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僕の第一章

作者: 佐藤 誠一

青春小説です。

僕が持っている青春文学、青春小説のイメージに基づいて書いてみました。

読んでいただければ幸いです。

 原稿用紙の一列目に、“第一章”と汚い文字が書かれてあった。

無理はない。小学校2年生の時に書いたものだからだ。母から掃除をするように言われ、しぶしぶ掃除を始めると、その原稿用紙を見つけた。二列目以降、全く文字は書かれていない。“第一章”という文字を書くのに、全ての力を使い果たしてしまったからなのだろうか。いや、たぶん何も思いつかなかったのだろう。今の僕だって、小説を書けと言われても何も思いつかないのだから、幼き頃の優少年が思いつくはずもない。

 「優、何しとると、またボーっとして。」

原稿用紙から顔を上げると、呆れ返った母の顔があった。何度言わせれば気がすむのと言いたげである。

 「ごめんごめん。」

と空返事をして、原稿用紙を引き出しにしまった。

 

何でだろう?何で僕は、ボーっとしてしまうのだろう?

数学の時間、何やら熱弁をふるっている前田先生をよそにまたそんなことを考えていた。僕は、よくボーっとしてるねと言われる。自分でもそう思う。気がつけば、そうなっているのだからよほどのことだ。だからといって成績が悪いわけではない。むしろ、だいたい10番以内にはいっている。ボーっとしていることと勉強しないことはイコールじゃないと思う。僕にだってプライドいうものがあるのだ。

 「優、また空飛んどったやろ。」

数学が終わって、三田が冷やかしにきた。三田は典型的な野球少年で、野球に興味がない僕にも、ホークスなんかの話をしてくる野球バカだ。

 「ちゃんと聞いとったさ。」

 「じゃー、x2 = 9 の解は?」

 「x = 3, -3 。」

 「ちぇー、つまんねーの。」

そんなことを得意げに聞いてくるなんて、三田はお幸せなやつだ。

 キーンコーンカーンコーン。

次は、国語の時間だ。僕は国語の時間が好きだ。といっても、国語の丸田先生が好きだからというわけではない。僕は、授業なんてそっちのけで、国語の資料集を眺めた。いやー国語の資料集は面白い。正確には、文学史が最高に面白い。授業中に好きなことがどうどうとできる国語の授業はほんと素晴らしい!なぜだか僕は、文学史が好きだ。川端康成の『雪国』、芥川龍之介の『鼻』『羅生門』、大江健三郎の『新しい人よ目覚めよ』『二百年の子供』、開高健の『裸の王様』、たくさん覚えた。なんだか本のタイトルってかっこいい。鼻なんて、何も特別な言葉じゃないけど、本のタイトルになった瞬間、なんだか不思議で知的な膨らみをもって魅力的なものになる。といっても、僕は読書家というわけではない。本には、分からない言葉が頻出しすぎし、なんだか疲れることが多いように思う。そりゃー、文学史が好きなのだから、資料集に出てくるような本を手にとったことはもちろんある。でも、よく分からない。太宰治の『斜陽』は読破できたが、結局どういう内容なのか分からなかったし、『津軽』に関しては、途中で漢文が出てきて、お手上げだった。そもそも、あれは漢文だったのかどうかも分からない。小説家の頭の中をぱかっと開けてみたい気持ちになる。

 今日は金曜日。部活が無い金曜日は古本屋に立ち寄ると決めていた。僕は水泳部で週に5回練習に参加しているのだけど、なかなか早くならない。まーもともと、僕の肥満を気にして、母から強制的に強いられたスイミングの延長なのだから、思い入れがあると言うわけでもないのだが。

 「おっ、また眺めにきたとかな?」

 「あ、おじさん、こんにちは。」

おじさんは、古本屋の店主で、僕とは昔から仲がいい。だから、僕が本を眺めるのが好きで何も買わずに帰るのがほとんどでもいっさい煙たがらない。

 「相変わらず、小説コーナーしか見んなー、君は。自己啓発本だって、面白かとのあると  

  にから。」

 「おじさんの長崎弁こそ、相変わらずやね。」

おじさんの話し方はこてこての九州弁だ。他県の人が聞いたら全く理解できないだろう。

 「そがん言わんと、読んでみたらよかとに。人生を変える一冊のあるかもしれん。」

そんなことを言われても困る。僕は、自分を磨くために本を眺めにきてるんじゃないし、第一、自己啓発本はなんだかオーラがない。だって、『最強の心理学!』みたいな本みつけたって、そりゃー心理学のことが書かれてあるだろうことは察しがつく。でも、小説は、『風に立つライオン』みたいに、何それ!?なんか面白そうっていうオーラを持ってる気がする。だから、面白いんじゃないかなー。

