138話 ちょっと待て!
葵家の台所に立つ月夜は、テーブルに置いてある皿に注目していた。
そこにはチョコレートやシュガーパウダーの載ったドーナツが三つ皿にある……。
キョロキョロと辺りを見渡した月夜は、他に誰も居ないことを確認する。
きっとこれは、母に妹の海、そして自分用に違いないと月夜は確信していた。父親は部屋にこもりっぱなしなので、勘定には入れてない。
しかも、現場には月夜のひとりしかいない。
さっそく月夜はお茶を用意してイスに腰掛けると、テーブルにあるドーナツを上機嫌に手に取った。
鼻歌をしながらモグモグ食べていた月夜が、最後の一つに手を伸ばした所で視線に気がつく。
首を回してみると、台所の入り口に父親がひっそり突っ立って、こちらに目を向けているのを発見してしまった!
「ふぐぅう!?」
驚いた月夜がドーナツを喉に詰まらせ、胸を叩く。慌ててお茶を口に含み、ドーナツを飲み込んだ。
「お、お父様! いるなら声をかけてもいいじゃないか!」
「あ。すまん。あまりにも月夜が美味しそうに食べてたから言い辛くて……」
ポリポリと頭をかく父親。
身長が高いくせ、あまりにも存在感の薄い父親に、月夜は残りのドーナツを渡す。
「ほら、お父様も食べて。お腹が空いたのかい?」
「いや、喉が渇いただけだ」
片手で受け取ったドーナツを観察しながら答える父親。もう片手にはポットが握られていた。
いつもは保温ポットに飲み物を入れて部屋に置いており、なるべく執筆に集中できる環境にしていたのだが、どうやらポットの中身が無くなったようだ。
月夜は父親からポットを引ったくって、座らせる。
そして、お茶を出しつつ、父親のポットに入れる飲み物を作り始めた。
モキュモキュと小さくかじりながら父親がドーナツを食べている。
月夜は自分のお茶を淹れながら聞いた。
「そういえば、新作はできたの?」
「いや、まだだ。肝心なトリックが難しい。設定を複雑にしすぎて全員に動機がありすぎるし、密室が完璧すぎた」
肩を落とした父親がポツリと漏らす。
それって、書き直した方が早いんじゃ? 月夜はそう喉に出かかる。
「だったら動機のない人物を犯人にすれば?」
「唯一ないのは殺害された被害者だけだ」
「えーと、他殺に見せかけた自殺にすれば?」
「だめだ。それはもう別のでやった」
「……」
もう言うことが尽きた月夜。そもそも推理物はあまり読まないので、密室トリックなんてよくわからない。
父親はいまだモキュモキュと食べている。
ポットに作り立ての飲み物を入れると父親に渡す。
お礼を言って父親は自室へと、のそのそと戻っていった。
売れっ子の小説家も大変だなぁ、と月夜は人ごとのように思いながら皿を洗い、証拠を隠滅した。
□
月夜がリビングで休んでいると、母親と妹が家に帰ってきた。
ただいまーとの声が聞こえ、楽しそうな話し声が家の奥へと引っ込んでいく。
すると、ドタドタと母親が血相を抱えて、月夜のいるリビングに飛び込んできた。
「月夜! あんた食べたでしょ!」
「なんのことだいお母様」
しれっと答える月夜。そう、今回は逃げ切れる自信があるのだ。なんせ証拠は隠滅したのだから。
余裕の表情を見せる月夜に母親はいぶかしげにマジマジと顔をうかがう。
「ドーナツ!」
「ははは。何のことだか?」
軽く笑って誤魔化す月夜。
そこにトタトタと走ってきた妹の海が現れた。
「お姉ちゃんドーナツ食べたでしょ! ちゃんと三つあったのに、なんで全部食べちゃうのバカ! 冷蔵庫にもないじゃない!」
