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188話 えっ!? 別れた!?

 冷たい空気が張り詰めた道場の雰囲気と相まって、きりりと姿勢を正す。

 空手着の葵 月夜(あおいつきよ)は、ふーと白い息をはきながら正拳突きを始めた。

 今日は母の行っている子供空手道場の日だ。

 近頃はバイトに遊び──もとい部活動が忙しく、空手の練習をさぼりがちな月夜。母に捕まった月夜は久々に道場に顔を出すことになっていた。

 少しでも子供たちに印象を良くしようと、道場が始まる前に型を練習している。まるでテスト前の一夜漬けのようだ。

 一通り汗をかいたところで、泊まりにきていた倉井 最中(くらいもなか)が寒そうに身を縮めてトコトコと道場にやってきた。

「月夜先輩。ご飯ですよ」

「む。最中君。もうそんな時間か」

 現れた倉井にニカっと笑う月夜。だが、空手着姿の月夜を見て身震いする倉井。

「……薄着で寒くないですか?」

「うむ、問題ないぞ。体を動かしていたからポカポカしてるから。最中君も一緒にどうかな?」

「え、遠慮します」

「ははは。またミドリちゃんと運動したほうがいいと思うぞ?」

「ふぇ!? だ、大丈夫です。たぶん…」

 慌てて自分のお腹に手を当てて確認する倉井は、まだまだ膨れていないと月夜の提案を断る。

 笑う月夜は倉井と共に母と妹と朝食が待つキッチンへと向かった。


 朝食を終えると、倉井と妹の(うみ)は月夜と母に捕まる前に遊びに出かけてしまう。

 さすが家族だけあって月夜たちの考えが読めていたようだ。

 可愛い妹たちとスキンシップをとりたい月夜は、ちぇっと姿が消えた二人に残念にしていた。

 仕方なく母と道場でストレッチをしながら体をほぐしていると、空手着姿の子供たちがやってくる。

「せんせー!」

 ぽてぽてと走ってくる幼い生徒に月夜と母は顔を崩した。

 ニコニコしている母娘の前に園児や小学生たちが保護者を伴って集まってきた。

 この無料の空手道場は、月夜の母が定期的に自宅にある道場を使って行われている。

 昨年までは月夜も母に合わせて道場で子供たちの指導を手伝っていたが、今回はひさしぶりだ。

 最近あまり顔を出さない月夜を見つけた子供たちは、嬉しそうに取り囲んでいる。

 それを見て母は思った。やっぱり若い方がいいの? と。よる年波に(あらが)うことができない母は唇を噛んだ。

 だが、

「なんで出なかったのー!」

「おねーちゃんひどいよー! ぜんぜん来ないんだもん!」

「そうだよ! 先生はいつもひとりでたいへんなんだよー!」

 ……どうやら思い違いだったようだ。なんとも先生想いのいい生徒たちであった。

 子供たちに責められ、げしげしと足を攻撃されている月夜はタジタジだ。

「ひぃいい〜! すまない! 許してくれぇ〜〜!」

 情けない顔で子供たちから逃げだした月夜に母は吹き出した。


 参加自由の空手道場なので、ある程度の人数になったら練習が始まる。

 保護者は道場の縁側に座って、我が子を見守りながら談笑している。

 身近で起きたことなど話題は尽きず、道場は地域コミニケーションの一役になっているようだ。

 久しぶりの空手に動きの硬い月夜を母が指導していく。

 子供たちに教えながら、母の指導をこなす月夜は器用だが人一倍忙しそうだ。

 休憩時間には道場の畳の上で月夜は大の字になってぐったりしている。

 そこに生徒のひとりで小学五年生になっていた山森 里(やまもりさと)がやってきて、上から月夜を覗き込む。

「月夜姉ちゃん大丈夫?」

「もうだめだ。里ちゃんが私のかわりに指導してくれたまえ」

「無理だよ〜。だって、まだ初段でもないもん」

「残念だ……」

「それより早く起きて! やすねちゃんが遊びたいって!」

 手を引っ張り無理矢理起こされた月夜は面倒そうについていく。

 まだ幼いやすねちゃんは親のところにいるようで、縁側に座っておやつをもぐもぐと食べているようだ。

 山森に連れられてきた月夜を見て、やすねちゃんが顔を輝かせる。

「わぁ〜! つきよがきたぁ〜!」

 きゃっきゃと月夜の足に抱きつくとニンマリ笑顔を向ける。

