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紅薔薇姫の憂鬱

「ブライトンの歴史は、七王国時代から続いていると言われています」


 眼鏡を押し上げながら、男が本をめくる。三人の少女たちは、並んで講釈を聞いていた。


「七王国時代は戦が絶えず、何度も血が流れました。その戦いをおさめたのがヨークシャー家の英雄、ギリアス・ヨークシャーです」


 一番幼い少女が無邪気に尋ねた。


「でもレイズ先生、もともとはヨークシャーが王家だったんでしょう? どうしてヨークシャーが持っていた王位が、ランカストラルに移ったの?」


 生意気そうな女の子が口を開く。


「リリアってば、そんなことも知らないの? お父様が王位を簒奪したのよ」

「それは、ヨークシャーの王様が愚王だったからよ。王様のくせに騎士たちに支配されて、議会を乗っ取られたの」


 冷静に言ったのは、黒髪の少女だ。リリアは首を傾げた。

「ナタリー姉さま、王様はどうなったの?」

「自殺に追い込まれて、死んでお化けになったのよ!」


 マーガレットがそう脅かすと、リリアがおびえた顔になった。家庭教師が咳払いをする。


「マーガレットさま! お化けなど根も葉もない噂です! リリアさまを脅かさないように」


 ナタリーはため息をついて、窓辺に視線を向ける。ひょこ、とのぞいたうさぎのぬいぐるみに、少女はハッとした。レイズがこちらに背を向けている間に、こっそり窓辺に近づく。

 窓を少しだけ開けると、うさぎのぬいぐるみと共に、赤い髪の少女が顔を出した。


「スカーレットおねえさま」


 スカーレットはしー、と指を立て、少女に髪飾りを渡した。


「お誕生日おめでとう、ナタリー」

「ありがとうございます」


 ナタリーははにかんで、髪飾りを受け取った。彼女は首を傾げ、


「でもどうして今くださるの? お誕生日パーティは今夜でしょう?」

「おねえさまは、パーティには出られないから」

「どうして?」


 だって人がたくさんいるもの……スカーレットはそうつぶやいた。スカーレットは人込みと犬が世界一嫌いなのだ。正しくは、他人の視線が怖いのだ。今も人目につかないよう、布団をかぶっている。


「……七年前、現国王アルバートさまが、エルマー・ヨークシャー相手にクーデターを起こしました。これを紅薔薇革命と呼びます」

 こちらに目を向けた男が、ん? と眉をしかめた。スカーレットの姿を認めて吠える。


「スカーレットさま!」

「ひっ」


 スカーレットは慌てて布団をかぶり直し、駆け出した。


「あー、怖かった」


 スカーレットは、布団をかぶったまま回廊を歩いていた。とある人物を目にし、ぴくん、と肩を揺らす。向こうから、父が歩いてきたのだ。


「お、お父さま」

「スカーレット……」


 なぜ布団をかぶっているのだ? 父はそう問いたげな目をした。しかし、傍らにいた騎士が目くばせをする。そこは触れてはならないところだ、と。国王は言葉を選んだ末に、こう口にした。


「珍しいな、おまえが部屋から出るのは」

「あ、はい、今日はナタリーの誕生日だったので、お祝いの髪飾りを渡しに」

「そうか」


 国王、アルバート・ランカストラルはそう言って、


「そういえば、おまえはいくつになった?」

「十七です」


 父はスカーレットを見て、なんともいえない表情になった。何せ、もう十七歳になる娘が布団をかぶってうろついているのだ。その気持ちを打ち消すようにかぶりを振って、

「あー、そろそろ騎士をつける時期だな。なあ、モーリス」


 アルバートが尋ねると、背後にいた男がそうですねえ、と答えた。


「何人かいいのを見繕っときますよ」

「ではな、スカーレット」


 父はそう言って歩いていく。スカーレットは布団をかぶったまま、きし、と呟いた。



 王は執務室で書類をめくりながら、傍に立つモーリスに尋ねる。

「どう思う」

「どうって?」

「スカーレットだ。もう十七だというのに、布団をかぶって、ぬいぐるみを持ち歩いているとは……」

「でもあれは、マリアさまの形見でしょう?」


 モーリスの言葉に、王はふ、と息を吐いた。壁に掛けられた肖像画に目をやる。美人薄命というが、この美しい王妃も例に漏れず夭折してしまった。緋色の髪に新緑色の瞳。見た目だけなら、スカーレットはマリアにそっくりだ。


「なぜ、我が娘は布団をかぶっているのか……解せぬ」


 百歩譲ってぬいぐるみの件は理解できても、布団をかぶる意味が分からない。苦悩に満ちた王の言葉に、

「うーん、まあ、普通ではないですねえ」


 でも姫さまは面白いじゃないですか。モーリスはそう続ける。


「あんな姫様は他にはいない」

「王に面白さは必要ないと思う」


 アルバートはつぶやいて、手を組み合わせた。


「ところで、薔薇会議の様子はどうだ?」

「白薔薇派と紅薔薇派で意見が割れてますね。まあ、毎度のことですが」

「せめて、スカーレットに騎士を持たせて、箔をつけなければ」


 あの子は王位継承者なのだから。そうつぶやくアルバートの背後には、紅薔薇の国旗が吊るされていた。


「ああ、どうしよう、どうしよう」


 一方そのころ、話題の人物、スカーレット・ランカストラルはうろうろ部屋を歩き回っていた。騎士が決まったら、いよいよスカーレットは王位継承者として表舞台に立たねばならなくなる。そうして、ミアレス・ヨークシャーと対峙することになるだろう。


