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狼騎士と異能

 ★


 暗闇の中、クロードは切り株の上に座り込んでいた。これは夢だ。現実感のないふわふわした意識の中、昔の記憶を見ている。


 十一歳になったばかりの頃、母に連れられて森へ行った。母親は、すぐ戻るからとクロードを置いてどこかへ歩いていった。


クロードは、切り株のうえに座り込んでいた。だんだん空が暗くなり、あたりに獣の鳴き声が響いていた。母がもう戻ってこないだろうことはわかっていた。


 ──はら、減ったな。


 クロードは腹を押さえ、胸の内でつぶやいた。何か食べるものを探そうか。そう思って、切り株から立ち上がった。自分の境遇を知っても、不思議と悲しくはなかった。


 そのとき、がさりと茂みが鳴って、大きな狼が現れた。クロードは息を呑み、体を強張らせた。


狼はこちらに近づいてきて、ふんふんクロードの匂いを嗅いだ。そうして、クロードの手首に鼻を寄せた。それから、歯を這わす。


「――!」


 クロードは痛みにそなえて目を瞑ったが、覚悟した激痛はこない。そっと目を開くと、手首に痣のようなものがあった。

 顔をあげると、狼はすでに視界から消えていた。


 ずきり、と手首が痛んだ気がした。


 クロードはかすかにうめいて、うっすら瞳を開いた。見慣れぬ天井が目に入る。ここはどこだ? 痛いということは、助かったらしいが……。


 そう思うと同時に、なにかがはらりと顔にかかった。──なんだこれは。ハンカチ? 


指でつまんで、ハンカチを少しだけのける。ルドルフが、見たことがないほど深刻な表情で十字を切るのが見えた。――何をしてるんだ、こいつ。クロードはしばらく静観することにした。


