狼騎士の負傷
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見世物にでもなった気分だ。クロードはそう思った。
歩くたびに、ひそひそ囁く声が聞こえてくる。大方スカーレットとのことだろう。どうでもいいことがすぐに噂になる。暇人どもめ。
──やはり、スカーレット様に狼騎士は飼い慣らせないようだな。
──あれは一匹狼、飼われるのには向いていまい。
──もはや、紅薔薇派の敗北は目に見えているな。
雑音に構っている暇はない。ジョセフの頭を見つけ、スカーレットに渡さねば。会議の日が迫っているのだ。スカーレットの気がふさいだままではまずい。
侍女を捕まえて、ミアレスが滞在している部屋はどこか尋ねた。
ジョセフの頭をもいだのは白薔薇派だ。クロードはそう考えていた。会議前にスカーレットの気勢を削ぐためだろう、と。
教えられた部屋へ向かうと、ちょうどミアレスとレスターが居室から出てくるところだった。クロードは壁に背をつけ、彼らが去るのを待つ。レスターがちらりとこちらを見た気がして、クロードは柄に手をかける。
「レスター」
ミアレスが声をかけると、彼はふっと視線を外した。
彼らがいなくなるのを見届け、クロードはさっ、と部屋に入る。
部屋の中を見渡し、目についたところをひたすら探した。ベッドの下、デスクの一番下の引き出し、棚の裏。ジョセフの頭はどこにも見当たらなかった。
――もしかしたら捨ててしまったのだろうか。証拠をむざむざ残しておくバカもそういまい。
その時、誰かの気配がした。クロードは素早くクローゼットの中に隠れ、息をひそめた。近づいてくる気配はひとつ。ということは、ミアレスとレスターではない。いったい誰だ?
扉が開く音がして、靴音が響いた。これは、男物の靴だ。それほどがたいのいい人間ではない。そして、武術に秀でたものではない……。
クロードはわずかにクローゼットを開き、その人物が誰なのかを見ようとした。が、目に入ったのはシルエットだけだった。その人物は何かを置いて。すぐに部屋を出て行った。
クロードは男が消えたのを確信してからクローゼットを出た。素早く扉を開けたが、廊下にはすでに人影はない。部屋へ戻ったクロードはふとデスクの上へ視線をやる。そうして、目を見開いた。
☆
ノックの音が聞こえて、スカーレットは顔をあげる。自室の窓へ目をやると、いつのまにか日が落ちていた。扉を開けたら、侍女が立っていた。
「スカーレット様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
スカーレットは、差し出されたお盆を受け取った。侍女は遠慮がちに、
「お部屋にこもりきりでは身体によくありません。おさんぽでもなさったらいかがですか?」
「そうね」
お茶をしたあと、スカーレットは布団をかぶったまま部屋を出た。人目を避けるように足早に動き、回廊へと向かう。歩くたびに、はたはたと布団の端が揺れた。
ジョセフがいないと、世界で一人ぼっちになったような気がする。回廊を抜け、薔薇園に足を踏み入れる。咲き誇る美しい紅薔薇を見ても、気分は晴れなかった。四阿が目に入って、スカーレットは足を止めた。
あそこでクロードとフルーツサンドを食べたのが、遠い昔のようだ。
せっかく、騎士になってくれたのに。──呆れられて、見捨てられてしまった。スカーレットはぎゅっと布団を握りしめる。
「また布団かぶってるのか」
その声に、スカーレットはハッと振り向く。そこに立っていたのは、クロード・ギネヴィアだった。夕凪に金の髪が揺れている。
(どうしよう……なんていえばいいの?)
無言で見つめていたら、クロードが何かをぽいっと放った。
「ほら」
慌てて手を伸ばしたスカーレットは、それが何かに気づいて目を見開く。
「ジョセフ!」
腕に収まっていたのは、奪われたはずのジョセフの頭だった。スカーレットは困惑しながらクロードを見る。
「なんで、これ」
「ミアレスの部屋にあった」
「ミアレスの?」
「ああ。でも犯人は白薔薇姫じゃない」
「どういうこと?」
クロードはこちらへ歩いてきて、わずかに咲いている白薔薇を眺めた。
「誰かがミアレスの居室に置いてった。白薔薇に罪をなすりつけようとしたんだろ」
「なんでそんなことを?」
「さあ。ともかく、ジョセフは取り戻したんだから、もういじけるのはやめろ」
彼は、薔薇に視線を据えたままで言う。あんな態度をとったのに、クロードはジョセフを探してくれていたんだ。スカーレットは、ジョセフの頭をぎゅっと抱きしめる。
「……クロードは、私に愛想をつかしたのかと思ってた」
「つかしていいのか、愛想」
「だめ!」
スカーレットはそう叫んで、真っ赤になった。
「あの、会議があるし」
「ああ。布団かぶってる場合じゃない」
「こ、これは、たまたまだもん」
「ふうん」
クロードは身をかがめ、布団ごとスカーレットの身体を引き寄せた。そうして、スカーレットの顔を覗き込む。いきなり距離が近くなって、スカーレットは目を泳がせる。
「な、なに?」
「おまえ、顔に自信がないから布団かぶってるのか?」
「べ……べつに、そういうわけじゃ」
彼の指先が、スカーレットの顎にかかった。そのままくい、と上向かせる。布団がぱさりと芝生に落ちた。
「べつに悪くないけど」
「ち、ちかい」
至近距離で見つめられて、心臓がどくどく鳴っていた。長い睫毛や、青い瞳がすぐ近くにある。スカーレットはぎゅっと目を閉じた。
「こっち見ろ」
「や……やだ」
「なんで」
「なんか、いつもと違うから」
長い指先が瞼に触れた。
「俺を信じてるなら、ちゃんと見ろ」
スカーレットはそっと瞳を開く。クロードの碧眼がこちらを見下ろしていた。きれいな瞳。まばたきを忘れて、スカーレットはその青に見入る。
一回から言わないから、よくきけ。クロードはそう言った。
「おまえは、自分で思ってるよりずっと――」
クロードは、そこで言葉をとぎらせた。碧眼が鋭くなる。
「伏せろ!」
声がした瞬間、どんっと突き飛ばされた。クロードがスカーレットの身体を押したのだ。よろめいたスカーレットは地面に倒れる。と同時に、ふっと視界が暗くなった。
クロードの体温が近くにある。何かがぽたりと地面に落ちた。まるで、薔薇の花びらのような赤。これは──血だ。
「――!」
クロードの腕に矢が突き刺さっていた。スカーレットは真っ青になり、
「クロード!」
誰かを呼んでこようと身を起こす。クロードがその肩を押さえつけた。
「ばか、動くな。安全だってわかるまで、動く、な」
痛みに呻き、倒れ込んできたクロードを抱きとめる。
「クロード……クロード!」
スカーレットは必死に彼の名前を呼んだ。