「そんなの絶対無理……」


 あのミアレス・ヨークシャーと戦うなんて。白銀の髪、金色の瞳。まるで氷のように冷たい声。賢く美しい少女。


 お姉さま、シャドウゲームってご存知? 影を踏まれた人間は身動きが取れなくなるんですのよ――お姉さま、何があっても絶対動かないでくださいね? あら、犬が来たわ。すごく怒ってるみたい。お姉さま、ほら、動いたらいけませんわ。


 あの氷のような眼差しを思い出すだけで、ぶるっ、と背筋が寒くなる。ミアレス・ヨークシャーは生まれながらの支配者だ。

 スカーレットはうさぎのぬいぐるみ、ジョセフを抱きしめた。そうして、「他者を避け」「引きこもる」気質ゆえに、彼女はある結論に達した。


「そうだ──戦わなきゃいいのよ!」


 スカーレットはジョセフを持ち上げ、くるくる回った。


「あはは、やったやったー!」

「スゴイぞスカーレット!」


 ぬいぐるみ相手に(ひとりで)楽しげな声をあげるスカーレットを、侍女たちが扉の隙間から不気味そうに見ていた。


「スカーレットさまはどうかされてしまったのかしら……」

「あの方が王位継承者だなんて、不安すぎるわ」

「やっぱり、元々の王位継承者であるヨークシャーが王位を継ぐべきなんじゃ」


浮かれるスカーレットに、その声は届いていなかった。


「そうと決まったら昼寝でもしようかしら」


 一人でひとしきり盛り上がったあと、布団に潜り込もうとするスカーレットに、ジョセフがまったをかけた。


「マッテ、スカーレット。ナニカスルコトがアルンジャナイ?」

「えっ、なに?」

「キシを探サナキャ! 姫ニハキシがフカケツだよ!」

「でも、騎士はお父様が探してくださるって」


 ジョセフはぶんぶん首を振った。実際には、スカーレットが首を持ち、左右にぐらぐら動かしたのだったが。


「ダメダヨ、スカーレット。キシがコワイひとダッタラドウスルノ?」


 スカーレットはハッとした。


「そう、そうよね……私のことを引きこもりの根暗クズだと思っているような騎士は嫌だわ」

「ダロウ? スカーレットみたいな引きこもりのダメ人間でも見捨テナイ騎士を探ソウヨ!」

「ジョセフ、そこはそんなことないよ、って言ってほしかった!」

 こうして、スカーレットの騎士探しが始まったのである。



 王宮の広間に、楽しげな音楽が鳴り響く。きらびやかなシャンデリアの下踊るのは、黒髪の可愛らしい少女。

「ナタリー様、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます、ユベール大臣」


 ナタリーは差し出された本を受け取って、目を輝かせる。


「まあ、七王国物語の新訳。読みたかったんです」

「喜んでいただけてよかった」


 知的で愛らしい姫に、皆が感嘆を漏らす。


「ナタリーさまは本当に素晴らしい王女だわ。明晰で、かわいらしくて」

「本当ねえ」

「国を継ぐのにふさわしいわ」

「でもまだ十一歳でしょう」

「そうねえ、結局、現状で国を継げるのはスカーレットさましかいないのよね……」


 きらびやかな衣装をまとった女性たちが、ソファで優雅にくつろぐ。そのソファの影を、ひょこひょこ何かが動いていた。布団をかぶったスカーレットである。


「ふう……」


 スカーレットは息を吐き、ソファの背もたれから顔をのぞかせた。懐からオペラグラスを取り出し、顔に当てて辺りを見回す。警備の騎士たちが部屋のあちこちにいた。ブルネットに緑の目……だめだ、すぐ逃げ出すタイプ。銀髪に紫の目……いいひとそう。あ、招待客の騎士か。

 スカーレットに気づいた女性がびくっと身体を震わせた。


「す、スカーレットさま? なにをなさって……?」

「あ、気にしないで」


 スカーレットはソファを離れ、分厚いカーテンの裏にさっ、と隠れた。


「す、スカーレットさまもお可愛らしいわよね」

「ええ、ナタリーさまのお姉さまだし、緋色の髪が魅力的で。何より王妃様によく似てらっしゃるわ」


 無理やりひねり出したようなフォローの声を聞きつつ、スカーレットはジョセフを抱きしめ、ふう、とため息をついた。やっぱり、くるんじゃなかった。向いてないのだ、こういう場は。

