197話 バイトだよ!
学校は冬休みに入り外はすっかり白くなっている。
豪雪地帯ではないが、そこそこ雪が積もる深原周辺はすっかり冬の景色となっていた。
夏野 空は寒さに負けないよう暖かい服装で支度を終えると家を出た。
バイトのシフトに間に合うよう小走りで除雪された道を抜けていく。
肩にかけたポーチには葵 月夜からプレゼントにもらったマルチツールがぶら下がっていた。
マルチツールは、十徳ナイフのようにドライバーやハサミにナイフなどの様々な機能がついた折りたたみ式の携帯道具。
夏野に贈られた物はナイフなしのプライヤー・ハサミ・爪やすり・栓抜きなどがついた安全タイプだ。
サバイバル思考の夏野にぴったりのプレゼント。
ちゃんと自分のことを考えてくれていた月夜に、夏野はたまらなく嬉しくなった。ついでに自分の贈った物も喜んでもらえたら言うことなし。
そんな機嫌がいい夏野はルンルンとバイト先の喫茶店へと入っていた。
「おはようございまーす」
昼過ぎだが、業界っぽい挨拶で厨房に顔を出す夏野。
「ちーっす」
「おはよう空君」
「おはよう空ちゃん」
フライパンを振っている冬草 雪に、ぱりっとしたウェイトレス姿の月夜と喫茶店のマスターが笑顔を向ける。
いそいそと夏野はロッカールームへ向かい手を洗って制服に着替え始めた。
月夜とお揃いのウェイトレスになった夏野はさっそく仕事を開始した。
忙しい昼を過ぎているので、今はまだお客はまばらだ。これが夕方に近づくにつれ増えてくるのを夏野は実体験として知っていた。
厨房へ通じるカウンターへ向かうと月夜が立っていた。
「もう準備が終わったのかい?」
「はい。いつでも大丈夫です」
「そうか。しかし、今のところはのんびりで平気だよ」
にっこりした月夜の言葉通り、まばらにいる客のテーブルにはすでに飲み物や食べ物が置かれていて注文をする様子はない。
追加注文などで呼ばれることがあるかもしれないが、気を張る必要はなさそうだ。
学生は冬休みかもしれないが、仕事で出社している人も多くいる。この時間に来ている人は、年配者か平日休みの社会人だろう。
ふうと息をはいた夏野は体を崩し、リラックスした。
そこに月夜が話しかけてきた。
「ところで空君。先日プレゼントしたあれを付けてきたようだね。挨拶したときにちらりと見えたよ」
「見えました!? とっても気に入ってますよー。前から欲しかったんですけど、なかなか手が出ない品だったんですごい嬉しかったです!」
「ほう、それなら良かった。お父様に相談したら危機管理女子にはうってつけとアドバイスされたのだ。空君の様子を見て胸をなでおろしたよ」
「そんなに心配でした? 月夜先輩のプレゼントだったら何でも嬉しいですよ」
「ぬう。それはそれで複雑だなー。わははは」
笑う月夜に嬉しそうな夏野がじりじりと身を寄せて肩を密着させる。二人は客の様子をうかがいつつ楽しそうに話していた。
なんか客前でイチャイチャしはじめたぞ。そんなカウンターいる夏野と月夜を横目にしながら冬草は調理にいそしんでいた。
そうしているうちに客足が増えてきた。
夕方を過ぎた頃にはずいぶんと喫茶店は賑わってくる。
駅前の数少ない飲食のできる喫茶店には夕飯を食べに訪れる客が多い。バイトをはじめてそれほど月日がたってない夏野でも常連の顔はもう覚えていた。
先ほどまでの月夜との楽しい会話を中断し、接客や給仕で夏野が店内を飛び回りはじめた。
厨房ではマスターと冬草が汗をかきつつ注文の品を手早く調理する。目の回るような忙しさでも夏野は笑顔で対応していた。
月夜は落ち着いた風を装いながらも素早くこなしている。
一見クールな月夜と対照的な夏野の明るさは常連の中にもファンがいて人気がある。夕食に来た親子連れに愛想良い夏野は、小さな女の子を相手にニコニコと注文を受けていた。
その頃、厨房では目まぐるしくフライパンやオーブンが熱を発し、常夏にいるかのような錯覚を覚える。額にタオルを巻いた冬草は一生懸命に腕を奮っていた。
ヒーヒーしている冬草とマスターは料理を出し、皿を洗って次の準備にかかる。
こうして戦場のような忙しい時間帯を乗り切った後は、一息ついてぐったりだ。
すると、ちょうど夏野と月夜はシフトの時間が終わるようで冬草とマスターに声をかけていく。
