155話 近くて遠い
葵 海は学校内でも有名な美少女の一人だ。
学業はトップで運動全般は普通だが、気さくで人当たりもよく、積極的な性格からか生徒たちから人気も高い。
高校生になって半年、髪を下ろしたことも相まって大人びてきた海にはますますファンが増えてきたようだ。
そんな周りの生徒たちの視線を気にせず海はクラスの友達と廊下を歩いていた。
だが、海のその目は近くの友人ではなく、どこか遠くを見ていた。まるで何かを探すように。
中学生のときは校舎が別だったので、高校生の倉井 最中とは物理的に離れていた。
だから間違っても校舎の廊下で偶然会うなんてイベントも起こるはずもなく、部活以外では接点がまるでなかった。
しかし、今は同じ高校生で同じ校舎にいる。
進級して半年をすぎ、海は倉井と偶然、バッタリ廊下で出会うなんて都合の良い妄想をしていたこともあるが、いまだ現実になっていなかった。
それもそのはず、一年生の上の階に二年生の教室があるからだ。
次の授業で音楽室に行くとか、体育館へ向かうなど教室を離れる用事がないかぎり同じ階でいることが多い。
昼休み以外ではろくに会う機会がないことに海は寂しく思っていた。
少しでもいいから廊下の向こう側に、ちらりとでも顔が見えないかな…海は今日も倉井の影を探していた。
そんな海の願いが天に聞き届けられたのか、今日に限って廊下の向こう側で倉井の姿が見えた。
「いた!」
思わず声に出す海。
一緒に歩いていたクラスメイトたちが驚いた。
「ど、どうしたの海ちゃん?」
「何がいたの?」
「あっ!? えーと、えーと、タヌキがいたと思ったけど違ったみたい?」
慌てた海がしどろもどろに支離滅裂なことを言い始めた。
ハテナ? と首をかしげるクラスメイトたち。
そんな中でも海の視線は倉井にロックオンして外さない。
ちょうどどこかの教室へ移動するようで、教科書などを持った倉井が夏野 空や春木 桜とは違う、初めて見る友人たちとにこやかに話しながら歩いている。
誰よ? あの人たちは? 知らないし……。
胸の内に湧き上がるモヤモヤに海は顔をしかめていた。
当然、クラスメイトたちも海の視線に気がつき、その先へ追っていくと二年生の集団に当たる。
あーなるほどー。クラスメイトたちは察した。すごく敏感に海の状態を察したのだ。
海は知らなかったが、中学から付き合いのあるクラスメイトたちは共有していたのだ。そう、海は倉井が好きなんじゃないかと。
それは中学三年生の頃から海が倉井と遊んでいる所を目撃したり、部活で一緒にいるところを目にしたりしてクラス内で密かに話題になっていたのだ。
だから、海の視線の先にいる倉井が友人といるところを見て察した。
これは嫉妬だな、と。
ムスッとしていながら視線を外せないでいる海に、クラスメイトたちは微笑ましく温かかな眼差しを向けていた。
やがて廊下の先へ消えた倉井たちに海はため息をひとつこぼした。
なんだかムカムカしてたおかげでよく見てなかったと。
それまでは存在を忘れていたクラスメイトを思い出し、慌てて友人たちに取り繕う。
海の様子に苦笑したクラスメイトたち。そこに声がかけられた。
「おや? そこにいるのは私のかわいい妹の海じゃないか?」
皆が顔を向けると、そこには背の高いギャル…海の姉の葵 月夜が立っていた。
みるみる海の顔が引きつってくる。
「げ! お姉ちゃん!?」
「海よ、私を見て“げ”ないだろう。せめて、お姉ちゃんに会えてとっても嬉しい! ぐらいあるだろ?」
「ないよ! 全然ないし! なんでここにいるの!?」
「うむ。ちょっと購買へ行こうと思って、ここを通るのが近道だからな。そしたら偶然出ったのだよ。私のかわいい妹に。まさに運命!」
「キモッ!」
突然始まった姉妹の言い合いに、一緒にいた海のクラスメイトは面食らっていた。
だが、それ以上に美人姉妹が二人揃っているという貴重な光景にクラスメイトたちは目に焼き付けていた。
部活以外ではこの姉妹は、なかなか会わないからだ。
