198話 母は知りたい!
寒い道場での空手の朝練が終わった葵 月夜は、冷えた体をジャージに着替えて居間でゴロゴロしていた。
暖房の効いている居間はほかほかで暖かい。
ついでにホカホカのココアも作って朝食までの時間をのんびりと堪能していた。
手に持つスマホの画面には、ギャルがポーズを決めているコーディネート写真が映っている。
冬コーデを眺めつつ、自分の持っている服を頭に浮かべるがどれもしっくりこない。
ふと月夜は思った。圧倒的に足りないのだ。ギャル服が。
よくよく考えてみると家ではジャージだ。なんならご近所へ行くのもジャージ。
人に会うときは気合を入れてギャル服だが、そうでないときはジャージが私服のようになっている。
そういえばと月夜は思い出した。
夏野 空に「先輩はもっと普通の服を着た方がいい」と散々言われていたことを。きっとそれはジャージを卒業しろということに違いない。
確かにイケてるギャルは部屋着にもこもこのアニマルルームウェアを装備している。
だが、と月夜は考えた。
小柄で可愛いからもこもこルームウェアが似合うが、身長の高い私はどうだろうか? と。
そんなどうでもいい思考をしているところで玄関の呼び鈴が鳴った。
こんなに朝早くから誰だと月夜が玄関へ向かう。古い家なのでモニター付きのドアホンはないので。
ガラガラと玄関の引き戸を開けると、そこには倉井 最中がボストンバックを両手に持って寒そうに立っていた。
「おはようございます」
「最中君! おはよう。今日はどうしたんだね?」
「えっと、海さんから聞いてませんか? しばらくお世話になるんですけど……」
「そうか。そうだったのか。いやいやお姉ちゃんは何も聞いてないけど問題ないぞ。そ、外は寒いから早く中へ入って暖まるがいい」
「はい」
愛する妹に何も知らされていない月夜は、動揺を隠しもせず倉井を居間へと案内した。相変わらずの姉に対する塩対応の妹に倉井は苦笑していた。
どうやら倉井は冬休みのあいだ泊まるようだ。
ちょっとは教えてくれてもいいのにとブツブツ言いながら月夜は倉井にもココアを作って差し出した。
上着を脱いで落ち着いた倉井は、お礼を言ってホカホカなココアが入ったコップを両手で包むように持つ。
すすったココアが体に暖かさが流れていく。甘い味が朝の頭に染み渡り、冷えた脳が活動を始めた。
「海さんは?」
「うむ、まだ寝ているよ。最中君は知っていると思うが、かわいい妹は朝が弱いのだ」
「そうだった」
クスクス笑う倉井と月夜。二人はココアに口をつけた。
しばらく二人はソファーに座ってまったりしていたが、時計を見た月夜が立ち上がった。
「そろそろ朝食の準備をしてくるから、最中君はゆっくりしててくれ」
「あ、わたしも手伝う!」
慌てて立ち上がった倉井は月夜の後をついて行った。
台所から鰹節と醤油の匂いが立ち込めてくる頃、妹の葵 海と母が起きて出てきた。
「おはよ〜って、最中がいる!」
「あ、おはよう海さん」
ちょうど倉井がテーブルに朝食を並べているところに海がやってきて驚いている。
にこりと微笑む倉井にぼさぼさ髪の海は、恥ずかしくなって慌てて手櫛で整え始めた。
「おはよう。ちなみにお姉ちゃんもここにいるよ」
「ははよー。母もいるけどね」
おいてけぼりの月夜と母がすねたように続ける。
朝食の準備ができたところで倉井も含めていただきますをする。父は小説作業で徹夜だったらしく部屋で寝ているようだ。
ほかほかご飯に目玉焼き。おかずのシャケの切り身と小鉢に刻んだオクラが入った納豆に豚汁。漬物の入った壺が真ん中に置いてある。
シャケをほぐして食べ始めた海が残念そうにつぶやく。
「今日は和食かぁー」
「ははは。可愛い海は洋食の方が好きだからな」
笑う月夜を海がキッとにらむ。と、倉井が首をかしげた。
「そうなの?」
「ち、違うから! どっちも好きだし、今はなんとなくお魚の気持ちじゃなかったから! お肉の気持ちだったの!」
「ふふふ」
「なによー。最中も笑ってないでちょっとはフォローしてよー!」
もぐもぐしながらプンスカする海は、朝イチから倉井にはボサ髪を見られて良いところなしだ。
そんな海が可愛いと倉井は笑う。母と月夜も温かい目で見守っていた。
豚汁を飲み干した母が月夜に聞いてきた。
「そういえば夏野さんはこないの?」
「なぜ空君の話が? 確か今日はバイトのはずだから来ないし」
「そうなの? じゃあバイトが終わったら呼んでみたら?」
「お母様の考えが不明だな。空君が暇だったら誘ってみてもかまわないが……」
「じゃあそうしなよ。きっとあの子も喜ぶでしょ」
「むむ。喜んでもらえるなら連絡するのもやぶさかではないが…」
やたらと母の夏野 空推しに眉をひそめる月夜。
ちょうどクリスマスパーティーが終わった頃から、やたらと夏野のことを月夜に聞いてくる。
月夜は気がついていないが母は夏野が好きなことを知っている。だからあの日以降、なにかと月夜に聞いて夏野のことをもっと知りたいと思っていたのだ。
たまに遊びに来ていた頃は仲のいい友達だと見ていたが、相手の心情がわかってから振り返るとそんな気もしてきた。
少なくとも今まで娘に浮いた話がなかったので心配していた母。これで彼女でもできれば月夜も変わるかもしれない。少なくともギャル以外に。
そんな期待を込めて母は夏野の情報を集めていた。
朝食が終わり、片付けたあとに月夜がスマホで連絡をとっている。
その姿を見た母はしめしめとにやける口元を手で隠している。こうやって親しくなれば、おのずと互いの距離が近くなるはずだ。
やりとりを終えた月夜が報告してくる。
「お母様。空君と連絡がとれたぞ。バイトが終わったらすぐ来るって」
「それはよかった。遅くなるようだったら泊まってもらったら?」
「うむ。確かにそうだな」
「それじゃ、ちょっと買い物に行ってくるから」
「気をつけてお母様」
なぜだが機嫌がいい母がトートバッグを肩にかけて玄関へ向かっていく。
まだスーパーも開いていない朝早くからどこにいくのか。喉に出かかったが月夜は黙って母を見送った。
ちなみにもう一人の娘のことは放っておいている。
いつも泊まりにきている倉井と海の顔を見れば一目瞭然だ。それに倉井は自然とこの家に馴染んでいる。
とりあえず娘たちの相手がいることに母はホッとして車を出した。
案の定、近所のスーパーが開店していなくてすぐに家に帰ってくることになった。