175話 合格!
葵 海ら家族が住む自宅。リビングでは倉井 最中がくつろぎつつ待っていた。
なれた様子でテレビのリモコンを使い、ネットに接続して動画サービスの映像を呼び出している。
今日は海と倉井は二人でお出かけ予定なのだ。
部屋で支度している海がまだ出てこないので、倉井はヒマ潰しにテレビを操作していた。
ここ最近は部の活動などで休日をとられていたため、なかなか二人で遊ぶ時間がない。
確かに気心知れた部員たちと一緒にいるのも楽しいが、やはり好きな人を一日独占できるのは嬉しい。
そわそわしながら、まだ用意できてないのかなとぼんやりとテレビを見ながら待つ倉井であった。
と、そこへ海の姉、月夜が姿を現した。
「見てくれ! やっと念願のルームウエアを買ったぞ!」
ババーンと登場した月夜はきついピンクの派手なパーカータイプのトップスとパンツを身に着けている。
目が痛くなりそうな色彩の服に倉井が唖然としていると月夜は何かに気がついた。
「おや? 最中君だけかな? 愛しい妹はいなかったのか。だが、いいだろう。見てくれ最中君! ふわふわもこもこの肉厚ルームウエアだ! どうだ?」
「えっ…ど、どうって、えっといいと思う?」
「ふふふ。最中君はこの服のよさがわかっていないようだ。まあ、直に触れて気持ちよさを体験してくれたまえ!」
座っていた倉井を強引に立たせると空いている手を自分に押しつける月夜。
最初は嫌がっていた倉井だったが、実際にウエアにさわるとフワフワでなめらかな肌触りに驚く。
「うわぁ。気持ちいい」
「ふっふっふ。だろう!」
あまりのさわり心地の良さに夢中になってサワサワする倉井。
しかし場所がまずかった。そこは胸だ。ちょうど倉井が手を出しやすい位置に胸があったため、そのままさわっていたのだ。
なんとも言いようのない気分に段々恥ずかしくなってくる月夜だったが、倉井はサワサワしているのに夢中で気がついていない。
もしここに夏野 空がいたら、羨ましくて悔しがる光景がそこにあった。
「なにやってんの最中!? やめなって!」
急に出て来た海が驚いて倉井の手を取り月夜から離す。やっと支度が終わったようだ。
「あ! 海さん!」
「なんでお姉ちゃんの胸をなで回しているわけ!?」
「月夜先輩が新しい寝巻を買ったんだって。それでフワフワで気持ちいいの」
「なにか誤解が生まれそうな言い回しだな。だが正解だ」
胸が解放された月夜が突っ込む。だが、ふわもこルームウエアを倉井に共感してもらえて満足そうだ。
そんな姉をキッと睨み付けた海が倉井の手を引いて玄関へと向かう。
「あっ!? ちょっと待て! 海もお姉ちゃんの服を堪能してくれたまえ!」
「絶対イヤ! 早く行こう最中!」
すがりつきそうな月夜を置いて海と倉井はさっさと家を出て行く。
「うみ〜〜〜! お姉ちゃんは寂しいぞぉ〜〜〜……」
姉の声が家から響いていた。
急いで家から離れた海たちは、後ろを確認してゆっくりと歩き始めた。
さすがに月夜といえど派手なルームウエアのまま追いかけてはこなかったようだ。
ほっとしたのもつかの間、海は顔をしかめムスッとして倉井を見た。
「さっきのはなんだったの? 最中ってそんなにむ、胸が好きなの?」
「ふぁあーっ!? 違うよー! 偶然だったから! ちょうどいい位置にあったから!」
慌てた倉井が弁解しはじめた。
思い出してみると、確かに月夜の胸をなで回していたので誤解されたのはしかたがない。だが、倉井は純粋に布の肌触りを楽しんでいただけなのだ。
どうやって言ったら信じてもらえるかと悩み始める倉井。
そんな倉井に海がずずいと胸を張ってくる。姉と違い慎ましい盛り上がりなのだが。
「そ、そんなに好きなら私のでもいいでしょ!」
「ふぁー---!?」
驚いた倉井が珍しく叫んだ!
