第十二話:訪問者
あれから数週間が経ち、この王都での生活にも僕たちは大分慣れてきた。
魔道具屋を営む老婆のロータスさんの家に滞在しているうちに、ラナのほうは魔道具作成の技術の基本を身に着けたようだ。ロータスさんもその覚えのよさには驚いていた。
ロータスさんの話によると、ラナには魔法の才能だけではなく魔道具をつくる才能もあるとのことだった。褒められたのは彼女だが、僕も自分のことのように嬉しかった。
そして今日、僕はラナと一緒に街に出てきていた。しばらくあの家に缶詰めになっていたラナだったが、ロータスさんからの指導も一段落ついたということで息抜きのために外に出てきたのだった。
今日も町は人でごった返しており、油断をするとはぐれそうになるほどだ。
「それにしても、ラナはすごいな」
「何がよ」
「もう魔道具が作れるようになったんだって?」
「別に、大したことじゃないわよ。言われた通りにしてただけだし」
「言われた通りに出来ることがすごいんだよ」
僕が褒めるも、彼女は複雑そうな表情をしている。
「嬉しくないの?」
「そうね。私今回はあんまり頑張らなかったから。頑張ったことが評価されたら嬉しいけど、そうじゃなければ嬉しくないわ。人から見た価値よりも自分の中での価値の方が大事でしょ」
「そういうものなんだろうか」
「そういうものよ」
それでも、傍から見ている限り彼女が頑張っていたと僕は思う。やったこともない操作を一から覚えなければいけなかったのだから。いくら魔法と関連性のあることだとはいえ、新しいものを覚えるというのには根気がいるものだ。
「でも、僕から見れば十分頑張っているように見えたけどね」
「……認めたら、そこで止まっちゃう気がするの」
「……偶には、立ち止まってもいいんじゃないかな」
気が付いたら、そう口にしていた。
僕の言葉を聞いた彼女は、驚いたようにこちらを見た。そして、僅かに口を動かすと、すぐにそっぽを向いてしまう。恐らく、感謝の言葉を言ってくれたのだろう。これはもはや定番となった彼女なりの照れ隠しの表現だ。
彼女は顔の向きを戻さずにそのまま話を切り出してきた。
「ねえ」
「なに?」
「あの人のこと、リーオはどう思う」
「あの人って、ロータスさんのこと?」
「ええ、そうよ。……私は最初からずっとどこか胡散臭いと思ってるんだけど。リーオはどう思ってるのか気になって」
そう言うラナの声色にはどこか力がなかった。
僕にはその理由がなんとなくわかる。あの事件の後彼女にとって信じられる人間は僕以外にいないのだ。だから彼女は欲しているのだろう、心を許せる相手を。
彼女がロータスさんを信じたがっていることが僕にはわかる。そして、その聡明さからあの人が何かを企図していることに感付いているということも。
本来ならば彼女の気持ちを慮った返答をするべきなのかもしれない。しかし、僕の嘘は彼女には通用しない。それならば、正直に話すべきだろう。
「確信はないけど、僕も同じことを思ってたよ」
「……そ、やっぱりね。リーオがそういうってことはそうなんでしょうね」
「信頼してくれてるんだね」
「ま、まあね。そりゃ付き合いが長いから」
そう言って少し照れたように彼女は頬をかく。
「ありがとう……でも、そんなに心配はしなくてもいいと思うよ。あの人は何かを企んではいるみたいだけど悪意とはまた違うみたいだ。ひとまずは信じてもいいんじゃないかと思う」
「……わかった」
「それに、魔道具の技術を教えてくれているのも事実だしね。向こうがこっちを利用する気なら、こっちも利用するだけだね」
「それもそうね……ありがとう」
「ん、どういたしまして」
殊勝な彼女の態度に物珍しさを感じながらも、とても茶化す気にはならなかった。
話しながら歩いていると、目的地にたどり着く。
目に入る看板に書かれている文字は「青と魚亭」。僕たちがこの街に来た初日に訪れ、騒動に巻き込まれた店の名前だ。
あの騒動以降、僕とラナはこの店に何度か訪れている。ラナは照れ臭いのかあまり乗り気ではないようなのだが、あのときの男たちが報復行為に出る可能性が否定できなかったため、様子見もかねて食事に行っているのだ。
扉を開けると客の入店を知らせるベルが鳴る。ちょうど食器を下げようとしていた青髪の少年――フィルが通りかかった。彼はこちらを見つけると目に見えて喜色を浮かべて挨拶をしてくる。
「あ! こんにちは、ラナさん、リーオさん! 今日も来てくださったんですね!」
「え、ええ」
「こんにちわ、フィル君。何か変わったことはない?」
