199話 もう家族だよ!
バイトを上がった冬草 雪は、白い息をマスクからモワモワと出しながら喫茶店を後にした。
雪はすっかり道の端へ追いやられ、ちょっとした白い土手をつくっていた。駅付近はこうして整備されているが、一歩脇道にそれるとまだ路面は雪におおわれている。
特に意識もせずになるべく雪のない所を歩いていく。二度目の冬を迎えて冬草はなれたものだなと胸でつぶやいた。
駅の反対側にあるマク○ナルドに入ると窓際に座る秋風 紅葉に声をかけた。
「待たせたな」
「全然。雪と会えるからね」
にこっと微笑んだ秋風はスマホをバッグにしまう。テーブルの上にはホットドリンクがちょこんとひとつ載っていた。
照れた冬草は視線をそらしながら秋風の隣に座った。
「なにか注文してくる?」
「いや、紅葉が飲み終わるのを待って出るから」
「じゃあ残りはあげる。飲んで」
そっと差し出されたカップを冬草は受け取る。中身は黒い液体…コーヒーのようで触れた紙の容器は熱くはなかった。
じっとコーヒーを見つめた冬草は一気に喉に流し込む。予想通り飲みやすくなっていたが、砂糖は入っていなかった。いわゆるブラックだ。
眉をしかめ、苦そうな顔をする冬草を見て秋風がクスクス笑う。
「最初に味見してから砂糖とか入れたらいいのに」
「めんどくせーの!」
「可愛い」
「どんな感想なんだよ!? どうやったら可愛いになるんだ!?」
「そういうところ」
クスクス笑う秋風。これは何を言ってもだめだと諦めた冬草は飲み干したカップを手に持ち立ち上がる。
「じゃ、行くぞ」
「そうね。楽しみだね鍋パーティー」
席から立った秋風は冬草の腕に抱きつき並んで歩き始めた。
二人が向かう先は冬草の住む借家だ。
早い夜が訪れ空は薄暗くなってきているが、あちこちにある雪が月の光を反射してさほど暗く感じない。
道すがら冬草が心配そうに聞いてきた。
「紅葉の母さんは大丈夫なのか? 連絡したのか?」
「問題ないよ。ちゃんとひとりで行けたみたいだし。さっき着いたってL○NEにきてた」
「ならよかったけど、うちで良かったのかなぁ……」
「いいじゃん。母も楽しみにしてたし、雪のママさんとも話したがってたから心配しないで」
「そっか。ママも大丈夫かなぁ……」
「ママさんが大切なのはわかるけど、私も大事にしてよね」
ぎゅっと抱きつく腕に力を込める秋風に冬草が苦笑する。しかたないので空いた片手で秋風の頭をなでなでした。
そうして家に着く頃にはすっかり空は暗くなっていた。
窓から明かりの漏れる家を確認すると二人は玄関へと向かった。
「ただいまー」
「おじゃましまーす」
冬草と秋風が玄関で靴を脱ぎながら声をかけると台所のある奥から反応があった。
パタパタとスリッパを鳴らして冬草の母が出てきた。
「雪ちゃんお帰りー。紅葉ちゃんもお疲れ様。外は寒かったでしょリビングで暖まって。紅葉ちゃんのお母さんも先ほど見えて少し話していたのよ。ふふふ。地元の方なのにとっても寒いのが苦手なんですって。それで──」
「ママっ! ちょっと待って! 後で聞くから!」
慌てた冬草が母の話を止める。このままだと玄関で二、三十分は続きそうだ。せっかく家に着いたのにいつまでも入れなくなってしまう。
クスクス笑う秋風と母親をまとめて冬草はリビングに向かった。
リビングではソファーに埋まるように秋風の母が縮こまってブランケットに身を包んでいた。
「母さんてば!」
今度は秋風が母親に向かうと隣に座った。
「そんなに寒いの? この部屋はエアコンが効いてるから快適だけど」
「……このブランケットがもふもふで気持ちがいい」
「あきれた!」
寒いというよりブランケットの肌触りが良かったようだ。かなり気に入ったようでブランケットを頬ずりしている。
そんな母親に呆れた秋風は冬草の母を見た。
「ちょうど寒そうにしてたから渡したの。うちではあまり使わないし。とっても喜んでもらえて私も嬉しいわ〜」
楽しそうに語る冬草の母に秋風は突っ込むのやめた。
母親同士なにか通じるところがあるのか仲が良さそうだし、放っておいたほうが無難だ。
すると何かを思い出したかのように冬草の母が両手を打った。
「あ! そうそう! 鍋の準備ができてるわよ。雪ちゃんたちも手伝ってもらっていい?」
「わかった。行こうぜ紅葉」
応えた冬草は秋風の手を引いて台所へと向かった。
台所のコンロの上には土鍋が置かれ、ふたにある小さな穴から水蒸気に乗って煮込む音が出ている。
机の上には人数分の皿やおつまみなどのちょっとした品が用意してある。
「あたいもバイト行く前にママを手伝ってたんだ。冷蔵庫に追加用の肉とかあるぞ」
「へ〜さすがね。雪って細かい所に気がつくからママさんも安心ね」
「ほめても何も出ないからな?」
「ふふ。ちゃんと後でもらうから」
「何を?」
「んふふふ」
「おい!?」
「早く準備しましょ。母さんたちもお腹空かせてるし」
うまく流された冬草は卓上用のカセットコンロを取り出し、秋風は火を止め鍋つかみの手袋を両手にはめると鍋を持った。
二人は居間へ向かい用意を始める。冬草の母も加わってテキパキと続けてあっという間に終わった。
