100話 地下世界へご案内
葵 海は倉井 最中の住むアパートに遊びに訪れていた。
倉井が海の家にひんぱんに泊まっているため、そのお返しにとアパートへたまに来てはお泊まりをしている。
そのため、すっかり倉井の両親と親しくなっており、海は実の娘のようにかわいがわれていた。
今日は倉井の両親が不在なので2人きり。
オレンジジュースの入ったグラスを持った海が、1人で緊張気味に倉井のベッドに腰掛けていた。
あちこちへ引っ越していた倉井家は、荷物が少なくて済むようにあまり物を置いていない。まるでモデルルームのような最低限必要な物だけが部屋を飾っていた。
たぶん本当に重要な物はどこかに隠しているのだろう。チラリと閉じられているウォークインクローゼットに目を向けた海は、ゴクゴクとグラスの中身を飲みながら、最中の私物ってどんなものだろうかと想像していた。
すると部屋のドアが開き、倉井が入ってくる。
「待たせてごめんね。ちょっと準備していたから」
「ううん。平気だよ」
答える海の隣に腰掛ける倉井。2人はピッタリと寄り添うように座っていた。
互いの距離が縮んで、居心地の良い空間が生まれる。
そっと倉井が海の顔をのぞき込んだ。
「もう行く?」
「うーん。もう少しこうしていたいかな……」
海が照れたような笑みを浮かべて倉井も微笑む。
静かだけど温かい時間が流れていった。
しばらくすると2人はアパートを出て行く。
海の手を引きながら倉井が説明する。
「こっち。前にお姉さんたちを案内した所は、大きな荷物とかを運ぶ施設なんだ。今日は2人だから小さい方で行こう」
「うん。楽しみ!」
嬉しそうに頷く海。
そう、倉井はこれから海を地底世界に案内する予定なのだ。
以前に海に自分の事を話してから、ずっと地下生活に興味があったようだったが、なかなか都合がつかず先延ばしになっていた。
最初は軽い気持ちで案内を考えていたが、親密になるにつれて、海にちゃんと自分のことを知って欲しいと倉井は考えていた。
海は以前、姉と倉井から話しを聞いてから、地底世界ってどんなんだろ? と興味津々で空想を膨らませていた。
こうして倉井に誘われたのは願ってもないチャンス。実際に確かめることができる。
それに…ちらりと倉井の横顔を盗み見る。嬉しそうな口元に思わず海に笑みがこぼれる。
2人きりでいるのが海には楽しいし嬉しい事だった。
案内されたのは歩いて5分ほど離れた場所にあった建物。2階建てのごく普通の商店のようだ。
見上げた海の目には「高田輸入商会」と書かれた看板が映る。
「ここなの?」
「うん。人目を誤魔化すためのカモフラージュなんだって。何回も来てるし大丈夫だよ」
倉井の言葉に、なるほどと海が思う間に中に連れて行かれる。
入り口から入ってすぐの場所に受付があり、警備服を着た中年の男性が暇そうに窓口から顔をのぞかせている。
倉井が笑顔で挨拶をすると、男性はビックリしながらも返事をして先へと通された。
顔パスなんだなと海は思った。それほど地上にいる地底人は少ないのかもしれない。
いくつかの部屋をまたいで来たのはエレベーターの前だった。
倉井が横にあるパネルで下のボタンを押すとドアが開く。一見普通のようだが、内部は4点式シートベルトが壁側についている普通じゃないエレベーターだった。
倉井が先導してシートベルトを海に装着し、自分も隣で同じように装着した。
不安そうな表情をした海に倉井が話しかける。
「ちょっと怖いと思うけど、すぐだから我慢してね」
「う、うん」
2人は手をつなぎ、倉井がパネルを操作するとエレベーターが動き出した。
最初はゆっくりと降下していたが、だんだんどスピードが上がる。
ジェットコースターなみの重力に、つないだ手に力を込める海。隣で大丈夫だからと倉井が励ましている。
ゴォオオオオオオオーーーーー
凄まじい音が背後を勢いよく通り抜ける。
ギュッと目をつむる海だったが、ふと体が軽くなり、あまり恐怖を感じなくなった。
あれれ? と思う間にエレベーターは静かに停止した。
静かに目を開いた海に倉井が微笑む。
「着いたよ。怖い思いをさせてごめんね」
「う、ううん。全然平気だったから! こんなのへっちゃらだから!」
握っている手をぎゅーーっとしながら強がる海に倉井は笑う。
エレベーターを降りた2人はポツポツと照明に照らされた薄暗い通路を歩く。
