紅薔薇姫の救済
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クロードは、スカーレットの部屋に向かって歩いていた。ちゃんと起きているだろうか。まさか、緊張のあまり寝込んでやしないだろうな。ノックをし、呼びかける。
「おい、起きてるか」
しかし、返事がない。開けるぞ、と断って扉を開くが、スカーレットの姿はなかった。
「……あいつ、どこにいったんだ」
訝しげにつぶやきながら、クロードは視線を廊下の向こうに向けた。と、向こうから侍女が歩いてくるのが見えた。その手には、ジョセフがある。クロードは近づいていき、声をかけた。
「おい。それ、どうしたんだ」
「く、クロードさま!」
彼女は頰を染め、もじもじしながら、
「薔薇園の近くに落ちているのを見つけたんです」
「落ちていた?」
スカーレットがジョセフを落としたまま気づかない、なんてことがあるだろうか。
「姫様にお渡ししようと思って持ってきたんですが……」
「俺が渡しておく」
「あ、はい」
クロードは侍女からぬいぐるみを受け取り、歩き出そうとする。その背に声がかけられた。
「あ、あの! 私、クロードさまとスカーレットさまを応援しておりますので!」
振り向くと、侍女がガッツポーズをしていた。なんだかおかしな侍女だ。とりあえず頷いてみせて、クロードは足を進めた。
侍女の言葉を参考に薔薇園へと向かったが、スカーレットは四阿にも庭にもいなかった。国王は政務中だろう。他にスカーレットのことをよく知っている人物といえば……。
普段からスカーレットを熱烈に支持している男を思い浮かべる。クロードは踵を返し、騎士団寮へと向かった。
件の男の部屋へと向かい、扉をたたく。開いた扉から、ルドルフが顔をのぞかせた。
「おや、クロード君」
「スカーレットを知らないか」
「はい?」
「スカーレットさま? いえ、私はずっと寝ていましたので……」
ルドルフは目を丸くして言う。
ジョセフが落ちていて、姿が見当たらない。クロードの言葉に、彼はうなる。
「うーん、事件の匂いがしますね」
「おまえ、寝るときはいつもその格好なのか」
「ええ、何か問題あります?」
ルドルフは三角の帽子をかぶり、裾の長い寝巻きを着ている。子供がよくこういう格好で寝ているが、大人が着ていると若干気色悪い。着替えるんでちょっと待ってください。
彼はそう言って部屋に引っ込んだ。
クロードは、扉にもたれて考える。いまスカーレットを連れ去って、どうしようと言うのだろう。会議ではミアレスのほうが優勢だったはずだ。
白薔薇派のなかに犯人がいるとして、いまスカーレットに危害を加えるメリットがあるだろうか?
――白薔薇姫に話を聞いてみるか。
クロードはルドルフとともに、ミアレスの部屋へと向かった。彼女はちょうど、朝食をとっているところだった。
「おねえさま? さっきいらしたわ」
ミアレスは冷たい声で言った。会議で倒れたとは思えないほど元気そうだ。ほっそりした背中には、ギリアスの亡霊の姿はない。
「それで? どうしたんだ」
「しりませんわ。すぐに出ていったけれど」
「なにか言ってませんでしたか?」
「みんなに認められる方法はないか、って泣きついてきましたわ」
クロードとルドルフの問いに対し、ミアレスは愉快そうに返す。
「それで? おねえさまがどうかなさったの?」
どうでもよさそうな問いに、ルドルフが応えた。
「誰かにさらわれた可能性があるんです」
「あらそう。見つからないことを祈るわ」
ミアレスの部屋を出るなり、クロードは吐き捨てた。
「腹が立つな、あの女」
「まあねえ。にしても困りましたねえ。手がかりがなにもなくなってしまいました」
ルドルフがハッとする。
「もしや、姫様は変態にさらわれたのでは。あまりの可愛さに連れ去られたのだとしてもおかしくありません」
その実感のこもった言葉に、クロードは半目になった。
「もしかして、おまえの部屋にいるんじゃないのか」
「失敬な。私がさらったんだとしたら、ちゃんとジョセフを拾います」
ルドルフは憤然とする。
「怒るポイントがおかしくないか?」
馬鹿話をしてる場合ではない。目撃者を探さなければ……。そう思っていたら、声をかけられた。
「なあ、ユベール大臣をしらないか」
「いえ、知りませんが」
ルドルフが答える。
「ユベール?」
「紅薔薇派の大臣ですよ。ほら、眉間にシワの」
「ああ……あいつか」
