コリンナの魔法の料理教室②
心配そうに見守る料理長にゼンが求めたのは、水、小麦粉、バター、卵、塩、油。あとかまどの火付け、調理具として鍋とヘラ。
「素晴らしい小麦粉ですね」
「ええ、当屋敷では石臼の質を変えて、10回は挽いてますから」
ゼンが小麦粉に満足そうにすくってるのを見て、料理長は誇るように胸を反らした。
―――それをしているのは私なんだけどなぁ。
と、ゼンの指示通りのものを集めながらコリンナは苦笑する。
苦笑しつつも、本当にこの貴族様は料理をしたことがあるんだ、とコリンナは感心した。特に彼は小麦粉の質をちゃんと舌と目、鼻で確認しつつ最も上級なものを選んでいる。
パンは食事の中心だけじゃなく、客人に対する親愛の証だからだ。きめ細かな真っ白で輝くような小麦粉は、コリンナがマメをこさえながら毎日丹精込めてすりつぶしている。もちろん、屋敷に運ばれてきても素晴らしい小麦粉だが、ロサニエス城ではそれをさらに細かく石臼にかける。その小麦粉の前で息をするだけでもふわっと白い煙が立つのは、彼女の努力の結晶だ。
集められた材料をゼンが秤にかけて慎重に計量しているのを調理場の使用人達は眺めていた。使用人達はあまり貴族と話す機会もない。いや、むしろ用がないときは話しかけないと言った方が正しい。彼らは住む世界が違う、だから互いに近づかない方が身のためだと思っていた。
「閣下、何を作られるのですか?」
水を打ったような静けさの中、調理長だけがゼンに尋ねる。その顔は材料と手順を見て、まさかというような顔だった。
ゼンが材料、溶けやすいように細かく切ったバターと水、リーンフェルト領特産の蜂蜜を鍋の中に入れて火にかけているとところだった。
「揚げ菓子ですよ。リーンフェルトではよく母上と作っていたんです」
「・・・。それはわかりますが・・・」
ちょっと眉間に皺を寄せながら料理長は困ったような顔をした。
コリンナにはその気持ちが手に取るように分かった。
そのお菓子はコリンナの家庭でも、ちょっと余裕がある祝祭日に作るようなもの。素朴で、言ってしまえば見栄えもしない。貴族の舌を楽しませるようなお菓子ではない。
お菓子とは、生活に余裕がある、あるいは生活に花を添えるものだ。日々の食事にも困るような者たちにとってそれは祝祭日を彩り、楽しみとなる。
逆に、食事に困らず、食べると言うことを自らの地位として飾る貴族にとってそれは洗練された都会的な文化といえる。
その二つのお菓子、甘いことは共通だが、食卓を彩る意味が異なる。
一つは貧しい生活に僅かな希望を、もう一つは華やかな生活に高貴と都会的な価値をもたらすもの。
言ってしまえば、ゼンが作ろうとしているお菓子は、この場にふさわしくない庶民のお菓子になってしまう。
―――マリアーヌ様がお喜びになるはずがない。
コリンナは心の中でため息のように失望した。
揚げ菓子などよりも、コリンナの主が求めているのは、王都の華やいだ世界とつながっているという華々しさだ。王都の王女だった彼女の舌に合わせようと、調理長や自分たちは王都のレシピを取り寄せて、あるいは料理人を招いて日夜努力している。なのにそれがどうしてみすぼらしい、まるで自分みたいなお菓子をお喜びになるのか。
コリンナはゼンのことをやっぱり田舎の貴族、だなと思った。
だが、
「ウチの屋敷にエンリエッタという使用人がいるんです」
何を思ったかゼンは料理をしながら、大事な、まるで宝物を思い出すような無邪気な顔で笑う。
「はあ・・・」
ゼンが突然話はじめたその人物の名前に、料理長はどう答えてもいいか分からないような言葉で返す。
「ウチの領地は田舎で、使用人も少ないので家族同然なんですけど、エンリエッタは使用人の鏡みたいな人で、それが苦手だったらしんですよ」
「それは・・・たいへん素晴らしい方なのでしょうな」
「ええ、私の大事な家族ですよ。でも、母上がお祝い事でエンリエッタにプレゼントをしようとすると雇っていただいていることが一番のプレゼントです、といって受け取ろうとしないんです。母上は無理矢理渡すんですが、困った顔であまり喜ばなくて」
「はぁ・・・。それは立派な方なのですね」
「立派すぎて融通が利かないんですけどね。あ、小麦粉お願いします」
「畏まりました」
沸騰した鍋を火から下ろし、料理長が一気に小麦粉を入れて、ゼンが手早くヘラで混ぜていく。
この作業は力がいるのでゼンも真剣だった。
中の小麦粉がバターを吸い黄色みかかった生地をひとまとまりになると再度火にかけて水分を飛ばす。
「で、母上がある仕掛けをしてプレゼントを自然に渡すことができたんですよ」
一段落すると彼も続きを話し始めて、コリンナも使用人たちも耳を傾けた。
「ほう。仕掛けですか?」
「ええ、それを今からしようかなって。あ、ボウル用意してください」
「どうぞ。後の作業はわかりますので私がしましょうか?」
ボウルに小麦粉の生地を入れて、料理長が卵を持ってきてそういった。
ゼンはちょっと考える風な顔をしたが、微笑みながら横に振った。
「いえ、せっかくなんで私が作りますよ。その代わり、ゼリーに使う予定だった果物でジャムか、クリームをお願いできますか?」
「お安いご用です。私が作りますので―――コリンナ」
料理長が微笑んでそう言うと、コリンナに目を向けて呼んだ。
「は、はい!」
呼ばれたコリンナは心臓が飛び上がった。
「クリームは私が作るから、コリンナは閣下のお手伝いをしなさい」
下っ端の彼女はなぜ自分が、とどぎまぎしつつ、
「か、畏まりました」
なんとかそう言ってゼンの側に向かう。ゼンは驚く彼女を見ながら微笑んだ。
「コリンナさん、よろしくお願いしますね」
「はっ、はい!」
「では、卵を」
―――どうしよう・・・手が震えちゃう。
あまりのことに卵を滑らせそうになって彼女は、宝石を扱うようにおそるおそる卵をもって割った。




