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紅薔薇姫の落胆


 鳥の鳴く声が聞こえている。スカーレットはぼんやりと瞳を開けた。椅子にもたせかけた、半身のないジョセフが目に入る。


「……」


 ノックの音が聞こえた。クロードだろう。昨日の今日で顔を合わせづらい。――どうしよう。ジョセフに頼ろうにも、今の彼には頭がないので会話ごっこができない。


スカーレットは布団をかぶり、扉へと向かった。ノブに手をかけて、そっと開く。


「は……はい」


 扉を押し開いたのは、クロードではなかった。


「おはようございます、姫様。あなたのルドルフが参上しました」

「ル……ルドルフ?」


 満面の笑みを浮かべたルドルフが、扉の向こうに立っていた。困惑気味に見上げたら、彼がよろめいた。


「!?」


 慌てて支えようとしたら、


「ああ、なんてことだ。ルドルフは朝から姫様の愛らしさでノックアウト寸前です」


 まるで参っていない様子で微笑んだ。スカーレットはその言葉を取り合わず、ルドルフの背後をちらりとみた。ルドルフはそれに反応し、


「クロード君ならいませんよ。やることがあるからと、護衛役を頼まれたんです」

「クロードは、何か言ってた?」

「いえ、とくに何も」

「そ、そう……」


 スカーレットがうつむくと、ルドルフが顔を覆った。わっと泣き出す。


「そんなあからさまにがっかりしなくても! 姫様にすべてを捧げようという私に対し、あんまりな仕打ちです!」

「え!? ち、違う」


 おろおろするスカーレットを、ルドルフはちらっと見る。


「本当ですか?」

「ええ、本当よ」


 彼は態度をころっと変えて、


「では参りましょう」


 腕を差し出してきた。スカーレットは少し戸惑って、彼の腕をとる。ルドルフとともに城内を歩くと、ひそひそと話す声が聞こえてきた。


「おや、クロード・ギネヴィアの姿がないな」

「もう決裂したとは驚きだ」

「薔薇会議の前に見捨てられるとは、さすが引きこもり姫のスカーレットさまだな」


 もはやスカーレットの出席はないだろう。人々はそう噂する。うつむいたスカーレットに、ルドルフが声をかけた。


「気にしてはいけませんよ、姫様」

「ええ……本当のことだもの」


 そう言ったら、ルドルフがかぶりを振った。


「クロード君は姫様を見捨てなどしませんよ」

「いいの、慰めなくても」


 浮上しないスカーレットを見て、ルドルフは会話の内容をを変えた。


「……きょうの朝食はなんでしょうね? ルドルフ的にはクッキーがいいな」

「ええ、そうね」


 食堂へ向かうと、すでに父とモーリスがいた。


「おはよう、スカーレット」

「おはようございます」


 スカーレットの様子を見て、国王が眉を寄せる。


「どうした、浮かない顔をして」

「ええ……大丈夫です」

「おや? 今日はうさぎのぬいぐるみを持っていないのかね」


 国王の言葉に、スカーレットはあいまいな返事をした。その時、凛とした声が聞こえてくる。


「お姉さまはもう十七歳でしょう。そんなもの、持っているほうがおかしいんじゃなくて?」


 ハッとして視線を向けると、ミアレスが立っていた。彼女は目を細めてこちらを見る。


「あら? 例の騎士がいませんね。どうかされまして?」

「……」


 黙り込んでいると、妹たちが食堂に駆け込んできた。彼女たちは子犬のように、ミアレスにまとわりつく。


「おねえさま、今日は詩をよんでいただきたいわ!」

「それより、またピアノを弾いてください」


 国王がせきばらいした。


「マーガレット、リリア。ミアレスは客人だぞ。わがままは本物の姉に言いなさい」


 マーガレットとリリアは唇を尖らせる。


「だってミアレスお姉さまのほうが、なんでもできて素敵だもの」

「マーガレット、そんなこと言ってはいけないわ」


 そうたしなめたのはナタリーだ。


「ナタリーお姉さまだってそう思ってるんでしょう?」


 マーガレットに続いて、リリアが無邪気に言う。


「ミアレスお姉さまが本当のお姉さまならいいのに」


 ――カタン。スカーレットは、音を立てて椅子から立ち上がった。こちらに視線が集まってくる。


「ごめんなさい。食欲がないから失礼するわ」


 足早に歩くスカーレットに、ミアレスが声をかけた。


「お姉さま、具合がよくないようだから、会議への召喚は延期にしたらどうかしら」


 彼女はねずみをいたぶる猫のように、


「私はいつでも構わないのよ。かわいい妹もできたことだし、しばらく滞在するのもいいわ」


 そしてここを本当の家にする気なのか――。スカーレットからすべてを奪って。


「……ええ、そうね」


 スカーレットは固い声で返し、逃げるように食堂をあとにした。


 スカーレットは、足早に歩いていた。――早く。早く部屋に帰りたい。廊下を曲がると、騎士たちが目に入ったので、慌てて手近な部屋に飛び込む。

扉の隙間からそっと覗くと、彼らの会話が耳に入った。


「聞いたか、クロード・ギネヴィアとスカーレット様が疎遠になったと」

「寵愛が終わるのがずいぶんと早かったな」

「紅薔薇姫は会議を欠席するのか? 王位継承権はどうなる」

「いま、ルドルフがスカーレットさまのお付きになっているそうだぞ」

「あいつか……やっぱり白薔薇に鞍替えしたほうがいいな。スカーレット様はあまりにも頼りない」


 騎士たちが話しているなか、やけに明るい声が割り込んで来た。


「おやおや、それは早計ではないでしょうかね」

「げっ、ルドルフ」


 ルドルフはにこりと笑い、彼らの肩に手を回す。


「君たち、紅薔薇派でしょう? 主君が大変な時こそ支えるのが、騎士というものではないでしょうかね」