初めて訪れた地底世界だが、普通の地下通路とあまりかわらないなと海は思った。
真っ直ぐ続く通路の先にはドアがあり、ここで終わりのようだ。
「ここは連絡通路なんだ。このドアを抜けると本道にでるよ」
「へぇ~」
倉井の説明にそうなんだと相づちを打つ海。どうやら本番はこれからのようだ。
ギギギと重そうに倉井がドアを開けると広く丸い通路に出た。
車が通れそうな幅に天井付近にはパイプがいくつも通っている。通路の両側には不思議な鉱石が光をともなって辺りを照らしている。
「わぁああああ!」
なにかジ○リっぽい雰囲気に思わず感激する海。通路の隅々までじっくり観察している海を倉井は温かく見守っている。
「すごーい! これって何で光ってるの? この赤いパイプは何? この先は見えてないけど真っ直ぐに続いてるの?」
次々に沸く疑問を口にする海。
倉井は楽しそうにひとつひとつを丁寧に、自分の知るかぎり答える。
前にお姉さんたちと来た時は、誰も通路に興味をもたなかったなと、倉井は今になって思い出していた。
やたら月夜元部長が失神してて、騒がしかった記憶が蘇る。それはそれで楽しかったけど──倉井は騒動を思い出して含み笑いをかみ殺していた。
そんな2人は、手をつないで海の興味を引いた所を見ながら進んで行く。
海の嬉しそうにはしゃぐ姿に倉井は来て良かったと胸をなで下ろしていた。
やがて倉井の地下世界の借り家に着くと中へと海を案内した。
あまり地上と変わらないねと海は感想を漏らす。しいて言えば、窓がない閉鎖的な部屋だ。
自分の部屋に海を連れてきた倉井はベッドに浅く腰掛ける。
海は倉井の後ろにポスンと横になって、ちょうどあったカエルのぬいぐるみを抱きしめ、嬉しそうにクスクスと笑う。
「今日はありがと! とっても楽しかった!」
「う、ううん。良かった……」
少なめに言葉を切った倉井が視線を逸らすと、急に立ち上がる。
「の、飲み物、持ってくる!」
部屋から逃げるように出て行く倉井を、急にどうしたんだろうと態度の変化に海は首をかしげた。
台所に来た倉井はダイニングテーブルのイスに座り、へにゃへにゃとテーブルに崩れ落ちた。
あのベッドでぬいぐるみを抱きしめる海が、あまりにも可愛すぎて倉井は死にそうになっていた。
反則級の可愛さ。そして、あのキラキラと光る笑顔。どれをとってもステキすぎだ。
今まで一番の笑顔に倉井の心臓は止まった。きっかり1秒は。
ここにきて、あまりにも早すぎる胸のドキドキに倉井は顔を真っ赤にしていた。
落ち着けわたし! と深呼吸を繰り返す。
すごく抱きしめたい欲望に倉井は悶々としながらも、なんとか飲み物を持って部屋へと戻った。
その後、少しぎこちない倉井を海が気遣ったが、大丈夫だよと平然を装う。
だが、つないだ手が熱いのに海は気がついて、熱があるのだと勘違いされてしまう。
なんとか言い繕いをしようとする倉井だが、海の勢いに押されて地底から離れることになった。
すぐに2人は地上のアパートへと戻り、ベッドに倉井を寝かせられた。
心配そうな顔で海が倉井の額に手を当てた。当然、熱々の倉井に海が慌てる。
「大変! ちょっと待ってて!」
「い、いえ、違うの……」
これは恋わずらいなのとも言えず倉井は困った。
あれこれ誤魔化し方を考えていると、海が絞った濡れタオルを持ってきて倉井の額にのせた。
「ごめんね。体調が悪いのに連れて行ってもらって」
「違うの海さん…。これは、その……」
もごもご口を動かす倉井に海が優しく微笑む。
「早く元気になってね? じゃないとわたしが寂しいから」
「……うん」
もう本当の事は言えないと観念した倉井は病気のフリをした。
それからしばらく海は、倉井の両親が帰ってくるまで付き添っていた。
「それじゃあ、帰るから。おばさんとおじさんには挨拶するから大丈夫だよ」
「…ごめんなさい」
「なんで謝るの? 明日会おうね!」
申し訳なさそうな倉井に海は明るく言うと、おもむろに顔を近づけた。
近い!
そう思う倉井の額に乗ったタオルに、チュッとキスをした海が顔を離す。
「じゃあね!」
頬を染めた海が誤魔化すようにバタバタと逃げるように部屋を出て行く。
あまりの出来事にポカンとしていた倉井は、じわじわとタオル越しの感触を思い出していた。
ほわぁああ~~~
ただでさえ熱い体がさらに温度を増して、倉井はゴロゴロとベッドを左右に転がり、悶絶していた。