約束だよ…?
約束だよ…?
『うっうぅ…ぇっ』
『白兎、まーた、こけたの?』
『おねーちゃ…っ…ぅっえぇッ』
『ほらほら、泣かないで。白兎は強くなるんでしょ?』
『おねえちゃん、ぼくがまもってあげたいのにっ』
『白兎が大きくなったら、其の時助けてもらおうかな?』
『っ…ほんと? …おねーちゃん、ぼくがまもるよ…っやくそく、だよ…ッ』
『うん。約束……』
ゆーびきりげんまん……
これは、いつの記憶だろう?忘れていた、遠い昔の…。
「白兎、起きてるか?」
「う…うぅん…あれ? 僕、二階に居た筈じゃ…」
いつの間にか自分の部屋に戻っていてしかも朝になっている…。
瑠樹が棚に飾ってある花瓶の水を入れ変えながらこちらを向いた。
「昨日の夜、二階で白兎、倒れてたって看護師さん言ってた」
「そうなんだ…」
やっぱり、僕は昨日あの人と、会ったんだ…。
「あ、でもどうしてあの部屋だけ掃除されてなかったんだろう…?」
「…部屋?」
「うん。誰も居ない病室。一番奥の部屋なんだけど…」
「白兎…。お前、廊下に倒れてたんだって。…オレ見てきたけど二階の一番奥は…」
「…俺の部屋、なんじゃけど?」
僕と瑠樹はその、声に驚いて振り向く。
そこには、多分此処の患者らしき人が頬杖をついてドアに持たれ掛っていた。目を引く、髪の色。ワインレッド、と言えばいいのだろう
か? 全体的にその色なのだが、根本部分だけ黒い。
多分染めているのだろう。その人はつかつかと僕の部屋に入って来た。
「…二階の一番奥は俺の部屋」
「は、ぁ…。…え!? で、でも僕昨日…ッ」
髪の毛に見惚れていた為、その言葉に反応するのが遅くなった。
というか、じゃあ、僕が昨日行った部屋は一体何なんだ!?
「…なぁ、白兎、俺の事、まだ思い出さん?」
「…え?」
そう言われて僕は、ハッとした。
この、独特のしゃべり方。彼は…。
「も、もしかして、初深兄…?」
震えそうになる声を押さえつつ、僕は目の前の人に言った。
彼は満足そうにニッと笑ってトントン、中指でコメカミを軽く二、三回叩いた。
「初兄だー! 久しぶりだねッ」
「だな! 白兎が入院したって看護師のねーちゃんが言いよったけん」
七芭初深さん。
僕より六個上だから、二十三歳になるのかな。
僕が小学生の頃病院に検査に来る度にいつも遊んでくれたお兄さんだ。
彼の話し方から解るようにこの辺りが地元ではない。
実家は広島にあるらしい。
「でも、初兄どうしたの? その頭…」
「嗚呼、薬の副作用で髪の毛白くなるけ、染めたんよ」
サラサラと髪の毛をいじりながら、初兄が言った。
白い髪で耳の後ろの方を三編みしてあった事に今、気が付いた。
「そうそう、んで? 白兎は二階の俺の部屋、来たん?」
「初兄はあの時、居なかったよ。あの部屋誰も使ってないみたいだった。そこで、僕見たんだ…」
綺麗で、凛々しくて、暖かい、あの人を…。
「…誰を?」
瑠樹が訝し気に聞いた。僕は、真実を伝えなくちゃいけない。
あの人を知っているのは僕だけじゃ、ないから…。
「…僕、おねぇちゃんと話をした…」
「!!」
驚いたのは瑠樹でなく、初兄の方だった。
座っていた椅子から立ち上がって目を見開いている。
「…ッ、俺を…呪ってる! あいつは…俺を!!」
狂ったかの様に、初兄は頭を抱え込んだ。
「は、初兄!?」
「…姐姐…?」
瑠樹は瑠樹で、思い出したかの様にその言葉を呟いている。
姐姐。これは中国語で≪お姉さん≫をさす。
「白兎、姐姐が本当に居たのか!?」
「う、うん。僕昨日話した事ちゃんと覚えてる。…なんで意識がなくなったのかはわからないけど…」
瑠樹も初兄も、僕を見つめている。驚いた顔で。
「姐姐は、玲俊姉さんは…元気、だったのか…?」
ポツリと瑠樹が囁くようにして僕に聞いてきた。
そう。昨日会った女の人は、瑠樹のお姉さん、李玲瞬さんなのだ。
彼女は僕や瑠樹と八歳の年の差がある。僕が十歳の時にこの病院でこの世を去った…。
「ッ…白兎、それよりお前、何で入院したん…?」
「それは…」
ゼィゼィと荒い息を吐き出しながら、初兄がまた椅子に座りながら僕に問う。
僕はというと、初兄と顔を合わせづらくなり、目線は宙を泳ぐ。
「あ、じゃあ白兎、俺部活だから今日は帰る。また来るな」
「あ、うん。ありがとうね! 瑠樹」
パタンとドアが閉まるのを確認した後、僕は初兄と向かい合ってゆっくりと口を開いる。
瑠樹に本当の事を聞かれたらきっと彼は凄く怒ると思う。
多分、野坂吟にじゃなく僕に…。
だから、彼が居たときに話さなかった訳ではないが、やはり心配は掛けたくない。
それに、瑠樹を含めたクラスメイトは僕は発作を起こして入院したと聞かされているからだ。
「…初兄、何か僕の事…全部お見通しって顔してる…」
「…昔から、自然と解るんよ。それにお前顔に書いてあるし。だから、話してみ?」
「…僕、撃たれたんだ。…友達…に。……………ッッ!!?」
また、だ。≪友達≫、この言葉が僕の心を暗闇へと誘う。
息苦しくなりそれを隠す為か必死に布団を握る手に力を入れる。
「……そいつは白兎にとって大切な奴、なんじゃろ?」
「…きっと、瑠樹や初兄くらいに僕の中で大きな存在なんだ…。僕にとって、野坂は…」
「…野坂、ねぇ…俺はそいつ嫌いかも」
「…へ?」
「白兎、そいつはホントに友達って言えるんか? 大事な友達じゃったら、白兎に危害出さん筈じゃろ?」
「あ……」
どう、しよう…。
やっぱり野坂吟は僕の事が嫌いだったのかな?
