第十三話:企てられた偶然
「ラナ、一つ気になっている話があるんだ」
「ん? 何よ」
「『赤眼の獣人族』の話。一週間ほど前――ちょうど僕たちがこの街に来たあたりから目撃情報が出てきてるみたいなんだけど」
「赤眼ってもしかして……」
「うん、僕たちがあのときぶつかったあの子かもしれない」
赤眼は罪人の証だ。そして、以前ロータスさんの話で聞いた通り、この世界で暮らす五大種族は皆それぞれの勇者を信仰対象としている。あの後に聞いた話だが、他の種族は人間族と比べて強い信仰心を持っているらしい。
そんな彼らが自らの信仰を捨てるような境遇に置かれたということは、ただごとではないのだろう。
そういうわけで、ただでさえ少ない獣人のそれも罪人と遭遇するということは考えにくい。つまり、僕たちの会った獣人の少女は噂の獣人と同一人物である可能性が高い。
「それで? その獣人がどうしたのよ?」
「なんでも、メイエル卿という貴族が獣人族の集団を襲わせて隷属させたらしい。その赤眼の獣人もそのうちの一人なんだとか」
「なるほど、碌な目には合わなかったってことね。だとして、どうするのよ? ……まさか、助けるだとか言わないわよね」
「確かに、今どこにいるかもわからないしね」
僕の発言を聞いて、彼女が呆れたように溜息を吐く。
「……そういう問題じゃないわよ。あのねえ、今の状況わかってる? 私たち住む場所もないのよ? かろうじてあの婆のところでお世話にはなってるけど、この街にいられなくでもなったらどうするのよ」
ラナのいうことはもっともだった。大体、助けると言っても自分たちにそんな力はあるのだろうか。貴族を敵に回すということは下手をすればこの街に居場所をなくしかねない危険な行為だ。
そもそも、どうして僕はそんなことを考えている?
普通に考えて僕とその獣人の間には何の接点もないし、助ける義理もない。もちろん、助けることにメリットなんて何一つとしてない。
元殺人鬼の僕が、どうして……?
「……そうだね、ちょっとどうかしてたみたいだ」
自分の言動の理由が掴めずに戸惑っている僕の様子を見て、ラナが心配そうに見つめてくる。
「大丈夫? リーオ、最近少し変じゃない? 疲れてるんじゃない?」
「大丈夫だよ。それに、自分でも自覚はあるから。心配しないで」
「……アンタがそういうならいいけど。でも、隠したりしないでよね。倒れられて困るのは私なんだから」
「わかったよ」
そう返答してこの話は終わった。
僕は少し残念だった。おそらく、僕はラナに同意を求めていたのだ。自分でも不合理であることがわかっていて、彼女の批判も頭では納得している。
しかし、なぜかその結論に不満があるのだ。
我ながら、全く意味が分からない。
彼女は純粋に僕のことを心配しているのにも関わらず、僕はといえば彼女に不満を持っている。そのことに申し訳なく感じているのだ。
この不満は一体どこから湧いてくるのか。
答えの出ない疑念を振り払って周囲を見渡すと店内は未だに客でごった返していた。食事も終わった僕たちが長居するのは迷惑になるだろう。
「それじゃ、そろそろ出ようか」
「そうね。迷惑になりそうだし」
意見の一致した僕たちは、勘定を済ませると、足早に店を後にした。
外に出ると、何やらあたりが騒々しいことに気づく。
多くの憲兵が慌ただしく右へ左へと駆けていく。
疑問に思いながらも、僕はそのうちの一人を呼び止めて事情を聴くことにした。
「何かあったんですか」
「メイエル卿のところの赤眼の獣人が逃げ出したらしい。捜索命令が出ているんだよ。君たちも、もし見つけたらすぐに知らせてくれ。ただし、危険だから接触は避けるようにね」
「あ、はい」
「私は急いでいるからもう行くよ。気を付けるんだよ!」
そういって憲兵は足早にその場から去っていった。
まずいな、あまり時間がないみたいだ。
僕は襲い来る焦燥感を懸命に隠した。
そんな僕をよそに、ラナは驚いたように声を上げる。
「噂をすれば何とやらって奴ね」
「それにしても、すごいタイミングだったね」
怪しまれないように、僕は彼女の意見に同調する。
「本当よ。巻き込まれないように気を付けないといけないわね」
「そうだね。僕にいい考えがあるんだけど」
「ん? 何かしら」
ここで、僕は一つの作戦に出ることにした。
……ラナが気づかなければいいのだけど。
「騒ぎの少ないところを通って帰ろう。調査のためにこの街の道はすっかり頭に入っているからね。いい近道もあるんだ」
「……まあ、早く帰れるならいいけど。本当に近道なの? 迷ったりしないわよね?」
「その心配はいらないよ。既に何回も使ってるからね」
僕の返答を聞いて、少し考えるそぶりを見せるラナ。
少しすると納得したのか軽く頷き、僕に先導を促した。
「わかったわ。私は道がわからないから案内は任せるわね」
「了解。それじゃあ、行こうか」
そういって歩き出す僕たち。大通りから小道へと入っていく。なにも疑うことなくラナは僕の後ろに続く。
僕は作戦がうまくいったことに内心安堵する。
後は、様子を見ながら上手く近づいていくだけだ。
これが失敗したなら、そのときは諦めよう。
