2話 君に決めた!
学校から徒歩15分。
田畑を越えたちょっとした丘の上にポツンと古い書院造りの住居が防風林に囲まれ、構えている。
早々と部活を切り上げた葵 月夜は、なだらかな丘へ通じる道路を上ると屋敷の通用門をくぐり中へ入っていく。
本宅の大きな引き戸式の玄関を開けながら声をかける。
「ただいまーー」
靴を脱いで廊下に出るとパタパタと奥から音がする。
「おかえり! 今日は早かったね!」
髪をまとめた40代ぐらいだろうか、若く見える女性が声をかけたきた。
葵はその姿を認めるとニヤリとほくそ笑む。
「お母さま戻りました。お父さまは?」
「部屋にこもってる。書いてる小説が行き詰ったみたいね」
いつもの調子で葵の母は答える。
「ところでお母さま。もう一度、高校生になってみないかな?」
「は!? 何言ってんの月夜?」
娘のいきなりな物言いに母の思考が一瞬止まる。
「お母さまは体が細いからまだ制服が似合うよ! きっと!」
「えっ…そ、そうかな? そりゃ、まだ若いつもりだし」
「さすがにほうれい線とか小じわは誤魔化しがきかないけどイケるって!」
ノリかけていた母に余計な事を口走る月夜。みるみる母の顔が赤くなる。
ハッと気がついて口に手を当てる月夜に母はつかみかかり、間近に顔を寄せる。
「つ・き・よ~。明日、みっちり朝稽古してあげるから道場に集合!」
「い、いや、お母さま、これには訳が…」
広い住居の一角に空手道場があり、師範代の母がたまに近所の子供に教えていた。
当然、葵家の娘たちは幼い頃から母に鍛えられていたのだ。身内に厳しい母の稽古は壮絶で、妹は早々に逃げてしまった。
残った月夜は続けていたため黒帯になり、中2の時は全国大会で優勝もしていた。
冷や汗で言い訳をしようとする月夜を母は一言さえぎる。
「集合!」
「はいっ!」
「よし!」
手を離すと鬼の微笑みを月夜に見せ、居間へとパタパタと戻って行った。
母の後ろ姿を見送って計画が失敗したことに、はぁーっと息を吐き出した月夜は、次のターゲットの元へと廊下を歩いて向うことにした。
問題の部屋の前に着き、ふすまをノックしようと身構える前に中から声が聞こえた。
「あたしはいないからね! わかった? お姉ちゃん!」
「そんな事言わないでくれよ~。大好きなお姉ちゃんが来たんだよ?」
「嘘言うな! 嫌いだもん! またあたしを利用する気ね!?」
「そんなことないって! ちょっとお姉ちゃんの話を聞いて欲しいだけ!」
「イヤ! 絶対になにかさせる気だよ!」
思った以上に拒絶され月夜はショックを受ける。
あんなに昔はお姉ちゃん、お姉ちゃんって言ってたのに……。
ふすまに額をつけて葵は一言漏らす。
「小松忠司…」
するとふすまがスーッと開き、ポニーテールをした月夜の妹が顔を出した。
「なんで知ってるの!?」
驚きの顔には、なんで姉がわたしの気になる人の名前を知っているのと書いてあった。
ちなみに小松はサッカー部のレギュラーで同級生の女子には大人気だ。
月夜はニヤリとするとスカートのポケットから紙片を取り出し妹にピッと見せる。
きっとその紙には、小松に関わる情報が記入されているに違いない。
「話を聞く気になった?」
「……入っていいよ」
妹の顔が引っ込み、月夜はふすまを開け中へと入って行った。
「それで? 何?」
ベッドに腰かけた妹の海が目の前の月夜を見上げる。
「……これに名前を記入して欲しいんだけど」
月夜はカバンから1枚の紙を取り出し学習机の上に置く。
いぶかしげに眉をひそめて妹の海がベッドから机横のイスに移ると紙を手に取る。
「んー? 入部届?」
「そう! カワイイ妹に我が部に入って欲しくて!」
「中等部が高校の部活に入れるわけないでしょ!」
海がバンと机を叩く!
ここは正念場と月夜は膝立ちになって妹の手を取る。
「頼むよ…。もう頼れるのは海だけなんだ。名前さえ書いてもらえれば幽霊部員でかまわないから。あと一人足りないんだ!」
「なにその詐欺みたいな誘い方」
膨れた海は姉の手を離して腕を組んだ。どうやらご立腹らしい。
姉を睨みつけた海はスッと手を出す。
「先にさっきの紙をちょうだい」
む、と月夜は戸惑う。
「ちゃっちゃと書いてくれれば渡すから。な?」
「むぉおおおおー。これが最後だかんね! あと、その部活には絶対に行かないから!」
怒りながらも海はペンを取ると名前を書き始める。
「わかってるって」
満面の笑みで月夜は頷く。
書き終わった海が黙って入部届を差し出すと、受け取った月夜は代わりに紙片を妹の手に収めた。
「後でゆっくり読んで。ありがとう助かったよ! さすが我が妹!」
立ち上がった月夜は妹をギューッと抱きしめると、入部届の紙をヒラヒラさせながら部屋を出て行った。
「もう……。ホント、バカ姉ちゃん……」
海はため息をついて手に残っている紙片を見つめた。
妹の部屋から出た月夜はふすまを丁寧に閉めるとダッシュで廊下を走り出す!
「姉ちゃん!! なにこれ!? 小松君に彼女ありって書いてあんじゃん! 嘘ついたのね!」
バン! とふすまが開いて、もの凄い形相の妹が追いかけてくる!
「嘘は言ってないぞ! 海が奥手なのが悪いんだ! わたしは悪くない!」
「キーーー! うっさい! クソ姉貴! 待ちなさいよ! 入部届をビリビリにしてやるんだから!」
金切り声を上げて迫って来る妹に恐怖を感じながらも月夜は家中を逃げ回った。
──2分後、怒りの母により姉妹は頭にたんこぶを作り、並んで正座をさせられていた。
翌日。
予告通りキツイ朝稽古で身体中にあざができた月夜は、痛む体を引きずりながら学校に登校すると職員室のみどり先生の元へ直行した。
入部届を受け取った岡山みどりは眉をひそめた。
「これって妹さんだよね?」
「そうですけど。なにか?」
自信満々の月夜にみどり先生は混乱した。
「えっと、妹さんは高校1年生?」
「いえ。中学3年です」
「……」
もうなんて言ったらいいのか…。呆れたみどり先生が可哀そうな目で月夜を見た。
「ミドリちゃんは勘違いしているかもしれないけど、規則に中等部の生徒を含めては駄目だとは書いてなったから。よって本日から妹の海は地底探検部の部員になりました!」
「確かに書いてないけどわかるでしょ? 中学は中学の部活、高校は高校の部活なのよ、普通は」
「もはや地底人がいる時点で普通じゃないでしょ? ミドリちゃん」
勝ち誇ったような月夜にみどり先生はため息をついた。口ではこの子には勝てない……私ってダメ教師。
「とりあえず受け取るけど、教頭先生に何か言われたら取り消しだからね?」
「オッケー! ありがとうミドリちゃん!」
笑顔の月夜は感謝の意でみどり先生をギュッと抱きしめる。
座った体制だとモロに月夜の胸に顔をうずめる格好になったみどり先生は、この発育の良い胸が羨ましいとすねた。
そして入部届は何故かすんなりと受理され、地底探検部の存続は決定した。