狼騎士の苛立ち
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クロード・ギネヴィアは、自室で安眠していた。寝息を立てるたびに長い睫毛が揺れ、窓から差し込む陽光が、金髪を輝かせている。
かすかに何者かの気配を感じ取り、クロードは瞳を開いた。即座にベッドから起き上がり、剣を手に取る。扉の壁に背をつけ、息をひそめた。
カツカツと靴音が聞こえてきた。靴音が止まり、ガチャリと扉が開いたその瞬間、ビュッ、と剣先を突きつける。扉の向こうにいた男が剣を引き抜き、クロードの剣を受けた。
キイン、と金属音が響き、剣が衝撃で震える。しなる刀身越しに、見慣れた顔がのぞいていた。それが誰かに気づいて、クロードは眉を寄せた。
「……モーリス」
「相変わらずだあな、おまえは」
モーリスは呆れたように言い、剣先を降ろす。クロードが驚かすな、と言うと、ほかにどうやって来いってんだ、とかえってきた。
騎士団長、モーリス・ルブラン。短く刈り上げた栗色の髪と、額の傷跡が特徴的だ。彼は戸口にもたれ、軽い口調で言う。
「もーちっと気いぬいて生きろよ。いつ見ても群れからはぐれた狼みてーな目えしてよお」
「どんな目だ」
「鏡見ろい」
そうはいうが、この部屋に鏡はない。鏡というものは不気味だ。クロードはそう思う。たとえ一人でいても、誰かに見られているような気がする。モーリスはつらつらと他愛もないことを口にする。
「おまえにはよう、膝枕で癒してくれる可愛い彼女が必要だあな。まあそのキレーな面なら女には困るめえよ。休みの日はぐーすか寝てねえで、街にでも出てだなあ」
「なんの話をしてんだ、おっさん」
「誰がおっさんだこのやろー」
グリグリ髪をかき回され、クロードは不機嫌にそれを払った。彼はもう四十近いはず。立派におっさんだ。
「用件は?」
「ああ、そうそう」
モーリスは手を退けて、眉をあげた。これは、彼が説教するときに見せる表情だ。
「おまえよう、また他の騎士に喧嘩売ったんだってえ?」
「俺が売ったわけじゃない。あっちがしかけてきたんだ」
「ガキじゃあるめえし。城内で理由なくコレ抜くのは禁止だって知ってんだろお?」
モーリスはクロードが持っている剣をちょいちょい、と指差した。
「やらなきゃやられてた」
「わかってるよ、おめえは喧嘩売るほど他人に関心ないだろ。だけど周りは違うんだよ。ただでさえ目立つツラしてんだからよう」
「じゃあ面でもつけて歩く」
「あのなあ……」
彼は眉をしかめ、ぽりぽりとこめかみをかいた。すっと封筒を差し出す。
「なんだこれ」
「一応処分、ってんでな」
差し出された封筒を、クロードは怪訝な顔で受け取った。その隙に、モーリスは剣を奪い取る。
「おい!」
モーリスは奪い取った剣をかざし、
「ある方にサインをいただくまでこれは没収〜」
「ある方?」
「そこにいるぜえ。じゃな〜」
ひらひら手を振って去っていくモーリスを睨み、クロードは手紙を開封した。
「午後三時、この場所に来てください」
手紙にはそう書かれていた。筆致からして、女──しかも、紙の質からしてかなり身分の高い女だ。文字の下側に載っていた地図は、薔薇園の四阿だった。
剣がないと、心がざわざわして落ち着かない。モーリスはそれを知っていて奪ったのだ。
「あのクソジジイ……」
クロードは手紙をぐしゃりと握りつぶし、足早に歩いて行った。
☆
初夏の風が薔薇を撫でて、ふわりと芳香が漂った。スカーレット・ランカストラルは、四阿の下で紅茶を飲んでいた。カップをソーサーに置き、そわそわしながら薔薇園の向こう側を覗く。
何回かその動作を繰り返していたら、視界の端にクロード・ギネヴィアが見えた。薔薇に囲まれた彼はまるで絵のようだ。ただし、離れていてもその機嫌の悪さが伝わってくる。
(タイトルをつけるなら、「狼騎士の苛立ち」って感じかしら……)
「こっちよ、クロード!」
スカーレットは立ち上がり、クロードに向かってぶんぶん手を振った。クロードは彼女の行動をまったく無視し、無駄のない動作で向かいに座った。
「クロード、よく来てくれましたね。ジョセフも喜んでいるわ」
スカーレットはそう言って、ぎゅっとジョセフを抱きしめる。クロードはちらりと見る。
「前から思ってたが、そのうさぎはなんなんだ」
美しい碧眼が、うさぎのぬいぐるみに注いだ。
「お友達のジョセフよ。コンニチハ」
少女に操られるうさぎを、碧眼はなんの感情も込めずに見つめる。スカーレットはぬいぐるみを抱きしめ、
「そんな冷たい目で見ないで! ジョセフが怖がるわ」
「他にぬいぐるみをどんな目で見ろって?」
スカーレットはジョセフの手をつかみ、ゆらゆらと動かす。