 そんなおじさんの忠告を無視して、例のごとく小説コーナーをじーっと見ていた。宮本輝、松本清張、佐藤多佳子、中沢けい、、、。一度でいいから彼らに会ってみたいなと思う。まー会ったところでどんなことを聞けばよいのかも分からないのだけれども。

ふと、一冊の本に目がとまった。三島由紀夫の『潮騒』だった。同じクラスの女子が読んでいてそれで頭に残っていた。名前は何だったかなー。確か小谷さんだったかなー。昼休みに三田に誘われて運動場に向かおうとしていると、小谷さんが何やら本を読んでいるのに気が付いた。僕は本が好きだから、本を読んでいる人がいたら何を読んでいるのか探ってしまう。それで、ばれないように目線をむけると、“潮騒”という文字が見えた。なんだかその時は、『潮騒』の持つオーラが小谷さんを包み込んで、異世界の住人といったらよいのかそれとも仙人といったらよいのか分からないけど、小谷さんのまわりだけ特異なオーラがあふれていたような気がしたのを覚えている。

『潮騒』を手にとってページをめくってみた。あれ、意外と読みやすいなー。きっちりルビがふってあるからそう思えただけなのかもしれないけど、なんだかそう思えた。所持金は少なかったが、意を決して買うことにきめた。おじさんは何だか嬉しそうだった。本が一冊売れたからっていうのじゃなくて、僕が一冊の本を買ったことが純粋にうれしいといったように見えた。


これは自分でも悪い癖だと自覚しているのだが、僕は本を買ってそれで満足してしまうふしがある。そういうのを積読っていうのよと母に言われた時は、何やら変なダジャレを言っているなと思ったけど、今は身をもって積読を体感している。まー積読している冊数自体も少ないのだが。

 「優、この間、住吉書店おったやろ。」

 「お、おう。」

 「何の本買ったと。」

 「えーっとー。」

10分休み、またもや、ぼんやりとしていた僕に急に話しかけてきたのは木梨だ。木梨は幼馴染で、木梨と僕と三田の三人で遊ぶことが多い。しかし、『潮騒』を買ったということはなんだか言いたくなかった。インテリぶってる風には見られたくなかったし、それに全く読み進めていないのだから、中身を聞かれたら一貫の終わりだ。

 「お、さては柔らかか本ばこうたなー。」

 「そ、そんなんじゃなか!!潮騒ば買ったと!」

思わず大きな声で口を滑らしてしまった。だって、木梨が、僕がエロ本を買ったみたいに言いだすから。ほんと中学生のこういうところには心底うんざりする。

 「しおさいって何ね?なんか難しかごたるなー。」

木梨はきょとんとしている。何だかさぐってきそうな目をしている。

 ガラガラガラガラー。

 「あ、授業はじまるやん。」

木梨は慌てて席へ戻っていった。ふー助かった。木梨は、きになったことがあれば聞かずにはいられないそういうタイプのやつだったから、あのままいくと木梨の質問攻めにあっていたどろう。

 「肺静脈は酸素を最も多く運ぶ血管なのですよ。」

理科の角田先生が丁寧な言葉で血管について説明している。でも、僕は何だか情けなくて先生の話を聞くところではなかった。『潮騒』ってどんな話やとって聞かれたら、僕は黙っしまったと思う。それを考えると何だか情けなくてくやしいような気持ちがした。暗澹たる思いってこういう気持ちのことを言うのかな。でも、画数が多いし、僕の気持ちは暗澹たる思いとまではいかないのかな。

 6限終わりのチャイムが鳴った。今日は部活だ。めんどくさいなー。2つ上の引退を控えた先輩たちは何やらはりきっているが、何だかついていけない。もちろん、僕が遅いっていうのもあるけど、なんだか決定的に熱意が違う気がする。絶対にやってやるっていう熱意が先輩たちにはある。でも、僕には無い。無いうえに、それは仕方がないんじゃないかなーなんて考えてしまうからどうしようもないのだろう。

