131話 やってやるよ!
職員室から出てきたのは冬草 雪。
高校三年の冬草は卒業後の進路について担任に説明していたのだ。ちなみに学年で進路が決まっていなかった最後の一人。
スカートのポッケからマスクを取り出すと装着する。さすがに病気でもないのにマスクをつけるのも失礼だと職員室内では外していた。
廊下を歩き始めると、窓際で待っていた秋風 紅葉が嬉しそうに近づいてきた。
「早かったね」
「待たなくてもよかったのに」
照れた冬草が言うと秋風はニッコリと微笑み、腕を絡めてきた。
「いいじゃない、気になってたし。結論は出たの?」
「お、おう。まあ……な」
ぎこちなく答える冬草に優しく目を細める秋風。
何も聞かずに廊下を歩く冬草と秋風。気をつかっているのか満足しているのか、秋風の表情からは読めない。
どうせ後で言わなければいけないからと覚悟を決めた冬草がぼそぼそと話し始める。
「あたいさ、ち、調理師免許を取ろうって決めたんだ。そしたら衛生管理者にもなれるし。紅葉がフランスから帰ってきたら何か手助けできるんじゃないかって……」
聞いた秋風は目を輝かせて冬草の顔を見た。冬草の目は泳いで照れているようだ。
人気のない場所へ冬草を引っ張っていく秋風。
壁に冬草を押し付けると顔を寄せる。
「どうしよう。嬉しすぎてキスしたい」
「だめだって! だからあんまり言いたくなかったんだよ!」
ぐいぐいくる秋風を押しとどめる冬草。マスクをしているから直接はないが、鼻息荒い秋風の勢いに冬草はタジタジになる。
二人が騒がしくしていると、目撃した生徒から聞きつけた先生が飛んできた。
人前で破廉恥なことをしてるなと冬草と秋風は説教されていた。
□
ルンルンと夏野 空はバイト先である駅近くの喫茶店へ、軽い足取りで向かっていた。
今日は葵 月夜と同じシフトなので一緒に働くことができる。
学校以外でも顔を合わせることに夏野は嬉しくて顔がにやけていた。
からんとドアベルを鳴らし喫茶店に入っていく。
いそいそと厨房に顔を出してマスターに挨拶する。
「おはようございまーす」
「あっ、来たね」
エプロンをしたマスターが微笑む横で、緊張した面持ちの冬草が直立していた。
「あれ? 雪先輩?」
「お、おう!」
驚く夏野にぎこちなく手を上げる冬草。マスターは苦笑して冬草の肩をぽんと叩く。
「冬草さんは友達なんでしょ? 今日から厨房に入るからよろしくね」
「はえ…」
急なことでキョトンとする夏野に冬草は軽く頭を下げた。
夏野はバックヤードへ引っ込むと着替えて再び厨房に行き、冬草に話しを聞いた。
どうやら調理師免許を取得したいようで、今までいたマ○ドナ○ドではキッチンを担当できないことから難しいようだ。なので条件に合うこの喫茶店にバイト先を変更したとのこと。
最初に冬草の顔を見たときに前のバイト先でケンカでもしたのかと心配した夏野だったが、話しを聞いて安心した。
冬草は秋風の洋菓子店を手伝う気満々なようだ。
ちゃんと相手の事を考えて自分のできる道を選択している冬草を見て、秋風先輩は愛されてるなぁと夏野はほっこりしていた。
それから遅れて月夜が喫茶店のドアをカラコロ鳴らしながら駆け込んできた。
急いで厨房へ顔を出す月夜。
「すまない! 所用で遅れた──」
ボフン!!!
