140話 そこじゃない!
地底探検部はこの日、ある地下街スポットに来ていた。
いつも行くターミナル駅の反対方向にある先の駅に地下街があるのを発見したためだ。
最近はバイトに明け暮れていた夏野は、ひさびさに部長としてはりきっていた。
「それじゃ、皆さん! 今日はここでーす! じゃじゃーん!」
夏野が両手を広げて紹介する先は駅前にある古びた二階建てのビルの入り口だった。
入り口頭上に掲げられている看板には「総合デパート」と古めかしい字体で書いてある。
中を覗くと、入り口から続く広い通路の両側に店が並んでいるのが見えた。
冬草 雪がマスクを直しながら聞いてくる。
「ここ…大丈夫なのかよ? 崩れないか?」
「とんでもないです! ここは現役なんです! 買い物もできますよ!」
夏野が元気に反論する。
確かに中にある店は開いているようだ。ちらほら客の姿も見える。
中腰でビルを確認しながら葵 月夜が感心していた。
「よく見つけたな……」
「それ! あたしなんだ! お婆ちゃんから聞いたんだよ!」
「さすがです! ゆかりもない部に情報を提供するだなんて、りっぱです先輩!」
夏野に負けじと春木 桜が主張し、吹田 奏がヨイショする。
なぜこのコンビがここにいるのかと頭を抱える月夜。
「ほら、海さんあそこ見て」
「あれなんだろ? 知らないキャラクターの絵だね」
倉井 最中と葵 海はすでに自分たちの世界に入っているようだ。周りと雰囲気が違っていた。
二人は記念にと、スマホでパシャパシャ互いを被写体にして写真を撮っている。
もろにデートっぽい格好をした秋風 紅葉が冬草の腕をとった。
「ちょっとしたお化け屋敷みたい。デートにピッタリね」
「ふざけんな! お化けは嫌いだー!」
「ふふふ」
ビビる冬草に笑みをこぼした秋風が笑う。二人は体を寄せ合っている。
そんな光景を顧問の岡山みどり先生がスナック片手にもぐもぐと見ていた。
地底探検部一行はこうしてビルの入り口を踏み入れ、中へと入っていく。
黄色く変色した壁は年季が入っているようで、ところどころに長いヒビがあった。両側に並ぶ店は区画が統一され、それぞれ店先に出す商品で違いを出している。
所々にシャッターが閉まった店もあり、華やかな昔と比べるとずいぶん寂しくなっていた。
それでも地元の近所にはない商品が並び、部員たちは興味深そうに眺めていた。
みどり先生はお菓子や恋人の岩手 紫へのお土産をちゃっかり買っていた。
一行は奥まで進むと地下へと続く階段へとぶつかった。
先頭を歩いていた夏野が振り返り、ニヤリとする。
「ここが本日の目的地、地下街です! さあ! レッツ探検!」
おー! と月夜と春木、吹田が手を上げ応える。
冬草と秋風、倉井と海はいまだ商店をうろうろして品物を眺めてはキャッキャしていた。
買い物袋を下げたみどり先生は見なかったことにして、夏野に先へ行くよううながす。
先生の指示に気がついた夏野が、苦笑しながら階段を下りていった。
踊り場を曲がり、地下一階へと出た部員たち。
そこには一階と同じように通路を挟んで店が並んでいる。天井には古い蛍光灯が連なり、そこはかとなくノスタルジーを感じる雰囲気だ。
開店している所がまばらで、シャッターが閉まっている店の方が多い。ぽつぽつと遠くに人影が見え、活気の無い寂しさをかもし出していた。
なんとなく怖くなってきた月夜は夏野にピタリとしがみつく。
「恐くなったんですか月夜先輩?」
「そ、そそそんなわけはないぞ。ただ、古めかしい雰囲気に身の危機を感じただけだ」
そう言いながらも夏野の服をつかむ月夜。
夏野はクスクス笑い、先を進み始めた。
開いている店を覗くと、暇そうな店主が部員たちを見ていぶかしげな顔をしている。
愛想笑いで通り過ぎる夏野たち。
地下の店は飲食店などが多いようで、定食の看板や旗が立てられ目をひくようにしていた。
春木と吹田のコンピは楽しそうに、店頭のガラス棚に並ぶ色あせた食品サンプルを見ながら評論している。
そうして進んで行き、目の前に封印された両開きのドアで行き止まりになった。
ドアには『進入禁止』『勝手に入らないで』と茶色くガサガサになった張り紙がしてある。
「ふむ。この先にはなにがあるんだ?」
興味深そうに月夜が張り紙を見ている。
夏野もドアに鍵がかかっているのを確認した。
「ドアノブにチェーンもかかっているし、これ以上進むのは無理ですね。どうします?」
「戻ろう。ここにいてもお店の邪魔だろう。すまないが私はトイレに行かせてもらうよ」
そう言うと月夜は通路の途中にあるトイレへ駆け込んだ。
先ほど寒気を憶えて尿意が下腹部を刺激していたのだ。行き止まりで安心した月夜に再び刺激が襲い、漏れそうだとトイレの個室に入った。
昔ながらの和式便器で眉をひそめながらも準備する月夜。トイレの中は薄暗く、恐怖心をあおっていた。
急いで用をたす月夜。こんなことなら夏野と一緒に来ればよかったと後悔していた。
しかも、こんなときに限って長い。
なかなか終わらない放出に月夜は焦る。
恐怖でドキドキしながらも終えた月夜はホッと一安心だ。
だが、次の瞬間、新たな事態が勃発した。
「……ない」
そう、紙がなかったのだ。ホルダーは空で個室には予備も置いていない。
この空間から一刻も早く出たいのに、離れられない……。
さらに焦る月夜は軽くパニックになった。他に何か拭けるものがないか探すが、何も無い。
もうこのまま拭かずにパンツをはいて誤魔化すしかない……月夜が覚悟したそのとき、
ゴソゴソ──
隣の個室から物がこすれる音が聞こえた。誰がか入っているに違いない。
これ幸いと喜んだ月夜が声をかける。
「すみません! 今、隣にいるんですけど、紙がなくて難儀しているんです! 助けてくださいぃ!」
途中から悲痛な声になる月夜。切羽詰まっているからしかたがない。
「……」
シン──と返事もなく静寂がトイレの空間を支配する。
ひょっとして無視されたのか……月夜が不審に思い始めたとき、
ポコン!
