185話 久しぶりだね!
はぁと息を吐き出すと白いもやが空中に浮かび上がる。
秋はあっという間にすぎて、深原の冬は早い。
ベッドから起きた倉井 最中は、あまりの寒さに再び布団にくるまった。
しばらく布団の中でもぞもぞとしていたが、決意したらしく起き上がってトイレへと駆け込む。
一階へ下りてダイニングへ行くと、エアコンの効いた部屋で両親が朝食の準備をしているところだった。
「おはよう、父さん、母さん」
「おはよう」「おはよう最中」
両親に挨拶して倉井はそのまま洗面台へ向かい、支度をすませる。
今日は久しぶりに家族水入らずだ。
いつもなら葵 海の家へ泊まりに行ったり、海が倉井の家に泊まりに来たりと何かと人が多い。
なので以前のように家族三人でいるのが最近はめっきり減っていた。
倉井がテーブルに着くと、既に朝食が並んでいた。
今日はきつね色に焼けた食パンに目玉焼き、そしてベーコン入りサラダボール。
食後にお茶を飲んでいると父親が話し始めた。
「今日は地下へ行く用事があるけど、最中も来るかい? そんなに長居はしないのだが…」
「うん。行く」
「そうか。なら二時間後に出発だからね」
「わかった。準備してくる」
嬉しそうな両親に娘もほっこりしている。倉井はダイニングを離れ、二階の自室へと戻る。
ベッドに置きっ放しだったスマホを見ると、海や夏野 空からLI○Eが届いていた。
海からは今はまっているエミュー動画のオススメで、夏野からは駅前のマクド○ルドでキャンペーンが始まったとの情報。
倉井は律儀に二人に慣れない手つきでポチポチと返事を送ってから着替え始めた。
地底世界に行くのは本当にひさしぶりだ。前に海と二人で訪れたのが最後で、それ以来一度も行ってない。
なんとなく懐かしい気持ちが胸に溢れてくる。
やっぱり地底で育ったからかなと倉井は思った。
父親が車を出して、地底に下りる拠点へと向かう。
すっかり葉が抜け落ちた木々が針金のように枝を空へと伸ばしている。
もうすぐ地上に出て二年になるのかと、車窓から外を眺めながら倉井は時間の早さに驚いていた。
地底探検部の皆で行った回転寿司店を通り過ぎていく。何回か回転寿司には行ったが、どれも楽しい思い出しかない。
ちょっとした出来事を思い出し、倉井はクスクスと笑った。
そうしているうちに拠点へ着いた。
家族三人は専用エレベーターを使って地底へと旅立っていった。
◇
橙色の人工灯が点々と光る地下の世界。
両親の後を娘がついてく。
チューブ型の通路にはところどころにドアがあり、住んでいる家族の名前がプレートに書かれて貼ってある。
前に住んでいた場所も今は誰かがいるようで、知らない名字が掲げられていた。
ここは変わってないな…倉井は自分のいた頃を思い出しながら曲がった通路を進んで行く。
そうしているうちに両親は両開きのドアの前へ立った。
「ちょっとした会合がここであるんだ。中は広いから暇だったら席に座っているといい」
「うん」
父親の話に頷く娘。
ドアを開いて入ると、そこは円形の広い部屋ですでに何人かの仲間が来ていた。
父と母は顔見知りと挨拶を交わし、相手の顔がうろ覚えな娘も続く。
そうしていると幼馴染みの子を倉井は見つけた。
「真奈ちゃん!」
「あ、最中ちゃん! 久しぶり〜!」
二人は飛び上がって手を合わせて再開を喜んだ。
住む家が隣のドア同士だった真奈とは、中学生ぐらいまで家族ぐるみで付き合っていた仲のいい間柄だ。
地底のチューブ内を一緒に移動したりして苦労も分かち合ってきた。
髪も伸びてすっかり大人びた容姿になった真奈は、倉井が知っている頃より何倍も綺麗になっている。
二人は身近な席へ座って話し始めた。
「驚いたよー。最中ちゃんの髪型は変わってないけど前よりもかわいくなったね」
「そう、かな? 真奈ちゃんの方こそ大人っぽくて美人さんだよ」
「ありがと。一年ぐらい会ってないのに変わるもんだね」
「ふふ、そうだね。真奈ちゃんは地底で暮らしているの?」
「うん。うちは相変わらずトンネルの中を移動して、あちこち旅してるよ。最中ちゃんが地上に行ってからは合う機会が無くなって寂しかったな……」
「ごめんね。地上との交信は禁じられているから手紙を出すにしても難しいし……」
「最中ちゃんが謝ることじゃないよ。元気そうだし、地上ではうまくやってるんでしょ?」
「うん。みんな親切な人たちばかりで不安はないよ」
「なら良かった!」
久しぶりの再会に二人はお互いの生活について話した。
真奈は地底での暮らしぶりや移動先で起きた事などを。倉井は地上で初めてできた友達のことや学校のことなどを聞かせた。
