第3話
「ねぇ、ゲインズのおじさん。」
「んぁ?なんだボウズ」
食器の片付けの手伝いをしている最中にふと思い出したようにスグルは隣で大皿を丁寧に拭いているゲインズに尋ねた。
「僕を襲ってきたアレって一体なんなの?」
襲ってきたアレとは、スグルが雨の中で目覚めた時に遭遇した人を溶かして食す化け物のことである。見た目はごく普通の男だったのだが、人を食らうという事実はあきらかに常軌を逸していた。
「アレって、アラクネのことか?」
ゲインズはいつもの誰かをバカにしたような笑い混じりの話し方からガラリと変わり真剣なトーンでそう言った。
ゲインズの変化に気づいたスグルは、ゆっくりと顔を上げて隣の巨体の表情を恐る恐る伺うと、
そこには人を殺してしまうこともできるのではないかと思えてしまうほど険しく、苦しく、怒りの篭った表情をしたゲインズがいた。
「アラクネはぁ、魔族の一種でな、ボウズももう知ってるかもしれねぇけどよぉ、人を溶かして食らう化け物だ。」
ゲインズは表情を変えることなく続ける。
「あいつらは生かしておいちゃならねぇ、全部始末しねぇいけねぇ!あんな人に害しかなさねぇ奴らほっといたらいけねぇんだよ!地下のアイツだってすぐにでも殺すべきなんだ!」
次第に声を荒げていくゲインズの周りは、その激情に共鳴するようにビリビリと痺れているのが分かる。
その時、バリン!と陶器でできていた大皿がゲインズの手の中で割れる音がした。
その音で我に返ったのか、割れた皿を見つめて、少し悲しそうな顔になっているのが分かった。
痺れていた大気は正常に戻り、激情の主だった者はスグルの顔を見下ろして、
「すまなんだ。ちょこっと気が立っちまったみたいでな、勘弁してくれや!」
いつもの調子に戻っていた。
「ところでボウズ。何で魔族のウロつく夜中なんかに外に出てやがったんだ?死にたかったようには見えなかったんだが」
突然道のど真ん中に放り出されたようなものである、何でなんて聞かれても言葉にしようがなかった。それに、ここまでくると恐らくここは前にいた世界とは別の世界だろうということはスグルにでもうっすらと理解できていた。厨二チックで気恥ずかしい言葉ではあるが、俗に言う異世界召喚のようなものなのだろう。自殺して、行き着いた先が地獄でも三途の河でもなく異世界とは笑えない話である。ゲームや漫画の世界で異世界召喚はよくある設定ではあるのだが、今回の質問のようなケースはどう答えるべきなのかスグルの頭では見当がつかなかった。
とりあえず、、
「実は記憶が無くてさ、名前だけしか覚えてないんだ、夜が危険だなんて知らなかったよ。何も知らないんだ、」
”なかなか上出来じゃないか!”とスグルは内心でぐっと握りこぶしを作っていた。
だが少し不安になった。ゲインズの反応が無いのだ。なにかまずいことを言ってしまったのかと思い、先ほどの言葉を頭の中で繰り返し読み上げるが、怒りを買うような発言は絶対にない。
衝撃は突然だった。
背中を思いっきり殴られる、否、蹴り飛ばされるような威力で叩かれたのだ。
「んぉおおおおお!!ボウズ!お前も苦労したんだなぁ!!」
とオイオイと泣いている漢がそこにいた。
感動しているのだろうか、よくわからない。
「よし分かった!飯も食わせたし皿洗い終わったらすぐにでも叩きだそうと思ってだけどやめだ!
