190話 いい湯だな!
駅前にある、この辺りで唯一の百円ショップで倉井 最中は特に目的もなく店内をうろついていた。
ここは葵 海との待ち合わせで決めた場所だ。この時期に外にいると寒いのでショップの中にいることにしていたのだ。
お互いの家が近いのに、わざわざ待ち合わせなんて面倒なことをしているわけは海にあった。
いつもならどちらかの家に泊まり、そのまま二人で遊びに行っていたが、たまには待ち合わせをしてみないかと海から提案があった。海と一緒にいれれば文句はない倉井は、特に何も考えずに了承していた。
コスメコーナーでネイルカラーを見ながら、倉井は軽い気持ちで待ち合わせにしていたことを少し後悔していた。
わりと早い時間に来たのもあるが、意中の相手がいつ現れるかと気が気でないから。ドキドキしながら海の出現を待っているのが心臓に悪い。
ちらりとスマホを見て、海から連絡がないことにため息をつきつつ倉井は雑貨コーナーへとゆっくりと足を進める。
スマホケースやフレグランス、ミニチュアキャラクターやポーチなど雑多な商品が並ぶ中、倉井は海が好きなクマPグッズがあるのを発見した。
「あっ!?」
きっと海に知らせたら喜ぶだろうなと倉井は嬉しくなって口元がゆるくなった。
先ほどの待ち合わせで焦れた気持ちもどこかへ吹いて、倉井は海が欲しがるクマPグッズを探し始めた。
店に来た海にプレゼントしたら驚くかなと、ちょっとしたサプライズを思い浮かべ倉井は選んでいく。
その頃には買うまでは来ないでほしいとすら思っていた。
寒がりな海が体を震わせて百円ショップを訪れたのは、それからしばらくたってから。
「最中早い! いつから待ってたの!?」
店内で倉井の姿を発見した海が驚いて声をかけてきた。
「ううん。さっき着いたばかりだよ」
「えー。わたしも早くきたのに~。最中って心配性じゃない?」
「ふふっ、そうかも」
クスクス笑った倉井を海が手を取って店から出ていった。外の気温でひやりと冷めた海の手だったけど、倉井の体温で温められていく。
二人は駅前のバス停へ向かうと停留所にある時刻表をチェックする。
「えっと…五分後にあった。予定より時間が早いけど行こうか」
「うん」
海と倉井の他は誰も並んでいないバス停。五分後とはいえ、ただ立っているのも寒い。
ガタガタ震え始めた海が倉井にくっついてきた。
「う、海さん!?」
「寒いの! 今日は一段と冷え込むから、こうやってる方が暖かいでしょ?」
「う、うん…」
ぎゅっと抱きついてきた海に倉井は頬を染めて頷いた。
決して同意の頷きではなく、動揺した倉井がカクカクと頭を動かしていただけ。それを知らない海は気をよくしてさらに体を密着させた。
ドキドキしっぱなしの倉井は、この心臓の音が海に届いてそうでさらに顔を赤くしている。
ちょっとしたスキンシップに海はひとり喜んでいた。
バスが定時ちょうどに来ると海と倉井は密着したまま乗り込み、後部座席へ向かう。
二人掛けのイスに座ると解放された倉井はひと息ついた。寒いはずなのに汗をかいている。密着されて身も心も熱が出ていたから。
バスが走り始めてしばらくすると、倉井が肩掛けのトートバッグから先ほどの百円ショップで購入した品を取り出した。
「これ、海さんに」
「えっ!? あっ!? くまPのハンカチ! わぁ~ありがとう!」
そう、倉井が選んだのはハンカチタオル。いろいろ迷ったあげく、普段使いにできそうな物にしたようだ。
喜ぶ海の顔を見て倉井も笑みを深くする。選んだ物が正解だったと。だが、海はどんなものでも喜びそうだが。
目的地へ向かうバスにゆられ、百円ショップで発見した新しいアイテムを報告してくる倉井に海が食いつき盛り上がっている。
他に客が乗っていないバスの後部座席で、楽しそうに話している二人に運転手はほっこりしていた。
目的地へついた二人はバス停から施設を仰ぎ見た。
それは「丸のみ温泉」だ。
地元で愛されているファミリー温泉施設。海や倉井もたまに家族や仲間で訪れているいつもの場所だった。
暖房が効いた暖かい車内から寒い外へ出てきた海はブルっと身を震わせる。
「う~寒い! 早く中へ入ろう!」
