151話 もう新学期!
夏野 空は教室の机でつっぷしていた。
いつの間にか夏休みは終わり、気がつけば学校に通っていた。
短すぎる!
例年にないほど充実していた夏休み。好きな葵 月夜と親密にすごせていたのに。
ぼんやり授業を受けていたら、いつの間にか放課後になっていた。
「やばいっ!!!」
慌てた夏野は帰り支度を済ませて地底探検部の部室へと走って行った。
部室には倉井 最中と葵 海が顧問の岡山みどり先生と一緒に机を囲んで座っていた。
机の上には、みどり先生が持ってきたお菓子と湯気を立てたお茶が出ている。
心配そうな倉井が夏野に声をかけた。
「やっと空ちゃんが来た。呼んでも上の空だったから教室に残してきたけど大丈夫?」
「えっ? そう、だっけ? ごめん、覚えてないや。えへへ」
すっぽりと記憶が抜けていた夏野は愛想笑いで誤魔化した。
倉井はボケ〜としている夏野を気にかけて一緒に教室に残っていようとしてたけど、海が迎えに来て強引に連れて行かされてしまったのだ。
同じクラスにいた親友の春木 桜は、いつものことだと気にせずに、とっとと部活へといってしまっていた。
とにかく地底探検部の部長としてしっかりしなきゃと自身を鼓舞した夏野は、平穏さを取り戻してみどり先生らと共にお菓子をつまんだ。
しばらく先生たちと楽しく話していた夏野だが、いまだに月夜や冬草 雪、秋風 紅葉の姿が見えない。
いつもならとっくに現れてもいいはずなのに……。
そんな夏野の心情を察してか、みどり先生がぽそっと漏らした。
「二学期になると三年生がいなくなるから、他の部活生は寂しくなるわね……」
は!? しっかり聞いていた夏野の体に電流が走った。
そ、そういえば月夜たちは三年生。受験や就職に本腰を入れるため、部活を休む生徒が大半だ。
血の気が引いた夏野は頭がくらくらしてきた。
せっかく夏休みに月夜との距離がぐっと縮まったのに、これではまた元通りになってしまう……。
次はいつ会えるのかもわからないのだ。
動揺している夏野に気がついた倉井が声をかけてきた。
「大丈夫空ちゃん? 顔が青いよ?」
「う、うん。平気。ちょっといろいろ考えちゃって……」
「ホントに?」
「ほんと、ホント! えへへ!」
空元気な夏野。
海はいぶかしげに夏野の顔をジッと見た──これはきっとお姉ちゃんが関係しているに違いない。鋭く夏野の感情を読み取る。
たぶん空が無駄に空回りしてお姉ちゃんが気がつかないパターンだ。……まったく的外れな想像で海は姉を責めていた。
残念なことに姉妹揃って恋愛に鈍感だった。
元気のない夏野を気遣って倉井と海が明るい話題を始めた。
二人の思いに乗った夏野は明るく振る舞い、落ち込む気持ちを誤魔化していた。
すると部室のドアが開き、月夜たちが賑やかに入って来た。
「遅くなってすまない! 思ったより話しが長引いてな」
「月夜先輩!!!」
予期せぬ月夜たちの登場に夏野はガタッと席を立つ。
そのまま勢い走って月夜に抱きつき夏野が泣き始めた。
「うええ〜〜ん。もうこないかと思ってました〜〜」
「おおっ!? これは!?」
驚きながらも月夜は夏野の頭をよしよしとなでている。
その様子を見てあきれ顔の冬草。
「おまえら、またケンカでもしたのか?」
「いや、まったく心当たりがない」
「うわ〜〜〜〜ん」
どちらかというと嬉し泣きの夏野だったが、月夜と冬草は気がつかない。
涙を拭きながら夏野が笑顔で迎える。
「もう部活には出ないかと思っちゃいました。良かったです! えへへ」
「そういうことか! 私らは三年生だからな。実は先ほどまで担任と進路のことで話しが長引いてね。それで部活に出るのが遅くなったわけなんだよ」
「でも、出てても平気なんですか?」
「うむ。私の場合、県立大学は推薦だし余裕だからな。雪は近くの工場に就職が決まっているし、紅葉は修行するから我々はいつも通り部活に出ても問題ないよ」
月夜から説明を聞いた夏野の顔がますます笑顔になる。
今まで気落ちしていた心が軽くなり、すっかり涙も引っ込んでしまった。
「ちょっと待って!? なんで私が修行だけなの!? それだと山にこもるみたいじゃない!」
聞き逃さない秋風が突っ込む。きっとパティシエの修行の事なんだろうけど、肝心な所が抜けているから意味不明だなと冬草は苦笑した。
はっはっはっはと笑ってうやむやにする月夜。訂正する気がないようだ。
キーーーっと月夜につかみかかる秋風を冬草が慌てて止める。