まだ長期間地上に出たことのない真奈は倉井の話に夢中のようで、あれこれと質問してきた。
地底での事は倉井にも覚えがあるし、これといって目新しい事情はなさそうだったので必然的に地上での話が中心になっているようだ。
倉井は電車での移動や巨大なショッピングモールなどの施設についての感想を言い、学校についても語った。
特に部活や葵 月夜と海の姉妹について詳しく話す倉井は楽しそうだ。
生き生きと地上のことを口する倉井を真奈は変わったなと思った。
前までは地上についてそれほど興味はなく、父親の仕事の関係で一時的に上に行くことになったときは渋々だった。
それが今では上にいることが当たり前のように話している。再び地底に戻るとは思っていない口ぶりだ。
よっぽど上での生活が楽しいのだろうかと真奈は倉井が少し羨ましく思えた。
地底では家族単位での行動が基本で、あまり出会いが多くはない。もちろん子供の教育は数家族で集まって指導員を呼んで行っている。
トンネル移動ですれ違う他の家族たちとの交流はあるが、それも一時的なもの。再び別れて、それぞれの道へと進んでいく。
たまに地上へ出るが短い期間に限られているため、どちらかというと地底の息抜きに本物の空を見に行く旅行といった風景だ。
地底世界では珍しい幼馴染の倉井の話を聞いているうちに、好きな人ができたんだなと真奈は気がついた。
何度も同じ人物の話が出て、嬉しそうに語る倉井の顔を見ていて真奈は確信していた。
こんなに魅了される年下の彼女はどんな人なんだろうかと、真奈は聞きながら想像を膨らませていた。
真奈の質問が尽きた頃、この会合に来ていたエレベーターの管理人のひとり盛戸 沙知が倉井の元へとやってきた。
「こんにちは。珍しい顔が見えたから、ちょっと尋ねたいことがあるのだが…」
「あ、こんにちはー。どうしたんですか?」
久しぶりに会ったのにまじめな顔の盛戸に倉井は首をかしげる。確かにご無沙汰だが、盛戸に関連した事については記憶がない。
盛戸は倉井に近づくと小さな声で聞いてくる。
「そ、その…最中の友人の葵月夜のことなんだが…」
「ああ! はい」
「い、今でも私について何か言っていないか? いや、なければいいのだが…」
困った顔で聞いてくる盛戸を見て倉井は思わず笑ってしまった。失礼だとは思ったが、いまだに月夜のことを気に悩んでいるのが可笑しかったから。
クスクスした倉井はすまなそうに謝る。
「ごめんなさい、悪気はないの。でも安心して。盛戸さんの話は出ないし、それに月夜先輩には素敵な相手がいるから大丈夫です」
「そうか! なら良かった! 前にも安心してくれと言われていたが、あまり確信がなかったんだ。それにそこまで悩んでないから。ちょっとした小骨が喉にひっかかった程度だから問題ない」
ぱあっと明るくなった顔の盛戸に倉井は微笑んだ。
しかし、そこまで拒否される月夜もある意味かわいそうな気がしてきた。別の出会いがあれば誤解されなかったのかもしれないが。
盛戸はすっきりした表情で倉井に礼を言って別れた。
隣で黙って聞いていた真奈は盛戸の背中を見つめた。
「上でなにかあったの?」
「ちょっとすれ違いがあって、誤解したままだったんだ。でも解決したから大丈夫だよ」
にこりとした倉井は真奈に経緯を教えた。
聞いた真奈は面白いこともあるもんだなと思った。
二人が話を続けていたところに倉井の父がやってきた。
「待たせたな。久しぶりだね真奈ちゃん。我々はそろそろ引き上げるが最中はもう少しここにいるか?」
「ううん大丈夫。わたしも一緒に行く」
「そうか、わかった」
父親は頷くと母の元へと向かう。
倉井はポケットを探り、中から取り出すと真奈へ渡した。
「これ。後で食べて」
「ありがとう」
受け取った真奈が手のひらを見ると、袋に入った飴玉がひとつ。
席を立った倉井は真奈に手を振って別れた。
「また今度会えるといいね。わたしは同じ場所にいるから、連絡くれればいつでも会いに行くよ」
「そうね、また会おう! わたしにも好きな人ができたら紹介するね」
「うん。…うん?」
勢い返事をした倉井が困惑した表情になり、真奈は笑った。
「あははは。いるんでしょ好きな人が?」
「……うん」
「がんばって!」
「うん!」
頬を染めた倉井が大きく頷くと両親の方へと駆け寄る。
そんな倉井を見つめながら真奈はもらった飴玉を口に入れる。
ちょっと刺激的なはじける飴はソーダ味だった。
わたしもたまには地上に顔を出てみるのもいいかな。倉井の話を思い出しながら真奈は思った。