173話 お別れです!
駅近くの喫茶店。
休日にフルタイムで夏野 空はバイトにいそしんでいた。
まだ昼前なのでお客はまばらだ。
今はまだ余裕はあるが、お昼に近づくにつれて来客が多くなる。
車を持つ家族なら、週末は幹線道路沿いにあるファミリーレストランや回転寿司も視野に入るが、そこまで遠出したくない人たちは駅前の食事処へと集まる。
しかも駅前には食事できる店が少ないので選択肢も多くない。必然的に喫茶店を利用する人が多い理由であった。
バイト姿もすっかり板につき、夏野はトレーを手に店内を回っている。
今日は葵 月夜と冬草 雪もバイトに来ていて厨房で調理をしている。
手の空いたマスターはレジや常連との会話をしていた。
──カラン、カラン
ドアベルが鳴り、新しいお客に夏野が笑顔で出迎える。
「いらっしゃいま」
「ひっさしぶりだねぇ〜。空ちん!」
最後まで言葉を発せずに固まった夏野の前には学校を卒業し、地元の工場に就職した茜先輩が立っていた。
前に見た時にはすっかりアゲアゲ姉さんな感じだったが、ずっと落ち着いた雰囲気に変化していた。
髪も肩までかかる黒いゆるふわカールでシックな服装が大人っぽく、ホワイトピンクなポシェットを手に持っている。
メイクもほんのりチークが入った自然な感じで可愛く決まっている。
最近はすっかり姿を見せなかったので、茜先輩の存在を忘れかけていた夏野は驚いていた。
夏野が言葉をかけるより先に茜先輩から話し始めた。
「びっくりした? 今日はちょっと紹介したい人がいるから来たんだ」
「しょうかい?」
「そ。じゃーん! 山森 覗美ちゃんでーーす!」
茜先輩が左にずれて後ろにいた山森が現れた。
長いストレートな髪に整った顔。オシャレな服を着ているが清楚なたたずまいで夏野に微笑んだ。
「初めまして。夏野さんのことは聞いてるから安心してね」
「は、はあ…」
なにを安心すれればいいのか。初対面の相手にまごつく夏野。
しかしバイト中なのを思い出し、いつまでも喫茶店の出入り口で立っていてもしょうがない。
慌てた夏野は二人を作り笑顔でテーブルへと案内した。
テーブルについた茜先輩と山森におしぼりとお水を出した夏野は一呼吸する。
とりあえずいままでの事のようにはならなさそうだ。むしろこの流れは彼女ができたと見た方が自然だ。
そう思うと気が楽になり、笑顔が映える夏野だった。
「それではご注文がお決まりになり」
「空ちん、そこに座って。話しがあるんだけど」
夏野の言葉をさえぎり、茜先輩が対面の席を指さす。よく見たら茜先輩と山森は並んで座っており、反対側は空いていた。
周りを見渡し、お客の混み具合を確認してまだ余裕があると踏んだ夏野はしかたなしに座る。
「あまり長居はできませんからね?」
「いいよ〜。そんなにかかる話しじゃないし〜」
ふふんと茜先輩が余裕の笑みを見せ、隣に座る山森は照れたように顔をふせた。
先輩の幸せそうな感じになにかムカッときた夏野は早く終わらせるべき先に口を開いた。
「見てわかります。先輩に彼女ができたから自慢しに来たんですね?」
「おしい! ちょっと違うの〜空ちん」
ふわっと笑いチッチッチとひと差し指を振ってウインクする茜先輩。
他になにがあるのかと困惑する夏野に茜先輩が山森の肩に手を置く。
「空ちんの考えている通り、私たちは付き合ってるの。でもね、ここには私がっていうより覗美ちゃんが会いたがってたから来たんだよ?」
「えーと。どういう……」
「つまり〜、この前合コンがあって覗美ちゃんと出会っちゃったわけ。それでお持ち帰りしようとしたら、逆に持ち帰られちゃったの。そのときに空ちんのことを話したってわけ」
「んん?」
聞いた夏野の頭にはハテナマークがいっぱいだ。
肉食系女子だと思っていた茜先輩が餌食になったのはいいとして、どうして自分の話が出るのか? 夏野は困惑する。
そんな夏野の表情を読んだのか茜先輩は山森に目を向けた。
「ほら、何か言ってよ〜」
ぐっと顔を上げた山森は決意を新たに真っ直ぐに夏野を見る。
「茜ちゃんが夏野さんが好きだって言ってたからけじめをつけに来たのよ。私たち付き合ってるし、体の相性もいいし、話してて楽しいし。だからキッパリと夏野さんは別れて欲しい!」
「ちょっ!? 待って、待って! わたし茜先輩と付き合ってないよーー!」
「へ?」
いろいろぶち込んできたのを流した夏野が否定を言葉にすると山森の目が点になる。
聞いていて吹きだした茜先輩が腹を抱えて笑い出した。
「あはっあははっ! ちょー勘違いしてた。覗美ちゃん勘違いしてる〜。あははっ! だから来たんだ〜あはは!」
もっとな指摘にみるみる顔が赤くなる山森。それを補足するように夏野が説明しだす。