いつもの光景に夏野はホッとして、嬉しくなった。少なくとも月夜たちが卒業するまでは一緒に部活ができるから。
元気になって、ハツラツと月夜たちに仲裁する夏野。
部長らしく全員をまとめると長机を囲んで座った。
全員が落ち着き、みどり先生のお菓子に手を付け始めたところで夏野が席を立った。
「それでは今学期の部活の方針を決めたいと思います!」
部員の皆はお菓子を口に運ぶ手を止めてパチパチと拍手した。
皆を見渡し夏野が続ける。
「誰か訪れたい場所とか希望はありますか?」
「……」
すると全員目をそらす。いや、一人だけ違った。秋風は冬草に夢中で夏野を見ていなかった。
そう、月夜を除いて部員たちは別に地底探検がしたくて在籍しているわけではない。好きな人がいる…それだけで入ってきているのだ。当然、地底や地下都市に関する知識はゼロに等しい。
辛うじて倉井は、月夜や夏野のおかげで少しは知っていたが、自身が地底人だというアドバンテージも今はない。
いみじくも月夜が危惧していた“ラブラブ! お付き合い部”が密かに誕生していた。
以前なら部員だった夏野が積極的に発言していたであろうが、今は部長だ。意見をするにも部員たちの発言を聞いてからと本人は思っていた。
あまりの沈黙に夏野は月夜へ目をやる。
この中で一番詳しい月夜なら何か提案があればと期待してだ。
「……」
そんな夏野の思いも空しく、月夜は目を閉じ固く口を結んでいる。
これは無理だ。夏野は諦めて自分から言うことにした。
「えっと、近場の地下空間らしきところは、ほぼ行き尽くしたと思うんです。それで少し地中から上がったところを攻めてみてはどうでしょう?」
「地上ではないのか?」
目をカッと開いた月夜が問う。ニヤリと夏野は意味ありげに笑む。
「ふふふ。それがあるんですよ。そうです『半地下』です! 微妙に地下へと食い込んだ半端な場所。それならいくつか候補があります!」
「な、なるほど! その手があったか!」
感心したように月夜が大きく頷く。
何言ってんだコイツら。夏野と月夜のやりとりを見ていた冬草は、胸の内でツッコミを入れた。
それからは夏野が候補を上げ、月夜が質問をして盛り上がる。
場の空気が和んだのか倉井と海が二人でコソコソと話始めた。冬草と秋風は体を寄せ合いイチャイチャしている。
みどり先生は休まず手をお菓子へと伸ばしていた。
と、そこに闖入者が部室の天井から飛来した。
──ぼとっ。
部室の長机の中央に“それ”は落ちてきた。
「ギャァアアアアアーーーーーー!!!」
「ぶぅぇええ!?」
目にしたとたんに月夜が叫び、隣にいたみどり先生にぎゅーーっと抱き着く。お菓子を口に入れる間際のみどり先生から変な声が出た。
「ひっ!? びっくりした! ってクモ! 超でっかいクモ!」
驚いた夏野が壁際へ後ずさり震える指をさす。
いつの間にか冬草が秋風を抱き上げて部室の隅へ逃げていた。
長机の上には黒い大きなクモが身じろぎもせず鎮座し、周りに自己主張をしている。
「ひぃいいーーー! み、みどりちゃん! なんとかしてぇえええ!」
月夜が声をあげる。
「うぅぶ。つ、月夜さん、く、苦しい…」
力いっぱい抱き着かれているおかげで、みどり先生は身動きできない。
クモの登場にドン引きしている海を尻目に、倉井はひょいと目の前にいるクモをつまんだ。
手の下でクモが八本の足をうねうねして身じろぎする。
倉井は手にあるクモに視線を落としてから月夜を見た。
「これ、どうします?」
「さ、さすがだ最中くん! いいから窓からそれを捨ててくれぇええ!」
「ふふふ。はい」
クスクス笑いながら倉井はトコトコと窓へ歩き、ガラガラと網戸を開けるとそっと手にしたクモを外へ逃がした。
「もう来ちゃだめだよ。みんなが驚くから」
そう声をかけて窓を閉める。
再び座っていたイスへ戻ると海が目を輝かせていた。
「凄い! 最中ってカッコイイ!」
「そ、そんなことないけど……」
「ううん! 凄いよ最中! ほんと最中って頼りになる! お姉ちゃんとは大違い!」
海が倉井の両手を握り尊敬の眼差しを向ける。
なんだか恥ずかしくなってきた倉井は頬を染めた。
「グヌヌヌ……。お姉ちゃんは悔しい……。もっと妹から尊敬されたいぞ……」
「そ、そんなこといいから、は、離してちょうだい!」
いまだ抱き着いていたままの月夜にみどり先生が息苦しそうに文句を言う。
しかし、その手にはずっとお菓子が握られていた。