「たかい、たかいしてぇ〜」

「おねだり上手だなぁ。お姉さんは将来が心配だよ。お母さんも笑って見てないで、魔性の女になるかもしれないから気をつけて」

 やれやれと月夜はやすねちゃんを両手でつかむと持ち上げる。

 落とさないように気をつけながら、高い高いをするとやすねちゃんは声を上げて喜ぶ。

 この道場の中で一番背の高い月夜のする高い高いは人気で、すねちゃんが終わってふと横を見ると列ができていた。

 ほんとは空手よりもこっちが目当てなんじゃないかと思った月夜であった。


 一通り遊んだ後は再び空手の練習を始める。

 それも三十分ほどで終了だ。子供は飽きっぽいので、長い時間を練習するよりも休憩を挟みつつ行うのがこの道場ならでは。

 楽しそうな顔をした子供たちが汗をふき、荷物をまとめて親と帰宅しはじめた。

 今日は無駄な汗をかいたなと首を手でマッサージしていた月夜は山森里が姉と一緒にいるのに気がついた。

「こんにちは覗美(のぞみ)さん。今日は親のかわりだったのかい?」

「こんにちはー。そうなのよ、ちょうど出かける用事があって」

 ニコリと挨拶を交わす姉の山森 覗美(やまもりのぞみ)の顔を見て月夜は思い出した。茜先輩と付き合っていることを。

 そこで、なにげなく話を振ってみる。

「ところで茜先輩とはうまくやっているのかな?」

「……」

 軽く聞いただけなのに急に真顔になり口を結ぶ山森覗美。何かあったなと月夜は冷や汗をかいた。

「い、いや。無理して話さなくても大丈夫だから。そ、それじゃあ私はこれで──」

 嫌な気配に、この場を逃げようとした月夜の袖を山森覗美が握ってきた。

「里はちょっと向こうに行ってて。すぐに行くから」

「わかったー」

 状況が飲み込めていない妹は軽い足取りで遠ざかっていく。

 一緒に逃げたい月夜は、その背中を目で追いかけて自分も行きたかったなと思った。

 そして姉は月夜の袖を握ったまま怖い笑みをしてくる。

「聞いてくれる?」

「まあ、その手を離してくれたら……」

 逃走を諦めた月夜はため息をついた。


「聞いて! この間合コンがあったみたいで、茜ちゃんはホイホイ参加して、しかもお持ち帰りされたみたいなの! 私がいるのになにやってんの!? 合コン行くぐらいまでは許せるけど、その後が全然ダメ! ちょっと優しくされたらフラフラついていくなんてサイテー! ちょっとは私のこと考えてくてるの? まったく悪びれないのよ! ねえ聞いてるの!?」

「は、はい。すみません。聞いてます……」

 怒涛の愚痴に月夜は自分が怒られているのかと錯覚してしまう。

 どうやら茜先輩はあちこち合コンへ参加しては、お持ち帰されたり、したりしていたようだ。

 なかなか予定が合わない山森覗美が焦れて調べたことがきっかけで発覚したらしい。もはや茜先輩は天性の浮気性だ。

 そんなことをぐちぐち聞かされた月夜はげっそりだ。

「だから当然、私たちは別れたの。思い出しただけでも腹が立つ!」

「そ、そうか。それは災難だったな」

「災難じゃないの! 人災なの!」

「そうだった。すまない」

 もうどうしたら解放してくれるのか月夜は混乱してきた。

 それからも愚痴が続き、大人しく聞き役に徹する月夜の精神は削られまくりだ。


 やがてスッキリした山森覗美がやっと月夜を離した。

「ごめんなさいね。胸の内に溜まったのが出ちゃったみたい。でも聞いてくれてありがとうね」

「私でよければ問題ないさ。ははは……」

 乾いた笑いの月夜。できれば二度と起きないでほしいと願うばかりだ。

 明るく手を振って妹の元へ向かう姉を見送る月夜は、大きなため息をついた。

「……なにやっているんだ先輩」

 前に喫茶店で会ったときは、あんなにイチャイチャしていたのに今はこれだ。

 どこにいても茜先輩は変わらないなと苦笑した月夜であった。

 そのときふと夏野 空(なつのそら)の笑顔が脳裏に思い浮かぶ。屈託のない夏野の笑顔は爽やかで心が落ち着く。

 明日学校で癒されようと月夜は思うのであった。


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