「あのですね。一方的に茜先輩から好意を受けてて迷惑してたんです。わたしには他に好きな人がいるんです。だから縁野さんから茜先輩を取ったりなんかしませんから。むしろガッチリ捕まえててください」
「だ、だって、ずっと好きでマ○クや喫茶店で一緒に食事したりしてたって……。それに並んで座ってスキンシップしまくったって……」
「それって茜先輩が盛って話したんですよ。確かに喫茶店にお客として来た事はありますけど、縁野さんが思うようなことは一切ありませんから」
「ほんとに?」
「もちろんです。なんなら証人もいますから」
自信ありげに語る夏野に山森も本当だろうと思い始める。
そもそもここに来たのは、茜先輩の夏野に対する未練たらたらな言葉を聞いた山森が憤慨してなのだから。
ここでハッキリと夏野と決別して新しい恋人の山森とやり直す予定だった。
あまり詳しく聞いてないとはいえ、夏野が茜先輩の前カノだとずっと山森は勘違いしたままだったのだ。
茜先輩は山森の隣で笑い転げていた。
「それじゃあ、ちょっと呼んできますから」
立ち上がった夏野はささっと厨房へと行ってしまう。
どうしてこうなったのか……恥ずかしい山森はこの状態を誤魔化すようにコップの水をゴクゴク飲んだ。
そんな山森に茜先輩はニコリとする。
「なんだ〜そんなことだったのか〜。覗美ちゃん可愛い」
視線に耐えられず明後日の方へ顔を向ける山森。
「そんな見ないで。恥ずかしいから……」
「格好良くて可愛いね覗美ちゃんは」
機嫌良さそうに茜先輩はニコニコして見つめている。自分のために、こんなに行動できるタイプだと知ってますます好きになったようだ。
そうしている内に夏野が月夜を連れて戻って来た。
「証人を連れて着ました!」
「お二人とも久しぶりです。元気そうだ」
茜先輩と山森を見た月夜の意外な反応に夏野は首をかしげる。
「月夜先生!?」驚いた山森が声を上げた。
「「月夜先生?」」
違う意味で驚いた茜先輩と夏野がハモる。まさか知り合いとは思わなかったようだ。
笑った月夜が説明する。
「はっはっは。覗美さんはお母様の空手道場に通う里ちゃんのお姉さんなのだ。たまに私も稽古をつけているんだが、そのときにお姉さんに会っていてね。年の離れた姉妹だがとても仲が良くてうらやましい限りだ」
「ええっ!? ツッキーと知り合いだったの~!? 世の中せまー-い!」
「うむ。道場以外で会ったのは初めてだから、なにか新鮮だな」
こんなだだっ広い田舎なのに人の輪が狭いことを実感する茜先輩。
確かに都会と比べると人口が少ないから、知り合いに出会う確率はぐんと高い。
だからといって、好きだった後輩の空手道場に通う妹の姉とは思いもよらぬ事実だった。
「ところで何の用だったかな? そうそう、空君のことだった。茜先輩の事で相談に乗っててね、押しかけてくるんで大変なようだ。私としてはいいカモ…じゃなかった、お客様だから丁寧に接して隙を見せなければ大丈夫だし、売り上げにも貢献できるから泳がせるのが一番だと話しているんだよ。サービスするからゆっくりしていってくれ」
さらっと言わなくてもいいこともぶちまける月夜。
どうやら夏野は茜先輩をダシにして月夜に相談事をしていたようだ。さらに月夜に近づくために、夏野も茜先輩の行為を盛って話している感じ。ある意味似た物同士な夏野と茜先輩だった。
三人がポカンとしている間に言い終えた月夜は、満足そうな顔で厨房へと引っ込んでしまった。
「わ、わたしもちゃんと証明できたし、お、お仕事がありますから!」
なんとも居づらくなった夏野は適当な言い訳をしつつ、月夜の後を追うように逃げてしまった。
顔を見合わせた茜先輩と山森は深いため息を漏らした。
いたたまれず謝る山森。
「……ごめんね」
「へーき、へーき。でもこれでわかったでしょ? 何かの縁を感じるけど~」
「ふふっ。そうね」
明るい茜先輩の言葉に口元を緩めた山森が微笑む。
身を寄せた茜先輩の頭が山森の肩にもたれる。温かい体温と山森の好きな香りがふわりと漂う。
もっと修羅場になると想像していた山森は、肩透かしに終わって内心ほっとしていた。
それに見ていた限り、あまり未練もなさそうだ。まるで昔の友達のように接していた茜先輩と夏野には恋愛感情はなさそうだったから。
疑いが晴れた茜先輩はあまり深く考えなていなかった。
たまには喫茶店でデートもいいなと、よく知るメニューを開いてお気に入りのランチを山森に勧めていた。
このとき二人は知らなかった。
気を利かせた月夜が料理の山盛りサービスをすることに。
そして、茜先輩と山森にいじわるされていると勘違いされることになるとは月夜も知らなかった。