1.
あるところに、とても美しい少年がおりました。
神に愛された天使のような、それはそれは麗しい美貌の少年です。このまま成長すればきっと国一の魅力的な青年になるだろう、そんな少年の噂を、とある魔女が聞き留めました。
それほど美しいとはどれだけだろうと興味を持った魔女は、一目少年を見てみようと興味本位で足を伸ばします。そして——その心を、囚われてしまったのです。
*** *** ***
木の芽が膨らんで来た、雪解けの頃のことだ。
「わたくしに縁談?」
きょとりと目を瞬いたローナに父であるラグナード子爵は鷹揚と頷いた。
「あぁ、随分と前になるが世話になった青年でね。家柄も人柄も、勿論資産も文句がない」
「それは……」
随分、話が出来すぎているような。
ローナの物言いたげな表情に気がついたのか、子爵は笑みを浮かべた。にっこりとしたその笑みは「懐柔」しようとするものだとローナは知っている。
(なにを隠していらっしゃるの?)
ローナは取り立てた欠点はないが、特別魅力的なところもない普通の娘である。亜麻色の髪にヘーゼルの瞳。容姿は悪いと言われたことはないが特別良くもなく、家も普通の田舎子爵家。いくら親の欲目があろうと、父であるラグナード子爵はきちんとその客観的な事実を理解しているはずだ。それに今は事情が事情である。
「お父様」
「そう焦るな。……本当に素晴らしい青年であることは間違いないんだよ」
穏やかな、言い含めるような口調でラグナード子爵は手を組んだ。
「早くに母親を亡くしてお前には苦労をかけたと思うが、だからこそ大切に大切に育ててきた。お前を誰より幸せにしたいという気持ちに嘘偽りはない」
「それは勿論わかっております」
父の愛情は疑いようがない。強かなところのある父だが、ローナは確かに父を愛し、父に愛されている。
「——だからこそ、あんなやつにお前を嫁がせるわけにはいかないんだ」
苦々しげでありながらきっぱりとした子爵の言葉に、ローナは困ったように眉を下げた。
ローナには以前から、ひとつの縁談が申し入れられていた。
もう、3年も前の話になるか。この国で結婚が許される15歳の誕生日きっかりに申し入れられたそれは15も年上の男性、アウザー伯爵によるものだ。一目でローナを見初めたのだと言い募るアウザー伯爵を、父である子爵はやんわりと、しかしきっぱり跳ね除けた。ローナはそこのところをあまりよく知らない。ただ、父のお眼鏡には適わなかったということらしい。しかしそれでも伯爵は諦めず、それどころか——自分はローナに求婚しているのだと公言し、他に求婚者が近寄りがたい状況を作り出した。将来の相手を決める大切な時期に、アウザー伯爵はローナから他の選択肢を半ば無理やり排除したのだ。
どんなに目障りであろうが子爵も格上の伯爵家相手では強気に出られず、だからといって大人しく受ける気もない。そもそもローナを見初めたというが、ローナに伯爵と顔を合わせた記憶はないのだ。まだ何か政略的な意味合いがあるというなら納得もいったが、伯爵にローナと結婚することによって得る利益は皆無と言っても問題ない。だからこそ、ますます得体が知れなかった。
そんなわけで、のらりくらりと求婚を躱し続けて早3年。ローナも18となり、いい加減嫁ぎ遅れという限界が目の前に迫って来ていたものの、ちょうどいい相手は見つからず——そんな折での、縁談である。
(訳ありじゃない訳がない)
そもそも、もっと早くにこの縁談が結ばれなかった時点でお察しである。この強かな父がちょうどいい断り文句になる縁談をみすみす放置しておくはずがない。
「お相手はお前の事情も分かったうえで、それも含めて受け入れると言ってくださっている。本当に素晴らしい青年なんだ、本来ならうちのような子爵家なんて相手にもされないような……」
ますます怪しい。条件が良すぎて怖いくらいだ。ローナは視線をさまよわせる父を真っ直ぐと見据えた。
「お父様、お話はわかりました。でもそうだということはやはり、お相手にも訳があるわけでしょう? それをお聞かせくださいませ」
