104話 ダイエットだ!
葵 月夜の自宅に地底探検部の顧問、岡山 みどり先生が訪問していた。
客間の大きなローテーブルを挟んで対面に座り、神妙な顔で月夜を見ている。
月夜の少し離れた横には妹の海も座っていた。
そこにお盆にお茶を載せた倉井 最中が奥から出てきて、みどり先生にそっと出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう倉井さん」
礼は言ったものの、なんでここに倉井がいるのかとみどり先生はいぶかしむ。
お盆を持った倉井はそのまま海の隣にちょこんと座った。
月夜ひとりだけと思って相談しに来たのに、倉井と海がいることで急に恥ずかしくなるみどり先生。
なかなか言い出せずにいるみどり先生に月夜が先に声をかけた。
「ところでどうしたんだいミドリちゃん? 今日は一人のようだし」
「えっと、その……」
言いよどむみどり先生が倉井と海をチラリと見る。視線に気がついた月夜が二人をフォローする。
「安心したまえミドリちゃん。二人とも口は堅いし、誰にも口外しないから」
月夜の言葉に倉井と海が力強く頷く。
いつも姉を嫌っている風な海は、こんなときは素直だ。調子良くない? と思ったが、みどり先生は覚悟を決めた。
「わかった。じ、実は体重が少し増えたから、月夜さんにダイエットを指導してもらえればと思って……」
「少しだったら紫ちゃんに相談すればいいのでは?」
「ダメ! 絶対に『そのままでいいよ』って言うから。だからここに来たんでしょ!」
「そ、そうか」
みどり先生の剣幕にタジタジになる月夜。こと紫先生のことになるとボルテージが上がるみどり先生。普段の授業でもこれぐらい入れ込んで欲しいと月夜は思った。
わざとらしく、コホンと咳をした月夜は仕切り直す。
「ところで、どのくらい体重が増えたんだい?」
「……お腹が握れるぐらい」
「……」
みどり先生は意地でも体重を言わないようだ。ふと月夜が横を見ると、妹の海と倉井が服の上からお腹をつまんでいる。
どうやら“握れる”具合を調べているようだ。つられて月夜もお腹をつまむ。思ったよりも痛い。握れる程だとかなり辛いはずだ。つまり、それが楽々出来るということは……。
「試さなくていいから! 感覚でわかるでしょ!?」
顔を赤くしたみどり先生が突っ込む。苦笑した月夜がお腹をさする。
「まあ、まあ、落ち着いて。この際、体重は置いておこう。そこで提案だが、まずは間食を止めてみてはどうかな」
「間食? してないけど?」
まったく自覚が無いようでキョトンとして聞き返すみどり先生。月夜は頭を抱えた。
「ミドリちゃん。部活中にずっとお菓子を食べてるじゃないか……」
「あっ!? あ、あれはおやつだから間食じゃありません」
「とりあえず部活中はおやつを我慢したらどうだい?」
「うぐぐぐ…。で、でも、ちょっとならいいでしょ。少しだけ」
「本気でダイエットする気があるのかい?」
おやつを粘るみどり先生に呆れた月夜。妹の海もなるほどと太った原因がわかったようで頷いている。
だが、倉井だけは違った。頬に汗が流れる。そう、倉井は部室にいるときは必ずといっていいほど、みどり先生と一緒にお菓子を食べていたからだ。
脂肪がお腹にまとわりつく危機感を覚え、顔がこわばる。
そんな倉井を見て海が首をかしげた。
このまま話しても埒が明かないので、簡単なストレッチをすることになった。
一同は道場へと場所を移すことにした。春の日差しを受けた道場は心地よい。朝の張り詰めた雰囲気とはまた別の顔を覗かせていた。
月夜は空手着に、みどり先生は借りたジャージを着ている。そしてなぜか倉井もジャージに着替えて、みどり先生の隣に立っていた。
「よし! 揃ったな。では、準備運動から始めよう!」
対面にいる月夜が声をかけると、みどり先生と倉井は頷いて、手本を見ながら準備運動を開始する。
みどり先生が肩や足を動かすたびにバキバキと関節が鳴る。ずいぶん体がなまっているようだ。ついで倉井もどこかぎこちない。
そんな二人を見て、大丈夫かなと不安を覚えつつ月夜が指示を出す。
「まずは軽いスクワットで下半身を鍛えよう! 私が見本を見せるから続いて」
肩幅ほどに足を開いて浅く身を沈めてから、ゆっくりと立ち上がる。それを繰り返す月夜。とまどいながらも、みどり先生と倉井が続く。
思ったより楽だわとみどり先生は思っていたが、三十回目を迎えた辺りからきつくなり太ももが痛くなる。
月夜を見ると淡々とこなしていて表情が見えない。
辛さに横を見ると倉井と目が合った。すでに涙を目にためている倉井がみどり先生に懇願している。もう無理と。
足がプルプルと震え、筋肉が悲鳴を上げる。たまらなくなって月夜に目で助けを請うと眉間に皺が寄っていくのが見えた。
あ……ダメなヤツだ。どうやら月夜の空手スイッチが入ってスパルタになっているようだ。
百回を数えたところでスクワットが終わり、みどり先生と倉井は汗ビッショリで床に倒れて肩で息をしていた。
足が子鹿のように震えている。ダイエットじゃなくて空手道場に入門したかのようになっていた。
汗ひとつかいていない月夜が二人を無理矢理起こす。みどり先生と倉井はすでにフラフラだ。
「まだ始まったばかりだぞ。こんどはうつ伏せになって、上体そらし五十回」
「いやぁあああああーーーーー!」
みどり先生は真っ青になって叫んだ!