「そうだね」
二人は手をつないで小走りで入口へと吸い込まれていく。
入館するとさっそく温泉へと向かい、髪を後ろで束ねてロッカーへさっさと服を詰め込むとタオルを持って浴場へ入った。
「ふ~。落ち着いた……」
ちょうどいい湯加減で体が温まるのを感じながら海が呟く。
気がつくと温泉に入っていた倉井は海の隣できょとんとしている。施設に到着してから、あまりにも矢継ぎ早に進んできたのでいつの間にか感が強い。
じわじわと体が湯の熱を意識したときに状況がはたと飲み込めた。
隣に顔を向けると目が合った海がニコリとする。
束ねた髪の海がいつもと違う感じがして倉井はドキドキしてしまう。その倉井もおかっぱ頭の髪を束ねているのだが。
「少し暖まったし、体を洗う?」
「う、うん」
先に湯船に入ったのは体を暖めるためだったようだ。そういうことかと倉井は海に続いて温泉から上がって洗い場へと向かった。
備え付けのボディーソープやシャンプーを使って洗っていく。
この広い空間で体を洗ったり、屋外で湯船につかったりするのが倉井には好ましいひとときだった。
地底生活では風呂場も閉鎖的だったから、銭湯などの開放された空間は憧れの世界だ。どこまでも広がる空の下で入る温泉はまた別格。
そんなことを思いつつ隣で洗う海をちらりとみれば、美しい裸体をさらけ出してタオルであちこちをごしごししている。
はわぁ~と見惚れてしまう倉井。きっと倉井が悪いわけではないのだ。無防備すぎる海が悪いはず。
注がれる視線に気がついた海が倉井に顔を向けた。
「どうしたの?」
「ふぁっ!? なんでもない!」
飛び上がるほどびっくりした倉井が慌てて言いつくろう。思わぬ相手の反応に海が笑った。
「あははは。最中がちょっと浮いたよ。そんなに驚いた?」
「うううっ……」
本当のことを言えない倉井は目を泳がせてうろたえている。
「あはは。なんだか面白ーい。流して露天に行こうよ!」
余裕がない倉井はコクコクと勢い頷き、慌てるようにシャワーで洗い流し始める。
そんな倉井の姿に海は再び笑った。
冷たい風が吹く外へ出て露天風呂へ移動した二人は、湯に素早くつかると熱が体に染みて声がでる。
ふうと落ち着いた倉井は景色を眺める。葉が抜け枯れた木々が茶色の山肌に立っていて、いかにも寒そうだ。
それでも晴天の空は薄い雲が流れて爽やかで気分がいい。
来て良かったと倉井はしみじみと湯を堪能していた。
「気持ちいいね」
「うん」
海の言葉に倉井も同意する。どちらかといえば消極的で口下手な倉井には海の積極性が、いつも助けになっている。
今日も誘ってもらえて嬉しく思う反面、申し訳ない気持ちもあった。
そんな倉井を知ってか海は微笑む。
「最中と来て良かった。こうやって二人でのんびりもいいよね。家にいるとお姉ちゃんが邪魔ばかりするから」
「うん」
「ねえ、温泉あがったら売店でパフェ食べようよ。絶対に美味しいよ!」
「うん」
「最中は他に食べたいものある?」
「うーん。たこ焼き?」
「うふふ、それ前も食べてたよね。好きなんだ?」
「うん」
照れた倉井が頬を染める。クスクスと海は笑い、お互いの好きな食べ物を言い始める。
温泉につかりながら、のんびりと話している海に倉井はやっぱり好きなんだなと思った。
湯上がりにパフェを食べたりたこ焼きを堪能した二人。
夕方前だが早めのバスで帰ることにした。
温泉で身も心もポカポカで外の冷気も心地よい。
満足げな海はバスにゆられながら今日のデートは成功だったと、心の中でVサインをつくった。
そう。これはデートだったのだ。
なんとか倉井の気を引こうと画策したのだが、海の中ではうまくいったと思っているようだ。
わざと抱きついたり、裸を見せたりと倉井にアピールしまくっていたのが功を奏した気になっていた。
さすがにこんなことは自宅ではやりづらい。特に姉に見られたくない。外だからできることがあるのだ。
機嫌の良い海。隣に座る倉井はニコニコしている。
どうやら好意がすれ違っているようだが、本人たちは満足しているのでこれでいいのだろう。
そんな二人を乗せたバスは暖房を効かせて駅へと走っていった。