「はい、お陰様で! ……あ、すみません、まずはこれを片付けてきますね。あちらの席が空いてますので、どうぞ」
そう言って彼は壁側の席を指さすと、頭を下げて厨房の方へと駆けていった。
頭から触覚のように伸びた髪の毛が動くたびにぴょこぴょこと揺れ動いている。
ラナは彼の働きぶりを見て、苦笑しながらも感嘆の声を上げる。
「……よくあの量の食器を抱えて走れるわね」
「慣れ、なんだろうね。ラナには難しそうだけど」
「リーオ、私に喧嘩売ってるの?」
「そんなことないよ。不器用なところも含めてラナのことが僕は好きだよ」
「……そんなこと言って丸め込もうとしても騙されないわよ」
不服なのかぶっきらぼうに言い放つラナだったが、その頬はほんのりと朱で染まっていた。
そういいながらもしっかりと丸め込まれている彼女の姿がどうしようもなく愛おしかった。
顔を背ける彼女の様子を面白げに見つめていると、振り返った彼女に小突かれる。容赦なく鳩尾を狙ったその拳を受け、僕は思わず呻きを漏らす。
「い、痛い」
「自業自得よ」
憤然とした様子で歩き出すラナ。
ドシドシと音がしそうな足取りで席へと向かっていき、腰を下ろした。僕も遅れてそれに続いていき、正面の席に座る。
「それにしても、いつ来てもこの店は繁盛してるよね。もちろん、今が昼時だからっていうのもあるだろうけど」
「料理もおいしいし、大通りに面していて立地もいい、繁盛しない理由がないわ」
「それに接客態度もいいしね」
この町に来てから他の店にも回ってきたが、多くの店の店員は不愛想だった。基本的に取引というのは対等の関係で行われるものであるからそれが間違っているわけではないとは思うが、丁寧な対応をしてくれる店に行きたいと思うのが人間の性ではないだろうか。
「ところでリーオ、例の連中について何かわかったことはないの? 私が頑張っている間にこそこそ外出してたみたいだけど」
「こそこそって……そうだね、いくつかそれらしい話は聞くことができたよ」
「本当?」
「うん」
こそこそしていたわけではないが、ラナが魔道具について学んでいる間に僕は街で情報収集をしていた。ロータスさんからは掃除を頼まれていたが、今となってはほとんどきれいになってしまった。毎日掃除やほかの家事も行ってはいるものの、空き時間が大量にあるのだ。
そんな中で、何もせずに時間を消費するわけにはいかない。
「いくつかわかったことがある。まず一つ目は、奴らの組織は教会から指名手配されているということだ」
「指名手配って……何の罪で?」
「フイアル教の高官を殺害した罪と複数の町を混乱に陥れた罪らしい。もっとも、プライアという名前は浸透していなかった。『仮面衆』って言われてるみたいだった」
「仮面衆? あの二人、仮面なんてしていたかしら?」
「あの時はしていなかったね、でも、あのゼエラっていう魔法使いのほうは腰に仮面を提げていたよ」
ラナが気づかないのも無理はないだろう。あまり目立たないところにあったから。
それに、あの時の彼女の状態では、そんなところにまで意識を向ける余裕はなかったはずだ。
「……全然気づかなかったわ。それで、私たちのアルネ村も被害に遭った町の一つってことかしら」
「そういうことになるのかな。二日前に聞き込みをしたとき、アルネ村をがなくなったことが伝わっていたみたいだった。市井では仮面衆の仕業だって噂になっているようだよ」
一週間の調査では他の犯人候補は挙がらなかった。それに、村を滅ぼせるような組織がそういくつもあるとは考えにくい。ゼエラと名乗った男は自分たちの仕業ではないと言っていたが、彼のことを信じる理由はない。
「それにしても、複数の村を混乱に陥れるって……そんなに大きい力をもつ組織なのかしらね」
「どうなんだろうね。ほとんど情報は出回っていないみたいだった。組織の規模も目的もわからない。一般にはただそういう危険な連中がいるってくらいの認識みたいだね」」
残念ながら、あまり多くの情報は望めないようだった。
それでも、人の集まるこの街ならば、探せばもっと集められるはずだ。
「……もっとも、あのときアルネ村にいたのは僕たちの出会った二人だけだったみたいだけど」
「決まったようなものじゃない。でも、何か引っかかるのよね。そもそも、あいつらが犯人だとしたら、一体何のために私たちの村を襲ったのかしら?」
「そうだね。それを知るためにも、もう少し調査する必要がありそうだね」
「じゃあ、任せるわね」
「……他人任せだね」
「適材適所よ。それに、私もロータスさんに聞いてみるわ」
「わかった。それはお願いするよ」
報告も終わり、僕たちは一呼吸置いた。
