189話 それはアタイのだ!
走っていると体が暖かくなって冷たい風も気持ちいい。
はあはあと息を切らして、額に汗を浮かべながら夏野 空は走っていた。
「ふざけんなぁ〜〜!! ちょっとそこで止まれぇえええ!!」
後ろからすごい形相の冬草 雪がダダダと足音を立てながら追いかけてくる。
そう、夏野は必死に追いかける冬草から逃げていたのだ。
ちょっとした誤解だったのに、ここで立ち止まって話しても聞いてはくれない。夏野は冬草が落ち着くまで逃げるつもりだ。
夏野は全力疾走しながらこうなった不運を思い出していた。
──それは少し前の部室でのこと。
いつののように地底探検部の部員たちが集まり、和気あいあいとしていたとき。
この日の冬草は部室に来てからイスにも座らず落ち着きがなく、そわそわとして何かを気にかけているような様子だった。
しばらくしてドアから現れたのは、遅れて部室にやってきた葵 月夜。
「おっと、すでに皆は集まっていたのか。思ったよりも時間がかかったな」
「こんにちは月夜先輩!」
「うむ。こんにちは空君」
誰よりも早く夏野が満面の笑みで月夜に近づき挨拶を交わす。
そこに冬草が待ちきれないとばかりに月夜に迫ってきた。
「おい、“アレ”は!?」
「はっはっは。そんなに慌てなくても持ってきたぞ。これのために今日は遅れてきたのだ」
「そんなんどーでもいいから早く!!」
まるで何かの中毒になっているかのように興奮した冬草が月夜を急かす。
目の前で見ていた夏野は興味が湧いてきたのか聞いてくる。
「何があるんですか? わたしも見ていいですか?」
「だ、だめだ! これはアタイの個人的なことなんだよ!」
「雪先輩の個人的なことって、料理関係ですか? それともお母さんへのブレゼントとか?」
「ちげーよ! 夏野には関係ねーから!」
冬草の言動と耳が赤いことからも、知られると恥ずかしいことのようだ。
クスクスと夏野が笑っていると月夜がカバンから何か小さな物を取り出した。
「これだよ雪。ふふふ、私に感謝したまえ」
「うぉおおお!!!! サンキュー!!!!」
冬草に気を遣って夏野に見えない様に渡した月夜。現物を見て感激して声が高くなる冬草に夏野が笑う。
と、そこで興奮して手を滑らせた冬草がぽろりと床に落としてしまう。
ちょうど夏野の足元に転がり、つい反射的に拾い上げてしまった。
「返せぇええ!!」
手を伸ばし必死の形相で迫る冬草に怖くなった夏野が後ろにさがってしまう。思えばここで素直に渡せていればよかったのだ。
だが、あまりの冬草の勢いに押されてビビった夏野は逃げることを選択してしまった。
「あっ!? 逃げるなぁ〜〜〜!」
部室からピューッと出ていった夏野を慌てて冬草が追いかける。
ちょっとした騒動に部員たちが目を向けている中、月夜はやれやれと苦笑していた。
校舎の廊下を抜けてグランドに出た夏野は、運動部が回っているトラックを猛スピードで走っていく。
それに負けじと冬草もダッシュしている。さすがに息苦しいのか、いつもしているマスクはポケットの中だ。
「ちくしょう……なんだってんだ! はあ、はあ」
文句を言いながら夏野を追う冬草。
これでもちょっとは足には自信があった冬草だが、夏野はそれよりも上回っていた。
陸上部でもやっていたのかと疑いたくなるような綺麗なフォームで走っている。
しかも障害物をつかって冬草の走りを邪魔してくる。なんなんだよと愚痴りながら冬草は追いかける。
グランドから校舎を周り裏側へと夏野は向かっている。
一瞬、校舎の中からショートカットして反対側へ抜ければ出し抜けると脳裏に浮かんだが、夏野がそのことを予想していることも考えられる。
ぎりりと歯を食いしばった冬草はそのまま夏野の背中を追いかけるのであった。