そんな僕の考えをよそに、彼女は感心したように口を開く。
「それにしても、よくこんな道見つけるわよね。この町、ただでさえ広いのに。こんな小さい道に入ったらすぐに迷いそうなものだけど」
「大丈夫だよ。僕、道を覚えるのは得意だから」
「確かに、言われてみればリーオは方向感覚もいいわよね」
「ラナは悪いよね。この前も近くに出かけたはずなのに、ずいぶん遅く帰ってきたしね」
いつもは僕が買い出しに行くのだが、この前は気分転換もかねてラナが近くの店まで出かけて行ったのだ。
徒歩五分程度の店なのだが、いつまでたっても彼女は帰ってこなかった。
嫌な予感がした僕が探しに行くと、目的の店とは反対方向しばらく歩いた場所に彼女の姿があったのだ。
「う、うるさいわね。こういう大きい街には慣れてないのよ。というかリーオはどうして迷わないのよ?」
「……僕には前世の記憶もあるしね」
それに、方向音痴では仕事にならなかっただろう。
「ふーん、リーオが前にいた世界にはこの規模の町が普通にあったのね」
「まあ、そうだね。まあ僕のいた国の都市はこの町の景観とは似ても似つかなかったけどね」
ふと、実用性の象徴のような無機質な街並みを回想する。当時の僕のやっていたことといえば、血を血で洗うような汚れ仕事ばかりだった。そんな世界に生きていたからこそ、あの風景が恐ろしいほどに汚れて見えるのだろう。
それに比べればこの街並みはとてもきれいに感じられる。ただしそれも、僕がこの町の汚れをあまり知らないからなのだろう。
「それにしても、この道、全然人通りがないわね。さっきまであんなに憲兵が探し回ってたのにこの道には全くと言っていいほど見当たらないわ」
「確かに、そうみたいだね。僕も今気づいたよ」
まずいな、少し怪しみ始めたみたいだ。でも、ここまでくれば今更引き返そうとは言いださないだろう。
大丈夫。何事もないかのように平静を装っていれば、このままたどり着けるはず。
「それより、ラナ、この町にあとどれくらい滞在しようか」
「……そうね、魔道具の基礎は一通り身についたから、あとは経験で学んでいくって段階にはなったわ。魔道具作製ができれば路銀には困らないでしょうし、リーオが奴らの情報を手に入れたなら動いてみてもいいかもしれないわね。その辺、どうなのよ? さっきはもう少し調査が必要って結論になったけど」
「そうだね。正確な居場所はまだわかっていないからね。ただ、一つ疑問に思うのが、この町で聞き込みをしてるだけで、本当に奴らの居場所がわかるのかってことだよね」
一つの場所で得られる情報量には限界があるだろう。
それに、いつまでも人から聞いた情報を集めているだけでは、あまり状況は前進しないかもしれない。
噂話よりも、実際に自分たちの手で集めた情報のほうが信頼できると僕は思う。
「それはそうかもしれないけど、じゃあどうするのよ? 他に手段があるようには思えないけど」
「うん、確かに情報収集するならこの町以上に適した場所はないはず。この国で一番大きい街だしね。だけど、実際に自分たちの足で探してみることも大切かもしれない。今までの情報から奴らの出没する場所の傾向とか、奴らの目的とかを推測してみないと」
「なるほどね。まあ、実際に行動してみることには私も反対はしないわ。ただ座して待つだけでお目当ての情報が転がり込んでくるようには思えないしね。情報を集めるにしても、今まで近づいていない人から手に入れる必要があるかもしれないわね」
「というと?」
「それこそ、さっき来た二人組みたいな偉い奴らね。普通に考えて上位階級の人間ほど情報量は多いでしょうから」
彼女の言葉で、教会から来たという二人の存在を思い出す。
丁寧な口調の女性と、少し荒い口調の男性。
ローラとアレフと名乗ったあの二人ならば、一般人の知らないような情報を握っていてもおかしくはないだろう。
彼らに近づくためには……
「……最悪、ラナを突入させればいいかな」
ラナはあの二人に必要とされているみたいだし、近づく上では特に障害はないように思える。
ただ、問題はむしろ、ラナ本人のやる気の問題だろうが。
案の定、煩わしそうな表情をするラナ。
「うわ、私を売る気?」
「売るって……仕方がないでしょ。情報を得るためなんだから」
「……最終手段として考えておくわ」
渋々ながら、ラナの同意は得られたようだ。
それに、事態は面白いくらいに僕の作戦通りに進んでくれたらしい。
――突然、刺すような鋭い視線を物陰から感じた。
殺気の混じったその気配にラナも気づいたようだった。反射的に彼女は視線の方向に杖を構え、警戒心を露にする。
「そこにいる奴、さっさと出てきなさい!」
彼女の声に応じて出てきた姿にラナは思わず声を上げた。
「なっ、アンタ!! ……っち、リーオ、なんかこそこそしてると思ったら、こういうことだったのね」
彼女の詰るような視線に僕は思わず目を逸らす。
僕自身、こうも上手くいくとは思っていなかった。
ただ、ここに来る可能性が最も高いということを予測したに過ぎないのだから。
物陰から出てきたのは、フードを身にまとった少女だった。
その瞳は、誰が見ても彼女が何者かわかるほどに――
――鮮やかな朱に染まっていた。