 「よし、今日は追い込みかけるけんな!」

 「おいっす!」

溌剌としたキャプテンの声に呼応する溌剌とした部員たち。そして、その中にいる僕。なんだかコントでボケ役をしている気分だ。

 「じゃー100m100本いくぞ!!」

 「おいっす!!」

おいっすじゃねーよ!何言っとるんだこの人らは!これこそ、暗澹たるおもいだよ、まったく。

 疲れ果てた僕は、途中休み休みしながら帰っていた。当然100本できるはずもなく、30本ぐらいしか泳げなかった。30本泳げただけでも褒めてほしいぐらいだ。帰り道の途中にある神社の階段で休憩していると、小谷さんが歩いていくるのが見えた。家同じ方向なんだとか思いつつも、何だかきまずかったので、わざと視線を一段下の階段に向けた。

 「あのー、佐々木君だよね。」

 「え、あ、うん。」

物静かな小谷さんが話しかけてくるなんて思ってもみなかった。というか小谷さんと話すのはこれが初めてであった。

 「盗み聞きしたみたいで申し訳ないんだけど、『潮騒』読んでるの?」

 「え!!!」

そういうことか。なんで話しかけたんだろうと思ったら。驚きを隠せない僕を小谷さんは少し驚いたように見ている。まずい、『潮騒』なんて買うんじゃなかった。

 「佐々木君は、本が好きなんだね。どこまで読んだの?」

本は確かに好きだけど、さっきの僕の反応は同じ趣味を持つ人を見つけた喜びを表したんじゃないよ、小谷さん!

 「えーっとね、主人公が船のるとこかな。」

 「あー確かに主人公の肉体の描写とか、私も好きだなー。島の自然描写もなんだかいいよ 

  ね。」

 「そ、そうだね。さすが三島由紀夫って感じだよね。」

『潮騒』を読んでないない人と同等の返事をしながら、それでも小谷さんが何だか楽し気なのは分かった。小谷さんはほんとうに本が好きなんだろうなと思う。本のことを話す小谷さんは、僕が小説から感じるオーラをもっていた。いや、でももっと若くて動的で、でも静かな部分もあるそんな感じだ。

 「またお話しようね。さようなら。」

 「う、うん。また明日。」

小谷さんは、軽い足取りで帰っていった。僕は、しばらくぼんやりとしていた。あたりは、だんだんと薄暗くなっていった。このまま座っていたら、僕は溶けて階段の一部になってしまいそうな気がしたけど、それは全然怖いことじゃなくて、むしろ心地良い感じがした。夕暮れの風をうけて、神社の剛毅な姿がよりいっそうかっこよく見えた。僕もああいうふうになれるのかなと思った。


6月の終わり。あいかわらずの雨。3年生は最後の大会を終え、代替わりしていた。雨でも練習できるのが水泳部の良いような悪いところだ。常に濡れてるんだから雨なんて関係ないというロジックなのだろう。3年生が抜けてから、いっきに部員の士気は落ちた。まー元々低空飛行していた僕の士気に、みんながあわせはじめたといったところか。一応、今日も練習があってみんな集まってはいるのだけれども、各自自主練ということに落ち着いた。全員といっても6人だし、盛り上げ役みたいなキャラもいない。学校の形骸化した一部分みたいに集まっているだけだった。

「僕、辞めようかと思っとるっちゃんなー。」

渕がぼそっと言った。珍しく一緒に帰ろうといってきたのはこのせいか。なかなか踏ん切りがつかず、後押しして欲しいといったところか。

 「いやー、渕頑張ろうぜ。俺たちこれからだよ。」

らしくないことを言ってみた。渕に辞められたら、1年生が僕だけになるしそれは困る。僕だって辞めたいけど、かつてトップスイマーだった母にそんなことを言ったら、どんな裁きが待ち受けているか分からない。

 「意外と熱いやつなんだな佐々木君は。」

渕が少し笑った。礼儀正しい真面目な渕は、周囲に溶け込むのがにがてだった。そんな渕の笑顔が見れて僕は嬉しかった。

 「ま、まーな。」

途中で渕と別れて、家に帰ろうと思ったんだけど、何だか無性に本屋にいきたくなって、それで住吉書店へ引き返した。

 「いらっしゃい。やー優君。」

 「うん。あ。」

 「あ、佐々木君。久しぶり。」

本屋に小谷さんがいた。金曜以外に来たのは初めてであった。小谷さんも通っているのかな。小谷さんとは、神社で話して以来だった。というか、クラスで会ったら何だかきまずくてなかなか目を合わせられないでいた。