きっぱりと言い切ったローナに、少し躊躇うように子爵は口篭る。
「……本当に、私はお前が幸せになれると思っているからこそこの縁談を持ってきたわけだからな?」
「重々承知しておりますわ」
ローナが頷けば、やっと子爵は本題を切り出すことを決めたようだった。ローナは一言も聞き逃さないよう、固唾を飲んで父の声を待つ。
「縁談の相手は、テオドール・ディセル。お前も知っているだろう? ——ディセル伯爵、巷でいう、“化け物伯爵”だよ」
ディセル伯爵といえばこの国に知らぬ者はいない。何せ魔女に呪われた化け物伯爵。魔女に呪われた彼の姿は信じがたいことに「透明」で誰の目にも見えないのだという。そう、透明人間だ。
それなのに何故存在が認知されているのかといえば、見えないけれどいる——つまりは触れられるのだ。物に触れることもできるから、服を着ることもできる。つまりは服が宙に浮き勝手に動いているように見える状態らしいのだが——そこに何かがいると判断するには十分である。
(とはいえ、わたくしも噂だけで直接お会いしたことはないのだけれど)
ローナは驚愕しつつも、冷静に思考を働かせる。
確か、年はローナより3つうえの21歳。若くして伯爵位をついだ人だから、身分としてはこちらが格下となるが確かに釣り合いはとれなくもない。
しかし問題は、噂の方だ。伯爵に対する噂は多岐にわたる。人を食べるだなんてものから、触れれば呪われるというものまで。それら全てはおどろおどろしいもので、そんな話が貴婦人たちの口に乗った際には恐ろしいと身を震わせるまでがお約束だ。そんな相手と結婚なんて、話を聞いただけで卒倒ものだろう。だけれど。
(お父様がわたくしに話をもってこられたということは、全て与太話なのね)
ローナはすとんと納得した。
少し考えてみれば透明人間なんているわけがない。噂とは真実を核に大袈裟に作られていくものである。
(でも、それならどうして透明人間なんてことになったのかしら……)
きっと父が口籠る原因はそこなのだろう。どんな「訳」があるのか。ローナは息を飲んで父の言葉を待つ。しかし子爵は黙ったままだ。
「……あの、お父様? それだけですか?」
「は?」
ローナの言葉に、子爵がぽかんとした。
「いや、だから、相手はディセル伯爵だと」
「ええっと……ディセル伯爵だということはわかりましたが、それだけ?」
沈黙が落ちた。
「……ローナ、ディセル伯爵の噂は知っているか?」
「え? はい、それはもちろん」
また、沈黙。
「いや、だから彼はその……透明、なんだよ?」
「はい、それは既に——えええええっ!? 透明!? 本当に!?」
「本当に知らなかったのか!?」
面食らったような子爵に、ローナはぶんぶんと首を横に振る。
「し、知っておりますわ。でもまさか本当に? 本当の本当に?」
「本当に本当だ」
「人を食べるだとか触れたら呪われるとか!?」
「それは嘘だ!」
「そ、うですか」
ちょっと安心した。
(透明……ま、まさか本当だなんて)
なるほど、父が躊躇うわけだ。本当に「化け物」なのだから。
(でも……)
黙り込んだローナに子爵が、ゆっくりと口を開く。
「……どうしても駄目だと思ったのなら、私も無理強いするつもりはない。私はお前に幸せになってもらいたいんだ」
「——お父様」
父の愛情に、ローナはきゅっと膝の上で合わせた拳を握りしめる。
(でも、他に選択肢なんてないのでしょう?)
ローナの前に出された選択肢は二つ。ずっと求婚してきている伯爵を受け入れるか、この「化け物伯爵」との縁談を受けるか。
(それなら——)
真っ直ぐと父を見上げて、ローナは小さく微笑んだ。
「……お父様がそれでもと思うほど素敵な方なのでしょう? でしたら、わたくしはそれを信じるまでですわ」
大丈夫、幸せになれるかどうかは、全てローナの心がけ次第。
ローナは、にこりと微笑んだ。
「その縁談、お受けいたします」
ローナ・ラグナード、18の春のことである。