リビングではカセットコンロに載った鍋がぐつぐつと野菜や肉が揺れている。
「それじゃあ皆さんが揃ったことだし、いただきましょう!」
冬草の母の言葉で皆がいただきますをして鍋パーティーが始まった。
鍋は冬草の母が作った特製ちゃんこだ。
昆布だしが効いた醤油ベースの汁の中には豚肉や鶏肉、肉団子が潜んで野菜類がくたくたになって上に載っている。白い豆腐も熱と汁を吸ってうまそうだ。エビやホタテなども入って豪華な鍋だ。
それぞれが取り分け用お玉ですくって食べ始める。
冬草は肉ばかり取っているので、隣にいる秋風が野菜を追加して嫌な目で見られていた。そんな秋風はバランス良く取っている。
二人の母は野菜中心でたまに肉を食していた。
熱々の具材は体の芯から温まる。まさに寒い季節ならではの幸せが胃に満たされていく。
自然と四人の会話がはずみパーティーは進んでいった。
そんな中、冬草の母が差し込んできた。
「ちょっといいかしら? 紅葉ちゃんが留学しにフランスへ行った後、お母さんひとりになって寂しくなると私思ったんだけどどうかしら?」
「う、うーん。確かに娘が出たら寂しいけど……」
「でしょ? お仕事も大変だし家でもひとりだと絶対に辛いと思うの。私もひとり親だからなんとなくわかるわ」
「そう、かな?」
急な話に戸惑う秋風の母。娘が留学することを応援するばかりで自分自身については考えてなかったようだ。
そう言われると今まで娘がいたからこそ頑張ってこられた部分もあって、一人になったときにどうなるのかはわからない。
はっと気がついて目を合わせた秋風の母に冬草の母は優しく微笑んだ。
「そこでね、私たちの借りてるこの家って部屋が余っているのよ。もしよければ紅葉ちゃんが留学している間はここに一緒に暮すのはどうかしら? もっと私と雪ちゃんとも仲良くなると思うの」
「ふぁ?」
突然の提案に秋風の母の思考は停止してしまったようだ。そんなこと初めて聞いた冬草も同様に目を丸くしている。
そこに娘の秋風が口を挟んだ。
「母さん。実は前から雪のママさんと話してたんだ。私がいないときに母さんを助けてほしいって。そうしたらママさんが提案してくれたわけ。私も母さんが一緒に住んでもらえたら安心だよ」
「紅葉……」
「とっても親思いのいい娘さんね。雪ちゃんも親バカだけど紅葉ちゃんも負けずにとてもすばらしいわ。このこと考えてもらっていい? まだ時間もあるし返事はいつでもいいわ」
冬草の母が続ける。
二人を見た秋風の母は深く息を吐き出した。
娘の恋人の母親を紹介してもらってもう一年近くだ。最初は挨拶程度だったのに、いつの間にか互いの家へ訪れるような関係になっていた。
東京から来たのにまったく都会風な物言いはないし、親子二人で支え合って生活している様子はとても応援したくなる。
そんな人たちからここまで自分のことを考えてもらえて秋風の母はジーンとした。
冬草の母の目を見つめた秋風の母は首を振った。
「とても嬉しい提案だけどお断りします」
「そう……残念」
「母さん!?」
落胆した冬草の母と驚いた秋風が声をあげる。そんな二人をニコリと秋風の母が笑う。
「かわりに二人が私の家に来て。幸い部屋も空いているし、紅葉と二人だと持て余してるの。これならいいでしょ?」
「そんな。それだと悪いわ」
「母さん!」
逆提案に驚いた二人だが、秋風は明るい顔で反対に冬草の母は困惑している。
「こんなふうにしてもらえて、とても嬉しい。でも冬草さんは借家だからいろいろとお金がかかるでしょ? うちなら節約できるし遠慮もいらないから気が楽よ」
「それでも負担になるわ。雪ちゃん暴れるし、私もパートで忙しいから」
「ふふ、大丈夫。さっきは自分で言ってたでしょ仲良くなりたいって、私も同じ。だから遠慮しないで」
「そうね、母さんの言う通り! ママさんもそうしたら? 結局どちらかの家に行くんだったら母さんの家のほうが後々楽だと思う」
「紅葉ちゃん……」
「そうしましょう。ね?」
いつの間にか言い出した冬草の母の逆パターンになっているようだ。自分のところに来てもらうことばかり考えていた冬草の母だったが、聞いているうちにそうなのかもと思い始めた。
秋風親子の説得にやがて首を縦に振る冬草の母。強引に物事を進める秋風の母と押しに弱い冬草の母。さすが親だけあって娘とそっくりだ。
秋風の母は笑顔で改めてよろしくと挨拶していた。
あとは和やかにこれからのことを話し合いつつ鍋をつつき合うのであった。
しかし、ひとり取り残されたのは冬草だった。
以前からママが秋風の母のことについて心配しているのを知っていたが、ここまで考えているなんてつゆ知らずだった。
さらに気がつくと秋風家に居候というか同居することになっていた。
ママがさらっと暴力的な感じに言っていたことをツッコミ忘れ、ポカンと三人の様子を眺めていた冬草。
嬉しそうに秋風が抱きついて頬にキスをしてきた。
目の前で笑う冬草と秋風の両母を見て、これはこれでいいかなと思った。
将来、家族になるのだから早いか遅いかの違いだ。
ふっと微笑んだ冬草は鍋のやわらかそうな豚肉に箸をのばした。