紅薔薇姫の悲劇
★
走り去ったスカーレットを見送り、ルドルフはきょとんとする。
「あれ? 私なにかまずいこと言いましたか?」
「いや? トドメなら刺したがな」
クロードはそれにしても、とつぶやく。
「なんであいつは、人前に出るのをあんなに怖がってるんだ」
思えば、出会った当初は布団をかぶっていた。周りを見ないようにするためかと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。
「人の顔が怖いってのはわかるが、見なきゃいい話だ」
「姫さまは他人の視線が怖いのではないですかね? 自信がないのでしょう」
「そんなにひどい顔か?」
むしろ、容姿だけならミアレスと遜色がないくらいだ。問題があるとしたら、やはりジョセフだろう。ぬいぐるみを抱いた王位継承者など、聞いたこともない。
「まあ、会議に出るのは、あいつの考えを知らしめるチャンスでもあるからな」
──ジョセフを取り上げなければ。スカーレットは泣くかもしれない。そう考えたら気が重くなった。
「私は姫さまをとても可愛らしいと思いますが、私の言葉で浮上してはくれないでしょう」
彼はため息をもらす。
「真夏の太陽であるルドルフを、なぜか姫さまは意識してくれないのですよね」
「……」
ルドルフは含み笑いをしながらこちらを見た。
「北風に吹かれたいのでしょう」
「誰が北風だ」
「有名な童話では太陽が勝つのにねえ」
「勝ち負けの話なんかしてない」
「いえいえ、君は個人的にはライバルですよ」
一体何のライバルだ──そう思ったが、クロードは何も言わず、スカーレットが消えた方角へと歩き出した。
☆
頭上に初夏の青空が広がっている。じりじりと肌を焼く夏の日差し。スカーレットは、薔薇の茂みの中にしゃがみ込んでいた。むせかえるような薔薇の匂いが鼻をくすぐる。膝に乗せたうさぎのぬいぐるみを、じっと見つめた。
「お母さま……」
──スカーレット、なぜお誕生日パーティーに出たがらないの? みんなスカーレットをお祝いしたくて待っているのよ。
──おかあさま、私、人の顔がたくさんあるのは怖いの。みんな、お面みたいなのをかぶってるのよ。
──お面?
──そう。笑ってるのに、無表情なひと、怒ってるひと、泣いてるひと。ホントの顔は、全然違うの。だから、怖いの。
──そう。スカーレットは、ひとよりも、他人の顔が見えてしまうのね。それはとってもすごいことよ。
──すごい、こと?
──そうよ。人を見る目は、あなたの素晴らしい力になるわ。
──でも、怖いの。誰かに見られるのも、見るのも、怖いの。
──これをあげるわ、スカーレット。
母はスカーレットにぬいぐるみを差し出した。
──わあ、うさぎさんだ。
──名前はジョセフよ。もともと表情がないから、怖くないでしょう? 人の表情を見るのが怖くなったら、ジョセフを見なさい。きっと安心できるわ。
スカーレットは、ジョセフを抱きしめ、ありがとう、お母さま、と言った。
ジョセフと一緒なら、会議も怖くないかもしれない。表情のないうさぎを見ていたら、だんだん心が落ち着いてきた。
「戻ろうかな」
スカーレットがつぶやいた、その時。
ふっ、と影が落ちて、スカーレットは顔をあげた。誰かがこちらを見下ろしている。逆光で顔形はよく見えないが、その人物が鬼のように思えて、スカーレットは悲鳴をあげた。伸びてきた腕が、ぬいぐるみを奪い取ろうとした。
「いや、やめて!」
スカーレットは必死にジョセフを取り返そうとする。双方から力が加わって、布地が引っ張られた。
――ビリッ。布が裂ける音がして、ジョセフの首がもげた。
「――!」
飛び出した綿が地面に散らばる。
「おい!」
誰かの声が、庭園に響いた。
犯人はハッとして、首を持ったまま走り去る。スカーレットは呆然と、身体だけになったジョセフを見下ろしていた。
駆けてくる足音が聞こえ、スカーレット、と名前を呼ばれる。スカーレットは顔をあげることができなかった。
「おい、一体どうし……」
クロードの碧眼が、ジョセフを目にして見開かれる。彼はしゃがみこんで、スカーレットの顔を覗き込んだ。
「何があった」
「……いきなり、ジョセフを取られそうになって」
「誰に」
「よく、見えなかっ……」
スカーレットが声を詰まらせると、彼は戸惑いがちに緋色の髪に触れた。優しい手つきで髪を撫でる。クロードはしばらくそうした後、ため息をついた。
「たかがぬいぐるみだろう。泣くな」
スカーレットは、ぴくりと肩を揺らした。
「……たかが?」
「そうだ、治せば済む話だ。それよりも、犯人の狙いを突き止めないと危険……」
スカーレットはクロードの手を振り払った。立ち上がって叫ぶ。
「たかがじゃない! お母さまの形見なのよ!」