眼鏡が自身から出る熱い水蒸気で曇っている。
道場の床の上をみどり先生が大の字で寝転がっていた。もう、無理。起き上がる気力も無い。
その隣にはジャージが乱れた倉井が涙を流した跡をつけて、ぐったりと横になっていた。
はたから見たら、なにかの事後かと勘違いしそうな光景。月夜のトレーニングの成果だ。
ハー、ハーと荒く息をしながら、みどり先生は自分が誤解していことを後悔していた。きっと月夜さんなら優しく教えてくれると期待していたが、道場に入ると何かのスイッチがはいったように厳しさ全開で当たってきたのだ。
その月夜は休憩を言い渡すとどこかへと行ってしまった。ちなみに月夜はうっすら汗をかいたようで、まだまだ余裕そうだ。
「またせたね。水分補給と食べ物を持ってきた」
ペットボトルとおにぎりを携えた月夜が戻って来た。
お腹周りを中心に運動していたので腹筋や背筋がキリキリと痛い。この状態で食べるの? 疑問に思ったみどり先生。
どうやら視線に気がついた月夜がニコリとする。
「ちゃんと食べないと筋肉がつかないからね。脂肪が消費されるときがチャンスだよミドリちゃん! 新しい筋肉を作ってたくましくなろう!」
「イヤァアアアーーーーー!」
筋肉なんてつけたくない! みどり先生は叫んだ!
とりあえず水分を補給したみどり先生と倉井。
くたびれすぎて起き上がる気力がない。
一人立っている月夜は腰に手を当てて見下ろす。
「二人とも、もう少し出来ると思っていたが仕方ない。あとちょっとやって、今日は終了にしよう」
「ほんとに!」
聞いたみどり先生は上半身を起こした。やっと終わりが見えてきたからだ。
苦笑した月夜が頷く。
そこに倉井が質問してきた。
「月夜先輩のお母さんも同じ事をしてるの?」
「いや、もっとハードだな。昔は緩くやっていたようだが、あるとき急に厳しくなったな」
当時の母を思い出しながら月夜は語る。
これよりハードとは…倉井は絶句していた。自分の母が同じ事をしたら、確実に死んでしまう。
思い出しついでに月夜は続けた。
「そういえば、ミドリちゃんみたいに太ったって騒いでいた時があったな。お母さまはお尻が大きいのが嫌みたいで、必死に練習やトレーニングをしてたようだ」
自分に重ね合わせて聞いていたみどり先生が促す。
「け、結果は?」
「うむ。下半身が鍛えられた結果、お母さまのお尻は、ますます大きくなったわけだよ。おかけで、パンツは私よりも大きいんだ」
わはははは、と笑いながら答える月夜。
しかし、みどり先生と倉井は笑うどころか顔を青くして月夜の後ろを見ている。
「月夜~~~!? あんたこの話しは誰にもするなって言ったよね?」
「ヒッ!?」
地獄の底からとどろくような、母の低い声に月夜は飛び上がった。
間違いなく激怒している母を見た月夜は、慌てて倉井の後ろに隠れた。
「ち、違うんだお母さま!? 最中君がそそのかしたんだ!」
真っ白な顔の倉井は首を横にブンブンと振った。そう、葵家に泊まるようになって倉井は家族間の力関係を学んでいた。とにかく母親には逆らうな。それが葵家の鉄則だ。でないと血を見る。
「また人のせいにしてる! 最初っから聞いてたから。明日、特訓!」
「ひえぇえええ……」
怯える月夜を見ておかしくなった倉井が吹き出した。
みどり先生は安堵していた。これ以上、今日はトレーニングしなくてすみそうだからだ。
それからシャワーを借りて汗を流したみどり先生。
落ち着くと体が軽くなった気がする。苦労したかいがあったわとルンルン気分でみどり先生は帰宅した。
翌日、地獄の筋肉痛で苦しむことを知らないで。
ちなみに家族の事をよく知っている海は、道場から逃げて難を逃れていた。