ガスコンロの方で何かが爆発して白い煙が漂っている。
唖然としている月夜に、その場にいた夏野とマスターが気がつく。
「月夜先輩!」
「そ、空君…これは一体!?」
苦笑いしている夏野が声をかけると月夜が近づく。
そこにはフライパンを片手に持った冬草が、粉まみれで直立して固まっている姿があった。
慌てたマスターが火を止め冬草に飛び散った粉やらをふきんで落としている。
ポカンと事態が飲み込めていない月夜に夏野が説明し始めた。
どうやら新しくバイトに入った冬草が厨房に立ってマスターからレクチャーを受けていた途中、パンケーキが爆発したようだった。
そもそもパンケーキは爆発するものだろうか? それは調理が下手とかという次元をとうに越えている気がする。
なるほどと聞き終えた月夜は着替えをすますと、調理をマスター、接客を夏野に任せて冬草の教育に自分がついた。
「ほら、あたい、マ○クでバイトしたとき最初は厨房だったんだよ。で、パンズやパティを真っ黒に焦がして、ついで目玉焼きが爆発したときにレジへ移動になったんだ。今度は大丈夫だと思ったんだけどなぁ……わりぃね」
ポリポリと頭をかいて言い訳する冬草。
たいてい、やらかした人間は饒舌になるなと聞いていた月夜は眉をしかめる。前にもフライパンを焦がしたと話していたことを思い出しながら。
「よし! 基本からいこう! どうやら雪はつねに火力全開なようだし、調理のイロハを伝授しよう!」
「お、おう……」
燃える月夜に怖々な冬草。
あたいはどうなってしまうんだ? 怯える冬草の手を取り月夜はフライパンの扱いから教えていく。
フロアで接客していた夏野が空いた時間に厨房をのぞくと、冬草が月夜とイチャイチャしているように見える。
なんでいつも美味しい所を雪先輩は持っていくの!? わたしも月夜先輩とくっつきたい!
嫉妬でお盆を噛む夏野。このときは、何でもそれなりにこなせる自分を呪っていた。
しかし、実際のところは必死な形相で冬草が火の調整をしたり、具材の投入などを教わっていた。右手に持つフライ返しが緊張でプルプルと震え、汗ビッショリで月夜の指導に耐える冬草だった。
まさか後輩にそんな目で見られているとはつゆ知らず、なんとも浮かばれない冬草であった。
たっぷりと月夜にしごかれてグッタリの冬草は、なんとか自宅へ帰っていた。
ダイニングテーブルに疲れ果てたようにつく冬草。
そんな冬草に母がやさしく声をかける。
「雪ちゃん大丈夫? へとへとじゃない。月夜ちゃんや空ちゃんと上手くいっている?」
「いや、月夜たちとは普通だよ。それより厨房で修行がきつかった……」
「修行? アハハハ。修行!? バイトで修行って初めて聞いた!」
聞き返した母が面白そうに笑う。
むすっとした冬草だったが、ホントのところを言うとさらに爆笑されそうなので口をつぐむ。
それから少し遅い夕食をとった二人。
いつもながら母の料理はきちんとしててそつがない。バランスも気にかけているし、なによりも温かい。
月夜に教わってから初めて母の出す料理に意識が向いた。これが調理師になるってことかなと漠然に思う冬草。
味を噛みしめながら料理について、あれこれ考えながら冬草は食している。
そんな冬草を母はニコニコと見ていた。
リビングに移った親子はソファーでくつろぐ。
「ママ……」
「なあに雪ちゃん?」
かすかな声の冬草に敏感に母は応じる。
耳を真っ赤にさせ、照れくさそうに向こう側を見ながら冬草が意を決して口を開く。
「そ、その…あたいにも教えてほしいんだけど。り、料理なんだけど……」
「まあ! 嬉しい! なんでも教えちゃう!」
ガバッと抱きしめる母に、ううぅ…と照れて唸る娘。一度は断念した料理を再び習う気になったのだ。
東京からこの地に移ってから冬草はだいぶ変わった。
友達ができて素敵な恋人もゲットできた。いつの間にか将来の事も考えて母に自分の気持ちを打ち明けていた。
相変わらず黒い衣服に身を包んでいるけれど、その中はとても明るい色をつけている。
冬草の母は幸せになっていく娘にとても喜んでいた。
だが、喫茶店のマスターに迷惑がかかっているのを二人は気がつかないでいた。
がんばれ! マスター!
補足:
パンズ…ハンバーガーのお肉をはさむパン。一般的には味の薄い丸パンのこと。
パティ…ひき肉を円盤状に焼いたもの。ハンバーガーのパンにはさまれるお肉のこと。ハンバーガーパティとも呼ぶ。