喫茶店で野坂吟が呟いた言葉は本当は僕に向けられたものだったのかな…。
「…俺の推測でしかないけどなー。白兎が嫌われる様な事しないの、俺、よく知っとるけん」
ポンポン、と頭を叩かれて、布団を握っていた手の力が抜けた。
「うん。…初兄」
「じゃ、病人さんはしっかり寝んとな!」
「初兄も十分病人でしょ!!」
「俺は闘病生活長いからもう慣れっ子なんよ。此処のメシあんま美味くないけ、覚悟しとけよ~?」
お互いに笑い合った後、初兄は僕の病室から出て行った。
*****
「おっと、悪い」
「…いや…」
「……白兎の友達?」
「……俺は…」
「あんたが、≪野坂≫?」
「…なんで、名前……ッ」
「そっか、野坂か。……最初に言っておく」
初深は野坂吟の襟首をぐいっと掴んで耳を口元まで持ってきて低く呟いた。
「…白兎に会うな。あいつは今、アンタがやった事でかなり滅入っとる」
「…ッッッ」
「悪いと思うんなら近付くな。…その、花束は持って帰れ」
「お前、いきなり何なんだよッ…」
「…白兎は、俺のものだ。手出しも許さんから…」
「………」
「絶対お前は許さねぇ…ッ」
其の言葉を吐き捨てて初深は野坂吟から離れて、白兎の部屋を後にした。
「…浅生が、あいつの、モノ……?」
*****
日は落ちて、また真っ暗な世界が広がった。僕はこの光景を幾度この部屋から見る事になるのだろう?
先ほど、看護師さんが持ってきてくれた夕食を口に入れたが初兄の言う通り美味しいと言えるものではなかった。
昨日は母が買ってきてくれたコンビに弁当だった。…これも、そんなに美味しいとは言えなかったが。
「あ…」
一人になってみて解った事がある。それは、僕が暗くなりがちな事。
可笑しくなって少し笑ってしまった。
「…あれから草汰に会ってないけど、何処行っちゃったのかな…」
『おにいちゃん!』
「うわっ!? び、ビックリした…ッ」
『えへへへ~♪』
『だから、やめろって言っただろ、草汰…』
『なんだよーッふーすけ、ぼくにうそついてたくせにーっ』
「……嘘?」
『そーだよー! きいてよ! おにいちゃん! ふーすけってばね、けっこんしてないっていったのにけっこんしてたんだよー!』
「……は?」
『いや、だから、あれが結婚式だなんて思わなかったんだよ…!』
『でも、すずちゃん、けっこんしたっていってたよー! おおぜいでやらなかったけど、かぞくだけでって…』
『…ッあいつ…俺は、あれが結婚式だなんて本当に思わなかったんだよ。…もっと、豪勢なもんだと…・』
『ふ-すけ、へんなところ、ばかなんだー!!』
『ちょっ、草…っ』
『うわーんっ』
草汰が僕の所まで駆け寄ってきて、僕に抱きつく。
弟が居たらこんな感じなのかな、なんて思って微笑ましく思えた。
「…楓介、おねえちゃんは?」
『あ…、俺の隣に…』
『…白兎、私を助けてくれる…?』
「…え?」
『ごめんね? 約束したのに、私先に…』
「う、ううん!! 気にしないで! おねえちゃん。僕が、守るから。おねえちゃんの願い、叶えるから…」
『…初にね、会わせて欲しいの。きちんと、話しておきたいから』
「…あ、うん…」
僕は昔、おねえちゃんの事が好きだった。でも、おねえちゃんは、初兄が好きだったんだ。
初兄も、おねえちゃんが好きで…二人は付き合うようになった。
そして、僕の初恋は終わった…。でも、初兄だから僕が今もこうして彼と仲良く出来ているんだと思う。
「…初兄は、おねえちゃんが初兄を呪ってるって、そう言ってたよ…?」
『!? …初…』
「とにかく、行こう?案内するよ…」
窓から見える夜空の星は、とても綺麗に輝いていて…。
月明かりが僕や草太、楓介、そして…おねえちゃんを照らして…。
彼女の横顔は、とても、寂しそうで、でもとても綺麗だった。
僕らの間に会話なんてなくただ、皆黙って歩き続けた。
初兄の部屋へ。