お互い収穫はあるようで安心した。
ふと、まだ注文をしていないことに思い立った。
「さてと、じゃあそろそろ注文しようか」
「そうね、私は――」
ラナが注文しようとフィル君を探し周囲を見回した時、誰かがこちらに歩み寄ってくるのが目に入った。
彼女は怪訝そうな顔をする。
「誰よ、あれ。リーオの知り合い?」
「違うよ。こっちにくるみたいだけど。誰だろうね」
二人の人影。白っぽい軽装に身を包み、腰に剣を携える壮年の男性と、白い修道服に身を包んだ女性。彼らの衣服にはフイアル教会の象徴である羽の生えた剣が刺繍されていた。
彼らはフイアル教の教会から来た人たちなのだろう。それも、それなりの地位にあると見える。というのも、フイアル教の修道服はその信者の階級によって分けられているのだ。通常の信者は灰色の修道服である。一方でこの二人が身にまとっている白の修道服の着用が許されているのは一部の高官だけなのだ。これは、白という色がフイアル教にとって最も重要な色とされていることと関係があるのだろう。
「おっす、そこの嬢ちゃんがラナちゃんだな」
「アレフ、失礼ですよ。見なさい、困らせてしまっているでしょう……すみません、私はフイアル中央教会のローラと申します。こちらの不躾な男がアレフです」
アレフと呼ばれた男性は金糸のような髪を腰まで伸ばしている女性――ローラによって諫められる。
その光景はまるで父親が娘に叱られているようにも見える。
僕は二人のやり取りにどこか親近感がわいたが、ラナは警戒したまま、二人から目を離そうとはしない。
「……いいけど、私に何の用かしら」
「貴女が先日この店で起こった騒動を収めたと聞きました。その際に魔法を使ったとのことですが、貴女の魔法の腕が今噂になっているのですよ」
「それで俺らはその真偽を確かめに来たってわけだ」
なるほど、この前の一件はそんなに大きくなっているのか。
少し軽率だったかもしれない。
そう後悔してみても、結局は彼女を止めることはできなかっただろうが。
「確かめてどうするつもりですか」
「ん? 兄ちゃんは、嬢ちゃんの連れか?」
「はい」
二人はラナに注いでいた視線を僕のほうへと移す。
その品定めするような視線に僕は居心地の悪さを感じる。
「そうか、単純な話だ。嬢ちゃんの腕が本当なら勧誘しようと思ってきたんだよ」
「勧誘ってフイアル教会にってことかしら」
「はい、そういうことになります。近年魔族との抗争が激化していることはご存知だと思います。我々としては戦力になりうる方を集めたいところなのです。特に魔法がよく扱える人材は稀少ですので」
そう語る彼女の表情にはとても嘘偽りはなさそうだ。
しかし、話からすると魔族との戦いのための戦力として起用したいというようにも聞こえる。
そんな危険な役目を初対面の相手に提案するのは果たしてどうなのだろうか。
ラナも同じことを考えているようで、あまりいい気分ではなさそうだ。
「……入ることで私にはどんなメリットがあるのかしら」
「一定以上の魔法の腕がある人は教会内での地位が保証されます。この世界においてフイアル教徒として認められることがどのような意味を持つのかは貴方もよくご存じでしょう」
フイアル教徒の高官として認められれば、無条件に尊敬の対象となる。それがこの世界における人間族の共通認識だ。ほとんどの人間はこの宗教を信仰しているし、その教義がそのまま道徳観に結びついているのだから当然だろう。
「……なるほどね。悪い話じゃないってわけか」
そう言ってラナは考えるふりをする。
彼女の言う通り、決して悪い話ではない。
むしろ、破格の待遇ともいえるだろう。魔法が使える、ただそれだけでエリートとして組織での地位が保証される。通常であれば実力があったとしても、信頼を得るのに時間が必要なものだ。
きっと、それだけ人間族の置かれている状況は芳しくないのだろう。
僕はそう推測した。
「どうだ?」
「……悪いけど、断らせてもらうわ」
「そうですか……理由を伺っても?」
彼女の拒絶に、意外にも女性には驚く様子がなかった。
むしろ、ラナがそう答えることを予想していたようにも思える。
「私たちにはやることがある。だからここに留まるわけにはいかないわ」
「……そうですか、それでは仕方がないですね」
「あ? そんなにあっさりひいていいのか、ローラ。遠征を控えている今の状況なら少しでも戦力は多いほうがいいと思うが」
「アレフ、本人が乗り気ではないのならば無理強いはさせられませんよ……ラナさん、いつでも私たちはお待ちしております。気が変わりましたらそのときはフイアル中央教会をお訪ねください。我々はいつでもあなたのお力添えを期待しておりますので」
