117話 帰るの早すぎ!
翌日、目を覚ました川岸 水面と蟹屋 窓里はあくびをかみ殺しながら支度をすませた。
そこに葵 月夜がやってきた。
「おはよう! 朝食を用意したがどうかな?」
「食べるっ!! あ、おはよう~!」
川岸がニコニコと勢いよく手を上げる。あまりの元気の良さに蟹屋は笑う。
空手の朝練をすませたようで、月夜はギャルの私服に着替えていた。
しまったと川岸は思った。前に見た凜々しい月夜の姿を見逃したから。でも、前に写真撮ったからいいかと思い直した。
朝食をすますとリビングでくつろぐ。
一緒に食事をとった月夜の妹、葵 海と倉井 最中もいる。
どうやら倉井もこの家に泊まったようだ。
自然に溶け込んでいるようで海と楽しそうに雑談している。
月夜が川岸と蟹屋に聞いてくる。
「それでは温泉に行くかい?」
「待って! その前にやりたいことがあるの!」
川岸が待ったをかける。思わぬ事に月夜がたじろいでいると川岸が迫ってきた。
「制服! せっかく現役女子高生なのに制服着てないなんておかしくない?」
「え!? い、いや、だって今日は休日だし……」
「そんなの関係ないよ! わたしが見たいんだもん!」
いきなり変な要求をいってくる川岸に月夜がタジタジになる。
「し、しかし、最初に会ったときは制服だったが……?」
「そんな大昔の事は忘れたよ! さ、立って!」
無理矢理月夜を立ち上がらせて部屋を出ようとするところで、ハッと気がついた川岸は足を止める。
クスクス笑って楽しそうに話している海と倉井に目を向けた。
「そこの海ちゃ~~ん! 最中ちゃ~~~ん! あなたたちもお願い!」
「えっ!?」
驚いた二人が川岸の顔を見る。ニコリと笑う川岸が顎で部屋を出ろと指示を出していた。
意味がわからないが、謎の圧にしぶしぶ従う二人は月夜と共に自室へと向かって行った。
その様子を見ながらお茶に口をつけていた蟹屋は、これが目的じゃないかと川岸を疑っていた。
しばらくすると川岸の黄色い声が響き、リビングへ戻ってきた。
「窓里さんっ! 見て! ほら、こんなに可愛いっ!!!」
高校の制服に着替えた月夜たちを川岸が蟹屋の前へ立たせた。
「こういうことをされると、何かコスプレしている気分になるのだが……」
「そんなことないよ~! とってもいいっ!!!」
照れる月夜に目をキラキラさせた川岸が褒めちぎる。
制服を着崩してギャル風にしている月夜とは逆に、きちんと着ている海と倉井。なんとなく清楚な雰囲気だ。
やたらと抱きつき、スンスンと女子高生の匂いを堪能している川岸に蟹屋はドン引き中だ。
川岸がふざけているのかと月夜や海たちはキャーキャー騒いでいる。
一通りさわりまくって満足した川岸は蟹屋にスマホを差し出した。
「窓里さん! お願いしますっ!」
どうやら月夜たちと写真を撮りたいようだ。
しかたなく受け取った蟹屋は四人を撮った。
そこに川岸が注文を出し、ツーショット、スリーショットでポーズを添えて撮りまくる。
朝からなにをやってるんだろうと疑問に思いつつ、月夜たちはノリノリで応じていた。
それから月夜たちの案内で川岸と蟹屋は近くの温泉へと案内された。もちろん学生服のままで。
近くといってもバスで三十分の山裾にある、こじんまりとした温泉場だ。
坂を登るバスに揺られながら川岸は前に見た風景を思い出していた。
のどかな田舎の風景に蟹屋は珍しそうに景色を楽しみ、月夜たちに質問していた。
しばらく揺られていくと目的の温泉が見えてきた。バス停は施設の目の前にあり、月夜たち以外にも数人が降りていった。
駐車場はないが、道路から広場のような空けた空間に続いていて、マイカーで来た人たちがまばらに止めている。
奥には山小屋のような施設が控えており、背後は木の板で囲いが広がり外から見えないようになっている。囲いを覆うように白い湯気がモワモワと立っているのが見えた。
