179話 オシャレチャレンジ!
冷たい北風が冬の訪れの近いことを感じさせる放課後。
地底探検部の部室では、長机を前に座っていた葵 月夜が夏野 空の指先を見て残念そうな顔になっていた。
「空君。爪の手入れはしているのかい?」
「えーと。してませんけど?」
ちょうど春先に仕舞っていた岡山みどり先生の電気ストーブを、夏野が寒くなってきたから取り出していたところだった。
手招きする月夜の元へ来た夏野を隣のイスに座らせる。
「さ、空君。手をだしてくれたまえ」
月夜の求めに夏野はよくわからず両手を差し出す。
自分の化粧ポーチを広げると爪やすりを取り出した。
「せっかく綺麗な指をしているのにもったいない。ほら、私が整えよう」
「はええ…」
なぜか急に自分の爪を磨き始める月夜に夏野は喜びや困惑が交じった声を出した。
せっせと夏野の指を持って磨く月夜。ちょうど下を向いているので夏野の目の前には月夜の頭頂部が丸見えだ。
夏野はそっと顔を近づけるとくんくんと月夜の髪の匂いを嗅ぎはじめる。
月夜は夏野の爪に夢中で気がついていない。
そんな月夜たちを同じ長机の反対側に座っていた葵 海は奇異な目で見ていた。
突然なにやっての? と。
しかし、隣でクスクス笑った倉井 最中が海に自分の手の表側を見せる。
「さっきわたしも月夜先輩にしてもらったんだ。やり足りないのかもしれないね」
「はぁ!?」
驚いた海が倉井の爪を見るとツヤツヤキラキラしている。どう見ても薄くマニキュアをしている。
いつの間に……。自分の知らないところで姉との交流をしている倉井に海はもやもやする。
そこで海は、はっとした。
よく考えたら自分がオシャレをまったくしていないことに。
眉を整えたり産毛や無駄毛を剃ったりはしていたが、化粧といえばせいぜい倉井とお揃いのリップぐらい。
姉はギャルだが、ちゃんと毎日顔を整えてケアをしている。そして学校で怒られない程度にナチュラルな化粧をしていた。
海は慌てて秋風 紅葉と岡山みどり先生に視線を向けた。
よくよく顔を見れば二人とも化粧をしている。
恋する女子として海は自分に足りないものを自覚した。そう、意中の相手に自分をよりよく見せる華やかさが足りないのだ。
ちらりと倉井を見れば視線が合って微笑まれる。
魅力的な笑みにくっと海は悔しがった。
相手を虜にできるぐらいの魅力が海にはまだないと感じ、ちょっと背伸びをしたくなったのかもしれない。
絶対に綺麗になってやると海は天に誓った。
□
家に帰った海はさっそく母親の所へと向かった。
ここは人生の先輩である親に聞くのが一番だ。化粧にしたって一日の長がある。
ちょうど台所にいた母に海はるんるんと近づいた。
「お母さん。頼みたいことがあるんだけど」
「なに? 小難しい事? 数学とか英語の話しならお父さんか月夜にしてね」
「違うって。ちょっとお姉ちゃんのいないとこで話したいの」
「今はいないからいいなさい」
「うー。わたしもちょっと化粧がしてみたいかなって…」
聞いた母親はプッと吹きだして笑い出した。
「あはははは。なにかと思えば! どうしたの最中ちゃんとケンカでもしたの?」
「してないし! ど、どうして最中が出てくるの!? 今は関係ないし!」
顔を真っ赤にした海が母に文句を言う。どうやら親の目には海と倉井の関係性がよく分かっているようだ。
二人とも良く通る声なので台所での会話も家の中に響いていた。
しかし、ちょうど月夜は風呂に入って歌っていたので二人の会話は聞こえていなかったようだ。
母親の私室に海は招かれ、鏡台の前にいた。
姿見とは違い、三十センチ程の平らな鏡がのった引き出し付の台だ。
鏡台の前に座った海は引き出しを開けると、コロンと数点の化粧道具が転がっているのが見えた。
「……」
「その目はなに? 私はナチュラル派だから最小限のことしかしてないの」
海の問いかけるような視線に慌てた母が言い繕う。
だが、この少なさはナチュラルとは関係なさそうだ。単純に面倒なのかもしれない。
そういえばと海は思い出した。母が化粧をしているところを見たことがないことに。
さらに引き出しの中で転がる化粧品の下には、姉から没収したギャル雑誌が置かれていた。
「……お母さん、本当にできるの?」
「だ、大丈夫だから! だいたい化粧なんてパパッとすませばいいだけ! そんな凝らなくていいの!」
冷や汗をかきまくる母に疑いの目を向ける海。
確かに母の顔は整って若く見えるから、あまり化粧をしなくても綺麗に見える。
でも、それって個人差が大きいよね。と海は思った。
娘のために一肌脱いでくれる母に悪いと思い、海は役に立つか微妙だがレクチャーを受けることにした。
母の部屋から出た海は速攻で自室へと戻った。
改めて手鏡で自分の顔を確かめる。
確かに化粧はしているが、少々ケバい気がする……。口紅は濃い褐色で肌に近い色合いだし、全体的に一昔前の印象。
それもそのはずで、気合いを入れた母がギャル雑誌を片手に真似し始めたからだ。
しかも慣れない手つきの母に、いつもやってないでしょ!? と海は心の中でツッコミを入れていた。
その結果がこれでは倉井に合わせる顔がないし、このままだと変に姉に影響を受けたと思われるに違いない。
母には定期的に姉の雑誌を没収してもらいたいと望む海であった。それならメイクもトレンドから古くはならないだろうから。
ちなみに残念ながら例のギャル雑誌はウェブに移行していたのであった。
とはいえ、この家で頼れるのは後ひとりだけだ。
ギリリと歯を噛みしめた海は、オシャレになるためよと自分に言い聞かせながら姉の部屋へと向かうのであった。
板張りの廊下を挟んで反対側にある襖を開ける。
そこには、ちょうどお風呂上がりであぐらをかいてお肌のケアをしていた月夜がいた。
海に気がつくと嬉しそうに月夜が立ち上がった。
「どうしたんだ妹よ!」
「もー声が大きい! ちょっとお願いがあって……」
いつもの調子で姉にきつく当たった海だったが、頼み事をしにきたことを思い出してモジモジと尻つぼみな声になってしまう。
それを聞いた月夜は満面の笑みで妹をガバッと抱きしめた!