 「小谷さん、その本何?」

 「えっ。」

何だか小谷さんはどぎまぎしている。

 「これ知ってる?」

手渡された本の題名を見た。川上未映子『乳と卵』。耳が真っ赤になって、その赤は地震みたいに全身へ広がっていくのが分かった。小谷さんが一瞬ためらったのはこのせいか。僕は、どう反応したらいいか分からなくなって、赤面してしまった。こんな本、目にとめたこともなかったし、なんだか卑猥ともとれるタイトルの本を同級生の女子に見せられては、どうしようもない。小谷さんも何だかもじもじしている。

 「お、『乳と卵』たい。なかなか斬新で面白かよー。」

おじさんがニコニコしながら話しかけてきた。

 「芥川賞ばとっとるし、なかなか強烈な作品になっとるばい。」

顔を赤らめている二人をよそになにやらおじさんは楽しげである。

 「これください。」 

おじさんでもなく僕でもないところに目線を合わせながら小谷さんは言った。

 日が長くなったせいか、美しい茜色の空が広がっていた。二人で帰っているのだが、なんだか居住まいの悪い空気が流れている。たったこれしきのことで固まってしまう自分に嫌気がさす。あんなこと聞かなければよかった。

 「佐々木君はどんな本を読むの?」

小谷さんが聞いてきた。このなんとも気まずい空気を慮ってくれたのだろう。

 「最近は推理小説読んでるなー。」

 「あー、推理小説ね。私も一時期読んでた。」

沈黙。沈黙。そして、沈黙。話しかけてくれたのだし、僕からもそうしようとしたけど、この膠着状態はなんとも打開しがたかったし、小谷さんもそれを理解したらしく、それ以降は話しかけてこなかった。そのまま、神社を通り過ぎて、途中で別れた。一人でとぼとぼ歩きながら、あーなんで楽しい話題をふるとかできなかったんだろうとか考えたけど、楽しい話題って何のかさっぱり思いつかなった。それに、思えば、小谷さんとは本のことしか話したことがなかったし、よく知らない相手と本の話をしてその後、どちらも話さずに歩いた時間を不思議に思った。


夏休みに入った。待ちに待ったとまではいかないけど、ほんの少し浮ついた気持ちになった。この町はとにかく暑い。夜になってもいっこうに涼しくならず、熱帯夜が続くのが常だ。今日は、三田と木梨と僕の三人で隣町のプールに行くことになっていた。夏休みは部活がぼちぼちあるぐらいで、基本的に生産性のない日々を送っていたから、この日を楽しみにしていた。プールまで自転車で1時間ぐらいかかる。少し遠いが、夏休みという開放感のなか坂を下ったりするのは好きだった。特に今日は快晴で、心地よい。

 「風情のあるなー。」

三田がぽつりといった。

 「また覚えたての言葉使っとるとやろ?」

 「見たまえ、燦燦と輝く太陽の下、生気みなぎらせるあの山々。風情のあるってこがんことば言うとやろうなー。」

ボーっとしている僕をよそに二人が変哲もない会話をする。これが僕らの平常運転だ。恥ず

かしくて言えないが、二人のおかげで自然体でいられているのだろう。

 プールに着いた。またプールかなんてことは思わない。目的が遊びならいっさい問題は無

いのだ。それに、プールは二人に泳ぎを披露できるというメリットがある。泳ぐのが遅いといっても、素人よりは早い。まーこういうふうにしか威張れないのは残念だが、ともかく、プールは僕の自己肯定感を高めてくれる場所になる時もあるということだ。

 「優、クロール教えてくれよ。」

 「お、おう。」

木梨はのみ込みが早い。気がつけば追い抜かれそうで少し怖い。三田は潜っては浮かび上がるを繰り返して遊んでいる。ほんとお幸せなやつだ。

 「あれ、木梨君じゃん。」

隣のクラスの平井とその一団がいた。このグループは、どうやら僕たちの学年の女子を牛耳っているらしく何かと目立つ集団だった。でも、木梨は全く動揺しなかった。ここは解せない所だったのだが、木梨はかなりもてた。なんで幼馴染のこいつがと思う。