 指を組みあわせたルドルフは、神妙な表情で言葉をつらねる。


「我が紅薔薇の遊撃手、孤高の狼、またはぼっち、クロード・ギネヴィアくんの冥福を祈って……アーメ」

「おい、勝手に殺すな」


 クロードは素早くハンカチを投げ捨てた。ルドルフがぱちぱち目を瞬く。


「あれ、生きてたんですか。てっきり天に召されたのかと」

「おまえを召してやろうか」

 剣を引き抜いたクロードから後ずさりつつ、背後のスカーレットに声をかける。


「ほら姫さま、元気ですから大丈夫ですよ」


 スカーレットは、泣きそうな顔でクロードを見ていた。


「……こっちにこい」


 クロードが手招くと、彼女がこちらに近づいてきた。小さな手のひらが、クロードの手をぎゅっと握る。その直後、彼女は目を潤ませ、ボロボロと涙をこぼした。


「うわああ〜よかった〜ひっぐ、うえっぐ」

「……もうちょっと姫らしい泣き方はできないのか」

「いえ、スカーレットさまらしくていいじゃないですか」


 呆れるクロードに対し、ルドルフはにこにこ笑っている。


「おまえはなんでもいいんだろ」

「もちろん、私はどんなスカーレットさまも愛していますので」


 ルドルフはにこりと笑う。クロードの負傷はどうでもいいとばかり、


「それで? 襲撃者の顔は見たんですか」

「いいや。ジョセフの首をもいだやつと同じだろうとは思うがな」

「白薔薇の可能性はなさそうですよね」

「なぜわかる?」


 ルドルフは、ハンカチに包んだ矢じりを差し出した。


「これ、クロード君を殺し損ねた矢です」

「言い方に含みを感じるんだが。成功してほしかったのか?」

「はは、まさか」


 ちゃっかり回収しているあたり、腹が読めない。


「なんの毒も塗ってありませんでした。彼らなら致死量の毒を塗るでしょうし」


 ルドルフの言葉に、皮肉気に返す。


「ミアレスなら中途半端なことはしないって?」

「ええ、我々に手加減する理由もない」


 それに、とルドルフは付け加える。


「これってアーチェリーの矢なんですよねえ」

「アーチェリー?」

「ええ、殺すために使うのは妙でしょう?」


 確かに奇妙だ。それ以外入手できなかったと考えるべきだろう。


「ジョセフだけじゃなく、クロードまで……許せない」


 スカーレットが唇を噛んだ。そうして、ルドルフに向き直る。


「犯人を探しに行きましょう、ルドルフ!」

「がってんです」

「おい待てばかども」


 彼らはそろって出口に向かおうとする。クロードは腕を伸ばし、それを阻んだ。襟首をつかまれたスカーレットが頬を膨らませる。


「ばかじゃないもん」

「そうだそうだー」


 唇を尖らせらるふたりに、クロードはため息をつく。


「なんの証拠もないまま闇雲に探してどうする。犯人の目的がわかるまでは静観したほうがいい」

「でも、また誰かが傷つくのはいや」


 スカーレットは声を震わせた。


「今度はお父様かもしれない。ルドルフかもしれない。もう大事な人を傷つけられたくないの」

「……」


 彼女の気持ちはわかる。だが、スカーレット自身が危険にさらされるのはもっとまずい。ふと、真夏の太陽が静かなのに気づいた。


「……なに赤くなってる、ルドルフ」


 ルドルフは赤くなった顔を覆い、


「だって、姫さまが私を大事だって……照れますー!」

「……こいつは殺しても死なないし、陛下にはモーリスがついてる。大丈夫だ」


 スカーレットはしぶしぶ頷き、真摯な目でこちらを見た。


「なにかしてほしいことない?」

「別にない」

「はいはい! 膝枕をしてほしいです!」


 クロードはルドルフの襟首をつかんで、布団に沈めた。


「うぐう」

「それ、なんとかしろ。せっかく回収したんだ」


 クロードは、ジョセフの首を指差した。ぬいぐるみとはいえ、生首のままでは忍びない。


「じゃあ、侍女に治してもらってくる。すぐ戻るから」

「では私がお供を」


 ルドルフが素早く身を起こす。クロードは、歩き出そうとしたルドルフの服を引っ張った。スカーレットに聞こえないようささやく。


「スカーレットから目を離すなよ。また狙われるかもしれない」

「わかっていますよ。我らがお姫様をちゃんとお守りします」


 ルドルフは微笑んで、片目をつぶった。


「だから安らかに眠ってくださいね☆」

「笑顔で永眠を勧めてくるのはやめろ」


 二人が出て行くと、部屋がしん、とした。クロードは息を吐いて、枕に頭を沈める。腕を射られただけなのに、手に力が入らない。


 ――こんな時に怪我をするなんて、間抜けにもほどがあるな。包帯が巻かれた腕をさすり、その手を手首に滑らせた。シャツをめくりあげ、視線を落とす。


手首に刻まれた、狼のような形の痣。これをつけられたあと、人の殺気を読みとれるようになった。


 あれ以来――殺意を感じると手首が痛む。

 ノックの音がしたので、クロードは素早くシャツをおろした。入ってきたのは養い親だ。


「大丈夫か、クロードよぉ」


 いつもどおりに見えるが、わずかに息を乱しているので、慌てて走ってきたのがわかる。


「腕を射られただけだ」


 モーリスは眉を寄せ、


「おまえがやられるなんて珍しい。よほどの手練れか?」

「失敗してるんだ。大した腕じゃない」

「けどよお……」


 モーリスはクロードの手首に視線を落とした。かつて痣のことを話したら、モーリスはこう言った。


──そりゃあ、森の神様だよ。おまえに贈り物をくれたんだ。神様なんかいるわけがない。クロードはそう返したのだが。


「忘れてた、この力のこと」


 騎士たちと諍いを起こすたびに、その殺気にうんざりしていたのに。


「四六時中気を張ってるよりはいいさ」


 クロードは、モーリスをじっと見た。


「なんだよ」

「なあ、なんであんたは、俺を拾ったんだ?」

「なんでって、別に理由はねぇよ」


 彼は襟首をかいて、


「しいて言えば、俺にも家族はいなかったからよぉ」

「でも、面倒なガキを抱え込むことはなかった」


 彼はこちらに来て、クロードの傍に座った。


「おまえを森で拾ったとき、狼みたいな目をしてた。誰も信じねえって顔してた」


 モーリスは瞳を揺らす。


「騎士になるのなんか嫌だって言ったろ」


 子供のくせに、獣みたいなギラギラした目でこっちを見た。


「無理もねえかもしれないって思った。紅薔薇の王によるクーデターで国が荒れて、口減らしのために捨てられたんだからな」

「ああ」


 そう思っていた。だからクロードは国王につこうとは思わない。どの派閥が勝とうが興味はない。


「だけど、勝たなきゃスカーレットが殺される」


 立場が弱くなれば、彼女はきっと多くの刃にさらされる。夢に見たような未来が待っている。それはなんとしても防がねばならない。


「王になってもならなくても、どちらにせよ茨の道だけどよぉ」


 俺は嬉しい、とモーリスは言った。


「おまえが自分で守るものを見つけたのが、嬉しいんだ」


 緩んだ瞳に見つめられ、胸がむず痒くなる。モーリスがいなければ、クロードはのたれ死んでいただろう。感謝している。だが、それをうまく伝えられなかった。口をついて出るのは憎まれ口だ。


「……さっさと陛下の護衛に戻れよ」

「おう、じゃな、安静にしろよう」


 ぐしゃぐしゃと髪をかき回され、クロードはやめろ、とその手を跳ね除けた。出ていったモーリスを見送り、クロードは乱れた髪を直した。再び、袖口から痣が覗く。


この痣ができてから、他人の殺気を感じるようになった。そのせいで、生きにくくなったのだと思っていた。


 あの狼がなんだったのかはわからない。だが、力を与えてくれたのには感謝しよう。スカーレットを守るために、この力は必要なのだから。

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