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第五話:底と光




「ラナちゃん!」


 僕は呆然と立ち尽くすラナちゃんに声をかける。

 しかし、反応は帰ってこない。燃え盛る炎によって木材が弾ける音だけが聞こえる、静寂に包まれた空間にその声が染みわたっていく。

 彼女は何も言わずに両親の亡骸を抱きしめている。


 ――そんな彼女に、僕は何も言うことができなかった。

 

 それから間もなく、ポツリと、僕の頬に水滴が落ちてきた。僕は手のひらを天に向ける。すると、雨が降り始めたのがわかった。雨は次第に勢いを増していき、僕たちの体に容赦なく雨粒が降り注ぐ。

 

 僕はその雨とラナちゃんの涙を重ね合わせて、まるで空もこの悲劇を悲しみ泣いてくれているのではないかというように感じた。

 雨は村に燃え広がっていた炎の勢いを徐々に和らげていき、最後には完全に鎮火したようだった。

 

 しばらくすると雨が降り止んだ。炎が消し止められたことによって周囲を照らし出すものは何もなくなった。

 僕たちは暗闇の中、何をするわけでもなくその場に佇み続けた。村中には死臭が充満し、よくわからない獣や虫が集まってきていたようだったが、どういうわけかこちらに近づこうとする者はいなかった。


 どれだけ長い時間そうしていたのだろう。

 気が付けば、東の空が白みだしていた。時が止まったように動かない僕らをよそに、新しい一日は始まりを迎えていた。

 そういえば、こちらの世界も太陽は東から登るのだったな。この状況にそぐわないくだらないことが僕の胸に浮かんで、消えた。

 

 ああ、そうだ、このままではラナちゃんが風邪をひいてしまうだろう。

 僕は彼女に声をかけなければと考えたが、中々それを実行に移せずにいる。僕は声をかけることができずにいると、意外にも彼女の方から沈黙を破ってきた。


「……ねえ、リーオ」

「ラナちゃん?」

「――どうして、私だけ生きてるの?」


 そう口にした彼女の言葉はこれまでに聞いたことがないほどに弱弱しかった。僕はその声に胸を締め付けられるような思いがした。

 何も言えないでいる僕に、彼女は続ける。


「皆が死んで、私だけが残って……それで、何になるのよ!! 私も一緒に死ねばよかったのに!! どうして、どうして……」

「……ラナちゃん」

「どうして……私を助けたのよ……リーオ」

「僕は……」

「ねえ、リーオ。頼みがあるわ」


 それは何、そう尋ねるまでもなく、僕は彼女が次に発する言葉を予測することができた。絶望に駆られた人間、生きる理由を唐突に取り上げられた人間、彼らが口にする言葉はいつも決まっていた。

 そう、それは――


「――私を、()()()()


 その瞬間、僕の全身をナニカが走り回った。

 ナニカは僕に訴えかける。殺せ、ころせ、コロセ。それを否定する僕の理性とは対照的に、僕の感情がナニカに支配されていく。


 彼女は死を望んでいる。

 だったら、何も問題はないじゃないか。彼女は死ねて、僕は殺せる。利害は一致しているんだ。誰にも責められるいわれはない。


 大体、何を戸惑っているんだ?

 お前はこれまでにも何人も殺めてきたじゃないか。まさか、その足元に積み重なった幾つもの死体を忘れたわけじゃないだろう? 今更一人二人増えたからと言って何だっていうんだ。

 

 違う!――何が違うんだ?

 

 違うんだ!

 僕は約束したじゃないか! 



 ――その時、僕の中で何かがほどけた。

 そして、頭に思い浮かぶのは一人の少女の姿。薄紅色の着物に身を包み、こちらに一切のよどみのない清廉な眼差しを注いでいる。その笑顔は全てを白く染め上げてしまうような、そんな不思議な力を帯びていた。

 

 そうだ、僕はこの少女のことを知っている。

 そうだ、僕は命の大切さを知ったんだ。

 そうだ、僕は確かに――()()()()()()()()()()


 先ほどまで僕の思考を支配しかけていたナニカ、それが急速に力を失っていく。そして僕に残ったのは、ただただ、目の前の彼女を愛おしく思う気持ちだけだった。先ほどまでの葛藤が嘘のように、僕は彼女を救いたいと考えていた。いや、それ以外の選択肢は考えられなかった。


