狼騎士と異能
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暗闇の中、クロードは切り株の上に座り込んでいた。これは夢だ。現実感のないふわふわした意識の中、昔の記憶を見ている。
十一歳になったばかりの頃、母に連れられて森へ行った。母親は、すぐ戻るからとクロードを置いてどこかへ歩いていった。
クロードは、切り株のうえに座り込んでいた。だんだん空が暗くなり、あたりに獣の鳴き声が響いていた。母がもう戻ってこないだろうことはわかっていた。
──はら、減ったな。
クロードは腹を押さえ、胸の内でつぶやいた。何か食べるものを探そうか。そう思って、切り株から立ち上がった。自分の境遇を知っても、不思議と悲しくはなかった。
そのとき、がさりと茂みが鳴って、大きな狼が現れた。クロードは息を呑み、体を強張らせた。
狼はこちらに近づいてきて、ふんふんクロードの匂いを嗅いだ。そうして、クロードの手首に鼻を寄せた。それから、歯を這わす。
「――!」
クロードは痛みにそなえて目を瞑ったが、覚悟した激痛はこない。そっと目を開くと、手首に痣のようなものがあった。
顔をあげると、狼はすでに視界から消えていた。
ずきり、と手首が痛んだ気がした。
クロードはかすかにうめいて、うっすら瞳を開いた。見慣れぬ天井が目に入る。ここはどこだ? 痛いということは、助かったらしいが……。
そう思うと同時に、なにかがはらりと顔にかかった。──なんだこれは。ハンカチ?
指でつまんで、ハンカチを少しだけのける。ルドルフが、見たことがないほど深刻な表情で十字を切るのが見えた。――何をしてるんだ、こいつ。クロードはしばらく静観することにした。
指を組みあわせたルドルフは、神妙な表情で言葉をつらねる。
「我が紅薔薇の遊撃手、孤高の狼、またはぼっち、クロード・ギネヴィアくんの冥福を祈って……アーメ」
「おい、勝手に殺すな」
クロードは素早くハンカチを投げ捨てた。ルドルフがぱちぱち目を瞬く。
「あれ、生きてたんですか。てっきり天に召されたのかと」
「おまえを召してやろうか」
剣を引き抜いたクロードから後ずさりつつ、背後のスカーレットに声をかける。
「ほら姫さま、元気ですから大丈夫ですよ」
スカーレットは、泣きそうな顔でクロードを見ていた。
「……こっちにこい」
クロードが手招くと、彼女がこちらに近づいてきた。小さな手のひらが、クロードの手をぎゅっと握る。その直後、彼女は目を潤ませ、ボロボロと涙をこぼした。
「うわああ〜よかった〜ひっぐ、うえっぐ」
「……もうちょっと姫らしい泣き方はできないのか」
「いえ、スカーレットさまらしくていいじゃないですか」
呆れるクロードに対し、ルドルフはにこにこ笑っている。
「おまえはなんでもいいんだろ」
「もちろん、私はどんなスカーレットさまも愛していますので」
ルドルフはにこりと笑う。クロードの負傷はどうでもいいとばかり、
「それで? 襲撃者の顔は見たんですか」
「いいや。ジョセフの首をもいだやつと同じだろうとは思うがな」
「白薔薇の可能性はなさそうですよね」
「なぜわかる?」
ルドルフは、ハンカチに包んだ矢じりを差し出した。
「これ、クロード君を殺し損ねた矢です」
「言い方に含みを感じるんだが。成功してほしかったのか?」
「はは、まさか」
ちゃっかり回収しているあたり、腹が読めない。
「なんの毒も塗ってありませんでした。彼らなら致死量の毒を塗るでしょうし」
ルドルフの言葉に、皮肉気に返す。
「ミアレスなら中途半端なことはしないって?」
「ええ、我々に手加減する理由もない」
それに、とルドルフは付け加える。
「これってアーチェリーの矢なんですよねえ」
「アーチェリー?」
「ええ、殺すために使うのは妙でしょう?」
確かに奇妙だ。それ以外入手できなかったと考えるべきだろう。
「ジョセフだけじゃなく、クロードまで……許せない」
スカーレットが唇を噛んだ。そうして、ルドルフに向き直る。
「犯人を探しに行きましょう、ルドルフ!」
「がってんです」
「おい待てばかども」
彼らはそろって出口に向かおうとする。クロードは腕を伸ばし、それを阻んだ。襟首をつかまれたスカーレットが頬を膨らませる。
「ばかじゃないもん」
「そうだそうだー」
唇を尖らせらるふたりに、クロードはため息をつく。
「なんの証拠もないまま闇雲に探してどうする。犯人の目的がわかるまでは静観したほうがいい」
「でも、また誰かが傷つくのはいや」
スカーレットは声を震わせた。