クロードは、会議で見たユベールを思い出した。声をかけてきた男は、別の相手に尋ねている。
「ユベール大臣を見ていないか?」
「なにやら大きな荷物を抱えて、馬車に乗り込むのを見たが……」
クロードはぴく、と肩を揺らし、彼らの間に割り込んだ。
「それ、いつの話だ」
彼らは驚いた顔でこちらを見る。
「重要なことだ、思い出せ」
「四半刻前くらいだが……」
「あんたはなんでユベールを探してる?」
「いや、彼と会う約束をしていたんだが、姿が見えないから」
男は困惑気味に答える。
「ユベール、最近おかしいんだ。こないだなんて、アーチェリーをするから弓を貸せって言われて」
「アーチェリー?」
「ああ、彼はそういうの、一切やらないんだが」
クロードは、自分の腕を押さえた。犯人は武術の心得がなく、容易に武器を手に入れられない立場の人間……。
「……スカーレットについて、なにか言ってなかったか」
「え? いや、別に」
ただ、と彼は付け加えた。
「ナタリー様が継ぐべきだ、って酔った時に言っていたような」
クロードとルドルフは、顔を見合わせて走りだした。
★
意識を浮上させたスカーレットはふ、と目を開けた。がたがたという音が聞こえ、振動が伝わってくる。ここは――おそらく馬車のなかだ。こちらを見下ろしている人物の顔を見て、ひ、と息をのむ。
「ユベール大臣……」
「お目覚めですか、スカーレットさま」
「あなた……どうして。紅薔薇派の重臣でしょう?」
「ええ、しかし、前々からあなたには不安を抱いていた。うさぎのぬいぐるみを手にした引きこもり姫……あなたに王位を継ぐなど不可能だ」
彼は淡々とつげる。
「紅薔薇はあなたの妹君、リーナさまに託します」
そんな。スカーレットは唇を震わせた。しっかりしているとはいえ、リーナはまだ十一歳なのだ。
王位継承者になれば、危険にさらされてしまう。きちんと手紙も用意しました。ユベールはそう言って、懐から封書を取り出した。
「あなたは、王位継承の重圧におびえて城から出たことにします。普段のあなたを知っているものなら、なにも疑わないでしょう」
スカーレットは声をあげた。
「そんなことないわ! クロードだって、ルドルフだって、お父様だって、私が急に消えたら、変だと思うはずよ!」
「だとしても、見つけられはしないでしょう。あなたの死体は」
その言葉に、スカーレットは身を震わせた。彼はスカーレットを馬車から引きずり下ろし、森の中を歩いていく。やがて、ひらけた場所にたどりついた。眼下には崖が見えている。
「っ」
びくりとしたスカーレットに、彼は囁いた。
「大丈夫、死ぬのは一瞬です。怖くなどない。器に見合わない大役を背負うよりは、ずっと楽でしょう。──さようなら、紅薔薇姫」
どんっ。背中を押され、スカーレットはふらつく。首を無理やりひねると、こちらを見下ろす恐ろしい顔がみえた。視界がぐにゃりとゆがむ。
──いや。
──しにたく、ない。
──おとうさま、ルドルフ。
──クロード。
もう一度背中を押され、スカーレットの身体が宙を舞った。
★
クロードとルドルフは、轍を追って馬を駆けさせていた。ぬかるんだ道には、車輪跡がのこっていたのだ。
「よかったですね、昨日雨が降って。雨、あんまり好きじゃないんですけど」
「そうだな」
端的に答えたら、ルドルフがちら、とこちらを見た。
「大丈夫ですか?」
「なにが」
「顔色が悪い」
「おまえはずいぶんと冷静だな」
「そう見えます?」
ああ、と答えたら、彼が笑った。
「今ね、犯人をどうやって殺そうか考えてました」
いちおうヤドクガエルの毒を持ってきたんですよ。ルドルフは小瓶を揺らす。
「……おちつけ」
「落ち着きますよ、姫様の顔を見ればね」
轍は森のなかへと続いていた。うっそうと木が生い茂る、この場所で、クロードは捨てられ、拾われたのだ。
モーリスが来るまでの間、恐ろしさに身を震わせた。七年も前の思い出がよみがえってくる。わずかに手首が痛んだ気がした。
「クロードくん?」
「なんでもない」
昔のことだ。今は恐ろしさなど微塵も感じない。たとえ獣に襲われても、斬り捨てることができる。
馬を木につないだクロードは、茂みをかきわけながら、ルドルフとともになかへ入っていく。
そのとき、悲鳴が聞こえた気がした。
「!」
「いまのは……」
ルドルフも顔色を変える。二人は声が聞こえた方角へと走り出した。
☆
崖の先端から、ぱらぱらと礫がおちる。それがまぶたにあたって、目を閉じそうになる。スカーレットは、崖から生え出した枝にすがりついていた。