どうせ家もわかんねぇだろ!ゆっくりしてけやこのやろお!ワカンねぇことは聞いてくれ!何でも教えてやらあ!」
感情に任せたようにガテン系の口調で口走る一言一言の中に情を感じてしまい、あまりにも懐かしい温もりにスグルの胸の奥が熱くなり、ドッとこぼれてしまいそうになった。
「じゃあさ、この世界のこと、教えて。」
涙をぬぐいながらゲインズは口角を上げながら、グッと親指を立ててみせた。
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「まずこの国の名前はしってるか?」
首を横に振るのを見て、よし、と頷くと
「この国はリヴェールってゆう名前なんだ、500年前から毎晩雨が降ってるらしい。雨が降るのと同じくらいから夜中に魔族ってのが現れて人を襲うようになったんだ、そんで..」
「ちょっ!じゃあ毎晩あんなの…アラクネみたいなのが街をウロついてるの?」
「そうとも、おかげで夜中に外に出るのはよっぽど腕(魔族に勝てるだけの力)に自信があるか、自殺志願者くらいだろうよ、もっとも、後者なら首釣る方がよっぽど楽だがな」
最後の一言が妙に生々しく聞こえるのは自分に重なってしまうところがあるからだろう。少し表情が暗くなる、コレが後悔からなのかそれともこの世界で魔族に食われてしまった人々への申し訳なさからなのか、本人にも分からない。
ゲインズはそのまま続けた。
「けどな、そこでご先祖様は、'雨の夜'を越えるために努力したわけよ!」
ゲインズは高々と鼻を鳴らし、腕を組み、誇らしげに言う
「ボウズも夜の街で見ただろ?四角い塊が沢山あるのを!アレはこの国の夜の姿なのさ!先祖様が作り上げた結界があんな風にレンガや木でできた家を豆腐みたいに見せてるのさ」
「アレって結界だったの!?」
この世界の建物という概念自体があの形なのだとおもっていたため酷く驚いてしまった。
「おうよ!まぁまた後で外に買い物に行くからよ!そん時に見たらいいさ」
この世界に来て、初めて買い物が、外出が楽しみだと思えた瞬間だった。
ゲインズは目を輝かせているスグルを見て、とても満足気にニカッと歯を見せて笑った
「そんでな、結界ができて、死人は激減したぜ、けどな、150年前に三体の魔族が結界を破ることに成功してな、一つの街が一晩の内に廃墟になっちまったんだ。」
空気が重くなるのを感じて思わず息を呑む
「それを機に120年間、魔族との戦争があったんだ、多くの魔族を葬ったが代わりに沢山の人が死んだ。人間側は、途中、強力な魔族を捉えて研究し、そこから得た力で今から30年前、戦争に勝利したってわけよ。」
「もしかしてさ、助けてくれた時に使ったのもその研究から生まれた兵器かなにか?」
「いや、どうにもおらぁ魔族が生理的に無理でな、そーゆー武器は現役兵の時代でも使ったことねぇなぁ。 ありゃあな、ロフって呼ばれてる古い武器さ、鉛の弾を詰めて、引き金を引くのさ!
まぁ俺くらい筋力がなきゃ、自分の腕が吹っ飛ぶ威力だがな!」
ゲラゲラと笑うゲインズを横目に、ショットガンのようなものなのだろうとアタリをつけた。
そこで、話を思い返すと、引っかかる節があった。
「もしかしてだけどさ、捉えられた強力な魔族って、地下に閉じ込められたりしてるの?」
「何で知ってんだボウズ、こりぁ戦争にいた奴しかしらねぇんだぞ?」
返答次第では殺すぞと言わんばかりの目で睨みつけてくる圧力である。
「だってさ、さっき皿洗いの時にゲインズが言ってたからさ。。」
じょじょに声がちいさくなる。
するとゲインズは、はぁ〜と長くため息をつくと、
「口が滑っちまったなぁ…」
と頭を抱えて
「そうだとも。この近くにある第3支部の地下には極秘の研究所、、とゆうより今は牢獄だな。
そこに王族種と考えられるアラクネが一体隔離されてる。他にもあと4体、別々の支部の地下に閉じ込められてんだ。俺としてはさっさと始末した方がいいと思うんだがねぇ、退役した今じゃぁ庭の外よのぉ」
と、再び深くため息をした。
重たい雰囲気の中、台所からエリーがお椀にお茶の入ったカップを二つ乗せて運んで来てくれた。
そのことだけで空気が明るくなったのを感じた。
「エリー、ありがとね」
そう言うとエリーは少し頬を赤らめてニコリと笑うのだった。
「まぁこんなところだ。ボウズ、他に聞きたいことはあるか?」
「今はとくに無いよ。ありがと、また気になったら追い追い聞いていくよ。」
それを聞いてゲインズがそうかいそうかいとニコリと歯を見せて笑う。
「そんじゃあ、買い物に行くか!急いで支度しろよ! 晩飯の材料がねぇからな!」