 僕は、一歩一歩彼女に近づいていく。

 彼女は覚悟を決めたような目でこちらをしっかりと見据えている。彼女との距離が一歩、また一歩と近づいていく。

 ラナちゃんは瞳をつむる。その目は諦観に満ちており、すべてを受け入れようとする彼女の心情が窺える。この先に待ち受ける苦痛を予測しながらも、その死への願望、生への絶望が上回っているのだろう。

 僕はそんな彼女のほうへと手を伸ばし――


 ――強く彼女を抱きしめた。


 彼女の体が驚いたようにびくっと揺れる。

 そして、一息おいて、今度は小刻みに震え始める。少しして、僕の肩が濡れ始めた。時々漏れる嗚咽から、僕は彼女が泣いているのだと気付いた。


「……アンタ、生意気よ、意気地なしのくせして」

「ごめんね」

「こんなことされたら、思っちゃうじゃない……もっと生きていたいって、まだ死にたくないって」

「……ごめんね」

「……謝るなあ!」


 一瞬、彼女の声にいつもの力が蘇ったかのように感じる。もしかしたらそれは僕の気のせいかもしれなかったが、たったそれだけのことを僕はなぜかうれしく感じたのだった。

 ふと、自らの頬が湿っていることに気づく。いつの間にか、僕もまた、彼女とともに涙を流していたようだった。この涙は何なのだろう、トウガさんや村のみんなが死んだことに関する悲しみ涙なのだろうか、それとも、彼女が元の彼女に近づいたことに対する安堵の涙なのだろうか。忘れていたことを思い出すことができたという感動の涙なのか。

 僕にはわからなかった。この涙の意味も、自分の感情も。ただ、一つだけ言えるのは、こんな感情を抱いたのは初めてだということであった。そして同時に、僕は懐かしさも感じていた。

 

 ……あれ、何だか矛盾していないか。

 そんな僕の疑問は、ラナちゃんから強く抱きしめ返されたことによる痛みによってかき消された。


「……ラナちゃん、ちょ、ちょっと」

「……うるさい。黙ってなさい」

「い、いや、痛……」

「黙ってなさい!」


 僕の要求は受け入れられずに、僕はそのまま小一時間ほど彼女に締め上げられる状況が続いたのだった。

 でも、不思議と悪い気はしなかった。彼女が強がっていることはわかりきっていたが、それでも、そのいつもの彼女らしい強がりが、僕にはとても心地よく感じられたのだった。




 ***




「……はあ、アンタにあんなところを見られるなんて一生ものの恥ね」


 そう言った彼女の様子はもう完全にいつもの調子を取り戻していた。

 弱さを隠していることには違いないのだろうが、そうするだけの気力が戻ったという事実に僕は安心した。


 あの後もしばらく彼女に拘束されていた僕は、体の節々が凝り固まっていた。そのため、今はそれをほぐす様に軽く体を動かしていたところだった。


「大丈夫だよ。僕としては貴重なラナちゃんを知れて嬉しかったし」

「……忘れなさい」

「いやいや、可愛かったよ。ラナちゃんってば、子供みたいに僕にくっついて離れないんだから」

「ああああ!! 全部忘れさせてやるわ!!」


 そういってこちらに飛び掛かってくる彼女を僕はひらりと躱していく。

 すると、彼女は諦めたのか、ただこちらを睨み付けている。


「ていうか、アンタ、何か性格変わった? 私をからかうなんてこと今まで一度もなかったじゃない」

「言われてみると、そうだね」

「自分でも気づいてなかったの?」

「……うん、よくわからないけど本当はこういう性格だったのかな?」

「……私に聞かないでよ」


 言われてみれば、確かに何かが変わったような気がする。しかし、それが何なのかは僕にはよくわからなかった。ただ、一つ引っかかるのが、あの時に頭に浮かんだ一人の少女の姿だった。彼女の姿が僕の中の何かを大きく変えてしまったような気がする。

 一体彼女は誰なんだろうか。それすらもわからないのに、どういうわけか彼女が自分にとって大切な存在であることを僕は確信していた。 


 彼女からの問いかけに、僕は深く考え込んでしまう。しかし、その思索を遮るように、ラナちゃんが僕に声をかけてきた。


「ねえ」

「どうしたの?」

「アンタって、何であんなに強いの?」

「それは……」

「その辺も含めて、今まで隠してたこと全部教えて」


 そういう彼女の眼差しは真剣なものだった。

 僕はラナちゃんを守ると決めたのだ。それに、どちらにしてもいつかは話すつもりだったじゃないか。それが思っていたよりも早まっただけだ。

 

