狼騎士との接近
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薔薇の蕾にたまった雨粒が、風に揺れて地面に落ちる。かつては白い薔薇で彩られたという宮廷の庭には、紅薔薇が多く植えられている。その見事さはランカストラルの権威を示すようだった。
花にまるで興味のないクロードは、薔薇園を一瞥もせずに回廊を進む。回廊を曲がると、その角に二、三人の騎士たちが集まっていた。
「おい、聞いたか。白薔薇が紅薔薇の王位継承に異議を唱えているそうだ」
「そりゃあそうだろう。白薔薇が元々の王位継承権を持っているんだから」
「だが、ランカストラルはヨークシャーから継承権を奪いとっただろう? ヨークシャーが奪い返しでもしない限り、異議を唱える資格などないはず」
「まあそうなんだが、紅薔薇の王位継承者というのが問題で──」
紅薔薇の王位継承者。スカーレット・ランカストラル。通称、紅薔薇姫。いや、そんな名前はもったいない。引きこもってばかりの根暗姫。
公的な場にはいっさい姿を現さず、まるで幽霊のように存在を認知されていない。そんな彼女が、妹であるナタリー・ランカストラルの誕生日パーティに顔をだした。
それ自体珍事だったのだが。まさかあんなに派手にずっこけるとは。涙目になっていたスカーレットは、ただの少女にしか見えなかった。
(実際ただの小娘だろう)
クロードが騎士たちの方へ歩いて行くと、彼らは眉をしかめ、口を噤む。クロードは薔薇に対する無関心と同じく、彼らへの無関心でもって歩みを進めた。聞こえるような声音で、彼らは言う。
「一匹オオカミのクロード様がいらしたぞ」
「相変わらず徽章なし、と。いまだに中立派を気取っているのか? さっさとどちらかについたほうが得だとおもうがな」
クロードは彼らの襟元に目をやった。全員の襟元に、赤い徽章がついている。
「中立派のくせにスカーレットさまを助けるとはどういう了見だ?」
結局それか。彼らは「紅薔薇派」の自分たちが「中立派」のクロードに出し抜かれたようで悔しいのだろう。くだらない。
「おまえら紅薔薇派がちんたらしてるからだ。あのお姫さまは大事な王位継承者なんだろ? なんで助けるのをためらった」
クロードがそういうと、彼らは言葉に詰まった。
「そ、れは、我々が手を貸す前に、おまえが出しゃばったんだろう!」
クロードは、スカーレットを哀れに思った。所詮、あの少女自身を守ろうなんて騎士は一人もいないのだ。大事なのは派閥に属し、自分の立場を守ることなのだから。クロードは冷たい目で彼らを見て、歩き出そうとした。
その時、「なにか」の気配を感じた。
「!」
クロードは、振り向くと同時に剣を引き抜く。途端に、騎士たちが殺気だった。──さっきの気配は、こいつらじゃない? 彼らは、クロードが剣を抜いたから敵意を剥き出しにしたのだ。
(じゃあ俺が感じたのは誰の気配だ)
クロードは視線を走らせた。回廊の奥に人影は見えず、大理石の柱や床に、初夏の光が注いでいるだけだ。
──気のせいか? だが、確かに視線を感じた。
「おい、訓練所以外で剣を抜くというのがどういうことかわかってるんだろうな、クロード」
騎士のひとりが声を尖らせ、剣を突きつけてくる。
「悪かった」
適当に謝ると、彼らは態度が悪いと鼻白む。
「膝をついて謝れ」
そんなことをする筋合いはない。動かずにいたら、
「力づくでつかせてほしいか? あ?」
騎士たちが剣を突き付けてきた。クロードはため息をつき、剣を構えた。周りで何が起ころうと関心はない。だが、邪魔をされると苛立つ。
──俺のいないところで、勝手に騒いでいろ。
乾いた音を立て、剣が落下する。直後、どうっ、と重たい音がした。騎士たちが地面に倒れたのだ。弱いくせに、なぜ挑発してくるのだろう。いや、弱いから吠えるのか。足元に転がった騎士たちは、足や腕を抱えてうめく。
「折れちゃいない。手加減したからな」
クロードはそう言って、腰に剣を収め、歩き出そうとした。
その瞬間、ちりっ、と手首が焼けるような気がし──やはり誰かが見ているのだ──ばっ、と振り向いた。そうして彼は、動きを止める。
そこにいたのは、布団だった。いや、布団をかぶったなにか、だった。
「……」
なんだ、コレは。布団? クロードは、それに剣を突き付けた。すると、それはびくりと震え、じりじりと後ずさる。かと思えば、バッ、と踵を返し、ててて、と走り出した。
「!」
クロードは剣を持ったまま、足の生えた布団を追う。それが走るたびに、布団の端がはたはた揺れていた。幽霊などではないだろう。そういったものを感じる力は皆無なのだ。クロードが感じるのは、人の殺気のみ。
それは回廊を抜け、薔薇園の方に走り去った。クロードも芝生を踏み、布団人間を追いかけていった。
「待て、この、不審者!」
タックルして引き倒し、布団を剥ぐ。そこにいたのは、不審者──ではなかった。
くりっとした新緑のような色の瞳と目が合った。燃えるような緋の髪が、芝生に広がっている。抜けるように白い肌を包む、真紅のドレス。紅薔薇姫、スカーレット・ランカストラル。先日、鼻血を流して涙目になっていた少女。
「……あんた……」
「は、離してください」
そう言われて、華奢な肩を目一杯押さえつけていたことに気づく。手を引くと、彼女は急いで立ち上がり、じりじりと後ずさった。噴水の影にかくれ、
「ぼ、暴力ハンタイ!」
「暴力? あんたが逃げるからだろう」
「違う。さっきのひとたちをぼこぼこにしたでしょう? 暴力はいけないのよ、ねえジョセフ」
スカーレットは、うさぎのぬいぐるみをさっとかざした。
「スカーレットノ言うとおりダヨ!」
なぜこの少女は一人芝居を始めたのだろう──。クロードは半目になって訝しむ。あえて腹話術には突っ込まず、
「俺に何か用か、紅薔薇姫」
「あ、あの、これ、貸してくれてありがとう」
彼女は懐からなにかを取り出し、クロードに渡す。赤い薔薇の刺繍が入った、シルクのハンカチだ。こんな上等なものを貸した覚えはなかった。
「俺のじゃない」
「血で汚れちゃったから、新しいのを」
「いらない」
ハンカチを突き返したら、スカーレットが目を丸くした。
「えっ、き、気に入らなかった? 男のひとでも使えるデザインだとおもうんだけど」
「俺は無派閥だ。紅薔薇はいらない」
その言葉に、スカーレットはハッとした。無意識に紋章入りのものを渡したのか。抜けたお姫様だ。
「白薔薇ならヨークシャー、赤薔薇ならランカストラル。知らないわけないだろう?」
「もちろん。ヨークシャー派は白い徽章、ランカストラル派は赤い徽章。あなたは……どちら派でもない」
スカーレットの視線は、クロードの襟元に向かっていた。
「そうだ。そのハンカチはさっきのやつらにでもやれ。尻尾振って喜ぶだろ」
ポツンと立ち尽くすスカーレットを置いて、クロードは歩きだした。