そう言ってローラさんは優雅に笑みを浮かべる。
同時に「そして」と僕の方に視線を移して続ける。
「そちらのお連れさんも、フイアル様を信じたくなったらいつでもどうぞ」
僕はその言葉に不意を突かれた。
どうやら、僕がこの世界の宗教に疑念を抱いていたことを見破られたようだ。表情に出ていたのだろうか。僕はほとんど会話には入っていないのだが。
そんな僕の心情をよそに、二人は自らの両手を組むと深々とお辞儀をした。
その仕草は今までに見た誰よりも様になっていた。
『白い御身に、フイアル様の祝福を』
声を合わせて決まり文句を言い終えた二人は、踵を返して店から姿を消した。
彼らがいなくなったのを横目で確認すると、ラナは溜息を吐いた。
「まったく、いきなり何なのよ……」
「フイアル教会……か」
「どことなく胡散臭いわよね。それにあの女、読心魔法を使ってきたわ。礼儀正しく振舞ってはいたけど。いい性格してるわね」
どうやら、僕が気づかなかっただけで水面下の戦いが行われていたようだ。
しかし、読心魔法か。
つくづく魔法というのは反則なのではないかと僕は思う。
「たぶん、ラナを試したんだと思うよ。本当に噂通りの実力があるのか。あの男の人もそんなこと言ってたし。読心魔法を防ぐだけの魔法を使えるのかってことだろうね」
「もしかして、面倒くさい連中に目を付けられちゃったかしら」
「かもしれないね」
「気を付けた方がいい……か。まったく、とんだ邪魔が入ったわね……まあいいわ。それより、お腹がすいた。さっさと注文しましょうか」
注文をしようと再びラナはフィル君を探す。すると、彼は僕たちのテーブルのすぐ側に既に立っていた。それを見つけるとラナは「うわ」と驚いて声を上げる。
そんな彼女の声にも反応せずに彼は放心状態になっていた。
「びっくりするじゃない……何ぼんやりと突っ立ってるのよ!」
「……ごいです」
「え?」
「すごいことですよ! ラナさん! 今の中央教会のアレフさんとローラさんですよ!!」
「……うるさいわね。だからどうしたのよ。あいつらそんなに偉いの?」
ラナの言葉にフィル君は信じられないとばかりに目を丸くする。
そして、先ほどよりもより一層勢いを増してラナに畳みかける。
「ま、まさか知らないんですか!? ローラ様はフイアル教会公認の四聖人の一人ですし、アレフ様は唯一、英雄の称号を与えられている聖騎士なんですよ! 偉いなんてものじゃありませんよ!」
「その聖人とか英雄って何ですか?」
「え、もしかしてお二人はそれも知らないんですか? あ、失礼ですよね、すみません」
興奮混じりに思わず口を吐いて出てしまったようだ。
自分の発言にハッとしたように口を抑えるフィル君。
しかし、彼に悪気がないことはよくわかっているので特に不快感は覚えない。
「大丈夫だよ。それより、教えてもらってもいいかな」
「はい、もちろんです! 聖人と英雄はフイアル教会が定める称号ですよ。聖人というのは教王様が行う『選聖の儀』で選ばれた人だけがなれる一時代に四人しかいない存在なんです。一方で英雄の称号はアレフ様だけに名乗ることが許されているものなんです。アレフ様の二十年前の人魔大戦での活躍が認められて教王様が与えたものなんです」
つまり、言ってしまえば、彼らの教会におけるヒエラルキーは教王と呼ばれるトップの次に位置しているというわけか。
というか、そんな要人が護衛もつけずに外を出歩いてもいいものなのか。
おそらく、それだけ自分たちの力に自信があるのだろうが。
「へえ、さっきの二人は結構すごい奴だったってわけね」
「すごいなんてものじゃないですよ!! どうしてお誘いを断っちゃったんですか!」
「私にはやることがあるのよ。安泰な地位なんて望んでないの」
「……でも、勿体ないです」
「いいのよ。そういうの面倒だし」
ラナが冗談ではなくそう言っていることを見て取ったのか、それ以上の食い下がろうとはしなかった。もっとも、納得がいかないのか複雑そうな表情を浮かべてはいたが。
そして、ラナに催促するような目にはっと気が付くと、慌てて注文を尋ねてきた。
僕とラナはいつものように手早く注文を済ませると、料理ができるまでの間雑談を再開させた。
話題はもっぱら先ほどの二人組についてではあったが、それ以外にも気になっていた話は幾つかあった。
そのうちの一つが、街に流れているある噂のことだった。
「ラナ、そういえば一つ気になっている話があるんだ」
僕は話を切り出した。