交代のバイトも入ってきて、このときが一番店員が多くなり厨房は騒がしい。
ロッカールームにひっこんだ夏野と月夜は制服を脱いで着替え始めた。もちろん、夏野は月夜に見つからないように着替え姿をガン見していた。
と、そこで夏野がプレゼントしたネックウォーマーを月夜がつけているのを発見してしまった。
あんなに張り切って手編みのマフラーを作っていたが、どれもこれもうまくいかず苦肉の策で誤魔化しのきくネックウォーマーに変更していたのだ。
お世辞にもうまくできていると言えないネックウォーマーを月夜は普段に使っているようだ。
恥ずかしさと嬉しさが混ざった夏野が驚きの声をあげた。
「つ、月夜先輩! つけてくれたんですか!?」
「ん? ああ、これか。首が暖かいから重宝しているよ。ありがとう空君、素敵なプレゼントだよ」
「えへへーって、そうじゃなくて、出来がそんなによくないから…」
「そうか? 味があって私は好きだよ。この青い柄と黄色い柄が自己主張してていいと思うけどな」
「そうですか? それならいいですけど」
「ふふ。それに先ほど空君が言っていたではないか。私にプレゼントされた物なら、何でも嬉しいと。私も同じだよ。空君から贈られた物は何でも嬉しいさ」
「えへへへへ」
褒められた嬉しさでデレデレの夏野だったが、一番は自分の贈ったものが喜ばれていた事実だった。
たとえ色がどぎつい柄だとしても相手が気に入ってもらえているのがたまらなく嬉しい。
意図したわけではないが、ギャル服との相性が良かったのが幸いしたようだ。世の中なんとかなるなと夏野は思った。
ちなみにイ○ンで買ったもうひとつのプレゼントは化粧水。一日中あれこれ見て悩んだ夏野は、月夜の肌荒れを気づかって選んだのだった。
もちろんこれも月夜は愛用して毎日使っていた。
喫茶店を出た夏野と月夜は外の冷たい空気にふれてブルルと身震いをする。
「ひゃー寒いですねー月夜先輩」
「うむ。ドバイの常夏から一気に南極へきた気分だな」
「こんな寒いとまた喫茶店に戻りたくなりますね」
「そうだな。しかしお客で入店すると厨房にいる雪になにか言われそうだ」
「ですねー」
月夜の言葉にクスクス笑う夏野。今にも目を吊り上げている冬草が頭に浮かんでいた。
ヒューっと北風が吹き再び月夜はブルブルと震える。
「しかし、こう寒いと家への道のりが遠く感じるなぁ」
「でしたら少し休んでいきます? マ○クぐらいしかないですけど」
「ついでに軽く食べて帰るか」
「そうしま──」
しょうと言いかけたところで夏野の携帯が鳴り出した。
慌てて取り出すと母親からのようで、ハンドサインで月夜に断りを入れて電話に出た。
最初はこそこそと話していたようだが、急に声が大きくなった。
「ええ〜〜!!! マジで!? す、すぐ戻る! あ! 先輩も連れて行っていい? いいの!? やったー!!」
聞いていた月夜は何のことかと不思議に思い首をかしげた。どうやら夏野の家に行く流れになっている。
通話を終えた夏野が満面の笑みで月夜に顔を向けた。
「聞いてください! なんと、うちですき焼きするみたいなんです!」
「それは良かった。それと私が関係するのかい?」
「もちろんです! せっかくですから一緒に食べましょうよ! あっ、先輩のお母さんには連絡しておきますね!」
「えぇ?」
月夜が答える前に夏野が電話を始めてしまう。
ぽかんとしている間に連絡を終えた夏野を月夜が聞いてきた。
「どうだったんだ? 幸い今日は当番ではないから問題ないのだが」
「大丈夫ですって。これで安心ですね。さ、行きましょう! あったかいすき焼きが待ってますよ!」
「確かにすき焼きをしばらくは食べてなかったな。本当にいいのかね、私がいって?」
「もちろん! 大歓迎です!」
うきうきしながら夏野は月夜の手を取ると自宅へ向けて歩き始めた。
引っ張られながらも月夜もついていく。
だが、月夜は知らなかった。
すき焼きを堪能した後に、夏野の家に泊まることになることを。
こうやって距離を縮めていこうという夏野が今しがた計画していたのだ。
すっかり舌がすき焼きを求めている月夜は、能天気にどのくらい食べられるのだろうかと引っ張られながら考えていた。