「お姉ちゃんは嬉しいぞーー! 可愛い妹の願いなら何でも聞いちゃうぞーー!」
「ぐ、ぐるじいってば! 離れろ! バカ姉貴!」
姉の力強い抱擁にじたばたもがく妹。しかも無駄に大きい胸の谷間に顔をうずめているから息も苦しいし、風呂上がりだからいい匂いがする。
なんとか姉から離れた海は荒れた息を整えてから、たどたどしく化粧について語った。
聞いた月夜はニヤリとする。
「なるほど。その化粧はお母様が施したのか。どうりで三年ほど前に流行ったメイクなわけだ」
「わかるの?」
「うむ。ギャルメイクならだいたい見れば年代がわかるぞ。ふふ、どうせ私から取り上げた本を参考にしたのだろう」
「当たってる!?」
驚く海にドヤ顔で姉が笑う。似た者親子だからお互いの考えが読めるのだろう。
あんまり二人に似てなくて良かったと海は思うのであった。
「まあ海は元がいいから古いメイクでも可愛いからな。お姉ちゃんがちょっとアドバイスしたらすぐできるようになるぞ」
「お願い!」
姉の言葉に必死な海。
そうして海は姉の月夜からお肌のケアからメイクの仕方などを教わる。
妹の為にと月夜はいくつか自分の化粧品を譲りアドバイスする。さらに参考に雑誌とウェブのホームページを紹介した。
動画もあるが、難しそうなところは月夜が実際に行いながらレクチャーしていった。
一通り学習した海は嬉しそうに化粧品を抱えながら、控えめにありがとうと月夜に礼を言っていそいそと自室へと戻った。
久しぶりの姉妹の共同作業に月夜は昔を思い出しながら嬉しくて涙していた。
「子供の頃を思い出すなぁ〜」
□
翌日、ナチュラルメイクを施した海が教室へ入るとクラスがざわついた。
ただでさえ美人と言われているのに、さらに輪を掛けて美しさが引き立っていたからだ。
海と挨拶を交わしたクラスの友達も頬を染めて目を奪われている。
朝早起きして頑張った甲斐があったと海は周囲の反応に満足していた。これなら勝てる! 何に勝つかは不明だが。
そわそわして昼休みを待ちわび、落ち着きがないところはまだまだ大人になりきれてない海であった。
お昼になると海はお弁当を持ってダッシュで二年生の教室へと向かう。
二年生も購買部や食堂へ行く生徒が教室から廊下へわらわらと溢れている。その中を行く海はとても目立っていた。
生徒たちの注目を浴びながら海は目的の教室のドアから中へと顔を出した。
「最中いる?」
ちょうど夏野と一緒に倉井が席を立っていたところで、海に気がつき顔を向けた。
「あ! 海さ…ん……」
「あれれ! 海ちゃんいつもよりキレイだね!」
もはやモデルみたいな海に倉井は言葉を失い、夏野はあっけらかんと褒めた。
二人は海の元まで来ると夏野が明るく海の肩を叩いた。
「先に行くから! お二人はゆっくりね!」
明るく夏野は廊下へ出ると、ルンルンと足取り軽く地底探検部の部室へと行ってしまった。
ぽけーっとみとれてた倉井に海が声をかける。
「それじゃ行こうか」
「う、うん」
頬を染めた倉井が頷き、二人は並んで歩き始めた。
なんとなくぎこちない倉井に海は不思議に思った。いつもならもっと気さくな雰囲気なのに。
とりあえずメイクの成果を確認しなくてはと倉井に笑顔を向ける。
「ね、どう? ちょっとオシャレしたんだ」
「ととと、とってもいいと思う!」
慌てたように言う倉井に海は可笑しくてクスクスと笑った。
「ちょっと変。いつもの最中じゃないみたい」
「ふぁ〜」
しかも倉井から変な声が出た。
「もう! なに? からかってるの?」
「ち、違うの! その…海さんが、すごく綺麗でびっくりしたから……」
「ホントに!」
聞きたかった言葉に海がずいっと倉井に迫る。
顔を真っ赤にした倉井はぶんぶんと何度も頷いた。
「やった!」
嬉しそうに満面の笑顔を見せた海は上機嫌だ。
これで少しはときめいてくれたかなと自信がついた気がした海であった。
前から海の事が好きな倉井はそれどころではなかった。
心臓がばくばくして頭がぼーっとしていて海の笑顔がいつもの何千倍も素敵に見えていた。
あまりにも綺麗すぎて倒れたい気分だったのだ。
今日は無事に家に帰れるのかなと心配になりつつも、海の顔に釘付けになっていた。