エピローグ
☆
王位継承問題が一応の帰結を見せた翌日、スカーレットは以前と同じく自室にこもり、ジョセフとともに優雅な午後を過ごしていた。
「ふう、やっぱりお部屋が一番だわ」
ロッキングチェアにもたれ、まったりとジョセフの頭を撫でる。
「スカーレット、お庭でナニカやってるヨ?」
「なにかしらねえ。時季外れの運動会とか?」
「面白ソウ! スカーレットは参加シナイの?」
「私は向いてないから、そういうの」
会話ごっこをしていたら、背後から声をかけられた。
「相変わらずだな、おまえは」
聞きなれた声に振り向くと、クロード・ギネヴィアが立っていた。
「あ、クロード」
スカーレットはロッキングチェアを揺らして立ち上がる。
「どうかしたの?」
「白薔薇姫とルカリアがおかえりだそうだが?」
「本当? 見送りに行かなきゃ」
クロードと共に部屋を出ると、レスターが立っていた。クロードがスカーレットを下がらせる。
レスターは無表情で手紙を差し出してきた。
「ミアレスさまからです」
クロードは眉をあげ、手紙を受け取った。異常がないのを確認し、スカーレットに差し出す。
渡された手紙に、スカーレットは目を瞬いた。レスターは無表情のまま、それでは、と礼をして去っていった。
「どうして手紙なのかしら……」
「さあ。読んでみれば」
スカーレットは封を開いて、手紙を開く。
美しい筆致で書かれていたのは、「おにいさまのことに関しては、あなたを信じます。だけどやっぱり私は、あなたが嫌いです」という内容だった。
スカーレットは、手紙を手につぶやいた。
「見送りにはくるなってことかしら」
「だろうな」
二人が沈黙していると、見慣れた人物がやってきた。
「ああ、お二人とも、ここでしたか」
「ルドルフ」
ルドルフは二人を見比べ、にっこり笑う。
「紅薔薇派が薔薇園で祝賀会を催すことになりまして」
「のんきだな」
クロードがあきれる。ルドルフはいえいえ、と返した。
「我らが紅薔薇姫の王位継承が認められたのです。こんなにめでたいことはない」
「で、主役を迎えに来たってことか」
「ええ、皆姫様を待っていますよ」
騎士たちに囲まれるところを想像し、スカーレットは顔を引きつらせ、後ずさった。
「私はお部屋にいるから、みんなによろしく伝え……」
クロードは彼女の襟首をガッ、とつかむ。
「ひっ」
「まあ、引きこもり姫のリハビリにはいいかもな」
「え、ちょっ、クロード!」
スカーレットの手から、ジョセフがぽとりと落ちる。
「ジョセフー!」
スカーレットは、クロードにずるずる引きずられて行った。
「姫様、ケーキをどうぞ」
「こちらのクッキーも美味しいですよ」
「お飲み物はいかがですか?」
紅薔薇が咲き誇る庭園。赤い徽章をつけた騎士たちが、スカーレットを取り囲んでいる。スカーレットはおどおどしながらも、なんとか受け答えをしていた。
クロードはそれを眺めながら、四阿でくい、と酒を煽る。空になったグラスを置いて、かすかに濡れた唇をぬぐった。
「なんだか面白くなさそうですね?」
声がしたほうを見上げると、ルドルフがこちらを見下ろしていた。
「……べつに」
「クロードくんがここまで引っ張ってきたんじゃないですか」
そうだ。クロードとルドルフ以外の人間にも慣れさせたほうがいい。そう思っていたのに──実際他の騎士がスカーレットに近づくのを見たら、なんとなく面白くなかった。
「戸惑う姫様もベリーキュートですねえ」
ルドルフは、スカーレットを眺めてうっとりと言う。
「いいのか」
「はい?」
「おまえは平気なのか、あれを見て」
ルドルフは目を瞬いて、にやりと笑った。