 「おー、平井さんたちもプールきとったとやなー。」

 「夏といったら、プールでしょう!ねー木梨君泳ぎ方教えて!」

 「丁度よかった。今、優に教わっとったとさね。一緒に練習しようぜ。」

 「優???」

顔面蒼白になりそうなところを必死に堪えた。この時ほど、木梨を恨んだことはない。学年を牛耳るような女子集団に僕が教えられるわけないだろ。だって、普通の目立たない女子とだって上手く話せないんだから。

 木梨に教えてもらえないと分かった瞬間、平井たちの目はいっきに冷たいものになったが、その突き破るような視線に耐えながら、必死に教えた。平井たちは、なんでこんなことすんのよって顔に書いてあったが、木梨だけはなんだか楽しげであった。

 帰り道、僕はくたくただった。泳ぎ疲れてとかじゃなくて、もちろん急に女子に水泳を教えることになったことが原因がだった。

 「優、教えるの上手いな。俺、今日だけでかなりうまくなった気のする。」

 「二人だけ、ずるかさ。なんで呼んでくれんかったと。」

ほんとお気楽な奴らだ。僕の骨折りは、伝わっていないみたいだ。

 「三田は、平井の気になっとるって言いよったもんな。」

 「からかうなよ、木梨!恥ずかしかとやけん。」

へー、三田が平井をか。少し意外だった。

 「優は、おらんと、そがん人?」

三田が、矛先を変えようと聞いてきた。僕はこういう話が大苦手なのに。

 「お、おらよ。」

 「木梨はどうなんだよ?」

僕も三田と同じ戦法を使った。

 「俺、彼女おるよ。」

 「え!」

見たと同時に叫んでしまった。こいつ抜け駆けしやがったな!

木梨の彼女というのは、3組の久保田だった。久保田は男子の中で人気があって誰かと付き合っているのではないかと噂されていたのだが、まさかそれが、木梨だったとは。そういう話に縁がなく、免疫がない三田と僕は黙ってしまった。

 「そんがん黙らんでもよかやろ。」

木梨は何事もなかったようにそういった。

 家に帰って、宿題を少し進めて、読みかけの本を手にとった。『潮騒』は例のごとく積読されていた。かわって今読んでいるのは『黄色い目の魚』という本だ。小谷さんから読んでいる本を聞かれた時、推理小説と答えたが、あれは嘘だ。自分では認めたくないが、青春小説というものにはまりつつあった。自分でもよく分からないが、読んでいるとなんだか叫びたくなる。遮るものののない大草原でアーっと言いたくなるそんな感じ。誰かに共感してもらいたいと思うけど、そんなこと言えるわけもなく、あの時も言えなかった。少し後悔している。本が好きな小谷さんならからかわずに話を聞いてくれたかもしれない。


 母さんが掃除機をかけている。僕が本を読んでいる時にかぎって掃除を始めるのだからたまらない。僕は、静かなところでしか読めないたちだったから、家から30分ほどの図書館に退散することにした。掃除機ってほんとうるさい。母さんはタイミングが悪いんだよなー。いや、でも、夏休みの期間、母さんの日常に飛び込んできたのは僕であり、そうなると家からほっぽりだされるのは僕でしかりなのかもしれない。まーどうでもいいや。宿題はほとんど終わっていたから、特に何も持ってこなかった。といっても、夏休み終了まで残すところあと2日なのだから、終わってないほうがおかしい。

 図書館は涼しくて静かで、掃除機から逃れるにはうってつけの場所だなと思った。この図書館は、比較的大きい。僕の住んでいる町の近辺では中核的な図書館であった。図書館はもちろんおじさんの本屋より大きい。本はたくさんあるのだけれども、図書館の本は堅物がたくさんあるという何の根拠もないイメージがどうしてもあって、あまり足を運ぶことはなかった。でも、冷房がついているという点で、今日は図書館に軍配が上がったのだ。

