第7話
どうすることもできなかった。少年があの時あの場所で何か行動を起こしてもどうすることもできなかっただろう。むしろ事態の悪化を招くことになるだろう。
少年は只々目の前の光景に嘔吐し、ただ促されるままに逃がされたのだ。
暗く黒い夜空からの雨で体温を奪われていくのが分かる。スグルは夜雨の中、誰1人いるはずのない道の真ん中で誰かの助けを探して走る。
頭の中で物静かで優しかった少女が叫び狂い、血まみれになりながらこちらを憎悪の篭った形相で睨みつけ、そして笑っていたのが頭に焼け付いて離れない。
混乱状態にある今スグルにはこの感情の名前がわからなかった。
ずっと昔から知っているはずなのに名前の分からない感情。
その時足元の石畳の隙間に足をとられて転倒する。ゴロゴロと転がり横になってしまう。
激しい息切れの中で、恐怖だけが膨れ上がってくる。それは自分の命が危険にさらされているという単純な怖さと、これまで大切だった人が直ぐ目の前で壊れていく恐れの合わさったものだ。
”あ、助けを呼んでくるって僕は言ったんだったな。”
先ほどまでの自分の行動理由をあっさりと忘れさり、いつの間にか逃げることだけを考えるようになってしまっていた。
自分の命可愛さに逃げることに必死になることは決して責められる事ではない。
だがスグルは確かに約束したのだ。助けを呼んでくると、
にも関わらず逃げていた、ただ逃げていたのだ。
たった数分、もしかしたら数秒だったのかもしれない。たったその短い間だけでも自分を助けてくれた2人のことを忘れてしまっていた自分の中に罪悪感と焦燥感が押し寄せてきた。
「…誰か…助けを呼んでもらわないと。」
立ち上がる、皮でできた靴の中に沢山の雨が入り込み、ジャブジャブと気持ちの悪い音がする。
ヒリヒリと腕と膝が痛む。コケた時に擦りむいたのかもしれない。
直ぐ近くの家の前に着くとスグルは思いっきりドアを叩いた。何度もなんども叩き、そして叫んだ。
「誰か助けて!死んじゃう!エリーが!ゲインズのおじさんが死んじゃう!助けて!!」
自らがその事実を口にすると涙が溢れてくる。感情が抑制できずに溢れ出す。
だが今はそれに構っている暇はない。近くの家に行ってはドアに拳を叩きつけながら叫ぶが、誰もそれに応える気配がない。
その時思い出す。
毎晩外の音が全く気にならなかったことに。
これだけ雨が降っているはずなのに外の音が聞こえないのだ。
「結界の、せいなのか…」
目を見開き、表情は絶望に染まる。
もしかしたら、ゲインズは最初からこのつもりで僕を逃して、、
ゲインズのことだ、夜に発動する結界が外の音を遮断していることなどとうの昔に知っていたのだろう、否、この世界の常識だったのかもしれない。
どちらにしてもスグルは知るはずもなかった。
ゲインズはあえてそれを伝えずにスグルを逃したのだ。
「ゲインズ…僕やっぱり嫌だよ。もう誰にも死んでほしくないよ。」
そう呟くと少年は走り出した。
2人のいる場所へ
運命の歯車が動き出す