 カーテンの隙間からそっと覗くと、妹が茶髪の騎士と踊っていた。落ち着いた様子は、六つも年下だとは思えない。ナタリー、すごいな……。ぼうっと見ていたら、いきなりカーテンが持ち上げられた。スカーレットはびくりとし、顔をあげる。シャンデリアが逆光になり、こちらを見下ろす人物の顔を恐ろしくみせた。


「っ!」

「スカーレットさま、そんなとこでなにしてんだい?」

「あ、も、モーリス」


 キョトンとこちらを見ていたのは、王の騎士、モーリス・ルブランだ。スカーレットはホッとし、

「なんで私がいるってわかったの?」

「いや、みんな気づいてるぜえ?」


 周囲からの視線を感じ、スカーレットはかあっと顔を熱くする。

 ──スカーレットさまは何をしてらっしゃるんだ?

 ──さあ、前々からおかしな姫だとは思っていたが。

 ──しっ、王位継承者だぞ。


 人の顔が、たくさん……。好奇心、嘲り、訝しむような目……。足が動かなくなって、息がうまくできなくなる。どくどくと心臓が鳴り響いた。


「おねえさま?」


 驚いた顔のナタリーが、こちらを見ていた。


「な、ナタリー」

「来てくださったのね、おねえさま!」


 ナタリーはこちらに駆けて来て、スカーレットの手を握りしめた。


「ねえ、一緒に踊りましょう」

「え、わ、私踊れない」

「大丈夫よ、くるくる回ってればいいんだもの」


 ぐいぐい引っ張られたせいで、スカーレットはつんのめった。


「あっ」


 バターン! 音を立てて倒れたスカーレットは、激しく顔を打ち付けた。


「おねえさま!」


 ナタリーが悲鳴をあげ、周りがどよめいた。スカーレットはうめきながら顔を上げる。ぽた、と何かが落ちる気配がした。――血だ。鼻血が出たんだ。

 きゃーっという悲鳴、ざわめく声。


「大丈夫かい、姫さま」


 モーリスが差し出してきた手がぼやける。


 ──恥ずかしい。消えちゃいたい。痛みと羞恥で目の前が潤み出す。そのとき、ふわっと身体が浮き上がった。誰かがスカーレットを抱き起こしたのだ。鼻にハンカチが押し当てられる。血が出る感触がいやで上を向こうとしたら、大きな手のひらが頭を抑えた。低くてよく響く声が、耳元に響く。


「上向くな。血が逆流する」


 だれ? モーリスじゃない。スカーレットはぼやけた視界で、目の前の男を見た。

 徐々に視界がはっきりしてくる。さらさらとした金髪に、空を映したような碧眼。きれい──。スカーレットがぼんやり見とれていたら、少し怒ったような声が降ってきた。


「上を向くなって言ってるだろ」

「ご、ごめんなひゃい」


 噛んだ。また恥ずかしさがこみあげたが、彼は笑わずにスカーレットの背を押す。


「歩けるか? ソファに座ってろ。じっとしてたら止まるから」

「ジョセフが」

「ジョセフ? ああ、これか」


 青年は足元に落ちていたうさぎのぬいぐるみを拾い上げ、スカーレットに渡した。スカーレットの肩を抱きよせ、うっとおしそうに人垣をかきわける。


「おい、邪魔だ。散れ」


(きれいな声なのに、口の悪いひとだわ……)


 彼はスカーレットを連れて、カーテンの影にあるソファへと向かった。スカーレットを座らせた青年は、カーテンを引き、その場を離れようとする。


「あの!」

 彼が立ち止まり、振り向く。スカーレットは、ドキドキしながら問うた。


「あなたの、お名前は?」

「クロード・ギネヴィア」


 クロードはそう言って、シャッ、とカーテンを引いた。入れ違うように、ナタリーが入ってくる。


「おねえさま!」

 彼女はスカーレットの手を握りしめ、瞳を潤ませる。


「ごめんなさい、おねえさまに恥をかかせるつもりはなかったの。ただ、一緒に踊りたくて」

「わかってるわ、ナタリー」


 スカーレットはほほ笑んで、ナタリーの頭を撫でた。鼻声だったので、まったく恰好がつかない。妹の頭には、スカーレットが渡した髪飾りがついている。


「髪飾り、よく似合うわ」

「本当ですか?」

「ええ」


 ナタリーは嬉しそうにはにかむ。カーテンの向こうから、ナタリーを呼ぶ声が聞こえてきた。


「戻って。みんなナタリーを待ってる」

「おねえさまは?」

「私は、もうちょっと休むわ」


 ナタリーは心配げにこちらを見ながら出ていった。一人になったスカーレットは、クロードに渡されたハンカチを見つめた。純白だが、スカーレットの血がついてしまっている。ジョセフが首を傾げる(実際にはスカーレットが動かした)。


「スカーレット、ハンカチをじっとミツメテ、ドウシタノ」

「……わたし、きめた」

「エッ、ナニを?」

「あの人に、きめた」


 スカーレットの頰は、薔薇のように赤く染まっていた。


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