 広い図書館をふらつきながら、小説コーナーを探した。図書館には、当たり前だがおじさんの本屋の倍以上の本が並んでいる。そんなてんこもりの本を眺めながら、図書館も悪くないと思った。それに、小説家っていう学校の先生よりも頭がよいと思われる人たちが、こんなにたくさんいて、こんなにたくさん本を書いているということに、改めて驚いた。いつも見ているのよりも大きなこの本棚は、存在感を放って剛毅な雰囲気を醸しているように感じられた。その気迫に負けまいと、本棚に向かった。本を眺めてみる。だめだ。僕が知らない小説家がこんなにたくさんいるのか。ところどろに、見たことのある名前を見つけたが、その数は、僕の知らない彼ら彼女らよりも圧倒的に少なかった。自分が書き出しさえも思いつかない小説を難なく書きこなす哲人達が、星の数ほどいることを強く思った。思えば、僕が見ているのは、図書館の小説コーナーであって、図書館全体には色んなジャンルの本があり、町を出て日本全体を見渡せばたくさんの図書館がある。あ、日本をでれば、世界にたくさんの図書館があって、それだけたくさんの本がある。そう、本という不思議なオーラを持ったものを自在に操る人たちがたくさんいるということだ。そこまで想像を膨らませると、“第一章”としか今も昔も書けない自分がとてもちっぽけに思えた。彼ら彼女らの仲間入りを果たしたいといったものは皆無だった。一縷の希望もないなと感じた。

 なぜか図書館に来て勝手に自滅してしまった自分に呆れながら、家に帰ろうとした。と、学習スペースに小谷さんがいるのを見つけた。なんだ小谷さん、まだ宿題終わってないのか、なんて考えたが、すぐそれは違うことに気付いた。あきらかに宿題ではないものが積みあがっている。宿題を積み上げてもあの高さまでならない。本を探すふりをしながら、ゆっくり近づいた。小谷さんは、専門書の並ぶ本棚に近い学習スペースを利用していることが分かった。電磁気学、解析学、、、さっぱり分からない本が並んでいる。小谷さんは何を読んでいるのだろう。ふと、小谷さんが立ち上がって、こちらに向かってきた。まずい!とっさに本をとって、読んでいるふりをした。

 「あ、佐々木君、なんか焼けてるね。」

 「う、うん。水泳部だからね。」

また、この状況か!頼むから本のことは聞かないでくれ!後で小谷さんに教えてもらったのだが、僕がとっさに手にとった本のタイトルは、Plant Physiology って書いてあって植物生理学と訳すらしかった。

 正直に白状した僕を小谷さんは、くすくす笑った。『潮騒』はごまかせても、Plant Physiology なんて、読んでるふりしようにもしようがなかった。ちょうど、帰るところだったらしく、一緒に帰ることになった。

 「森林と川とか、そういう関連の本を読んでの。」

小谷さんは躊躇なく、読んでいた本を教えてくれた。今どきの中学生がそんな本読むのかなーと不思議に感じた。

 「だいぶ前だけど、なんだかごめんなさい、気まずい思いをさせたみたいね。」

小谷さんは、おじさんの本屋で会った時のことを謝ってくれているようだった。ほんとなら男である僕から謝るべきだったのにと思った。

 「いや、僕も黙り込んじゃってごめんね。あと、今日、スパイみたいに覗こうとしてたのもごめん。」

小谷さんは、ふふっと笑った。

 「なんか佐々木君って面白いね。」

 「そ、そうかなー。」

小谷さんがすごく楽しそうに言うから、僕も自然と笑顔になった。でも、何が面白かったのかなー。まー褒められたのだし何でもいいか。

 「佐々木君、いつも自転車このスピードなの。」

 「あ、ごめんごめん。」

言われるまで気付かなかったが、かなり自転車のピッチが上がっていた。緊張しているのだろうか。ギアを上げて負荷を大きくしてみたけど、何も変化が感じられなかった。

 「私遅いから、佐々木君のペースで帰っていいからね。」

 「あ、うん、そ、それじゃ。」

あーなんでそう言ってしまったのか。ほんとはもう少し話したかった。というか、小谷さんと本以外のことも話したかったのだ。だって、僕は、小谷さんんは本が好きで、森とか川にも興味を持っているっていうことしか知らないのだから。僕ってダメダメだなー。後ろを見なくても小谷さんとの距離が離れていくのが分かった。それが分かっても、引き返すようなことは僕にはできなかった。そんなに難しいことではないはずなのに。

 神社を過ぎて、一度振り返ってみた。小谷さんはいない。この前小谷さんと別れた道に来た。小谷さんはいない。僕は、自転車を止めた。自転車をこぎながら何度も引き返したいと思った。なんでもいいから話してみたと思った。この後ろめたさの残るまま家に帰るのはすごく嫌だったのだ。

