113話 ついてない!
この日、葵 月夜は自宅のリビングにある鏡の前に立っていた。
全身を映せる鏡は、両親の寝室とここにしかないからだ。
この間、夏野 空を誘って行った○オンで買った服に身を包んでいる。
「ふむむ。う~~~ん」
いろいろなポーズをとりながら、鏡とにらめっこをさっきからしている。
目の端に姉の姿を捉えながらもテレビを見ている妹の海は、ぐっとツッコミを耐えていた。
そこに倉井 最中が小さめのショルダーバッグを手に持ち、リビングへ入ってきた。どうやら昨日から葵家に泊っているようだ。
「お待たせ。用意できたよ」
「それじゃあ行こうか!」
待ってましたとばかりに笑顔の海はテレビを消して立ち上がる。
妹からの言葉を期待していた月夜は、無視されまいと慌てて二人に声をかけた。
「海たちはどこかに出かけるのか?」
「はい。自転車で花畑のある景色の良いところ…」
「わーー! お姉ちゃんに教えないで!! いいから行こ!」
倉井がにこやかに答えるのを海がさえぎる。
下手なことを言うと、そのままついて来かねない。
二人きりになりたい海は強引に倉井の手を引いて玄関へと向かってしまった。
ガクリとうなだれる月夜。
「何故だ……」
他愛も無い会話なのに、そんなにも邪険にすることはないじゃないか……月夜は心で涙した。
と、そこに母が通りがかる。
「あんたもいい加減、妹離れしたほうがいいよ」
「お母様! 私はちょっと海に意見して欲しかっただけなんだ。愛しいお姉ちゃんの艶やかな姿に、きっと喜ぶと思ったのに~~」
「……まったく!」
呆れた母が腰に手を当てる。
姉妹で仲が悪いよりもずっといいことだが、妹を溺愛すぎる月夜に母は苦笑していた。
「今日はバイトないの? 天気がいいから外に出たら? それとも道場に行く?」
「ひっ!? お外に行かせていただきます!!!」
“道場”という単語に恐怖を覚えた月夜は、逃げるように家から出て行く。
そういえば新しい服ね。ますますギャルっぽさに磨きがかかっていくような……。
バタバタと慌てる月夜の背中を見ながら母は思った。
□
「ねえ、今日は母がいないの。知ってた?」
「知ってるもなにも、たいがい仕事でいないだろ」
冬草 雪の耳元で囁く秋風 紅葉。
体を密着させる秋風に慣れていた冬草が普通に答える。もちろん冬草は何度も秋風の家に来ているため事情もわかっている。
秋風の部屋で二人はベッドの横で座って甘いひとときを過ごしていた。
「せっかく誰もいないんだから……いいでしょ?」
囁きながら冬草の背中に服の下から手を回す秋風。
「おわっ!? なにブラのホック外してるんだよ!?」
さりげない行動に驚いた冬草が秋風を体から離した。
あからさまに嫌がられてムスッとした秋風が両手をベッドにつけて冬草に迫る。
両腕の中に収まった冬草が居心地悪そうに頬を染めていた。
「ずっとチャンスがあるのに何もしないの? ……いくじなし」
挑発するような秋風の問いにむかっとした冬草が両手をつかんで押し倒す。
貪るように口づけをすると秋風から艶めかしい声が漏れた。
これからのことに期待して、ドキドキしながら秋風が待っていると──
──ピンポ~~~~ン!
チャイムが鳴った。
途端、恥ずかしくなった冬草が手を引っ込めて、赤ら顔でモジモジと座り直す。
せっかくのチャンスが……秋風はあっけにとられた。
急に立ち上がった怒り心頭の秋風が、ドタドタと足音を鳴らしながら玄関へ飛んで行く!