まるで温泉番組にあるような風景に、川岸と蟹屋は期待に目を輝かせた。
「ここは露天風呂だけで、そんなに大きくないんだ。だから少人数でくるならオススメだ。今日は天気に恵まれているから景色も良いと思う」
施設に向かいながら月夜が制服姿のまま説明する。
口調はともかく、こういうのもいい! 川岸は現役女子高生の地元案内に興奮していた。
すると月夜たちに声をかける人物が現れた。
「あら!? 月夜さん?」
「ミドリちゃん!? それに紫ちゃんも!?」
振り向いた月夜は岡山みどり先生と岩手 紫先生の二人の姿に驚く。
二人は春らしい明るく軽い服装で、手荷物をそれぞれ持っている。
「あなたたち学校もないのに何で制服着てるの?」
「うむ。リクエストされて…長い話しなんだ」
面倒になって説明を打ち切った月夜に、みどり先生はハテナと頭を傾けた。それを誤魔化すように月夜が続ける。
「と、ところで、ミドリちゃんたちはデートかい?」
「うふふ。これから山の方にあるうどん屋に行くのよね」
「朝風呂で体はスッキリ、お昼はうどん。贅沢プランを実行しているようだね」
「まーね。それが終わったら山を下りてケーキ屋に向かう予定なの」
「ちょ、ちょっとみどり!」
気を良くしてベラベラとデートの計画を喋るみどり先生を紫先生が止める。
作り笑顔で月夜に会釈すると、みどり先生を引っ張って紫先生が先を行く。
川岸に気がついたみどり先生はニコリと手を振って挨拶をしながら連れて行かれた。
「前に大阪に来てた先生だよね?」
顔を思い出した川岸が聞くと月夜は頷く。
「うむ。ここだけの話、二人は付き合ってるのだ。きっと後で紫ちゃんが小言を言っていると思う」
イシシと笑う。
しかし、みどり先生たちと話している間に海と倉井は先に施設へと行ってしまったようだ。
待ちきれない蟹屋が川岸と月夜の背中を押した。
「私たちも早く行こ! 楽しみなんだから!」
施設に入るとすぐに受付があり、他には飲料粋の自動販売機が数台あるだけだ。タオルなどのアメニティは受付で販売している。
三人は料金を払い、女湯の方へ行く。
脱衣所は六畳ほどの広さで木製のロッカーが壁にあり、十二の扉が見えた。扉には差し込み式のステンレスプレートの鍵がついている。
海と倉井の姿が見えない。二人はすでに温泉に入っているようだ。
田舎の温泉感まるだしな風情に蟹屋と川岸は喜ぶ。
「なんかドラマのセットみたいだね」
「塗装が剥げてるのがいい味出してるよね」
室内の様子や古いロッカーに感想を言い合う。
そんな中、月夜が制服を脱いでいると川岸の視線が釘付けになる。
「な、なんだ!? そんなに見られると恥ずかしいのだが……」
気がついた月夜が脱ぎかけを止めて顔を赤くする。
「ううん、気にしないで? 続けて!」
「いや、無理」
やりとりを見ていた蟹屋が慌てて川岸の体を回して月夜に謝る。
「ああっ! ごめんなさいね! 水面も脱ぎなさいよ!」
月夜は苦笑すると川岸の見ていない間に制服を素早く脱ぎ、露天風呂へと部屋を出て行った。
せっかく女子高生の生脱ぎだったのに……川岸は涙を飲んだ。
蟹屋と川岸が外にでると岩で囲まれた露天風呂が優雅な自然を背景に現れた。確かにそれほど大きくなく、せいぜい三〜四人人が足を伸ばせて入れる限度のようだ。
すでに月夜や海、倉井が入浴していて、楽しそうに話している。
それを見た川岸は感動した。露天風呂で美少女たちが戯れている美しい光景──
目を見開いて脳内にその場面を刻む。隣にいた蟹屋は川岸の事を呆れて見ていた。
十分に脳に記録した川岸は蟹屋と一緒に体を流し温泉に浸かる。
「ふぁぁあ~~~! 最高!!!」
ほどよい熱さのお湯に蟹屋が声を漏らした。川岸も気持ちよさそうにしている。
「この湯は単純温泉で、少しアルカリ性が高いから肌に良いと言われているよ。それに疲労回復や神経痛にも効くようだ」