 そう自分を宥めるものの、中々踏ん切りがつかなかった。

 前世の記憶があるといって頭のおかしい奴だと思われはしないか、前世は殺人鬼だと言って嫌われたりはしないか。

 

 そんな些細な理由で、僕は躊躇していた。こんなことに不安を感じるなど、以前の僕なら考えられないことだ。

 ふと、ある考えが僕の胸に浮かび上がる――本当に、僕は以前の僕と同じ人間なのだろうか。何かの間違いでそう思い込んでいたということはないのだろうか。だとすれば、この僕は一体何なんだ。

 

 うすら寒くなるような考えがよぎったその時、ラナちゃんの表情が目に入る。

 真っ直ぐにこちらを見つめる双眸、翡翠色で吸い込まれそうなその瞳が、彼女がすべてを受け止めてくれることを物語っていた。


 先ほどまでの恐れが嘘のように消えていく。

 今なら、言える。

 僕は一回だけ深呼吸をして、ゆっくりと口を開く。


「実は――」


 僕は全てを語った、前世の記憶があること、自分が殺人鬼であったこと、自分の体を流れるナニカのこと、大切なことが思い出せないこと。

 そんな僕の話を、ラナちゃんは終始黙って聞いていた。所々で驚いたように目を見開いたり、話を精一杯理解しようと努めている様子がうかがえた。

 そして、僕が話し終えるのを待つと、彼女はおもむろに尋ねる。


「えっと、聞きたいことは山ほどあるんだけど、まずは、前世の……記憶?」

「うん、僕にはそれがある」

「……そう。なるほどね、それでアンタは妙に大人っぽいわけか」

「信じてくれるの?」

「正直、荒唐無稽な話ではあるけどね。でも、アンタが嘘をついてないなんて私にはわかるわよ。それに、アンタが中々話そうとしてくれなかった理由もわかったしね」

「……」


 僕が話を切り出せずにいた一番の理由、それは決して前世の記憶があることを信じてもらえないと思ったからだけではない。

 どうやら、彼女もそれを理解してくれたようだ。


「そりゃ、言い出せないわよね……自分が殺人鬼だったなんて」 


 その言葉が僕に突き刺さる。やはり、幻滅されただろうか、疎まれてしかるべきなのだろう。きっかけは僕の血によるものだとはいえ、殺してきたのは紛れもない僕なのだ。僕が多くの命を奪ってきたのはまぎれもない事実なのだから、それは当然の報いだ。

 しかし、彼女の反応は僕の予測していたものとは異なっていた。彼女は、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。


「あら、なんて顔してるのよ? そんなことを私が気にするとでも? 馬鹿にしないでよ。アンタのことなんて私はよく知ってるわよ。もしアンタが殺人鬼だとしたら、きっと世界一優しい殺人鬼ってところかしらね」

「……どうして」

「どうしてって、そんなの見てればわかるわよ。アンタ、虫だって殺さないじゃない。殺したのに気付いた時には悲しそうな顔してるし、言葉にはしてなかったけどわかりやすいのよ」


 違う……それは。

 僕は元々、殺すことに抵抗なんてまるで感じてなかった。

 息をするように殺す。それが僕の常だった。悲しみなんて微塵も感じていなかった。


 あれ? でもどうして、僕はそれを悲しく思うようになったのだろう。

 いつからだ、いつから僕は罪悪感を覚えるようになった?


 僕は必死にその契機を探すも、思い当たるところがなかった。

 だが、確かになにかがあったはず。

 いや、そうだったとして――


「でも、僕が大勢の人を殺したのは事実だ」

「知らないわよ、そんなこと。私と関係のないどこの誰がアンタに殺されようと知ったこっちゃないわ」 

「だからって……」


 諦めずに引き下がる僕にしびれを切らしたのか、彼女は鬱陶し気に大きな声を挙げる。


「ああ! もう! うだうだうるさいわよ! 何? アンタは私に何て言ってほしいのよ? 『そうね、アンタは最低な人間ね』とでもいって欲しいわけ?」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあいいじゃないの! もう次の話に行くわよ。で、失くした記憶ってのは?」