「どこかで聞いた話なんですが、狼は意外と嫉妬深いんですってねえ」
知ったような口を利く。
「俺が誰に嫉妬してるって?」
「おや、あなたのことだなんて言いましたか?」
「……」
この野郎。クロードはルドルフにグラスを突きつけた。
「酒を持ってこい」
「えー、ご自分で行ってくださいよ」
「いいから早くしろ」
ぐいぐいとグラスを押し付ける。
「わかりましたよ、もう」
彼はグラスを受け取って、さっきの質問ですが、と言った。
「私が邪魔するとしたら、あなたとルカリア様くらいですかね」
「……なんでだ」
「そりゃあ、脈なしの相手はどうでもいいからです」
「……いい性格してるな」
「ありがとうございます」
ルドルフはにっこり笑って、去って行った。別に褒めたわけじゃないのに。
いつもならこれくらいで酔わないのに、なぜだか頭がくらくらする。肘をついて、窮屈な襟を開く。髪をくしゃくしゃ乱していたら、たたた、と軽い足音が聞こえた。次いで、ふわりと甘いにおいが漂う。
「クロード?」
顔をあげると、丸い瞳がこちらを見つめていた。大丈夫? 気持ち悪いの? 彼女は心配そうに尋ねてくる。
「……いいのか、こっち来て」
「うん。あんまりたくさんの人といると、疲れちゃうから」
「にんきものだからにゃ」
「ろれつが回ってないわよ。酔ってるの?」
「うるしゃい」
スカーレットは身をかがめ、クロードの髪をかきあげた。ひんやりした細い指先が、クロードの額を撫でる。
「熱いわ。待ってて、お水持ってくるから」
離れようとしたスカーレットの手を、とっさに掴んだ。
「え、っ」
「これ、どうした」
真っ白な手の甲に、爪痕が残っている。スカーレットはおずおずと、
「たぶん、ユベールに襲われたときに……」
「なんでだまってた」
「大した傷じゃないし」
「……」
スカーレットは不安そうにこちらを見ている。おそらく、酔っているからだろう。普段なら、するはずもない行動をとった。彼女の手を引き寄せる。白磁のような手に舌を這わして、爪痕を舐め上げた。
「!」
スカーレットの顔が、薔薇のようにあかく染まった。
「く、クロード、っ」
そのまま舌を上に滑らせ、細い手くびをかぷ、と噛む。彼女はびくりと震え、みるみるうちに瞳を潤ませた。それを見て、なぜか背筋がぞくりとする。クロードの頭に、ごん、と拳が落ちた。
「おおい、なにしてんだおまえ」
養い親が拳を握りしめ、こちらを見下ろしていた。スカーレットがモーリスにひし、と抱きつく。
「モーリス、クロードが、クロードが……!」
「あー怖かったなあ、姫さま。よしよし」
モーリスがスカーレットの頭を撫でる。彼はスカーレットを見送り、クロードの肩を抱いた。
「おいクロードよお、ああいうことはもうちっと関係が進んでからでねえと」
関係ってなんなんだ。クロードは不機嫌に返す。
「そんなんじゃない」
「じゃあなんだよ」
「俺が知るか」
ただ、あの白い肌に傷をつけられたことに腹が立って、それから、なぜか無性に噛みつきたくなった。
「狼の血なのかねえ」
モーリスはクロードの頭をぐりぐり撫でて、あんまり姫さまを怖がらせんなよ、と言って去っていく。
クロードは乱れた髪を直した。スカーレットはおびえているのか、少し遠巻きにこちらを見ている。クロードはため息をついて、彼女を手招いた。
恐る恐る近づいてきたスカーレットが、水を差し出してきた。
「あ、あの、これ」
おびえているせいか、かすかに水面が震えている。クロードは水を受け取って、一気に飲んだ。冷たい水を飲んだら、少し頭がすっきりした。手の甲で唇をぬぐう。
「……悪かった」
そう言ったら、彼女がほっと息を吐いた。
