105話 川辺でキャンプ
葵 月夜の自宅から徒歩で三十分。
低い山の裾野で木に囲まれた河原に地底探検部一行は月夜の案内で来ていた。
あんまりの近さに冬草 雪は、日帰りで遠足の間違いじゃないかと思った。
浅く流れる川の両岸は丸い小石が砂利のように敷き詰められ、その先に草が茂っている土地が広がっている。
キャンプにおあつらえ向きな地形に、引率で来ていた岡山 みどり先生は安心していた。
これなら川に流されたり、はぐれたりしなさそうだ。一緒に来ていた岩手 紫先生に顔を向けると目が合う。二人はニコリと微笑み、テントを置くのによさそうな場所を探し始めた。
「ひゃぁ~~!? 冷たーーい! 月夜先輩、まだ川は冷たいですよ!」
荷物を置いた夏野 空が靴を脱いで、足首まで川に浸かりながらはしゃいでいる。
同じように大きな登山用のリュックを下ろしながら、月夜がはははと笑って見ている。
夏野が手招きをして誘うが、一向に動く気配が無い月夜。顔は笑顔だが、冷たい川に入るのを拒否している。
そんな二人を見ていた春木 桜は、場違いなミニスカでヘソ出しギャルスタイルの月夜に呆れていた。
しびれを切らした夏野が月夜の元まで来て強引に誘い始めた。月夜が嫌々厚底ブーツを脱いで応じると嬉しそうな夏野が手を引いて再び川に向かう。
相変わらずの押しに弱い月夜に春木は苦笑いをして、みどり先生たちの方に顔を向けた。
そこには月夜の妹、葵 海と倉井 最中がテントを張るのを手伝っている。
何度かキャンプをしたことがある海が先生たちに指示を出して、簡易テントを展開していた。
「もうちょっとロープを張った方がいいよ。あと、ペグはテントに向かって斜めにした方が風で抜けないから」
「わかった。こんな感じ?」
「うん、上手だね最中。その調子」
「ふふっ」
海が付きっきりで倉井に教えていて、何やら二人だけの世界を作っている。
彼女らの後ろには手持ち無沙汰なみどり先生と紫先生がいた。どうやら声をかけようとしたが、邪魔しているようで気が引けているようだ。
ぷっと吹き出した春木は、私も手伝おうと向かって行った。
冬草がだるそうに河原の大きな石に腰掛けていると、大きな麦わら帽子を被った秋風 紅葉がやって来た。
「どうしたの雪? つわり?」
「なんでだよ!? できてねーよ! その前にやってねーよ!」
「もちろん嘘。最近の雪のツッコミは激しいね? 前はもっと大人しかったのに。カルシウム足りてる?」
笑いながら秋風が冬草の隣に座る。このところすっかり打ち解けていた二人は、気兼ねなく言葉を交わす間柄になっていた。
冬草の方がいつも緊張していたため、秋風には良く見せようとコミュニケーションをとっていたおかげで勘違いされていたのだ。
ただ問題は、秋風の冗談がたまに本気に聞こえるときがあることだ。不良ぽい外見とは裏腹に、根が真面目な冬草はつい信じてしまう。
からかわれてムスッとしている冬草の顔におもむろに秋風が唇を寄せてきた。
驚いた冬草が身をのけ反らせた。
「おわっ!? 何しようとしてるんだよ!?」
「キスだけど?」
「ぶ、部員とか先生たちがいるだろ!? 恥ずかしいってば!」
「ウソ。体育館でしたくせに」
「あれは紅葉がしてきたんだろ!」
頬を染めた冬草にクスクス笑う秋風。なにやら余裕そうな秋風が麦わら帽子のつばを持った。
「大丈夫。この帽子が大っきいから他から見えないし」
「ひょっとして、そのために被ってきたのか?」
「もちろん。だって一週間してないから」
「ええっ…」
呆れる冬草の唇を強引に奪った秋風は満足そうに微笑む。
「ねえ、こんないい景色の中で肌と肌が触れ合うのって、いいと思わない? 二人とも裸で」
「思わなねぇし、そんな趣味もねぇよ! 紅葉はもうちょっと場所を考えろよ!?」
「えー、残念」
ちっとも残念そうな顔をしていない秋風がニコニコして冬草に体を密着させる。完全に二人の頭は麦わら帽子に隠れていた。
言葉はきついが嫌がっていない冬草と秋風は楽しそうに話し出す。そして時折、キスの音が聞こえた。
テントの設営を終えたみどり先生は、サボって川で遊んでいる月夜と夏野に目を向けると、妹の海に姉が怒られているところだった。
月夜は夏野と並んでしょんぼりして海に説教されていて、あわあわと倉井が仲裁している。ふふと微笑んだみどり先生だが、そこでハタと気がついた。部長である夏野が率先して遊んでいたことを……。見事にはっちゃけてるわね──みどり先生は大きく笑った。
みどり先生の元へ集まった月夜たち。しかし、冬草と秋風の姿が無い。
どこにいるかと見渡すと、川の近くの岩場で二人が密着して腰かけているのが見える。大きな麦わら帽子が二人の頭を隠して、何をしているのかはわからない。