 15分ぐらいたって小谷さんが自転車をこいできているのが見えた。なんだろうすごくドキドキする。小谷さんは、少々どぎまぎしている僕を見て、きょとんとしている。

 「あれ、佐々木君、どうしたの。」

 「あ、えっと、、、。」

当然の質問が来たが何を言えばよいにのやら思い浮かばなかった。さっきはごめんねって言うべきか。いや、でもそれはさっき言ったし。食べ物は何が好きって言うのもとうとつでおかしいよなー。

 「あ、えっと、そのー、小谷さんの夢って何。」

 「え、え、、、えっと。」

あー何で変なこと聞いちゃうんだろう僕は。苦し紛れに思いついたことが、夢だなんて相手を困らせるに決まっているのに。

 「私の夢は、小説家。」

 「、、、、、、、、。」

声は震えていた。だけど、どこか力強い信念があることがすぐに分かった。この人は、小説家になろうとしているのか。

 「夢の話するなんて、なんか恥ずかしいね。」

小谷さんは笑う。照れ隠しなんだろうけど、なんだかかっこよくて、でも、すごく可愛い。僕にとっての雲の上の住人達の仲間入りを果たそうとしている小谷さんが、すごく高尚なものに見えた。いや、でも高尚とはまた違うな。小谷さんは、本が好きなのだ。だから、小説家を目指しているのだ。そこに、雲の上だの下だのなんてものはないのだ。

 「佐々木君の夢も教えてよ。」

 「え、えっと、、、。」

 「ぼ、ぼくも小説を書きたい。」

大きな声で言った。でも、かなり声が裏返ってしまった。恥ずかしい。一瞬、学校の先生とか言ってごまかしてしまおうと思ったんだけど、でも、それは絶対に違うと思ったのだ。小谷さんは、少し驚いているようだったけど、すごく嬉しそうにしているのが分かった。

 「小説家なんて私だけだと思ってたから、なんだか驚いちゃった。」

 「夢が一緒だなんて面白いね。」

 「どんな本書いてみたいの。」

 「どんな本かー。」

どんな本を書きたいかなんて考えたこともなかった。というか、ほんとうに自分が本を書いてみたいのかも半信半疑であった。ただ、小谷さんから夢は何と聞かれた時、本を書きたいと言ったことに嘘偽りはなかった。それだけははっきり言える。

 「どんな本かまでは、決まってないかなー。」

 「私もそうよ。なかなか難しいよね。」

小谷さんからしても難しい事案のようだ。

 「でも、透き通るようなきれいな本を書いてみたいっては思うかも。」

小谷さんが少し自信なさげにつぶやいた。小谷さんの真意が100%伝わったわけじゃない。なんなら20%ぐらいだろう。でも、透き通るようなきれいな本のもつオーラはふわっと浮かんで、そして、それは小谷さんに溶けるようにくっつこうとしてる。そう思った。


 家に帰って、ほんの少し残した夏休みの宿題を机に広げた。広げたけど、手が進まない。やろうと思えばものの1時間で終わるはずなんだろうけど。図書館で小谷さんに会って、それで帰り道に夢の話をした。その一部始終が頭にまざまざと蘇ってきて、頭を占拠する。僕の心臓だけど心臓じゃないようなところが熱くなってくるのが分かる。

 「透き通るようなきれいな本か。」

書き上げてほしいなって思う。書きあがったその本は、ほんとにきれいで、そして、勇気を与えてくれるんじゃないかなーって想像してみる。机の上の宿題をがさっと下に放って、引き出しから原稿用紙を引っ張り出した。2年生だった僕が、“第一章”とだけ書いた原稿用紙だ。一文字目を書こうとしてみる。なかなか思いつかない。それでも書ける気がした。別に崇高なものを創作しようとしてるんじゃないんだ。ただ書きたければ書けばいい。僕は、どんな本を書いてみようかな。歴史小説とか?小谷さんが言うような本を書いてみてもいいのかな。いや、でも、それだと真似したみたいだし。バックから読みかけの本を取り出す。佐藤多佳子の『黄色い目の魚』。青春小説。

 「青春小説。」

ぽつりとつぶやく。んーーー、と考えてみる。そして、僕は、第一章を書き始めた。


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