紅薔薇姫の求愛
子供のころの記憶がある。まだ王宮が、自分の家ではなかったころのことだ。
隠れろーっ。子供たちが一斉に叫んで、城のあちこちへと散っていく。スカーレットも駆けだそうとしたが、一人の少女にどんっと胸を突かれた。しりもちをついたスカーレットを、少女が冷たい目で見下ろした。
――スカーレットおねえさまは、参加したらだめ。
――どうして? 私も一緒に遊びたい。
――そこにいて。動いたら罰ゲームよ。
少女はそう言って、たたた、と去って行った。ひとり残されたスカーレットは、ため息を漏らした。ふと、聞こえてきた歌に耳をすます。
この歌は……どこからきこえてくるのだろう? スカーレットは、歌が聞こえる方向へ向かった。とある一室から、歌は聞こえてくるようだった。
部屋の扉は、まるで覗いてくれといわんばかりに少しだけ開いていた。スカーレットは、隙間からそっと中を覗き込んだ。
そこには、車いすに乗った少年が一人いた。彼がこちらを向くと、歌がやんだ。少年は、スカーレットにやさしく問いかけた。
――君は?
――スカーレットです。
――紅薔薇の子だね。
手招かれて、スカーレットは彼に近づいた。彼は手を伸ばし、そっと、スカーレットの髪を撫でた。
――すごい赤。きれいな髪だね。
――あなたは?
――ルカリア。
スカーレットははっとした。この人は――。
そのとき。いきなり誰かに突き飛ばされて、スカーレットは床に倒れた。顔をあげると、ミアレスがこちらを見下ろしていた。美しい容姿には似合わない、恐ろしい形相だった。
――動かないでって言ったわよね、お姉さま。
――ミアレス、乱暴はいけないよ。
そうたしなめたルカリアに反し、ミアレスは感情的にかぶりを振った。
――ダメったらダメなの。おにいさまには近づかないで!
そうしてミアレスは――スカーレットを足蹴にした。
「うーん、内臓が……やられるうう」
うなされていたスカーレットは、鳥の鳴き声で目を覚ました。彼女はむくりと起き上がって、額の汗をぬぐう。
「はあ、いやな夢を見たわ……」
紅薔薇が白薔薇から王位を簒奪するよりも以前、ヨークシャーの子供たちと遊んだ。その時スカーレットは、なぜか三つ年下の少女に、ひどく意地悪をされたのだ……。あのトラウマが、スカーレットの性格形成に一役買っているのは間違いない。あれはまさしく悪夢の日々だった。
「大丈夫、ここにはもう、ミアレスはいないのだから……」
スカーレットはつぶやいて、寝間着のボタンに手をかけた。
スカーレットはドレスに着替え、騎士団寮へと向かった。まるで人気役者を待つ少女のように、クロードを待ち構える。寮から出てくる騎士たちが、口々に声をかけてきた。
「おや姫様。おはようございます」
「クロードをお待ちですか。呼んできましょうか」
「ううん、いいの」
騎士たちはみな見た目がよく、礼儀正しく、クロードより優しい。だが、やはりあの人ほど輝いて見える騎士はいなかった。そわそわと彼が現れるのを待っていると、聞き覚えのある声がした。
「おー、姫さま」
顔をあげると、モーリスがこちらを見下ろしていた。幼いころから父のそばにいるモーリスは、顔を見て話せる貴重な人物だ。
「あっ、モーリス。おはよう」
モーリスはまじまじとこちらを見て、
「なんだかずいぶん顔色がよくなったなあ」
「そう?」
「ああ、布団をかぶるのもやめたみたいだし」
そう言われて、スカーレットは目を瞬いた。
(そうだ……なんでだろう、今日は布団をかぶって行こうって思わなかった)
「このクソ暑いのに、布団かぶってるほうがおかしいがな」
その声に、スカーレットはハッとした。モーリスの背後から現れた美青年。眠いのか、美しいアイスブルーの瞳が細くなっている。
「お、おはよう、クロード」
彼はスカーレットを無視し、さっさと歩き出そうとする。スカーレットは彼に駆け寄って、さっと手を突き出した。
「だっ、第一印象から決めてました! 私の騎士になってください!」