「し……しかし、スカーレット様に求心力がなさすぎる」

「そうだ。あの年でぬいぐるみも手放せない。あれならナタリー様のほうがましだ」


 騎士たちの言葉に、ルドルフはふう、と息を吐いた。


「スカーレットさまを悪く言われたら、さすがにこの温厚なルドルフも怒ってしまうかもしれませんよ」


 普段にこやかなルドルフが低い声を出したので、騎士たちは少しおびえた表情になる。


「な……なんだよ、やろうってのか」


 ルドルフはばっ、と両手を広げた。


「!?」


「あなた方に小一時間ほど姫さまの魅力をお伝えしたいところですが、しかしスカーレットさまの魅力を独り占めしたいという気持ちもあるのです。ああなんというジレンマ!」

「い、行こうぜ」


 両手を広げるルドルフを、騎士たちは胡乱な目で見て去っていく。スカーレットは彼に声をかける。


「ルドルフ」

「おや、姫さま。そんなところにいらしたんですか」


 ルドルフは笑みを浮かべ、こちらへ歩いてきた。スカーレットは目を伏せる。


「ごめんなさい、ルドルフ……」

「いいえ、ルドルフは姫さまのしもべですので。踏むなり焼くなり縛るなり好きにしていただけたら光栄です」


 初めて会った時も、彼はこう言っていた。


「あなたは優しいわね」

「いえ、こう見えても、関心のない人には冷淡よねって言われますよ」

「どうして?」


 スカーレットが見上げたら、彼が首を傾げた。


「どうして、と言いますと?」

「優しくしてもらう理由がないわ」


 ルドルフがわずかに瞳を揺らした。


「……私にとって、あなたはたったひとりのお姫様だから」


 慰められているのだ。そう思った。ルドルフはきっと、スカーレットに同情しているのだろう。冷たくされるよりも、そのことをみじめに思った。スカーレットは、彼を見ずに言った。


「今日はもう自由にしていいわ」

「お部屋までお送りします」

「いいの」


 ルドルフはこちらをじっと見て、


「……元気のない姫さまも魅力的です。でも、私はクロードくんを必死に追いかけていた姫さまのほうがすきですよ」


 靴音を鳴らして去っていった。スカーレットはしばらく身動きせずにいたが、ふらついて、扉にもたれる。


(何してるのかしら、私……)


 息を吐いたスカーレットは、そこでやっと室内を見回した。


「この部屋は……」


 壁一面に、歴代の国王たちの肖像画が飾られていた。


(肖像画の間だわ)


 昔、家庭教師に連れられてここに入った覚えがある。


 スカーレットは、壁のほうへと歩いて行き、肖像画を見上げた。すらりと並んだ肖像画の最後には、スカーレットの父、アルバート・ランカストラルが描かれている。


隣り合っているのは、父が倒したエルマー・ヨークシャーだ。スカーレットは新しい代から順に見ていき、初代国王の肖像画を見て動きを止めた。


「あれ?」


 ギリアス・ヨークシャーの肖像画が真っ白になっているのだ。これは一体、どういうことだろう。


(昔見たときはちゃんと描かれていたような……修復中とか?)


「スカーレットさま?」


 声をかけられ、スカーレットはびくりと身体を震わせた。振り返ると、男がひとりたっていた。撫でつけた髪。胸元についている白の徽章。


(この人は確か、白薔薇派の……デュポン大臣)


 彼はじろじろとこちらを見て、


「どうかなさいましたか」

「い、いえ」


 デュポンはふん、と鼻を鳴らし、かつかつとこちらに近づいてきた。彼は肖像画を見上げ、


「私はね、王には器というものがあると思っているのですよ」

「器……?」

「ええ。国王になるお方には、皆それにふさわしい顔をしてらっしゃる」

「はあ」

「失礼ながら、スカーレット様が国王にふさわしいとは思えないのですよ」

「自分でもそう思う」


 その言葉に、デュポンが怪訝な顔をした。


「お認めになるので?」

「だって、鏡で見る自分はいつも情けない顔をしてるもの」

「ならば、王位を他の方に譲るべきでは?」


 他の方、という言い方をしているが、十中八九ミアレスのことだろう。スカーレットは、肖像画を見上げてつぶやいた。


「……この中には、王にふさわしくなかった人もいる」

「なんですと?」

「エルマー・ヨークシャーは臆病で内向的。とても国王を務められる人間ではなかった」

「スカーレット様、そのようなことをおっしゃっては」

「私の言うこと、間違ってる?」


 スカーレットが見上げると、デュポンが眉をしかめた。


「……いいえ」


 占い師に操られ、国を危機に追い込んだ……。


「エルマー王は愚王だった。白薔薇派もそれは認めている。しかし……」

「あなたは、ミアレスが国王にふさわしいと思ってるんでしょう?」

「少なくとも、あなたよりは」


 スカーレットは、デュポンを見据えた。


「私は、こう思う。ミアレスはこの国に少しも関心がない。だから、国王にはふさわしくない」

「な……」


 デュポンが唇を震わせた。


「彼女が大事に思っているのは……」

「スカーレット様!」


 いきなりデュポンが叫んだので、スカーレットはびくりと身体を震わせた。


「え、な、なに」

「あれを! ギリアス王の肖像画が消えている!」


 デュポンは、真っ白な肖像画を指さした。


「え……ええ、でもあれは、修復中か何かなのでは」

「いいえ! そんな予定はありません」


 彼は自身の髪を乱した。


「こうしてはいられない。陛下にお話しせねば!」


 だっ、と走り出したデュポンを、スカーレットはぽかんと見送った。

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