛兵隊が感染者の増加を抑えられている理由もそこにある。政庁の井戸は屋内だろ」
政庁には貴族や議員が集まる。そうした重要人物を狙って毒物が投げこまれたりしないよう地下の奥まった場所にあり、平時から番人が付けてあるのだ。
「汚染された井戸も、スライムの幼生が原因だと認識できた今なら浄化の魔法が使える。こっちには浄化の魔法の使い手が数人いるから、井戸の数と場所を把握しているイングにどこからどういう順番で浄化すればより多くの市民に安全な水が行き渡るか計画を立てて欲しいんだ。頼まれてくれないかな」
「なるほど……分かった、早急に手配しよう」
「それから、順番は前後するけど井戸水が原因だと特定した経緯について説明しておくと、スライム大発生から伝染病が広まったというのがそもそもの誤解だったんだ。発端はそれより一週間前。今日から一ヶ月前の出来事がきっかけだった」
リーエンが言うと、イングが眉根を寄せる。
「一ヶ月前、か。特に何かあった憶えはないが……」
「大嵐があっただろ。あれが全ての始まりだったんだ」
「確かに……あったな。まだあれから一ヶ月しか経っていないのか」
イングがどこか遠い目をする。彼は数週間もの間、交易都市レドの実質的なトップとして働いてきた。気の休まる暇もなかっただろう。よく見れば、髪には白いものも混ざっている。大嵐のことなど、忘却の彼方にあったとしても仕方がない。
「だが、あの嵐がどう関わってくるんだ?」
「それが〝人族の領域〟でこれまでスライム熱が知られていなかった理由を解明する鍵なんだ。そもそも、スライム自体は寒冷地や砂漠を除けばどこでも見かけるありふれた存在なのに、そいつが引き起こす〝スライム熱〟は知られていなかったというのも不思議な話だろ。イングもそう思わないか?」
「確かにそうだな。理屈に合わない」
流石にイングは理解が早い。話がスムーズに進んで助かる。
「結論から言えば、特定地域のスライムだけが〝スライム熱〟を発症させるらしい。具体的には、ダクエル山脈より西……いわゆる〝人外の領域〟の一地方だね」
それを聞いて、イングがため息を吐く。
「なるほど。それがザイアユーネ殿のもたらしてくれた情報というわけか」
ザイアユーネは黙って微笑む。代わりにリーエンが引き取る。
「まあね。その情報提供がなければ、原因の特定はもっと遅れていたかも知れない。何しろ、数十年前の文献の中にあるだけの伝染病だったからね」
「だが、となると……」
自身の前に置かれた水のグラスを、イングが気味悪そうに見つめる。
「スライムの幼生が井戸水に混じるのは昨日今日に始まったことではなく……」
「そう……大嵐に乗って、遥か〝人外の領域〟からダクエル山脈を超えてスライムの幼生が飛ばされてきたように。スライムの幼生が雨風と一緒に井戸水に混じること自体はこれまでも幾度となく、というか日常的にあったんだろうね」
「どうかご安心を。お出ししたものは魔法で浄化済みの水ですので」
ペリエスは微笑みを浮かべて請け合ったが、お前が飲んでいたものには魔物の幼生が混じっていたのだと言われて、すぐに割り切れるものでもないだろう。
どうしても手を付けられずにいる様子のイングに代わって、リーエンがグラスに入った水を一気に煽る。ザイアユーネやペリエスもそれに倣うのを見ると、観念したようにイングも手を伸ばす。意を決したように、グラスの中身を干す。
彼はそういう人だ。自分が飲めない代物を、決して市民に飲ませはしない。
「思うに〝スライム熱〟とは〝人外の領域〟における風土病の一種なのでしょう。水、土、他の生物、あるいは魔法や呪い、その組み合わせ。意図して生み出されたものか、偶然の産物なのか。何がスライムを伝染病の運び手へと変えるのかは今後の研究を待たなければなりませんが、現時点で判明したこともあります」
会議を締めくくるように、ペリエスが言う。