「いやだ」
そう断られるのはいつも通りのことだ。この程度で引き下がってはいられない。スカーレットは必死に彼を追いかける。
「そう言わず! 最良の待遇を保証するわ! 三食昼寝付き、なんならおやつ付き!」
「いらん。昼寝は勝手にするし、飯は勝手に食う」
「何か欲しいものはない!? なんでも用意するわ!」
クロードはぴたりと立ち止まり、じっとスカーレットを見た。スカーレットは、ドキドキしながら彼を見つめ返す。身をかがめたクロードが、スカーレットの耳元に唇を近づけた。形のいい唇が動く。
「あんたのいない静かな時間」
「!」
さっさと歩き出したクロードに、モーリスが呼びかける。
「おいおい、待てよクロード。じゃあな、姫さま。気にすんなよ」
去って行った二人を見送り、スカーレットはぽつんと残された。
昼を告げる鐘が、宮廷に鳴り響いている。昼食をとるため、人々が回廊を歩いていく。スカーレットは、バスケットを抱えて訓練所へと向かっていた。中にはシェフに用意してもらった絶品サンドイッチが入っている。
(これを食べればクロードの心も少しは動くかも……)
訓練所にたどりついたスカーレットは、クロードの姿を探した。いつもなら一発で探しあてられるのだが、なぜか見当たらない。と、頭上から声が降ってきた。
「姫様」
顔を上げると、ルドルフが階段上から手を振っていた。
「あ、ルドルフ」
彼はこちらにやってきて、
「もしやルドルフに会いにきてくださったのですか? 光栄のあまり泣きそうです」
泣きそうなようには全く見えない。むしろ満面の笑みだ。
「ううん、クロードにこれを渡そうと思って」
バスケットを持ち上げると、ルドルフが唇を尖らせた。
「なーんだ。姫様は相変わらずクロード君にご執心ですねえ」
「探すのに協力してくれない? 分けてあげるから」
「いいですとも。姫様とのウキウキランチのためだ」
ルドルフは、とりあえず水飲み場に行ってみましょう、と言った。
「彼は大抵水飲み場のあたりで昼寝してます」
スカーレットは彼とともに、水飲み場へと向かう。しかし、ベンチにクロードの姿はなかった。
「うーん、いつもこのベンチで寝転がってるんですけどねえ」
「他に心当たりはない?」
ルドルフは再びうーんとうなり、ふと視線を動かした。
「あ、戻ってきましたよ」
彼の視線を追うと、こちらへやってくるクロードの姿が見えた。
「クロード、どこに行ってたの?」
スカーレットが尋ねると、そっけない返事がかえってくる。
「俺がどこにいようが勝手だろうが」
「遠足の時、自由行動しちゃうタイプですねえ」
とルドルフ。クロードは水を飲んで、唇をぬぐった。そわそわしているスカーレットを、訝しげに見る。
「何か用なのか?」
「えっとね、サンドイッチを一緒にどうかなって」
「いらない。もう食った」
「そ、そう……」
クロードはさっさと訓練所へ歩いていく。うつむいたスカーレットに、ルドルフが声をかけた。
「では姫様、ルドルフと一緒に食しましょう。薔薇園の四阿は恋人たちの憩い場と呼ばれていて……」
「あげる」
「えっ、ちょ、姫様」
スカーレットはルドルフにバスケットを押し付け、とぼとぼ歩いて行った。
自室に戻り、ベッドに寝転んだスカーレットは、天井を見上げてつぶやく。
「手ごわいわ、クロード・ギネヴィア」
ジョセフを手にし、ひとりつぶやく。
「どうしたら騎士になってくれるかしら?」
「キット、真心が足リナインダヨ」
「そうよね! 心を込めてお願いすればかなうはずだわ!」
スカーレットはそう応じ、でも、とつぶやく。
「誠意ってどう示せばいいのかしら……」
「キマッテルヨ! やっぱりアレをヤラナキャ!」
「アレ?」
その時、ノックの音が響いた。少し開いた扉の隙間から、侍女が恐る恐る顔をのぞかせる。
「姫さま、シーツを変えてもよろしいでしょうか……っ!」
侍女は、目に飛び込んできた光景に戦慄した。スカーレットは、ベッドに鎮座するジョセフに向かい、がばっと頭を下げる。