投げ出された足がふらふらと揺れ、冷や汗が額を流れ落ちる。彼は――ユベールはこちらを見下ろし、目を細める。
「意外にしぶとい。あなたはもっと脆弱な方かと思っていた」
「私は、しなない」
スカーレットは震える声で言った。
「私が死んだら、争いが増える。だから、しなない」
「大丈夫ですよ、姫さま」
彼の顔が、鬼のように歪んだ。そうしてスカーレットの手を掴み、枝から引き剥がそうとする。食い込んだ爪に、スカーレットは喉を震わせた。
「あなたが死んでも、誰も困らない」
「──!」
にじんだ血が、真っ白な肌を流れ落ちていく。痛みと苦しさで、息が荒くなる。もう、だめだ。スカーレットの手が枝から離れそうになった瞬間、聞きなれた声がした。
「勝手に決めないでください? 姫さまが死んでしまったら、この真夏の太陽ルドルフが大泣きしますよ」
「ルドルフ!」
彼はユベールを投げ捨て、にっこり笑う。
「どうも姫さま。あなたのルドルフが参上いたしました。ご褒美にあとでキスしていただけますか?」
差し出された手に掴まろうとしたら、枝がばきりと折れた。
「!」
伸びてきたもう一つの手が、スカーレットの腕を掴む。クロードは不機嫌そうに、
「ふざけたこと言ってないで、早く引きあげろ」
「おやおや、クロードくんに華をもたせてあげたのに、そんな言い方はないでしょう」
「嘘つけ」
「クロード!」
引きあげられたスカーレットは、二人の騎士を見比べた。
「なんでここがわかったの?」
「道がぬかるんで……」
「愛の力ですよ。恋の神様が、姫さまへの道しるべを私に示してくださったのです!」
言葉を遮られたクロードは、うっとおしそうにルドルフを見た。
「そういうのは後にしろ」
「すいません、巡ってきたチャンスはつかんでいくスタイルなので」
ルドルフを呆れた目で見て、クロードは視線をすっ、と下ろした。
「で、こいつが犯人なのか」
「ええ。そのようですね」
ルドルフも視線を落とす。騎士二人に見下ろされ、ユベールがびくりと震える。いつも陽気に輝いているルドルフの目が、冷たくひかった。
「我々の姫さまに害を成そうとするなんて、たっぷりお仕置きしないといけませんね?」
「珍しく意見が合ったな」
剣を引き抜いたルドルフとクロードを、スカーレットは慌てて止めた。
「待って! その人は無傷で連れていって」
「しかし、ひと刺しくらいしないと、気が治りません」
「こいつに同感したことはあまりないが、その意見には頷けるな」
この二人が一刺しずつしたら絶対死ぬだろう。スカーレットは必死に追いすがる。
「不必要に傷つけることはない。そうでしょう?」
「おまえな、こいつに殺されかけたんだろ」
「だからこそ、同じになりたくない」
スカーレットがお願い、と言って見つめると、クロードがため息をついた。
「……しかたないな。ルドルフ、そいつを連れていけ。ああ、舌を噛ませるなよ」
「わかってますよ。よいしょっと」
ルドルフは、ユベールの口にハンカチを突っ込んだ。
「むぐ」
「おや苦しかったですか、すいませんねえ」
「むぐぐ」
笑顔でぐいぐいハンカチを突っ込むルドルフ。それこそ窒息の危険があるが、クロードは止めようとしない。スカーレットは、クロードの服をぎゅっと握りしめた。
「きてくれて、ありがとう、クロード」
震える声でそう言うと、クロードが無言で髪をかきまわした。
☆
城への道を、二頭の馬が進む。空は夕闇へと差し掛かっていた。スカーレットは、クロードと共に騎乗して、城へと向かっていた。
前を行くのは、ユベールを乗せたルドルフだ。ふと、遠吠えが聞こえてきて、スカーレットは耳を澄ました。
「狼の声がする」
「ああ、森には狼が住んでるからな」
「狼?」
怯えた表情になったスカーレットに、クロードが囁いた。
「こわいのか?」
スカーレットは、彼の服をぎゅっとつかんだ。
「こ、こわくない。クロードが一緒だから」
彼はふ、と笑い、スカーレットの瞳を覆った。
「寝といたほうがいい。城についてからが大変だろうからな」
紅薔薇派から反逆者が出た。この事実は、白薔薇派をさらに勢いづかせるだろう。
白薔薇と紅薔薇に和平をもたらすには、切り札が必要だ。一方の優位を誇るのではなく、互いに尊重できるような何かが必要なのだ。太陽と月のように、対になる存在。
「紅薔薇と白薔薇を、ひとつに……」
スカーレットはうとうとしながら、白い薔薇に重なった、赤い薔薇を思い描いた。