月夜の解説に蟹屋と川岸は、へ~~と感心している。
緑色の山々がパノラマに広がる景色。豊かな自然を堪能しながら温泉に浸る。
大阪近郊では味わえない風情に、蟹屋と川岸は身も心もリラックスしていた。
そうしている内に海と倉井が温泉を上がり出て行く。
火照った体がピンク色に染まって可愛らしい。川岸は二人を視線で見送った。
入れ替わるように地元のお婆ちゃんが入ってくる。川岸は視線を下げた。
やがて三人も上がり、着替えると自販機で飲料水を買い、ゴクゴクと水分を補給する。
こうして温泉を楽しんだ月夜たちは家へとバスで戻っていった。
月夜の自宅でお昼を食べた川岸と蟹屋は、昨日から泊まっている布団が畳まれている部屋でゴロリと横になっていた。
はぁ~と幸せに息を吐き出した蟹屋が川岸に顔を向ける。
「なんか下手な旅館よりいいんだけど。サイコー」
「んふふふ。だね!」
笑顔の川岸が同意する。
ほどよく暖まって満腹の二人は、しばらくすると寝息を立てていた。
──ガバッと起きた蟹屋がなにげにスマホの時計を確認する。
ヤバイ! もう午後四時を回っている……。
一気に目が覚めた蟹屋が寝ている川岸を揺すって起こす。
「水面! 水面っ!! 起きて! やばいよ!」
「んーーー」
「もう夕方だよ!」
「まじでー? もう泊まろうよー」
眠そうにしている川岸をガクガク揺らす。
「アホか! 明日の午前中にイベントあるんや!」
思わず大阪弁になる蟹屋。言われて川岸も完全に目を覚ました。
慌ただしく帰り準備をした二人は荷物を抱えて、バタバタと駆け足でリビングにいた月夜たちの前へ出た。
「おいしい食事や温泉ありがとう! 私たち帰るね!」
「えっ!?」
驚く月夜たちを置いて、二人は玄関へと急ぐ。
庭に出て止めてある車に乗り込むと、慌てた月夜が追いかけて来た。
ハンドルを握った蟹屋がエンジンを始動させてフロントドアのガラスを下げる。
「いきなりでゴメンね! また連絡するから! 泊めてくれてありがとう!!」
笑顔で蟹屋が礼を言い、助手席に座る川岸は手を振っている。
そのまま車は門をくぐると道路へと出て行った。
結局、何も言えずに月夜はただ手を振り返していただけだった。
国道へ出た車は、夕日の中を大阪へとひた走る。
「はぁあああ~。戻るの早っ!」
シートに体をあずけて川岸が残念そうに呟く。
横目でその様子をちらりと見た蟹屋が微笑む。
「誘ってくれてありがと。おかげで気分がスッキリした」
「よかったねリーダー」
棒読みで川岸が返す。あまり興味なさそうだ。アイドルグループの仲間内だけだと蟹屋は“リーダー”と呼ばれていた。
「最近さ、ちょっと落ち込んでたんだよね。なんか焦っててさ。そんなときに水面が声をかけてくれて、最初はどうかと思ったけど行って良かった」
「そうなんだ。結果オーライでしょ。グループのみんなを誘ったけど暇してるのリーダーだけだったし」
「は?」
蟹屋は思わず運転しているのを忘れて川岸の顔をマジマジと見る。
慌てて前に顔を向けて安全に気をくばった。
つまんなそうにドアガラスに額をつけて川岸が口をとんがらせる。
「もっと女子高生と戯れたかった……。時間が短いよぉーー」
「二年前は自分も女子高生だったでしょ!?」
思わずツッコミを入れる蟹屋。
川岸はむすーっとしている。
そう、別に川岸は蟹屋の事を心配して誘ったわけではなかったのだ。
たまたま用事が無かっただけで、誰でも良かったのだ。目的の現役女子高生と会えるのならば。
変に深読みして勝手にいい解釈をしていた自分が馬鹿だった……蟹屋は苦笑する。
だけど……。
おかげで気分転換になったことは確かだ。
「また会いに行こ!」
蟹屋の気持ちを知らず、拳を握った川岸は固く決意した。
ちなみに夜遅くに大阪に戻った二人。
翌日のイベントは疲れがたまってダンスに精彩を欠き、マネージャーに怒られていた。