「スカーレット、彼ハ照レテルンダヨ」
「そうね! クロードは悪い人じゃないもの」
「お話しスレバ分かり合えるヨ」
「うん、私頑張る!」
少女とぬいぐるみのやり取り(限りない一人芝居)を、クロードは無表情で見ていた。いつ終わるんだこの茶番。おそらくそう思っているのだろう。スカーレットはジョセフの手をクロードに向ける。
「あなた、早く帰りたいと思ってるでしょう」
「ご名答だ」
彼は懐から出した紙を、テーブルに叩きつけた。
「さっさとサインをくれ。あんたのサインをもらえば、団長は抜刀のことを不問に伏すって言ってるから」
「そもそも、なぜ他の騎士たちとあんなに仲が悪いの?」
クロードは眉をひそめ、スカーレットを見た。
「あんたに関係あるか?」
「ジョセフが知りたいって。ね、ジョセフ」
「ウン、ボク知リタイナア、スカーレッ「茶番やめろ」
うさぎの上ずった声を防ぎ、クロードは青い瞳を細める。
「あんたこそ、なんで初めて会った時布団をかぶってたんだ?」
スカーレットはぎくりと肩を揺らした。こちらを見るクロードの瞳は、まるで野生の狼だ。警戒心が強く、スカーレットに対してまるで心を許していない。
「誰にだって話したくないことはあるだろう。それを侵すのは王族だろうが許されない」
こちらが話さなければ、クロードも話さないだろう、そう思う。スカーレットはジョセフを膝に乗せ、正面の男を見据えた。
「私は……顔を見れば、その人がどんな人か、わかるの」
「どういう意味だ」
「人相学、って知ってる?」
「知らない」
「顔形で、能力や人格、立場がわかる。そういう学問なんだけど、私はそれを学んでいないのに、自然とできる」
「それで、なんで布団をかぶる」
「怖いから」
周りにいる、全ての人。顔が見えすぎてしまう。それが怖くて、スカーレットはずっと、人の顔をまっすぐ見られなかった。仮面をかぶって生きる人間が、その本性を見るのが怖かったのだ。だから、ぬいぐるみとばかり話してきた。
「あなたは、すごく綺麗な顔。普通の人はもっと、いろんなしがらみでくもった顔をしてるのに。あなたみたいな人、見たことないの」
普通に聞いたら口説き文句とでも思われそうな言葉に、クロードは眉をしかめた。
「本当に顔だけで俺を選んだのか?」
「そう、そばでずっと見ていたくて、あっ!」
ジョセフを取り上げられ、スカーレットは慌てて手を伸ばす。
「返して!」
「早くサインしろ。こいつの命がないぞ」
クロードはそう言ってサインを突きつける。スカーレットは彼の周りをぐるぐる周りながら、ぬいぐるみを奪い返そうと奮闘する。しかし、頭上高く持ち上げられ、白い頰を膨らませた。
「こんなの卑怯よ、騎士道に反してるわ!」
「俺はこういう人間だ。騎士道なんか知らない。あんた見る目がないな」
その言葉に、スカーレットは瞳を光らせた。
「見る目がない? 聞き捨てならないわ」
人を見る目がある──スカーレットがただひとつ、他人より優っているものだ。
「クロード・ギネヴィア」
彼に指を突きつけ、スカーレットは叫んだ。
「あなたは童貞よ!」
よー、よー、よー。スカーレットが放った言葉は、余韻を帯びて薔薇園に響き渡る。
「……」
「どう? 図星でしょう」
えへん、と胸を張ったスカーレットの腰が、ぐい、と引き寄せられた。
「へ?」
「図星かどうか教えてやろうか」
彼の目はえらく据わっていた。ひんやりした手のひらが頰を滑って、スカーレットはびくりとする。
「え? ちょ、ち、違うの? だって、女の人に興味のない顔してるからっ……」
「そんな男いるか」
近づいてきた美しい顔に、スカーレットは鼓動を鳴らす。きっとクロードは、さぞ女性にもてるのだろう。でもこの人の瞳は青空のように澄んでいる。……遊んでる男は、美形でもなんとなくくすんで見えるものだ。
この人は、きっと内面がすごく綺麗なのだ。やっぱり、この人がいい。重なりそうになった唇が、爪の先ほどの距離を保って止まった。
「オイ」
むぎゅ、と頰を挟まれ、スカーレットは呻いた。
「うぐ」
「何をその気になってる。あんた姫だろ。私に触れないで! とか言って拒絶しろよ」
「あなたの顔が好きだから、近くで見れて幸せ……」
「頰を染めて言うな。誤解を生む。早くサインしろ」
スカーレットはしぶしぶ紙を受け取り、サインをした。クロードはサインを確認し、ジョセフを差し出してくる。
スカーレットは素早くぬいぐるみを取り返し、抱きしめた。クロードはそれを横目で見ながら、
「それ、そんなに大事なのか」
「お母様の形見なの」
クロードは少しだけ身じろぎした。
「……ああそう。じゃあな」
さっさと歩き出したクロードに、
「私、あきらめないから!」
スカーレットはそう叫んだ。