そうこうしているうちに怒った海が姉の月夜の足を蹴っ飛ばして逃げ出した。
「待ってくれ~! なんで逃げるんだぁ~~!」
海に追いすがろうとする月夜。
クラスメイトたちは慌てて月夜を引き留め、海を逃がすことに成功した。
□
放課後──
地底探検部の部室にはいつもの部員が集まっていた。
海は倉井の隣に座り、岡山みどり先生の持ってきたお菓子をつまんでいる。
実は昼休みに一緒にお弁当を食べてるときに例の廊下の件を聞き出そうと海はしていたが、なかなか言い出せずにズルズルと放課後になってしまっていた。
廊下で見た倉井は誰と一緒にいたの? と。
いつも通りに海と目が合うと微笑みを返す倉井。
だけど、ついっと海は視線をそらした。胸のモヤモヤが海を素直にさせないからだ。
「?」
海の態度に不思議に思いつつも倉井は、またお姉さんと何かあったのかなと考えていた。
その姉である月夜は彼女たちの前で夏野とドタバタと騒いでいる。
どうやら夏野のおやつを月夜が盗み食いしたらしく、責める夏野に月夜が逃げ回っているようだ。
まったく家にいるのと変わらない月夜に倉井はクスクスと笑っていた。
姉のいつものアホな行動にあきれながら、海は決意した。
ちゃんと聞かないと今日は眠れなさそうだ。それに、今週末は倉井が泊まりにくるので気まずいままだと精神的にも辛いから。
せっかく買ったオシャレ入浴剤を二人で楽しもうと思っていたのだ。大きな玉がお湯に溶けると花びら状に広がり、徐々に消えていく仕掛けらしい。
意を決した海は勢い立ち上がると、倉井の手を取ってスタスタと廊下へ連れ出した。
「ふぁ?」
突然のことに驚く間もなく廊下の人気の無い場所へ来ていた。
壁を背にして目の前には海が思いつめた表情で立っている。
どういう状況かなと倉井は口を開きかけた。
「あの、海さ…」
すると…海が倉井を挟んで両手を壁についてくる。
顔が近い!
逃げられない状態でドキドキする倉井。これはまるでキスをする流れではないか。そう思うとさらに鼓動が早くなる。
海が顔を近づけてくる。お揃いのリップのほのかにいい匂いもただよってくる。
どうしたらいいのかわからない倉井はとうとう目を閉じた。
「最中ちょっと聞いてる?」
「へぁ!?」
海の声に目を開けると相変わらず近くに顔がある。しかし海は困ったような表情をしていた。
「もー! せっかく勇気出して話したのに全然聞いてないし! 目を閉じてるし!」
「あっ…ごめんなさい」
「違うの! 謝らなくていいし。むしろこっちが謝りたいよ」
「はえ?」
話しをまったく聞いていなかった倉井はキョトンとしている。すっかりキスの事ばかりが頭にあったようだ。
とんだ勘違いに恥ずかしがっている倉井に海は再び説明した。
「いい? そ、その…二時間目の休み時間だけど、最中って廊下にいた?」
「えーっと? うん、それなら教室から出て移動してたよ」
意外な質問に午前中を思い出しながら答える倉井。そこに何があるのかは謎だが。
「そうだよね。でね、そのとき誰かと歩いてた?」
「あー、あのときは…空ちゃんと桜ちゃんが先に行ってたから、クラスの友達と一緒に行ったけど」
「そ、それで、クラスの友達って?」
「学校の友達だからそんなに詳しくは知らないけど、普通に話す相手かな」
「そうなんだ! そうだと思った!」
聞いた海の顔がみるみる明るくなる。どうやら考えていたことが杞憂で済んで安心したようだ。
最後には満面の笑みでニコニコと倉井に向き合う。
今の会話になにか嬉しいことがあったのかと、事情を知らない倉井は首をかしげた。
「なんかスッキリした! それじゃあ戻ろうか!」
「う、うん」
機嫌の良くなった海に手を引かれながら倉井も歩き出す。
何もわからない倉井は、とりあえず海の顔を近くで見られたからいいかと深く考えるのをやめた。
だけど、キスできなかったことが心残りな倉井は、いつかできたらいいなと頬を染めていた。
こんなに近くにいるのに遠いなぁ……。
嬉しそうな海の横顔を見ながら倉井は握る手に力を込めた。