「お願いしますっ! どうかこのスカーレットの騎士になってください」
「誠意ガタリナイ。アタマは九十度に下ゲロ」
「はいっ!」
ぬいぐるみ相手に土下座するスカーレットに、侍女は引きつった声で尋ねる。
「す、スカーレットさま……?」
「あ、シーツね。何枚でも持って行って」
スカーレットはいい笑顔で答える。乱れた髪が、汗ばんだ額に張り付いていた。侍女はおびえた顔でシーツを引きはがし、そそくさと去って行った。
それからスカーレットは、土下座の練習に明け暮れた。
その晩、夕食の席に向かうと、父が気まずそうに声をかけてきた。
「あー、スカーレット。昼間ひとりで土下座をしていたと聞いたのだが……」
「ええ、そうなんです。クロードに誠意を見せようと思って」
スカーレットは悪びれなく答える。父は顔をひきつらせた。
「姫が土下座するのはまずいだろう……。というか、クロード・ギネヴィアはまだ護衛騎士になるのを拒否しているのか?」
脈がないのではないか。父はそう言いたげだった。
「もうちょっとなんです」
スカーレットはそう主張する。国王は、そばにいたモーリスに尋ねる。
「そうなのか?」
モーリスは宙空を見て、
「えーと、もうすぐってのが何か月かによりますかねえ」
「……とにかく、次の薔薇会議まで日がない。そのことを覚えておくように」
「え、ええ……」
スカーレットは表情を暗くした。急がなければならない。やはりここは土下座を……。
「土下座は絶対にやめなさい」
スカーレットの思考を呼んだように、国王がそう言った。
そして翌日。今日も今日とて、スカーレットは騎士寮の前でクロードを待ち構えていた。そわそわしながら待っていたスカーレットは、見慣れたシルエットが近づいてきたのに気づき、慌てて手を差し出す。
「私の騎士になってください!」
半分諦め気味の懇願だったが、奇跡が起こった。差し出した手が、すくい上げられたのだ。
「!」
「喜んで。スカーレットさま」
スカーレット、さま? クロードはスカーレットに敬称をつけない。それどころか、今までまともに名前を呼んだことはない。スカーレットは、恐る恐る顔をあげた。
「!?」
そこにいたのはクロードではなく、ルドルフだった。慌てるスカーレット相手に、彼は勝手に話を進める。
「昨日はあんなつれないことを言っていたのに、今日は素直になるなんて、姫さまは魔性の女ですね」
「ちょ」
「そんなに可愛らしい容姿なのに中身は男を焦らす天才だとは。ルドルフはもう姫さまの魅力から逃れられる気がいたしません」
スカーレットは、ぽかんとルドルフを見た。――この人は、何を言ってるの? ルドルフの隣にいたクロードは、何をバカやってるんだ、と言いたげにこちらを見ている。
「しかしもう少し焦らされたい気もする、そんな騎士心がありまして……」
つらつらと話しているルドルフの肩越しに、スカーレットはクロードに声をかける。
「クロード、今日こそ私の騎士に」
「いやだ」
──まだ最後まで言ってないのに。スカーレットは、さっさと歩いていくクロードを追いかけようとした。そうして、ルドルフに手を握られたままなのに気づく。やんわり掴まれているのにびくともしなくて、スカーレットは怯えた。
「ちょ、離して」
彼は指をたて、ちっ、ちっ、ちっ、と振った。
「ダメですよ、スカーレットさま。ああいう男はね、追いかけるだけでは捕まえられないんです」
「え?」
「なぜ逃げるのか? それは追いかけてくるから。クロード・ギネヴィアは頑固な男だから、追いかけられると意固地になるんですよ。たとえ姫様が魅力的でも、振り向いてやるまい、となるわけですね」
いきなり自説を披露し始めた男を、スカーレットはぽかんと見上げる。――なんてよく喋るのだろう……。彼は微笑んで、
「つまり今のままでは膠着状態です」
「ど、どうすればいいって言うの?」
「簡単です。まず……」
耳もとに囁かれた言葉に、スカーレットは目を見開いた。