さすがに上履きで校舎やグランドを走ると足裏が痛くなってくる。薄い靴底はグランドの小石から足の裏を守ってくれない。
やっぱり校舎の中で逃げ回っていればよかったかなと夏野は思った。息は上がっているが、まだまだ走れそうだ。
元々サバイバル思考の夏野は、いざというときのために体力を鍛えていたのだ。まったく関係が無いこういうことに役立つとは本人も思ってなかった。
校舎裏を走っていた夏野はちらりと後ろを振り返る。
ずいぶん後ろで冬草が大の字で寝転がっているのが目に入った。
どうやら夏野の追跡を諦めたようだ。よほど疲れているのか大きく荒い息をしている以外はピクリとも動かない。
ほっとした夏野は足を止めて冬草の元へと向かう。
近づくとぜえぜえと息をついた冬草が夏野に気がついたようだ。
「はあ、はあ、はあ。おまえ足が早すぎ」
「えへへ。大丈夫ですか?」
夏野は冬草の隣に座ると、ポケットから拾った物を差し出した。
「はい。もともと雪先輩に渡すつもりだったんですよ? なのに急に凄んできたから怖くなって逃げちゃいました」
「はー、はー、はー。もう怒る気もねぇよ。アタイの早とちりだったみたいだし」
受け取った冬草は大事そうにしっかりと手に持って見つめる。
「それってなんですか? ちっちゃい丸型のアクセサリーですか?」
夏野の問いに冬草は恥ずかしげに顔を背ける。何か言いづらいことのようだ。
「……ごっち」
「え?」
「『たま○っち』だよ。携帯型ゲームで昔流行っただろ?」
「あー。それってお母さんの世代じゃないですか? テレビで見た記憶がありますよ。昔ブームで入手困難だったんですよね」
「…そうだよ。子供の頃、寂しくないようにってママからもらったんだけど、いつの間にか無くしててさ。それで月夜が見たことあるっつーから、頼んでいたんだよ」
「へー。良かったですね。思い出の品なんですね」
「……まあな」
自分のことについて照れながら語る冬草に夏野はクスクスと笑う。
冬草が余計なことを言うなと釘を刺すようにギロリと睨んでも夏野は微笑んでいる。
「そのゲームは遊べるんですか?」
「ああ。電池も取り替えてくれたみたいだからな」
「ちゃんと秋風先輩と一緒に頑張ってくださいね? 小さな子を育てるんですよね?」
「うっせーよ!」
た○ごっちについてよく知らない夏野が適当なことを言い、冬草にツッコミを入れられていた。
立ち上がった夏野は寝ている冬草に手を差し伸べる。
「いつまでも汗かいて寝転がっていると風邪引きますよ?」
「まったく……半分はおまえのせいだからな」
ブツブツ小言をいう冬草を笑う夏野が助け起こした。
「なんでそんなに足が早いんだ? 中学は陸上やってたのか?」
「違いますよー。未開の極地で迷子になったら困るんで体力をつけてたんです」
「どこに行くつもりだよ……」
呆れた冬草を夏野がえへへと笑って誤魔化す。
と、そこへ遠くからの声が二人にかけられた。
「おーい! 空君〜! 雪〜!」
見ると月夜が手を振りながら夏野たちへ向かってきている。夏野は嬉しそうに顔をゆるめた。
「あっ。月夜先輩ですよ! きっと心配して来てくれたんです!」
「元はと言えば、あいつがこっそり渡してくれたらよかったんだ」
いまだ文句を言う冬草に夏野は苦笑しつつ月夜に向け手を振り返した。
後日、学校では噂が広がっていた。
髪の長い美人の生徒が学校中を駆け巡っていたと。
鋭い目を先に見据えて、長い髪をふわりとなびかせながら駆け抜ける美しい姿をいく人の生徒が目撃していた。
そう、いつもマスクをしている冬草の素顔を知る生徒は少ない。だから初めて見る者が驚くのは当然であった。
あれ以来姿を見せない美人の生徒は、いつしか学校の七不思議の仲間入りをしていた。
冬草の知らない間に、学校をうろつく長い髪の花子さんとして語り継がれていくのであった。