クロードの顔が、一瞬苛立ちに歪んだ。スカーレットはびくりとする。
「おまえは国王になるんだろう。いつまでもぬいぐるみ遊びなんかしてる場合じゃない」
この表情を、何度も見た。紅薔薇派からも、ミアレスからも、スカーレットは蔑すまれてきた。紅薔薇姫は国王にはふさわしくない、と。
クロードだけは、違うと思ったのに。スカーレットの表情を見て、クロードが眉を寄せる。
「スカーレット?」
スカーレットが後ずさると、彼が近づいてきた。
「おい」
「クロードも、みんなと同じだわ」
「何を言って」
また近づこうとしたクロードに叫ぶ。
「こないで!」
クロードが足を止めた。頭上に厚い雲が流れてきて、二人の間に影を落とす。どくどくと心臓が鳴っていた。
「……勝手にしろ」
彼は冷たい声で言い、さっさと歩き出した。
スカーレットは、半分になってしまったジョセフの身体をぎゅ、と抱きしめた。
★
クロードは、バタン、と音を立てて自室の扉を開いた。ベッドに座り込んで、髪をかきあげる。
――なんなんだ、あいつ。騎士になれと言ったくせに、なぜ今になって拒絶してくる。ぐしゃぐしゃ髪をかき回していたら、コンコン、とノックの音がした。
扉を開けたら、ルドルフがどうも、と手をあげた。クロードは不機嫌に彼を見る。
「なんだ?」
「髪すごいですよ?」
「うるさい」
ご機嫌ななめですねえ。彼はそうつぶやいて、
「姫さまの様子を見に行ったんでしょう。戻ってくるの早すぎじゃないですか?」
「知るか。そばによるなと言われたんだ」
「おやおや。寵愛が冷めるのがずいぶん早かったですねえ。思ってたのと違ったってやつでしょうか?」
ルドルフはにやにや笑う。
「ついに真夏の太陽ルドルフの時代が来たのかもしれません」
クロードは口を開きかけ、閉じた。――この男に頼むのは癪だが、他に頼る者がいない。
「……あいつについててやれ」
「はい?」
彼はきょとんとする。大方、クロードが挑発に乗ると思っていたのだろう。クロードは先ほどのことを話した。
「誰かがジョセフの頭を持ってった。思惑は不明だが、スカーレット自身が狙われる可能性もある」
「ジョセフが! なんてかわいそうな姫さま。今ごろ泣いてらっしゃるでしょうね。早く抱きしめて差し上げないと、ぐえ」
クロードはルドルフの襟首を掴み、低い声で言う。
「余計なことはしなくていい。わかるな?」
ルドルフが半目になる。
「そんなに心配なら、ご自分で守ればいいでしょうに」
「俺はジョセフの頭を奪った犯人を捜す」
「なるほど、役割分担ですね。頑張れよ相棒☆」
「茶化すな」
「いえいえ、本気ですよ」
ルドルフは拳を差し出してくる。クロードは彼をじっと見て、かねてからの疑問を口にした。
「おまえは、どうしてスカーレットについてるんだ」
「そりゃあ、姫様はとってもかわいいからです」
「それだけか?」
彼はくすりと笑った。
「クロード君、初恋はいつですか?」
「は?」
「私は十二歳です」
そんな話は聞いていない――そう言いかけたら、ルドルフはこう続けた。
「私がいたいけな少年兵だったころ、足をくじいて森で遭難しかけましてねえ」
そこにたまたまスカーレットが通りかかったのだという。
「姫様は、今とは違ってずいぶん活発なお子様でした」
彼女はルドルフを支え、森の外まで向かったらしい。想像できなくて、クロードはいつの話だ、と問う。
「八年前ですから、姫様は九歳ですね」
ルドルフは嘆息する。
「すっかり忘れられていてショックでした」
「……」
「それよりもショックだったのは、彼女がすっかり別人のようになっていたこと」
「母親が死んだことが大きいんだろう」
「かもしれない」
私はね、君が羨ましい。ルドルフはそう言った。
「あれほど姫様に求められているのだから」
「ぬいぐるみに負けてるがな」
ルドルフは、いつになくまじめな顔をこちらに向けた。
「クロード君。姫様が君を拒絶したのは、君が姫様に対して幻滅したからだ」
「俺は別に……」
「したんですよ。それは悪いことではない。私は姫様に幻滅なんかできませんから」
君と私の違いはそこだ。彼はクロードを指さし、
「姫様は強くならなくてはいけない。それには君が必要だ」
「おまえはいいのか、それで」
「ええ。たとえ一番になれなくとも、姫様が元気でいてくれればいいんです」
「……いまの話を、あいつに話せばいいだろう」
「私はシャイですから、思いをつたえるのが難しくて」
ルドルフは照れたように笑った。――なんなんだ。いつもうっとおしいほど好意を伝えているくせに。クロードは髪をかき回し、
「……拳を出せ」
「はい?」
「早くしろ」
ルドルフが拳を出してくる。クロードはその拳を叩き落とすように、拳を当てた。
「頼んだぞ」
「はい」
ルドルフはにっこり笑った。