上からトイレットペーパーが降ってきて月夜の頭に当たった。
慌ててキャッチする月夜は安堵で満面の笑みになる。
「あ、ありがとうございますぅ〜!!!! 助かりましたぁ〜〜!!!」
あまりの嬉しさに大きな声で礼を言う月夜。急いでホルダーにトイレットペーパーをセットし、無事に事なきを得た。
個室から出た月夜が手を洗っていると春木がトイレに入ってきた。
「う〜漏れそう!」
バタバタと慌ただしく個室へバタンと滑り込んでいく。
相変わらず騒がしいなと月夜は苦笑しつつトイレを後にした。
トイレのそばにはみどり先生や部員たちが待っていた。月夜が出てくると夏野が笑顔で出迎える。
「長かったですね。大きいほうですか?」
「空君、もう少しふんわり包んで言って欲しいのだが。実はトイレットペーパーが無くて困ってたんだが、親切な隣の人が譲ってくれたので助かったのだ」
「へ〜。良かったですね」
嬉しそうに言う夏野に苦笑する月夜。
そのとき、春木がトイレから出てきた。
「あれ? 桜君、他に人は見なかったかな?」
「え!? ううん。あたし以外は誰もいなかったよ」
聞いた月夜は青ざめた。
「ま、待ってくれ。いいか? もう一度言うぞ? ちゃんとトイレの中を思い出すんだ。他には誰もいなかったのか?」
「うん、そう。他のドアは全部空いてるマークになってたよ」
「ひゃぁああーーーー!!!」
悲鳴をあげて月夜が腰を抜かす。崩れ落ちる月夜を慌てて夏野が支える。
「どうしたんですか!? どこか痛いんですか!?」
「ち、ちち違うんだよ〜! 誰もいないのにト、トトトトイレットペーパーが……」
「月夜先輩!?」
恐怖に怯えた蒼白な月夜が夏野を背中から抱きしめギューッとした。
恐る恐る部員たちにトイレの状況をポツポツと話し、説明する月夜。部員たちは話し半分で聞いていた。
それから、とんだ怪談騒ぎにざわついた部員たちはトイレを調査し、誰もいないことを確かめていた。
怖がる月夜は夏野を離さず抱きしめたまま、一緒に行動していく。
夏野は密着して嬉しいながらも歩きづらい状態に、ちょっとだけ困っている。
……でも、月夜の匂いに包まれてるのも悪くない。夏野は久しぶりの月夜を堪能していた。
「は、早く帰ろう! もう嫌だ、こんなところはごめんだぁーーー!」
「わたしたちがいるから大丈夫ですよ」
怖がる月夜を夏野がなだめいている。
それを見て他の部員たちは苦笑している。顔を青くした冬草を除いて。冬草は秋風の手をギュッと握って恐怖に耐えていた。
どうして行く先々で必ず一騒動があるのだろうかと、みどり先生は部員たちを見て笑う。
皆で一階へと通路を歩き始める。月夜は皆を急かしていて、ここにいたくないようだ。
ふと、みどり先生が振り返ると、トイレの出入り口で半身を隠すように少女がこちらへ手を振っているのを見つけた。
かわいいなと手を振り替えしたみどり先生。
だが、次の瞬間、急いで顔を戻し、部員たちをせき立てるように早足で階段を上がっていく。
また見てしまったのだ。
足元が透けている人間を……。
気のせい! そう! きっと見間違いだ! ちょっとした勘違いに違いない! 私は可愛い少女しか見てない!
みどり先生は頭の中でそう繰り返し、消えていた少女の足元を記憶から消そうとしていた。
建物から出たみどり先生と部員たちは気を落ち着かせるために、近くの喫茶店へと入っていった。
夏の暑い日なのに、月夜と冬草は温かいココアを注文していた。