180話 社会見学だ!
目の前でもぐもぐと美味しそうにロールケーキを頬張るツキネを見ている夏野 空。
冷たい風が細い木々の間を縫って吹きつけてくる。
ぶるっと身震いした夏野はもう少し厚着してくればよかったかなと思いながら、ツキネに質問した。
「ツキネさんって、この場所から離れられないの?」
「んん? そんなことはないぞ」
なんのことだとツキネは不思議そうな顔をしている。
しかし、夏野は困って質問の言い回しについて考えていた。
ツキネは自分が狐だということが夏野や葵 月夜にバレていないと思っているので、遠回しに人の状態でどまでいけるのかと聞いていたのだ。
だが、遠回しすぎてツキネには伝わっていない。
どうしたらいいか悩んでいると林の合間から月夜が現れた。
「おや! 空君もいたのか」
「月夜先輩! ちょうどよかった!」
思わぬ援軍に嬉しそうに夏野が迎えた。
おやつの入った包みをツキネに渡した月夜を、夏野が少し離れた場所へと引っ張って行く。
「ど、どうしたんだね空君?」
「ちょっといいですか」
包みを開け、入っていたまんじゅうを夢中になって食べているツキネを気にしつつ、夏野が月夜に顔を近づけた。
「話しがあるんですが……」
小声で説明する夏野。
どうやら夏野はツキネを他の場所へ連れ出したいようだ。
いつもこの社でしか会わないから他の場所を知らないようだし、前に大阪の画像を見せて驚いていたから。だからもっと外の世界を知って欲しいと考えていた。
なるほどと月夜はうなる。
確かに言われてみれば出会ってからずっと同じ場所でツキネと会っていたので疑問すら浮かばなかった。
「それなら私も協力しよう。さすがだな空君」
「やった! お願いします!」
夏野と月夜がコソコソ相談しているのを見てツキネが不機嫌そうに声をかけた。
「これ! お主らはそこで何をしている!?」
「わわっ!? 何でもないですよー!」
「うむ。ツキネとは関係ないことを話していたぞ」
慌てた夏野と月夜が振り返り愛想笑いで誤魔化していた。
どう見ても怪しい二人。ツキネが小言を発しようとしたとき、月夜が先に口にした。
「どうだツキネ、今日は日がいいからちょっと出歩いてみてはどうかな?」
「突然どうした? 熱でもあるのか?」
「そうじゃないです! わたしたちツキネさんと一緒にその辺を散策したいなって思ってて」
へたくそな誘導をする月夜に夏野がフォローする。
肩眉を上げたツキネは顎に手をやり考えた。そういえば三人で散歩などしたことなかったなと。
「どうだろう? マンネリ感は倦怠期というし、たまには出かけてみては?」
「そんなたとえは聞いたこと無いが一理ある。そなたらがよければ歩いてみようか」
「よし! それでは今日は散歩をしよう! 任せたぞ空君!」
「はい! 頑張りまーす!」
そんなわけで三人は葵家の裏手にある林から道路へと出て来たのであった。
ツキネは楽しそうにしている夏野と月夜に疑惑の視線を向けていたが。
空気の冷たさを感じるが、晴れて太陽の日差しが爽やかな午後。
体を動かすにはちょうどいい気候に三人はのんびりと歩いて行く。
ツキネが両手を大きく上げて伸びをする。
「う〜ん。気持ちがいいなぁ」
「ですね。ツキネさんってあまり出歩かないんですか?」
「そ、そんなことないぞ。あちらこちらへと出向くし、人々の生活を遠くから見守っているぞ」
「へ〜。忙しそうですね」
「うむ。見回りが意外と大変なのだ」
面倒な顔をするツキネに夏野はクスクスと笑う。
聞いていた月夜の頭には、森の中をやたらと走り回り、木の陰から住宅をじっと見つめている狐の姿が浮かんでいた。
そうしているうちに学校を抜けてポツンと建っているコンビニが見えた。
「あそこでよくツキネさんのお土産を買っていくんですよ。中をのぞいてみます?」
「おお! 中に入れるのか!」
「もちろん!」
夏野に案内されてコンビニの自動ドアをくぐっていく三人。
いつもは遠くから明るい店内をのぞいていただけだが、初めて入店することになったツキネはちょっとドキドキしていた。
「おおぉ〜〜! す、すごいぞ!」
店内に整然と並ぶ商品の数々に目を丸くするツキネ。
見たこともない品や美味しそうなパンなどに興味津々なツキネが見て回る。