「今度はお父様かもしれない。ルドルフかもしれない。もう大事な人を傷つけられたくないの」
「……」
彼女の気持ちはわかる。だが、スカーレット自身が危険にさらされるのはもっとまずい。ふと、真夏の太陽が静かなのに気づいた。
「……なに赤くなってる、ルドルフ」
ルドルフは赤くなった顔を覆い、
「だって、姫さまが私を大事だって……照れますー!」
「……こいつは殺しても死なないし、陛下にはモーリスがついてる。大丈夫だ」
スカーレットはしぶしぶ頷き、真摯な目でこちらを見た。
「なにかしてほしいことない?」
「別にない」
「はいはい! 膝枕をしてほしいです!」
クロードはルドルフの襟首をつかんで、布団に沈めた。
「うぐう」
「それ、なんとかしろ。せっかく回収したんだ」
クロードは、ジョセフの首を指差した。ぬいぐるみとはいえ、生首のままでは忍びない。
「じゃあ、侍女に治してもらってくる。すぐ戻るから」
「では私がお供を」
ルドルフが素早く身を起こす。クロードは、歩き出そうとしたルドルフの服を引っ張った。スカーレットに聞こえないようささやく。
「スカーレットから目を離すなよ。また狙われるかもしれない」
「わかっていますよ。我らがお姫様をちゃんとお守りします」
ルドルフは微笑んで、片目をつぶった。
「だから安らかに眠ってくださいね☆」
「笑顔で永眠を勧めてくるのはやめろ」
二人が出て行くと、部屋がしん、とした。クロードは息を吐いて、枕に頭を沈める。腕を射られただけなのに、手に力が入らない。
――こんな時に怪我をするなんて、間抜けにもほどがあるな。包帯が巻かれた腕をさすり、その手を手首に滑らせた。シャツをめくりあげ、視線を落とす。
手首に刻まれた、狼のような形の痣。これをつけられたあと、人の殺気を読みとれるようになった。
あれ以来――殺意を感じると手首が痛む。
ノックの音がしたので、クロードは素早くシャツをおろした。入ってきたのは養い親だ。
「大丈夫か、クロードよぉ」
いつもどおりに見えるが、わずかに息を乱しているので、慌てて走ってきたのがわかる。
「腕を射られただけだ」
モーリスは眉を寄せ、
「おまえがやられるなんて珍しい。よほどの手練れか?」
「失敗してるんだ。大した腕じゃない」
「けどよお……」
モーリスはクロードの手首に視線を落とした。かつて痣のことを話したら、モーリスはこう言った。
──そりゃあ、森の神様だよ。おまえに贈り物をくれたんだ。神様なんかいるわけがない。クロードはそう返したのだが。
「忘れてた、この力のこと」
騎士たちと諍いを起こすたびに、その殺気にうんざりしていたのに。
「四六時中気を張ってるよりはいいさ」
クロードは、モーリスをじっと見た。
「なんだよ」
「なあ、なんであんたは、俺を拾ったんだ?」
「なんでって、別に理由はねぇよ」
彼は襟首をかいて、
「しいて言えば、俺にも家族はいなかったからよぉ」
「でも、面倒なガキを抱え込むことはなかった」
彼はこちらに来て、クロードの傍に座った。
「おまえを森で拾ったとき、狼みたいな目をしてた。誰も信じねえって顔してた」
モーリスは瞳を揺らす。
「騎士になるのなんか嫌だって言ったろ」
子供のくせに、獣みたいなギラギラした目でこっちを見た。
「無理もねえかもしれないって思った。紅薔薇の王によるクーデターで国が荒れて、口減らしのために捨てられたんだからな」
「ああ」
そう思っていた。だからクロードは国王につこうとは思わない。どの派閥が勝とうが興味はない。
「だけど、勝たなきゃスカーレットが殺される」
立場が弱くなれば、彼女はきっと多くの刃にさらされる。夢に見たような未来が待っている。それはなんとしても防がねばならない。
「王になってもならなくても、どちらにせよ茨の道だけどよぉ」
俺は嬉しい、とモーリスは言った。
「おまえが自分で守るものを見つけたのが、嬉しいんだ」
緩んだ瞳に見つめられ、胸がむず痒くなる。モーリスがいなければ、クロードはのたれ死んでいただろう。感謝している。だが、それをうまく伝えられなかった。口をついて出るのは憎まれ口だ。
「……さっさと陛下の護衛に戻れよ」
「おう、じゃな、安静にしろよう」
ぐしゃぐしゃと髪をかき回され、クロードはやめろ、とその手を跳ね除けた。出ていったモーリスを見送り、クロードは乱れた髪を直した。再び、袖口から痣が覗く。
この痣ができてから、他人の殺気を感じるようになった。そのせいで、生きにくくなったのだと思っていた。
あの狼がなんだったのかはわからない。だが、力を与えてくれたのには感謝しよう。スカーレットを守るために、この力は必要なのだから。