「それが、僕自身、よくわからないんだ」

「……まあ、忘れてるんだから当たり前よね。でも、忘れてるってことはわかるんでしょ?」

「うん。記憶の景色のところどころに靄がかかる感じかな? それも、すごく大切なことを忘れてるような気がするんだ」

 

 僕の説明を聞いて、ラナちゃんは納得したように頷く。

 彼女は僕のことを馬鹿にするでもなく、わざと信じるふりをしているようにも見えなかった。

 その様子に、僕はホッと胸をなでおろす。


「なるほどね。大体わかったわ」

「……信じてくれるの?」

「疑う理由がないわ」

「でも……」

「くどいわよ……というか、今日のアンタ、すごく面倒くさいわね」


 はあっと盛大にため息をつくラナちゃん。

 僕をそうさせるのは、この話が僕にとって根幹にかかわるようなことだと思うからなのだろう。今までの僕は、この話をずっと避けていた。同時に、そうすることで周りとの間に壁を作り、何かを演じていたのだ。だから、孤独は感じていたが、相手の反応などにはさして関心を持たなかった。なぜなら、相手が見てるのは偽りの自分だとわかっていたからだ。

 でも今、本当の自分、それに近しい部分を僕は彼女にさらけ出している。だから、僕は彼女にそれを否定されるのが怖かったのだ。


「ごめん、でも、ありがとう、ラナちゃん」

「礼を言われる筋合いはないわよ。複雑ではあるけど、私はアンタに命を助けられたんだから、これぐらいするのも当然でしょ……それより、その『ラナちゃん』っていうのやめない?」

「どうして?」

「何か上から見られてるようでムカツク」

「今までそんなこと言わなかったよね? どうして今になって」

「今までは、アンタがひ弱な性格だけだと思ってたからよかったのよ。でも、わかったわ。アンタが私をそう呼ぶのは前世の記憶があって、私を子ども扱いしてるからよね?」

「それは……」


 確かに、意識はしていなかったがそういう気持ちもあったかもしれない。恐らく僕は彼女のことを年の離れた妹のように感じていたのかもしれない。実際に妹がいたわけではないからこの考えが正しいかはわからないが。

 どうやら彼女は、僕の呼び方が大人が子供に対して呼びかけるときのそれに似ていることが気に入らないようであった。


「じゃあ、何て呼べばいいのかな?」

「普通に、ラナでいいわよ」

「何か変な感じが……」

「私がいいって言ってんだからいいのよ!」

「わ、わかったよ、ラナ」


 そう呼んでみると、彼女は何だか満足そうだった。

 違和感はぬぐえないが、彼女がそう言うのなら仕方がない。それに、たかが呼び名だが、されど呼び名か、僕には彼女がより身近な存在に感じられるようになった。間違いなく、彼女が自分の話を信じてくれたということも大きいのだろうが。


「それで、リーオ、これからどうするのよ?」

「とりあえず、暮らす場所を見つけないとね。ここから西にしばらくいくと確か大きな都市があったよね?」

「ええ、王国の城下町セルトミンスタのことね。そこに向かうのね?」

「うん。そのつもり」

「まあ、そうね……ここにいるわけにもいかないしね」


 彼女は改めて周囲の惨状を見回して、悲しそうに目を伏せる。しかし、僕の視線に気づくと、またすぐに普段の強気な表情を繕った。


「ラナちゃ……ラナ……」

「大丈夫……とは言わないけど、気にしないで。もう過ぎたことよ。それより、アンタ今間違いそうになったでしょ」


 そういって、彼女は笑う。

 その笑顔は、いつもの彼女らしいものだった。


「う……まだ慣れてないからしょうがないよ」

「まあ、許してあげるわ。さてと、そうと決まれば早速出発しましょう。使えそうなものは持っていきましょうか。食べるものもいくつかは残っているでしょうし」

「うん、そうだね」


 僕たちは歩き出す。未来のことはわからないし、過去のことは変えられない。ならば、今を生きるしかないだろう。幸せだった日常を忘れることはできなくとも、再び幸せを得ることは不可能じゃないはずなのだ。


 僕たちは今どん底にいるに違いないが、逆に考えれば、ここからは這いあがるだけなのだ。これよりも下はない。

 

 ――そう、この時は信じていた。いや、信じるしかなかったという方が正しいのかもしれない。それほどまでに、僕たちは打ちのめされていたのだった。そして、僕たちは知っていくことになる。人間のこと、命のこと、正義のこと、そして、愛のことを。


 

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