ハタと正気に戻った海が恥ずかしそうに顔を赤くして背を向ける。
「今のナシ! ちょっと混乱してた!」
そう、確かに混乱していたのだ海は。倉井が胸好きだったとして、自分のを差し出せば喜ぶかもしれないと一瞬でも思ってしまったのだ。
なんて失態。気にかけている人にとんでもない行動をしてしまった。
恥ずかしすぎる海はまともに倉井を見ることができず、背を向けたままだ。
ぽかんとしていた倉井だが、プッと吹き出すとクスクス笑った。
「ごめんね、混乱させて。別に胸が好きなわけじゃないよ。だから海さんも無理しないで」
倉井は胸なんかより海が好きだと言いたい気持ちを飲み込む。
恥ずかしそうな海の手をぎゅっとにぎった倉井は微笑んだ。
「今日はどうしようか? せっかくだし遊ぼうよ」
「そ、そうだね。そうしよう!」
気にしてなさそうな倉井の目を見て海は落ち着きを取り戻した。
いつもはお姉さんぶってリードしているけど、冷静な倉井の方がちゃんと年上だったんだなと海はしみじみ思った。
海は痛感した。まだまだ自分の方が子供だなと。
つないだ手の温もりに頬を緩めた海は倉井と同じ歩幅で歩きだした。
二人してぶらぶらと歩いている。
道路にはあちこちに落ち葉が重なり、秋が深くなってきたことを知らせている。
当初の予定では自転車に乗って少し離れた場所へと行くはずだったが、思わぬ月夜の登場でダメになってしまった。
さすがに徒歩での遠出は難しい。
どうしたものかと海は倉井に行先を聞くことにした。
「最中はどこか行きたいところはある?」
「う~ん。特には…海さんの行きたいところでいいよ」
「そお? ホントだったら紅葉が綺麗な場所があったんだけど、自転車が無いから辛いし。とりあえず駅前の百均でも行ってみる?」
「うん。面白い物があるかもしれないね」
「よし! 決まったね!」
笑顔の二人は駅に向かうことにした。
しばらく歩いていくと、新しい自宅に近い道へ出てきたことに気がついた倉井。
「あ! 海さん、うちに寄ってく?」
「そっか。最中の家ってここから近いんだっけ。でも、この間遊びにお邪魔したから迷惑じゃない?」
「そんなことないよ。海さんなら両親も歓迎するし、わたしも嬉しい」
「そ、そう?」
倉井の誘いにまんざらでもなさそうな海であった。
このまま倉井の家に上がって部屋で遊ぶのもいいのかもしれない。
最近引っ越してきた家の二階に倉井の部屋がある。アパートと違って六畳一間が自分の部屋なのだ。
いままでなら狭いアパートのリビングで両親の目を気にして海の相手をしていた倉井だったが、今は邪魔されずにゆっくりと二人きりでいることができる。
そういえばカステラが冷蔵庫にあったなと倉井は思い出していた。
二人は自然と倉井の家へ足を向けていた。
楽しそうに話しながら歩く二人。そろそろ目的の家が見えてくる頃だ。
と、そこに声をかけてくる人物があった。
「お? 海と最中じゃん? 二人で遊んでるのか?」
「雪先輩! こんにちはー」
「おう!」
そこには黒い服に身を包んだ冬草 雪が立っていた。
「今日はバイト?」
「まあね、遅番なんだ。あと月夜に言っといてくれ、ちゃんとスケジュール出せって」
どうやら月夜は気まぐれにバイトをしているようだ。店長の苦労が忍ばれる。
わかったと返事をした海は冬草を見て気がついた。黒系の服装でわからなかったが、思ったよりも膨らみが低いことに。
海がじっと凝視していると視線を感じた冬草が恥ずかしそうにしだす。
「な、なに見てんだよ!? なんで胸のとこ見てんだよ!?」
「……」
何も答えずしばらく観察していた海はやっと冬草と視線を合わせた。
「なんだよ? 何かあるんか?」
「合格!!!」
満面の笑みで海が判定を下す。
「はあ?」
わけもわからない冬草。マスクで口元は隠れていたが眉が難しい形になっている。
先ほどのことをいまだ根に持っていたのかと、倉井は乾いた笑いで二人のやりとりを見ていた。
「雪先輩! わたし安心しました!」
「お、おう?」
感激したように握手を求める海に応える冬草。何が安心なのかは謎だ。
「それじゃあバイトがんばってください! 最中いこう!」
「う、うん。ごめんなさい雪先輩……」
機嫌が良くなった海が倉井の手を引いて冬草から遠ざかっていく。倉井に謝られた意味も不明だ。
二人の背中を見ながら冬草は呟いた。
「なんなんだありゃ……」
不可解な出会いにとぼとぼとバイト先である喫茶店へと向かう。
途中ではたと冬草は気がついた。
自分の胸を凝視していた海についてだ。
思わず両手で胸を触る。
「ちゃんとついてるよな。なんでだ?」
冬草と海に胸で共通していること……
急に焦った冬草はスマホを取り出すと秋風 紅葉へ電話をかける。
「紅葉っ!? あたいの胸って普通だよな? な? 海と同じじゃないよな? 紅葉はどう思うんだよ!」
冬草の耳には電話の向こうで吹きだして笑う声が聞こえていた。