どう考えてもイチャイチャ中なので、あえてみどり先生たちは声をかけていなかった。というか、かけづらい。
「どれ、私が呼んでこよう」
しかし、そんなことを気づかない月夜が二人に近づいていった。
「雪に紅葉! テントが立ったから次はバーベキューだぞ!」
「おわぁああ!?」「わっ!」
月夜が後ろから声をかけると驚いた冬草と秋風が振り返る。冬草は顔を赤くして、秋風は怒っているような目を向けた。
「どうしたんだ二人とも。そろそろお昼だ」
「なんで邪魔するの! クズ!」
猛烈な怒りをぶちまける秋風に月夜は笑って受け流す。
「ははは。相変わらずだな紅葉は。どうだろう、お昼を終えたら二人とも裸になって解放的な気分を味わったらどうだい?」
「はぁ!?」
目を丸くして驚く冬草と対照的に秋風が得意げな顔になる。
「ほら。月夜も言ってるし!」
「お前らおかしいだろ!? 解放的になれるかぁああ!」
突っ込む冬草に対し、秋風と月夜は目を合わせ両肩を上げる。
変なところで気が合う二人に、冬草は似た者同士だなとため息をついた。
やっと全員が揃ったところで、バーベキューを開始した。
折り畳みテーブルの上に置いたポータブルのバーベキュー用ガスコンロを使い、クーラーボックスから事前に切り分けられた肉や野菜を網に載せていく。
慣れた手つきで進める月夜に海。姉妹の様子にみどり先生が聞いてきた。
「テントといい、ずいぶん本格的な道具を持ってるのね。葵さん一家はよくキャンプとかをするの?」
「昔はよくしてたよ。お母さまが一式を揃えたんだ。いやがるお父さまを無理矢理連れて行ったりしてたよ」
過去を思い出し、苦笑いで月夜が答える。
ああ、なるほどとみどり先生は納得した。きっと小説を執筆してて一日中部屋に籠もりっぱなしの夫を太陽の下に連れ出したのだ。きっと体調を心配してなんだろうなと思った。
そこに紫先生が口を挟んでくる。
「ここでキャンプしても大丈夫? 私たち誰にも許可は得てないけど」
「うむ、大丈夫。この辺り一帯は家の敷地なんだ。ひいお爺さんの頃は、もっと広かったらしい」
「そ、そう。なら良かった」
こともなげに言う月夜に焦る紫先生。辺りを見回すと川から少し離れた所にトイレらしき小屋がある。まさか大地主だったのかと月夜の豪華な古い家を思い浮かべる。でも、これだけの広大な土地を管理するのも大変なんだろう。違う意味で紫先生は心配していた。
そうして、各自が持ち寄った材料を使いバーベキューが始まった。
川で冷やした炭酸やお茶などのペットボトルで喉を潤しながら、焼き上がった肉や野菜を楽しむ。
美味しそうに頬張りながら自然を堪能し、会話が盛り上がる。
来て良かった! このキャンプを提案した夏野は部員たちや先生たちを見て嬉しくなった。
ちょうど熱い焼き肉を食べ、冷たいジュースを飲んでいた月夜に異変が起きた。
ゴギュルルル……キューーーールルル──むき出しのお腹から盛大な音が鳴り響く──
「うぐぐぐ……」
真っ青な顔でお腹を抱える月夜に慌てた皆が駆け寄る。
「月夜先輩! 大丈夫ですか!?」
「だ、だめだ……。お腹壊した……」
夏野の心配そうな声に月夜が小さく応える。聞いた夏野は呆れた。
「お腹丸出しの格好で来たからですよー。お腹を温めないと! 横になります?」
「い、いや、その……。すごく急に下して、も、もれそうだ……」
ギュルルルルーー
月夜が言いながらもお腹が悲鳴を上げる。震える月夜の肩を抱えるように夏野が手をかけてトイレのある小屋の方へと歩き始める。
「がんばってください月夜先輩! もう少しですから!」
「う、うむ……、す、すまない空君……」
前屈みでヨチヨチ歩きな月夜。付き添いで夏野が助けている。
その間、部員たちや先生たちはバーベキューの手を止めて見守っている。だいたい春なのに真夏な服を着てるからだろ! 冬草は心の中でツッコミを入れた。
ようやく小屋についた月夜がトイレのドアを開けると、そこには先客がいた。
個室の天井近くの壁に黒い拳大のクモがちょこんと留まり、月夜たちの存在に気がつき身じろぎした。
「ぎゃぁあああああああああ~~~~~~!!」
叫び声を上げた月夜が夏野に飛びつく。お尻は踏ん張っているため、今のところは大丈夫そうだ。
クモをマジマジと見た夏野。わたしには無理! あまりの大きさに怖くて追い払う気が失せた。
「最中ちゃーーーーん! 助けてーーーー!」
すかさず虫に強い倉井に夏野は助けを要請して手を振る。
「あっ!?」
蒼白の月夜は短く鋭い声をあげ泣いた。
クモにビビった月夜は、どうやらちょっとだけ漏らしたようだった……。