「残念ながら今回の一件で、ダクエル山脈以東の〝人族の領域〟にもスライム熱が根付いた可能性がある、というのがそのひとつ。レドの教訓を活かしたスライム対策を王都や他の都市……いえ、街や村にまで広めていかねばならないでしょう」
「解決のために力を貸してもらった礼もある。できる限りの協力はさせてもらうが、まずは目の前で苦しんでいる市民たちを救うのに集中してもらいたいもんだな、司教殿。こちらとしては、そちらの浄化魔法だけが頼りなんだ」
ペリエスの言葉に、希望の見えてきたのだろうイングが軽口で返す。
「失敬、確かにイング殿のおっしゃる通りです。どうかご容赦を」
「はっはっは、司教殿は真面目でいらっしゃる。俺とて貴方の立場も多少は理解できるつもりだ。気にしないでもらいたい。おっと、こうしている場合ではないな。優先して浄化してもらいたい井戸については、明日の早朝までにまとめさせよう」
「助かります。イング殿、貴方がレドに残ってくれていて、本当によかった」
「俺は果たすべき義務を果たしただけさ。では失礼する」
希望に満ちた笑顔を見せて、イングが去っていく。後に残されたのは、リーエンとペリエス、そして終始沈黙を貫いていたザイアユーネだけだ。
「まずはお礼を言うよ、ザイアユーネ。約束通り、黙っていてくれてありがとう」
リーエンが言うと、彼女は目を細めて満足げに微笑んだ。
「他ならぬリーエンの頼みですからね。特別ですよ?」
彼女が余計なことを話すと、イングとの関係がこじれる可能性もあった。そうなると伝染病への対策どころではなくなるので、会談中の発言は最低限にしてくれるよう事前に頼んであったのだ。借りを作った形になるが、仕方がない。
「どうです? わたしの頼みを聞く気になりましたか?」
「……少しは考えてみる気になったかな」
「ええ、今はそれで十分。貴方が首を縦に振るまで、わたしは待ちましょう」
ザイアユーネは笑みを崩さない。揺るぎない自信の表れ。
「リーエン、ちょっといいですか」
やり取りをじっと見守っていたペリエスに呼ばれる。
「ああ、感染源と治療法の調査も終わったし、報酬を受け取ったらもう発つよ。王都に向かうから、ついでの用事があれば引き受けるけど」
ペリエスの前で、ザイアユーネと長話はしたくない。彼女が何を言い出すか分からないし、場合によってはペリエスの立場が危うくなるからだ。
そんなことを考えていたから、ペリエスが続けた言葉は予想外だった。
「いいえ、リーエン。貴方を王都へ向かわせるわけにはいきません」
「はあ?」
「貴方に反逆の嫌疑がかけられています。魔人ザイアユーネと通じ、諸王連合の工作員として交易都市レドに伝染病をばら撒いた疑いありとして、拘束した後に簡易裁判を経て処刑せよとの王命が下った、と耳にしました」
ペリエスは感情を交えず、淡々と告げた。おかげで怒りも湧かなかった。
リーエンが人族を見捨てるまでもなく、人族に見捨てられたというわけだ。
「……そっか。それもそうだね。会話は筒抜けだったってわけだ」
おそらくザイアユーネとの会話を盗み聞きしていた者がいるのだ。リーエンが魔人と接触したと聞いた時点でそういう手を打つのは、ペリエスの立場を考えれば当然のこと。聞かれたのは、それを疑いもしなかったこちらの落ち度だ。
「リーエン。貴方が正直に全てを話してくれていれば……いえ、これは泣き言ですね。殺すのはお勧めしませんが、一発くらい殴ってくれても構いませんよ」
普段と変わらない、憎らしいほど穏やかな笑みを浮かべるペリエス。
「……殴らないさ。友達だろ」
「そうですか。ちなみに逃げるのはお勧めしません。つい先刻〝天騎士〟エンペリオ殿がレドに到着しています。彼の帯びた任務は貴方の捕縛と魔人の排除。急病を装って時間稼ぎをしているところですが、ここもいつ見つかることやら」
「うん?」
妙なことを言われたと思う間もなく、ペリエスはしれっと告げる。
「ところで、リーエンには先日、もうひとつの依頼をしましたね」