「誰よ!?」
バタン! 勢いよくドアを開けた目の前には、何事かと驚いて恐怖している月夜の姿があった。
「やっと……やっとその気になったのにぃ~~~!!! 邪魔ばかりして! このアホーーーーー!!!」
「い、いや、暇だったから寄ってみたんだが……雪の家に行ったら、こっちだって」
叫ぶ秋風に怖々と言い訳する月夜。目のつり上がっている秋風はどう見ても怒っている。
「だったら来る前にL○NEでもメールでも電話でもすればいいでしょ!? タイミング悪すぎ!!!」
「す、すまない! 許してくれ!」
事情がわからない月夜だが、謝った方が無難だ。
ガミガミと秋風の説教が続く。平謝りする月夜。なんでこんなことに……気楽な気持ちで来たのに地獄だったと月夜は泣いた。
部屋まで届く秋風の声を聞きながら冬草はホッとしていた。
思わず理性が飛んでしまったが、運良く月夜が訪れた事でうやむやになったからだ。
できれば、ロマンチックに迫りたいが無理だろうなと、冬草は苦笑していた。
秋風の家から追い払われた月夜はうなだれていた。
なにか今日はついてないと明るい日差しの下で腕を組んだ。
あまり突飛なことをすると裏目に出そうだし、かといって妹たちの行方は分からない……。
しばらく考えていた月夜はバイト先に足を向けた。
□
「あれ!? 月夜先輩!? 今日は休みですよね?」
バイト先の喫茶店に現れた月夜に夏野 空が嬉しそうに驚いている。
「うむ。今日は運がないようだから、大人しくバイトをすることにしたよ」
「そうなんですか。一人で寂しかったから嬉しいです!」
微笑む夏野に月夜の胸が軽くなる。朝から邪魔者扱いばかりだったので、夏野の嬉しそうな態度が月夜にはたまらなかった。
さらに気がついた夏野が褒める。
「それ、この前買った服ですよね! 似合ってますよ月夜先輩!」
「そ、そうか!? うむ。ありがとう!」
気を良くした月夜は嬉しそうだ。無駄に体を回して余すところなく全身を見せると夏野がパチパチと拍手する。
二人が盛り上がっている中、厨房ではマスターが呆れて見ていた。
それからバイトに復帰した月夜はせっせと働いた。
夏野も予定にはない月夜の登場で楽しそうに動いている。
しかし月夜は気がついた。そう、私服をバイトの制服に着替えていたことに。せっかくのお披露目だったが、短い春だった。
見立ては良い月夜が来た事に常連のお客は得した気分でゆったりしている。
飲み物を運びながら夏野は思った。偶然でも出会いすぎな気がして運命ってあるのかも、と。
前日は部室で失敗していたから、あまり自分の欲望を表に出さないよう夏野は心がけていた。
ニコニコしている月夜を見ているとこちらも嬉しくなってしまう。
今日は良い日だ……しみじみ夏野は思った。
バイトも終わり、喫茶店の前で別れる二人。
「お疲れさまです月夜先輩!」
「空君もお疲れさま。今日は突然ですまない」
「いいえ! 出てもらえて嬉しかったです」
「そう! なら良かった!」
ここでも邪魔者かなと思ったが、夏野に否定されてテンションが上がる月夜。
上機嫌で夏野と別れると自宅へ軽い足取りで帰っていった。
月夜が家に戻ると妹の海が倉井を伴って出迎えられた。
「ちょっとお姉ちゃん! どこいってたの!?」
怒っている海に焦りながら月夜は答える。
「い、いや、暇だからバイトにいってたが……」
「ふふっ。海さんは心配してたんです」
倉井が口を挟むと海がしどろもどろになる。
「ち、違うから! そう、ご飯をどうするかなと思っただけだから!」
誤魔化す海に倉井が微笑む。
恥ずかしさに露骨に話題を変える海。
「そ、そういえば新しい服はどうなの?」
「似合ってますよ月夜先輩!」
ちゃんと服を見ていた海に褒める倉井。
邪険にされているかと思ったが、しっかり姉の姿を見ていたのだ。新しい服を着た姉を。
嬉しくなった月夜は二人をまとめてギュッと抱きしめた!
「お姉ちゃんは幸せだぁ~~~~~~~~~!!!!」
月夜は満面の笑みで絶叫した。目にはキラリと嬉し涙が光った。
海と倉井は月夜の胸の中で目を合わすと互いに微笑む。
すると奥からドスドス足音を鳴らして母が飛んで来た!
「うるさーーい! 夜だから静かにしろ!」
怒られながらも月夜は笑っていた。