第6話
周りの四角い建造物達はいつものようにぼんやりと淡い光を帯びている。魔族の侵入を許さない結界である。
その中で一つだけ光を帯びていないものが目の前にあった。どの建造物にも等しく施されているはずの結界がそこにはなかったのだ。否、なくなっているのだった。
「何故だ、なぜ結界が無い!」
結界を失った家の主人が絶望、焦り、怒りの混ざった声で呟く。
瞼は大きく開かれて、有り得ない、なぜ?どのように?という思いが頭の中を渦巻いていた。
そして1番大切なことに辿り着く。
「エリーは?」
ゲインズのとなりでスグルがそう呟いたのとゲインズの思考がそこに辿り着いたのはほぼ同時だった。1番最初にそこに辿り着かなかった自分に困惑するが、冷静に自分を保とうと眉間に力を入れ直す。
「ここに辿り着くまでにアラクネを見たか?いつももっとウロウロしてるはずのあいつらがこの周辺にいない。こりゃあ悪魔の力だな。マズイことになった。スグルは入れてもらえる家を探して電話で支部に連絡だ後はその家に隠れてな。」
「ゲインズはどうするの?」
不安な表情で聞く
「俺はエリーを連れ出…
その時だった。
ドアがゆっくりと開く音がした。
光を失った建造物の中から1人の女の子が出てきたのだ。裸足で雨除けのマントも着ることなく、
少女はニヤリと艶やかに微笑みながら
「お父さん♡ こっち来てよお父さん」
元々物静かで大人びた雰囲気のあった彼女だが、今目の前にいるソレは年相応とは間違っても言うことのできない艶やかな色気を帯びていた。
雨で濡れた栗色の髪の毛の先を指で遊びながら少女は続ける
「お父さんも、お父さんを追いかけて行ったスグル君も帰ってきてくれないからぁ、エリー寂しかったの。寂しくて淋しくてしょうがなかったの。毎晩毎晩どうして私を1人にするの?お父さんなんか大嫌いよ!だいたいお父さんはエリーの本当のお父さんじゃないくせによくお父さんだなんて言えたわね!エリーの気持ちなんか知らずにいつもいつも私を1人にして!私をいつもいつもいつもいつもいつも!私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私を私をををぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
途中までの微笑みは消え失せ、憎悪の篭った形相で少女は気が狂ったように叫び、そのあまりの怒声に喉が擦れてしまったのか口から血を吐き出していた。
「お父さんが悪いのよ!全部全部全部全部全部!!お前が残したものなど全て壊してやる!破壊してやる!」
そう怒鳴ると少女は自らの頭を壁に何度も叩きつけたかと思うと、今度は家のドアに左手を挟みドアを開きまたドアで勢いよく手を挟み、、、
そうやって自称行為を繰り返す少女をゲインズは睨み続けた。
その隣で目の前の常軌を逸した光景に腰を抜かしてしまったスグルは、次の瞬間には口から大量の吐瀉物を道の真ん中にぶちまけていた。
そして叫んだ。
「ゲインズ!なんで助げに行がないの!!エリーの身体あんな風になってるのになんでそのまま見でられるの!」
ゲインズは感情を殺した声で返す
「スグル。逃げな。今エリーは憑依状態だ。悪魔ってのはな、あーやって1人に取り付くと自称行為をさせて近づいたやつにまた乗り移る。とりあえず自分の身体が完成するまで乗り換えを繰り返してそれが終わってから人を殺し始めるんだ。だから今行くと今度は俺が周りのやつに迷惑かけることになる。お前は逃げな」
「なんとかできないのかよ!支部長だったんでしょ!何とかしてよ!」
「無理だ。悪魔相手の戦闘は必ず死者が出る。それに今エリーに取り憑いてるのは結界を破るほどの悪魔だ。俺も死ぬかもしれん。お前は逃げな。朝まで生き残るんだ。」
それは絶望の宣告だった。
頭が真っ白になる。身体が動かない。
「ボウズ!」
その声で我に帰る。それと同時に背中を勢いよく叩かれて前のめりになる。ゲホゲホとえずくが、不思議と身体に力が戻る。
「逃げな!んでもって助けを呼んでくれ!全部片付いたら病室でパーティーするからよ!生きとけよ!」
外国のB級映画でもそんな馬鹿なことは言わないと思ったが、今はそれどころではない。涙を精一杯堪えながらコクリと頷き、
「直ぐに助けを呼んでくるからね!しなないで!」
そう叫ぶとスグルはゲインズの後ろへと走って逃げて行く。
それに気がついたのか、自称行為をしていた少女がそれを止めて振り返ると、感情の無い顔で
「スグル君逃げてしまったのね。スグル君も私を残して逃げてしまうのね」
ゲインズの目の前に立っているソレは、額を割り血を流し、腕は二の腕のところから何度もグネグネと違う方向に向いていてもはやどれが肘だったのか分からない。足首は赤く腫れ上がり、少し突けばパンっ!と弾けてしまうのではと思えるほど酷い有様だった。
誰もが目を背けたくなってしまうようなその光景をゲインズはじっと見つめていた、怒りをその目に宿しながら。
「ねぇお父さん。家の中に入りましょうよ。身体が冷えてしまいますよ?」
血まみれの少女は笑った。邪悪なその瞳で目の前の男を捉えながら。