「う、ううん」
見せてくれ、と言って手を差し出すと、スカーレットが小さな手を向けてくる。クロードは、彼女のほっそりした手首を撫でた。
「痛かったか?」
「ううん、痛くない」
スカーレットはそう言って、どうして噛んだの? と尋ねてきた。なぜ噛んだのか。狼の血ゆえに? それとも──。
「昔、狼に噛まれたんだ──」
狼騎士は、紅薔薇姫にそう語り始めた。
※
がたがたと、窓ガラスが揺れている。スカーレットは目を開いて。窓の外へ視線をやった。真っ暗な空。窓をたたく強烈な雨風。
(嵐だ……)
最近、嵐ばかりだ。そっと寝台から降りたスカーレットは、部屋から出て廊下を進んだ。とある部屋をノックして、扉を開く。寝台に寝ていた母が起き上がった。
「どうしたの? スカーレット。眠れないの?」
「うん……」
「おいで」
スカーレットは母に駆け寄った。
母は、スカーレットを抱き留め、緋色の髪を優しく撫でた。その指があまりにも細くて、スカーレットは胸を締め付けられた。
「最近甘えん坊さんね、スカーレット」
「お母様が、遠くに行っちゃう気がする」
そう言ったら、髪を撫でる手が止まった。
「……どうしてそう思うの?」
お母さまの顔が、そんなふうに見える――そう言いかけて、スカーレットは口をつぐんだ。かわりにこう言う。
「ねえ、おかあさま。あのお話をして」
スカーレットがねだると、母がほほ笑んだ。
「『ガオガオ森の狼王』ね?」
「うん」
「スカーレットは本当にこのお話が好きねえ」
母はそう言って、何度となく語った物語を話し始めた。
「むかしむかしあるところに、ガオガオ森と呼ばれる森がありました。そこには、大きくてうつくしい狼がいました。狼は森の王様で、王妃様と一緒に仲良く暮らしていました」
そんなある日、人間がやってきて、王妃様を殺してしまいました。
「狼の王は怒って、化け物になりました。そうして、たくさんの人をころしました」
困り果てた人々は、狼に乙女を捧げました。乙女は狼をおそれず、やさしくその頭を撫でました。
狼は、お返しとばかり、乙女の手首をやさしく噛みました。すると、乙女に子がやどり、男の子が生まれたのです……。
「人々は、狼を神様としてまつり、生まれた男の子を王としました。これが、初代国王のギリアスといわれています」
語り終えた母に、スカーレットは言う。
「怖いお話なのに、なんだか好きなの」
「そうね。狼の王は恐ろしい存在でもあるわ」
でもね、一つ不思議なことがあるの。スカーレットはそう言って、母を見つめた。
「狼さんは、どうして女の子を殺さなかったのかなあ」
「さあ、どうしてかしら。スカーレットはどう思うの?」
「きっと、狼さんは女の子がすきだったんだよ」
「そうかもしれないわね」
優しく言った母親は、スカーレットの赤い髪を撫でた。
「スカーレット、あなたもいつか出会うかしらね。あなたを守る、狼さんに……」
「?」
スカーレットはきょとんとして、緑の瞳を母親に向けた。
そしてその十年後、紅薔薇姫は狼騎士に出会う。
ご愛読ありがとうございました。
・登場人物
スカーレット・ランカストラル 十七歳 引きこもり姫。布団をかぶると安心する。友達はぬいぐるみ。
クロード・ギネヴィア 十八歳 狼騎士とかいう恥ずかしいあだ名がある。孤児。
ルドルフ・アーチャー 十九歳 スカーレットが好きらしいにこやか騎士。妹がいる。
ルカリア・ヨークシャー 十九歳 眼帯おにいさま。いろいろ見える。妹の愛情が重い。
モーリス・ルブラン 四十歳 騎士団長。気のいいおっちゃん。
ミアレス・ヨークシャー 十四歳。 ブラコン。