聞いた月夜はおや? と思った。冷蔵庫は確認してないが、ドーナツはないはずだ。なぜならテーブルの上のは全てなくなっているから。
母親と妹に睨まれながらも、月夜は平静さを崩していなかった。
「冷蔵庫もそうだが、そもそもドーナツなんて知らないな」
「ウソ! 冷蔵庫はもしからしたらと思って確認しただけだよ! 家にいるのはお姉ちゃんだけでしょ!」
「やっぱり月夜だ!」
海と母親がキーキー言ってくる。冷蔵庫の謎が解けた月夜はホッとしていた。
まったく大人げない二人だなと月夜は首を振る。
「だいたいなんで私が疑われるのだ? ただ家にいただけなのに」
「いたらからだよ! もう!」
間髪入れずに海が突っ込みを入れる。母親の睨みがだんだん怖くなってくる月夜。
しかし、ここまで来たからには誤魔化す以外方法は無い。
「もっと外に目を向けるべきだと私は思う。たとえば、裏庭に住むタヌキが取っていった可能性も否定できないぞ」
「そんなことより、お姉ちゃんが食べた方が可能性が高いよ!」
至極もっともなツッコミに月夜は頷きそうになりながら、なんとか耐えた。
くわっと目を見開いた月夜が二人の後ろを指差した!
「後ろ!? 後ろにタヌキがぁあ!!!」
ビックリした母親と海が振り返った隙に月夜はダッシュして逃げ出した!
「あっ!? 月夜!?」
慌てた母親の声を聞きながら月夜は家から飛び出し、裏の雑木林へと駆けていた。
□
「はぁ!? 身代わりになれと?」
小さな祠の前でツキネが驚く。
ツキネを呼び出して説明し、両手を合わせた月夜が拝み倒していた。
「頼むよ〜。お母様が怖いんだよ〜」
「お主がよほど怖がる母親に我を出せと? アホか! 急に呼ぶから何かと思えば、くだらない!」
「そんな〜」
情けない顔で月夜がツキネにしがみつく。
「ええい離せ! いい加減、素直に謝ればことは済むのじゃ! 馬鹿者め!」
「頼むよ〜。お願いだよ〜」
泣く月夜を無理矢理引き剥がし、ツキネは足蹴にするとふわりと宙に舞い、消えていった……。
ぽつんと取り残された月夜は、ツキネを道連れにしようとして失敗していた。そう、あわよくば代わりに怒られてもらおうとしていたのだ。
しかたなくトボトボと家に戻る月夜。その背中は哀愁を秘めていた。
家に戻ると案の定、母親と海にこってりと絞られる月夜。
正座で縮こまる月夜にガミガミと母親のお説教が飛ぶ。
ドーナツの代わりに、コンビニまでダッシュしてプリンを買うはめにもなった。
なんて鬼なのだろうと、自分のことを棚にあげつつ月夜は思った。
少し心がやさぐれた月夜だった。
夜も更け、就寝前に月夜が布団をひいていると襖がノックされる。
「何だ?」
海や母親なら遠慮無く開けてくるのに、不思議に思いながら開けると父親がのそっと立っていた。
「お父様!? どうしたんだい?」
驚く月夜に父親が手に持ったプリンを差し出してきた。
「話しは聞いたよ。なぜ僕のことを黙ってたんだ?」
「だってお父様のぶんは私が渡したからで、悪くないから……」
プリンを受け取りながら、言いにくそうにしている月夜。けっしてあのとき、見られたのを誤魔化す為とは言えなかった。
父親は微笑みながら月夜の頭をなでた。
「優しい子だな。良い子だ。おやすみ月夜」
「おやすみお父様」
去りゆく勘違いしたままの父親の後ろ姿を見ながら、なんとも言えず言葉を返す月夜。
ふうと息を出し、安心した月夜。少なくても父親だけは誤魔化せたから。
父親に感謝した月夜は、すぐにプリンを食べた。しかもこれで二個目。
なんだかんだで得をしていた月夜だった。