スイーツコーナーへ来ると夏野が「生クリームあふれるロールケーキ」を指差した。
「これが今日持ってきたお菓子です」
「おお〜〜!! 確かに同じ包みの絵だ! すごく美味かったぞ!」
嬉しそうに眺めるツキネ。横に並ぶ美味しそうなスイーツに喉を鳴らしていた。
二人の後ろで、夏野と同じように持ってきたまんじゅうに感想が無かった月夜はちょっとすねていた。
コンビニ見学を終えた三人はそのまま道路沿いを歩き、トラックや車が通る大きな国道へと出て来た。
「……ここは初めてだな」
そっと呟いたツキネの言葉を月夜は聞き逃さなかった。
この国道沿いは車が行き交い、人通りもあるため狐の姿では来るのが難しかったに違いない。
まして駅前などで狐が見つかったら一騒動起きそうだ。意外と行動が制限されているなと月夜は思った。
三人は信号を渡り道路を渡ると駅前へと向かう。
そこにはマク○ナルドと百円ショップ、少し離れた場所にスーパーが並んでいた。
「おおー!」
お店の堂々たる構えにツキネが感動している。ここまで近くで見たのは初めてなのかもしれない。
そんなツキネがもし大阪に行ったら倒れるんじゃないかと月夜は本気で心配していた。
夏野が笑顔でツキネを導く。
「それでは百均から見ていきましょう!」
「ひゃ、ヒャッキン?」
「そうですよ。百円でだいたいの物が買える便利なお店です」
「それは凄い!」
ウキウキと好奇心溢れるツキネが夏野の後をついていき、温かな眼差しの月夜が続く。
久しく触れてなかった人の使う道具などに囲まれ、ツキネは楽しそうに夏野に質問していく。
かつて知っていた道具とはかけ離れた多種多様の品に驚いたり、感心したりとツキネは忙しそうだ。
夏野はツキネに教えるのが楽しそうで、前から面倒見がいい方だったのがここでは役に立っている。月夜は夏野のフォローに徹して、答えづらい場面で助け船を出したりしていた。
そんな調子でマク○ナルドとスーパーを巡ったツキネだが、さすがに疲労が体全体にあらわれている。
「うむ。なかなか楽しかったが、ちと疲れたの」
「それでしたら休憩しましょうか」
夏野がツキネを駅の反対側へと連れて行く。
そう、そこはバイトで通っている駅周辺で唯一の喫茶店だ。本日は夏野と月夜の二人はシフトを入れていなかったようだ。
カラン、カランとドアベルを鳴らして中へ入ると、顔見知りのバイト仲間が迎えてくれる。
物珍しそうにキョロキョロするツキネをテーブル席につかせ、軽い飲み物を注文する。
三人はすでにマク○ナルドとスーパーで買い食いしてお腹が満たされていたから、これ以上は無理なので。
イスにだらりともたれかかるツキネはお手ふきで顔を拭いた。さすが古い土地神だけに、しぐさがおっさんぽい。
「ふぃ〜。今日は大冒険じゃった。よもやこんな所へ来るとは夢にも思わなかったぞ」
「良かったですね。わたしも楽しかったですよ」
「うむ。ツキネのリアクションが新鮮でよかったな」
微笑む夏野に頷いた月夜も続ける。
三人は注文の飲み物が来ても今日の感想を楽しそうに話していた。
やがて喫茶店を出た三人は葵家の裏へと再び戻った。
すっかり空は茜色に染まって、太陽が地平へ落ちていくのが早くなっている。
赤く照らされたツキネは満足そうな笑みを浮かべている。
「今日は二人にすっかり世話になったな。礼をいうぞ」
「また行きましょうよ!」
笑顔の夏野の横で月夜が同意したように頷く。
「そうだな。暇があればな。さらばじゃ!」
ニカッと笑ったツキネは手を振って小走りに林の奥へと消えていった。
「あっ!?」
ツキネの後ろ姿に今更ながら夏野が気がつき、月夜を見ると苦笑している。
そう、りっぱなふさふさなしっぽが見事にお尻から垂れていたからだ。しっぽはフリフリと嬉しそうに揺れている。
「すっかり忘れていたが、しっぽが出たままだったな」
「あははは、ですね。もう見慣れてたから気がつきませんでしたよー」
「というか、今日出会った人たちはどうだったのだろうか?」
「んー思い返しても誰も反応ありませんでしたね」
「意外と気がつかないものなのかも?」
「かもですね!」
夏野と月夜は顔を見合わせると笑った。
これなら次もいけそうだと。
ツキネのチャレンジは続きそうだ。